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三年生編 第77話(9) [小説]

夜の列車。
窓の外を流れる街の灯り。
それをぼんやり見ながら、合宿の間にあったことを思い返す。

しゃらがまたぷうっと膨れるかもしれないけど、結局合宿中
に予想外に起きた出来事はみんな女性絡み。

中坊の女の子、さゆりん、悪魔、そして今日の忠岡さん。

これまでと違うのは、そのどれも僕には深く関わりようがな
かったってことだ。

家出の子は、親がちゃんと迎えにきた。
さゆりんは信高おじさんの家に戻った。あとは家族の問題。
悪魔は矢野さんがマンツーマンでがっちり鍛えてる。
そして、忠岡さんはこれから自分の受験勉強にきっちり集中
するだろう。もう僕とは縁がないと思う。

僕が、講習に集中したいから全部ぶっちしたわけじゃない。
おじちゃんに連絡したり、重光さんに連絡を取ったり、案内
したり。僕が出来るアクションは、ちゃんとやってる。
でも、みんなそれぞれに解を探ってて、僕の手助けは必ずし
も要らないんだ。僕の部分が他の誰かに置き換わっても、た
ぶん結果は変わらないと思う。

そうなんだよね。
自分の生き方。その最後の責任は自分自身で取らないとなら
ない。

「生き方を峻別する……かあ」

自分に必要なものだけを取り込むことが出来たら、どれだけ
楽ちんなことだろう。
でも、実際には宝石も石ころもまとめて飲み込んで、その中
から本当に必要なものだけを残さないとならない。
そして、飲み込むよりも吐き出す方が何千倍も何万倍もしん
どいんだ。

僕がずーっとさぼっていたのは、その作業だ。

「ふう……」

これから。
もっと重たい峻別が待っていると思う。

これまでとは違うしゃらとの未来を考えるなら。
僕は、高校での半端な自分をどこかで吐き出さないとなんな
い。
卒業っていう時間切れで、強制的に吐き出されてしまう前に
ね。


           −=*=−


九時半くらいに家に帰り着いた。

「ただいまー」

「お帰りー」

母さんが、ゆっくりリビングから出てくる。

「あーあ、すっかりむさ苦しくなっちゃって」

「え?」

「あんたも、だいぶひげが伸びるようになってきたね」

げ……。
自分の顔なんか見てる暇なかったからなあ……。

「まあ、今日はお風呂に入ってすぐ寝なさい」

「そうするわ。疲れた」

「お疲れさん」

リビングに入ったら、父さんと実生がものすごく深刻な顔で
俯いていた。

「ただいま」

「お帰り。勘助おじさんのこと。連絡来たんでしょ?」

「ああ」

やっぱ、か。

「いつきは信高さんから詳しく聞いたのか?」

「いや、僕も事実をさらっと聞かされただけ」

「そうか……」

「さゆりんのこともあるし、たぶん近いうちに健ちゃんから
続報が入ると思う」

「分かった」

父さんは、けだるそうに立ち上がった。

「やっぱり……世の中いいことばかりじゃ出来てないな」

「うん。そう思う」

「疲れたろ。早く休めよ」

「そうするわ。実生も、話は明日ね」

「うん。お姉ちゃんには?」

「メール流すだけにする。今日は……疲れた」

「そだね」




rurimat.jpg
今日の花:ルリマツリPulumbago auriculata




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三年生編 第77話(8) [小説]

まとめた荷物の中身をもう一度確認して、重光さんに携帯を
返してもらう。

二週間気絶していた携帯。
電源が入るかどうか不安だったけど、ボタンの長押しであっ
けなく意識を取り戻した。

「ふう……」

駅で、家に電話を入れることにしよう。
しゃらンとこには、家に帰ってから連絡、だな。

携帯をバッグにしまって、改めて重光さんにお礼を言う。

「二週間、お世話になりました」

「おう、斉藤にはもっと気合い入れろと言っとけ!」

うはあ。

「はあい」

「本番をしくじるなよ! そこでこけやがったら、根性座る
までどやし倒してやる!」

「がんばります!」

「当たり前だ!」

うん。
どこまでも真正面から覚悟を迫る。
今時珍しい、正統派のどやしだったなあ。

「では、これで失礼します」

ぺこ。

「おう」

短く答えた重光さんは、すぐに門扉を閉めた。
もう僕にはここにいる資格がない。そう言うかのように。

さてと。

日暮れが遅い夏。
それでも、街はずぶずぶと薄闇に飲み込まれていく。
家に着くのは深夜になりそうだ。

明日から日常が戻って来る。
でも……僕はもう、日常の上にのうのうと居座っていてはい
けないんだろう。

合宿は、これから来る変化のシミュレーション。
僕はそれをちゃんとこなせただろうか?

自問自答しながら。
街灯が灯り始めた駅までのゆるい坂道を、ゆっくりと歩いた。


           −=*=−


「母さん? 講習の日程は無事終了。これから帰るわ」

「どうだった?」

「充実してたよ。進路関係のことも進展あり。帰ってからゆっ
くり話する」

「分かったー。今日は遅くなりそう?」

「九時過ぎになるかな」

「ああ、それでもそんなものなのね。気をつけてね」

「へえい」

ぷつ。

怖いくらいにいつも通りだった。
ってことは……。

僕のこと以外に、何かもっと気になることが起こったんだろ
う。そして、僕はそれが勘助おじさんのことだとしか思えな
かった。

父さんにとって、勘助おじさんは養親と同じ位置付けだ。
もちろん母さんも、おじさんにはとてもかわいがられてる。
二人とも気が気でないだろう。

僕は、むしろさゆりんの方が気になってる。
信高おじちゃんと衝突して、家を飛び出した。
その後は失うことばかりで、何一ついいことはなかったと思
う。

本当なら、おじさんおばさんや健ちゃんがちゃんと寄り添っ
てケアしてあげなければならない。
でも、みんな勘助おじさんの容体が気になって、さゆりんに
目を向ける余裕がないんじゃないかな。

……本当に心配だよ。




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三年生編 第77話(7) [小説]

「わ! 思ったよりきれいだー」

「そうなの。お寺の部屋だから、どんなにおんぼろかと思っ
たんだけど、空調ない以外は快適だと思う」

「網戸は?」

「置いてくよ。君が出る時には外してって。殺虫剤も置いて
くから」

「分かったー。助かるー」

「お盆過ぎたら夜は涼しくなってくると思うから、これまで
より快適だと思う」

「そう願いたいなー」

「門限あるから、遅くなるようなら重光さんに電話入れてね」

「おけー」

「携帯使えないから、必ずどっかに番号控えといてね」

「あ! そっかあ……」

「家との連絡も、重光さんのところからしか出来ない。そこ
んとこだけ要注意ね」

「わかつたー」

合宿慣れしているんだろう。
彼女の受け答えには、とまどいとか驚きみたいなものがほと
んど感じられなかった。

「あとは、何か質問ある?」

「ううん、特にない。あとはやってみて、だなー」

「そう思う」

「ねえねえ、工藤さん」

「なに?」

「ホームシックとか、なった?」

「なるかなあと思ったんだけど」

「うん」

「進路の悩みが深くて、それどこじゃなかったわ」

「へー……」

「一応決着付いたからいいけどね」

「そっかあ」

「心配?」

「ううん。わたしは、そういうの一切ないの。早く家出たい
なー」

「もしかして、それで関西?」

「そう。うちは両親がうっさいから」

「ははは」

「工藤さんは、大学は自宅から通うの?」

「いや、一応下宿の予定」

「そっか」

「志望校に入れれば、だけどね」

「そこは自宅から遠いの?」

「微妙。通って通えないことはないんだけどさ」

「ふうん」

「一度自分を家から切り離さないと、ダメになりそうな気が
すんだよなー」

「へー。親はうっさいの?」

「んにゃあ。さっさと独立してねーって感じ」

「いいなー」

「でも、口でそう言うほど乾いてない。うちは……どこかウ
エットなんだよね。一度ばらしてみないと、お互いにその影
響が分かんないって感じ」

「それなら、もっと遠くの大学がいいんちゃうの?」

「僕一人なら……ね」

「え? どゆこと?」

「彼女がいるからさ」

忠岡さんは、そこでぴたっと口をつぐんだ。

それまでは男同士でしていたような、さばっとした会話。
僕が『彼女』という言葉を出した途端に、彼女がどこかにか
ちんと鍵をかけたような気がした。

そうなんだよね。これが……怖いんだよ。
新しい出会いがどこで生まれるか分からないのと同じで、そ
れがすぱっと切れてしまうきっかけもどこにあるか分からな
い。

まあ、いいよ。
どっちにしても、僕は今日で終わり。
合宿の世界とは縁が切れてしまう。
あとは忠岡さんが、ここにいる時間を有効に使ってくれれば
それでいい。

「さて。それじゃ僕はこれで失礼します。後から分かんない
ことが出て来たら、重光さんに直接聞いてください」

「分かった。ありがとう」

「いえいえー」




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三年生編 第77話(6) [小説]

「おっと、乗り過ごさないようにしないと。次だ」

「へー。住宅街のど真ん中だー」

「雰囲気はいいよ。でも、駅近に買い物出来る店がほとんど
ないから、帰る前に買い物を済ませとかないときつい」

「そっか。まとめ買いして持ち込めば行けそうだね」

「立水は、そうしてるね」

「誰?」

「僕と一緒に泊まってるやつ」

「げ! あんた一人じゃなかったんか!」

「違うよー。でも立水は剣道部の部長で、ちゃらけたのは大
嫌いなやつだから心配要らんと思う。勉強中は完全集中する
から、部屋から出てこないし」

「うー……」

まあ、必要な情報は最初に全部渡しておいた方がいいよね。
彼女も、絶対にそこじゃなきゃだめだってことでもないんだ
ろうし。
判断材料並べて、じゃあどうするかってことでしょ。

駅からお寺までの道。
このゆるい坂を上るのも、これで最後かあ……。
ちょっと感傷的になりながら、傾き始めた日差しに目をやっ
た。

朝出がけに見たルリマツリの水色は、赤くなり始めた日差し
にかき回されて奇妙な色になってる。

何があっても変わらない自分ていうのがあればいいかなあと
思うけど。結局変わってしまう。変えられてしまう。
それが……紛れもなく現実なんだろう。

それなら、どこが変わるか、変えられたのかくらいは分かる
ようにしたい。
そして……出来るだけ自分の色は自分で作りたい。自分で決
めたい。

「ううー」

いかんなー。朝とは違うこと考えてる。

同じ花を見ても、その時の自分の心と自分のいる環境で心象
ががらっと変わっちゃう。なんてめんどくさい。
思わず苦笑いしてしまった。

僕がここに来て決められたと考えていることも、家に帰れば
また変わってしまうのかもしれない。
でも、それをぐだぐだだった出発点まで戻したくないなー。

自分の頭をぽかぽか拳で殴りながら、門をくぐった。

「帰りましたー」

「おう」

重光さんは僕を一瞥もしないで、後ろできょろきょろ境内を
見回していた女の子に鋭く目をやった。

女の子はすかさず重光さんの前に出て、すぱっと頭を下げて
挨拶をした。

「先ほど電話させていただいた忠岡です! よろしくお願い
します!」

「うむ。水泳か?」

「はい! バタが得意種目です!」

「大会は?」

「終わりました!」

「成績は?」

「後輩の不始末で不戦敗です」

重光さんが、とんでもなく苦い顔になった。

「そいつらまとめて俺ンとこに寄越せ! 血反吐吐くまで根
性鍛え直してやるっ!」

「顧問に伝えときます!」

「で、おまえはどうするんだ?」

「こっから先は一点集中ですっ!」

「スポーツ特待は狙わんのか?」

「人にああせいこうせいって指図されるのは、高校までにし
たいです」

「む! なるほどな。水泳はもうせんのか?」

「競泳はもうしません」

見事な割り切り、切り替えだ。

「狙う大学は都内にあるのか?」

「いいえ、関西の大学に行くつもりです」

「明鏡止水。一点の曇りなし、だな」

にっ!
重光さんが、僕らには一度も見せなかった笑顔を向けた。

「いいか! 死ぬ気でやれ!」

「はいっ!」

「工藤の後に入れ。工藤、決まりを説明してやれ。それがお
まえの最後の仕事だ。掃除はいい」

「分かりました」

声を聞きつけたんだろう。
僕らが話しているところに、のそっと立水が来た。

「なんだ、そいつは?」

「僕の部屋に入る合宿の参加者だよ」

「……女、か」

「おまえと同じ体育会系だよ。大丈夫だろ?」

「まあな。俺は立水だ。お盆の間は一度家に帰って、16日
からまたここに来る。よろしくな」

馬鹿にするでも威圧するでもなく、立水はごくごく普通に挨
拶をした。
それを見て、彼女もほっとしたんだろう。

「忠岡です。よろしくお願いします。わたしは重光さんの法
要のお手伝いをするのに、明日から泊りに入ります」

「助かる。じじい一人だと何かと不便でな。頼むわ」

「はい!」

案の定。重光さんは彼女をすごく気に入ったようだ。

彼女だって、何も悩みがないわけじゃないと思う。
でも、自分の足が止まるところに長く居たくないんだろう。
すぐに動く。行動で打開しようとする。それが僕にも重光さ
んにもはっきり見える。

いいよなあ……。
僕には、そういうのは一生かかっても無理だよ。

「じゃあ、案内しますね」

「任せた」

「お願いしまーす」


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三年生編 第77話(5) [小説]

「ねえ、あんたは何か部活やってないの?」

「やってるよー。運動部系じゃないけどね」

「へー。音楽系?」

「いや、ガーデニング」

ずどおん!
僕のイメージにまるっきり合わなかったんだろう。
彼女が大げさにずっこけた。

「それって……あり?」

「まあ、うちのはちょっと特殊なんだ」

「へー」

「僕がゼロから興した部なの。放置されてた中庭を手入れし
直して、みんなに使ってもらうっていうのが目的。だから庭
整備だけでなくて、イベントとかも組み込んでるの。園芸部
なんかとは、だいぶカラーが違うかなあ」

「おもろー」

「まあね。花好きの女の子が、ジョウロ持って水やりーみた
いなイメージじゃないっす。むしろ、体育会系に近いかも」

「どして?」

「学校側のあーせいこーせいは、最後だけ。それ以外は全部
自分たちで組み立てるから」

「おわあ!」

「それでみんなが好き勝手やったら、あっという間に崩壊で
しょ?」

「そうかあ。きちんと組織されてるんだ。でも、顧問の先生
はいるんでしょ?」

「いるよー。でも、僕らは先生に助言をもらうけど、顧問が
全体計画を立てるわけじゃない。基本、最初から最後まで僕
らの自主活動なんだ」

「すげー。そんなの聞いたことないよ」

「だろうね。僕らはほんとに部に鍛えてもらったなーって感
じがする」

「それで体育会系……ってわけかあ」

「試行錯誤ばっかだけどね」

思わず苦笑する。

「今年は高校ガーデニングコンテストに応募してて、そっち
もいい線行きそうだし。うちの高校の部としては、がんばっ
てる方だと思うよ」

「ねえ、その部って何人くらいでやってるの?」

「今は七十人くらい」

「ごわあっ!」

女の子の白い目ん玉が、ごろんと転げ落ちそうになった。

「まぢ!?」

はあ……思わず溜息。

「そうなんだよねえ。ちょっと肥大し過ぎちゃってさ。現部
長が苦労してるんだ」

「え? あんたが部長だったんちゃうの?」

「僕が最後まで引っ張ったら、僕の卒業と同時に部が潰れる
よ」

「あ……」

「後輩を鍛えて、ちゃんと部の意義と面白さを伝えて、主人
公をそっちに移す。それはうまく行ったんだけど、新入生が
あんなに流れ込んでくるってのは……予想外でさー」

「しっかりしてるんだね」

さっきまで馬力全開だった彼女が、初めて肩を落とした。

「あたしたちは、そこがだめだったのかなあ」

「そっか。後輩たちがやんちゃするっていうのは予想外だっ
たってことね?」

「うん。顧問の先生との相性の問題もあっから、あたしたち
だけじゃどうにもならないんだけどさ」

「……寂しいね」

「そうだね。でも、どっかで切り替えないとさー」

「確かになー。僕も部活がすごく楽しかった分、切り替えに
は勇気が要るもんなあ」

「部活はもう引退なん?」

「実質ね。部のお当番の義務はもう解除。でも、一応アドバ
イザーとして籍は残してる」

「そうかあ。うまくやってるなー」

「こういうのも試行錯誤なんだよね。決まりが何もなかった
から」

「そっかゼロから興したって言ってたもんね」

「なの」

さっき会ったばかりの人と話してるとは思えないほど、すご
く話が弾んだ。
それは、彼女の性格や雰囲気がそうさせたっていうだけじゃ
なく、講習や模試が終わった開放感、これから家に帰れるっ
ていう安心感、そういうのも合わさっていたと思う。





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三年生編 第77話(4) [小説]

「あの、湧元寺さんでしょうか。わたしは早蕨(さわらび)
大付属高校三年の忠岡萌(ただおか もえ)って言います」

「夏期講習の間の宿泊先を探しているんですけど、工藤さん
て人からそちらのことを伺いまして。これから申し込んだら、
泊めていただけるんでしょうか?」

重光さんが何か言ってるみたいだけど、その声は僕には聞こ
えない。
女の子の表情ががっかりになってないってことは、条件闘争
に入ったってことなんだろう。

「はい。はい。工藤さんから聞いてます。わたしは全然構わ
ないです。はい? ああ、お盆の間は檀家さんの出入りがあ
るってことですね?」

「お手伝いが必要なら、こき使ってください。その分宿代を
まけていただけると……」

ぐわあ!
五百円からまだ値切るの? すげえ……。

「体力だけは自信あります! 任せてください!」

うむうむ。そんな感じ。

にへえっと笑ったその子は、自信たっぷりに胸を張って携帯
を切った。

ぴっ。

「面接すっから来いって言われた」

「そっかあ。まあ、からっとした……っていうか何も構って
くれない住職さんだから、大丈夫なんちゃうかなー」

「そうと決まれば、すぐ行こう」

「あ、そうか。場所分かんないもんね」

「んだ」

「じゃあ、一緒に行きましょう。僕は部屋を掃除してそのま
ま退去なので、それまで付き合います」

「助かるー」

僕と立水で最後かと思ったけど、一人プラスになったってこ
とだな。
僕の前をとととって駆け出した女の子が、くるっと振り返っ
た。

「あ、ちょっと待って。ロッカーに荷物ぶち込んで来たから
それ持ってくる」

「え? そのバッグだけじゃないの?」

「これだけじゃ、合宿に行けないよー」

???
何か話が違うような……まあ、いいや。

彼女は大荷物を持って戻ってくると、僕を急かした。

「早く行こ! わたしも、さすがに今日だけは帰らないとな
んないから」

げー。もう泊まる気満々だったんかー。

「へいへい」


           −=*=−


電車の中で、彼女が事情をべらべら話してくれた。

彼女は水泳部に所属。
ちょうど夏期講習前半の日程で記録会があって、それが最後
の晴れ舞台になるはずだった。
でも……。

「一、二年のバカどもが、宿泊先でタバコ吸ってるとこ大会
事務局の人に見つかっちゃってさー。もう、その場でうちの
部全員アウトよ」

「げーっ!」

しゃ、しゃれにならんやんかー。ひどー。
女の子もぶんむくれてる。

「ったく。勘弁して欲しいわ!」

「てか、そんな荒れた高校なの?」

「いやあ、うちは風紀指導厳しいよー。でも、やらかす子は
どっかでやらかすんだよねー」

「やっぱ、かあ。どこでも同じなんだなー」

「なに、あんたんとこも?」

「うちも、休み前にホッケー部が深夜徘徊と飲酒でお取り潰
し」

「うわ! 部活停止じゃなくって?」

「地区大会すら全然勝てない弱小部ばっかだからなあ。停止
だけじゃ抑止効果がないんでしょ」

「ふうん……」

「でも、今まではそんな指導すらなかったから、これで少し
はぴりっとするんか知らん」

「そうなんかー」

はきはきした物怖じしない話し方。
冗談とか、そういうのをばんばん混ぜるっていう感じじゃな
いけど、口調も話しぶりも明るい。

りんをもっとストレートにしたような感じだけど、りんより
はずっとタフそうだな。
ばんこのあくを抜いたって感じ? だはは!

運動部系の人らしく、礼儀とかそういうのはしっかりしてて、
崩れてるとかだらしないって感じはしない。
重光さんにはめっちゃ気に入られそうな気がする。


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三年生編 第77話(3) [小説]

いろいろ相談に乗ってくれた高橋先生に何度もお礼を言って、
教室を出た。

「さて」

真っ直ぐお寺に戻って掃除してだと、家に帰り着くのは9時
過ぎになるなあ。
晩ご飯はどっかで食べて帰るか。
コンビニで飲み物だけ買って行こう。

とかスケジュールの確認をしていたら、突然誰かにぐいっと
腕を掴まれた。

「え!?」

「ちょっと!」

「は?」

講師の先生かと思ったら、受講生。
それも、女の子だった。

見るからに体育会系だ。
短い髪。真っ黒に日焼けした顔。凛々しく太い眉。
目と歯だけがくっきり白い。
腕も肩も筋肉が盛り上がっていて、まるでボディビルダーみ
たいだ。すげー。

でも、なんだろ?

「何か?」

「さっきさ。合宿所がどうたらって言ってなかった?」

「ああ、僕は今日までですけどね。お寺に泊まってます」

「寺あ!?」

リアクションがめちゃめちゃ大きい。

「なんでまた」

「安いんです。一泊五百円ですから」

「一泊ごひゃくえんだってえ!?」

いや、恥ずかしいから大声はヤメテ。

「なんでそんな重要な情報を隠してんの!?」

「てか。あなた、どなたさま?」

「え? あんた、3Aの倉橋くんちゃうの?」

おいおい。人違いかよー。

「僕は工藤って言いますが」

「ぎょええええっ!? ご、ごめええええん!!」

どだだだだっ!
その子は。ごっつい体を丸めて、ピンボールの玉みたいに廊
下をぶっ飛んで行った。

まあ……なんつーか。
世の中には、自分そっくりの人が五人はいるっていうからな
あ。僕に似てても、あんまりメリットはないと思うけど。
それにしても、講習が終わってから誰かにアプローチされ
るっていうのは、いかにも受験生だよなあ。しみじみ……。

とか。
なんとなく納得って感じて、腕組んでうんうんしみじみして
たら、さっき遠ざかったはずの騒々しい足音が戻ってきた。

どだだだだっ!

「な、なんだあ?」

「いや、人まつがいなんかこの際どうでもいいっ! その合
宿所って都内なんでしょ? これからでも泊まれるの!?」

「ということわ。泊まるとこ探してるんすか?」

「埼玉の奥地からここに通うと、辿り着いた時にはもう干か
らびてんの。今日は模試だけだからいいけどさ、後期の夏期
講習に出るのに毎日二時間オーバーはきっついわー!」

なるほど。

「事情は僕と同じかあ。でも、重光さんがうんと言うかな
あ……」

「なに? そこのお坊さん、重光さんて言うの?」

「そう。てか、すごいとこだよ?」

「え? どういう意味?」

いや、話するのはいいんだけど、人の顔の真ん前に息かかる
くらいに顔近づけるのはヤメテ。
顔が濃ゆいから、こわいっす。

一歩下がって、距離確保。
それから事情を話す。

「まず、メシと冷房はなし。部屋のすぐ隣に墓地。ものっす
ごい蚊。朝は五時起きで掃除と勤行。勉強道具以外のものは
持ち込み禁止。携帯、雑誌、音楽プレーヤー……一切だめ」

「ごわあ……ごっつ……」

「修行です。はい」

「うーん、それでも一泊五百円は魅力だなあ」

「もう一つ問題があってね」

「え?」

「そこ、確か女人禁制だったと思うんだよなあ」

「うー……そっかあ」

「でも、僕が泊まってる間に短時間だけど女性の利用者がい
たし、交渉次第なのかもね」

「うっしゃあ! 何事もチャレンジじゃ! って、どこ?」

「湧元寺ってとこ。でも、僕は携帯取り上げられてるから連
絡出来ないよ?」

「番号は?」

バッグから手帳を出して、番号を伝える。
メモするもなにもない。いきなりその番号を携帯に打ち込ん
で電話。心の準備とか、そんなのまるっきりなさそう。
度胸いいなあ……。



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三年生編 第77話(2) [小説]

「よし……と」

「どうだった?」

ひょいと声を掛けられて、びっくりして首をすくめた。

「あ、高橋先生。お世話になりました」

「二週間のコースだったよね?」

「はい。甘くなかったです」

「ははは。だろ?」

「最初はゆる過ぎるかなーと思ったんですけど、どんどんギ
アが上がってく。それが短期コースなんですね」

「そうさ。でも、こなせただろ?」

「一応。まだまだ課題がいっぱいですけど」

「その割には、さっぱりした顔してるじゃん」

「ええ。目標をフィックス出来たから。ここに来て、それが
一番の収穫だったかもしれません」

「そっか。県立大生物で固定?」

「固定です。滑り止めは、それよりレベルの高い私大にしま
す」

「おおお!」

高橋先生が、のけぞった。

「そうしないと、やる気と集中力が最後まで保ちません」

「おもしろいタクティクスだなあ」

「ははは」

「合格しても、私大には行かないの?」

「お金がありません」

「奨学金やバイトでしのげるだろ?」

「そうすると、大学でやりたいことに時間が割けなくなるの
で」

「かあっ! すごいなあ」

「不器用な選択かもしれません。でも、出来ることからこつ
こつ組み立てるのが、やっぱ僕の性に合ってます」

「そっか……。まあ、そうやってきちんと青写真が出来たら
強いよ。がんばって!」

「はい! お世話になりました」

「この後真っ直ぐ家に帰るのかい?」

「いえ、合宿所のお寺を掃除して、挨拶してから帰ります」

「しっかりしてるなあ」

「いっぱい大事なものをいただきましたから」

「そっか……」

「高橋先生やアドバイザーの先生にも、貴重なアドバイスを
もらいました。そういうのがきちんと記憶に残る夏にしたい
んです。灰色の受験生っていう入れ物に、なんでもかんでも
雑に突っ込みたくないんで」

高橋先生は、両腕をぱっと広げて笑顔を見せた。

「ポジティブシンキングだね!」

「え?」

「マイナスに考えると、捨てることしか出来ない。ポジティ
ブに考えられる時は、捨てるのがもったいないくらいたくさ
んのものをゲットできる」

「はい!」

「今の波を逃がさないようにね」

「そうですね」

僕は、予備校の窓の外に広がる青空を目を細めて見渡した。

「こっちに来て、いっぱい悩んだ甲斐はあったです」




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三年生編 第77話(1) [小説]

8月9日(日曜日)

「行ってきます!」

「おう」

最後まで仏頂面だった重光さんに挨拶をして、門を出る。

講習もとうとう最終日だ。
今日の模試で全部終わり。

予備校の先生が言ってたみたいに、成績の良し悪しよりも自
分の得意分野を伸ばせたか、不得意分野を潰せたかをチェッ
クするのが大事なポイントになるんだろう。
そうは言っても、自分の成績がどのへんに位置付けられるの
かはやっぱり気になる。

模試はマークシートじゃなくて、筆記式の方。
僕の苦手分野だから、その苦手意識をどこまで克服出来たか
のバロメーターになるし。
気合い入れて行こう!

「うしっ!」

勢いよく飛び出して、ふっと気付く。

お寺の隣の家の塀の上が、そのまま空に続いているみたい
だってことに。

「あ、ルリマツリかあ……」

白と水色の花が、溢れるように咲いていて。
それが夏空をパステルで描いたみたいな世界を創ってた。

淡いブルーと白。
その軽やかさは、どんなにどっさり咲いても周りを押し潰さ
ない。

少し肩の力抜いたら?
すれ違いざまにそう話しかけられたような気がして、思わず
足を止めた。

ここに来てから、僕を警告し続けたキョウチクトウやノウゼ
ンカズラの赤やオレンジ。
僕は、それにずっと急かされてきたような気がする。

すぐに考え込んじゃう僕。
悩んで足を止めちゃう僕。
思考停止しちゃう僕。

そういう自力でなかなか進めない時に、背中をどやしてくれ
る存在は必要だと思う。
そして、ここに来てから警告や熱は僕をちゃんと動かした。

でも、今はまだエンジンを全開にするタイミングじゃない。
今からトップギアで飛ばしたら、ゴールまで保たない。

「ふう……」

そうだね。
僕はここに来たことでナビをセット出来た。
ナビのガイドが僕をどこにどんな風に導くのか。
僕はナビの画面だけじゃなく、そこにいないと見られない風
景をちゃんと記憶していかないとならないんだろう。

思い出したくない夏ではなく、懐かしく振り返れる夏にする
ために。

「よっしゃあ!」

もう一度、気合いを入れ直す。

走るな!
でも、しっかり踏みしめて歩け!

それが、僕の高校最後の夏だ!

……

「ぶふう……」

午後四時半。

模試は全て終了。
そして……一般コースとは言え、決して甘くはなかった。
舐めてかかっていた自分の甘さを猛反省しないとならない。

全く歯が立たなかったってことはないけど、講習を受けた効
果がちゃんと出せたかって言われると……心もとない。

勉強にかける総時間。
その時間にどれだけ集中出来たか。
今までクリア出来ていたその二点を突き詰めただけじゃ、あ
るレベル以上には伸びない。

えびちゃんに警告されていた英語の得点のムラ。
数学や化学の応用の伸び悩み。
それは……今回の講習でもあまり解消出来てない。

これからは、効率化をを徹底しないとダメってことなんだろ
うな。そこは、後半戦で追い込もう。

講習テキストの最後のページ。
白紙の上に、対策の必要な課題を箇条書きして、それを今回
の講習の反省点にする。



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ちょっといっぷく その163 [付記]

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

いっきがいろいろな課題を抱えたまま、それでも覚悟して臨
んだ予備校の夏期講習。

重光和尚のどつきをなんとかこなし、やっとエンジンがか
かったあとの三話、第七十四話から第七十六話までをお届け
しました。いかがでしたでしょうか?

次がずっしり重くなるので、その前に三話をさらっとおさら
いしておきますね。


           −=*=−


第七十四話。
立水の買い物に付き合う形で、新宿まで息抜きに出かけた
いっき。

出足からぶっこけた者同士、リセットとリスタートが自分よ
り早いか遅いかは気になるんです。
それがほぼ同じだったことを知って、内心では二人ともほっ
としたでしょう。そのまま巡航ならよかったんですが。
とんでもないトラブルに巻き込まれてしまいました。

これまでも何度か登場しているいっき父方のまたいとこ、工
藤健、さゆりの、あにいもと。
年回りがいっき兄妹と全く同じなので、とても仲がいいんで
す。
お盆くらいしか会う機会がないと言っても、いっきにとって
の感覚は兄弟に近いでしょう。

ところが。
その妹の方、さゆりちゃんが見事に墜っこちていました。
いっきは母親から、さゆりちゃんの実情はもう聞かされてい
ます(三年生編第五十話)。
でも、いかに仲がいいと言ってもいっきには手が出せません。
窮状を知りながら、何もできなかったんです。

それが、まさかまさかの最悪ばったりです。
まあ、矢野さんの登場で騒動自体は無事に収まりました。
収まらなかったのは、いっきが心から信頼している大叔父の
勘助おじさんの容体を知ったいっきの心。

すでに意識がなく、ICUから出られない状態であること。
いっきは……ここでもう覚悟せざるを得なくなりました。
最悪の事態を。

でも、勘助おじさんやさゆりんのことが気になりながらも。
今いっきが向き合わなければならないのは、自分自身なんで
す。
内心、忸怩たる思いだったでしょうね……。


           −=*=−


第七十五話。
地味な短い話ですが、ここが三年生編のピークになります。

まだ、迷いや逡巡はいっぱいあるんです。
それをこなしきれないまま合宿になだれ込んで、前半をだい
ぶ無駄にしました。

重光さんにがっつりどやされて強制的に原点に戻ったといっ
ても、そこから積み上げていくプロセスがこれまでと同じな
ら、経過も到達点も同じになってしまいます。

予備校でのカウンセリングで追加情報をもらったいっきは、
現在自分が手にしているものを何から何まで目の前に広げ、
そのどれを使ってどれを整理するかを冷静に考えました。

だって。
いつかどこかで、決断しなければなりませんから。

いっきの決定プロセスが正常か異常か。
それにはいろんな見方があるでしょう。
でも、いっぱい悩んだいっきが自力で決めたことです。
一度こだわりだしたら、絶対中途半端に投げ出さないいっ
き。

そうです。いっきの進路はこれで固まりました。
この小説は、本当はここで実質終わりなんですよ。

でも、エキスだけを見ればそうなんですが、過去と現在でい
ろんなものを背負いこんでいるいっきは、このあとその負債
を丁寧に整理していきます。

これから。
夏合宿以降のいっきの思考や行動は、常にそういう意識につ
ながっていると考えていただければ。


そして第七十六話。
話の流れとしては前話の続きなんですが、いっきは自分の中
で決めたことを熱に変え始めます。

決意を自分自身の中に置いておくだけでは、また冷めてしま
うかもしれない。
いっきは何かに急かされるように自分の決めたことを言葉に
して、吐き出し始めました。
まず、重光さんと立水に。

自分の信じていること、約束したことを自分からひっくり返
すのが大嫌いないっきにとって、宣言することは自分の退路
を断つ覚悟を示すこと。

追い込まれて動くのではなく、攻めて未来を獲りに行く。
初めて自分の積極駆動に成功したいっきにとっては、堂々と
青写真を説明する自分の姿に、清々しさえ覚えたかもしれま
せん。


           −=*=−


さて。この後合宿を終えて実家に帰ることになるいっきです
が、お盆までの四話、第七十七話から第八十話までを続けて
お届けします。

時間は巻き戻せない。
その厳粛さを思い知らされるようなお話になります。



ご意見、ご感想、お気づきの点などございましたら、気軽に
コメントしてくださいませ。

でわでわ。(^^)/




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(ヒメリュウキンカ)


陽光を飲んでバターになるのか。

バターだから陽光に溶けるのか。



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