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一年の終わりに [付記]


年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず


szk1.jpg
(サザンカ)




 花は年を経ても変わらずにそこに在り続けるが、人は歳を重ねるごとに変わってゆく。
 まさにその通りの一年でした。

 仕事の合間を見て撮り続けた草花に、とりわけ大きな変化があったわけではありません。てぃくるの元ネタに使う画像に変化がなくなってきたなあと思いつつ、それに安堵していた一面もありました。

 しかし思いもかけず母が急逝してしまったことで、人の変化の残酷さや生命の儚さを改めて思い知らされた一年になりました。
 生きているだけで標(しるし)は残る。確かにそうですね。生命の連鎖以外にいろいろと残せるのは、人に与えられた素晴らしい才能であり、同時に無情な性質かもしれません。

 どれほど先人や祖先の生き方をなぞっても、自身の生き方は常にユニークであり、それ以上でもそれ以下でもありません。生ある間に何を醸し、それをどう表すか。母の遺した自分史の原稿を読みながら、わたしが今年編んだ文章にも同時に朱を入れ、こつこつと標を残しています。

 来年は、今年以上に『編んで形にする』ことを意識する一年にしようと思っています。
 それが今わたしにできること。残せるものですから。



szk2.jpg
(サザンカ)




 今年一年わたしの拙いブログにお越しくださったことに深く感謝いたしますとともに、来る年がみなさまにとって恵みの年になりますことを心から祈念いたします。

 みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
 なお、服喪中につき年末年始のご挨拶は控えさせていただきます。





  戸締りはしない
   小さくなってゆく背を
    じっと見続ける






Looking Back by Parachute



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三年生編 第110話(7) [小説]

さすがに走って帰る体力は残ってなくて、火照った体を吹
き渡る川風で冷ましながら、ゆっくり歩いて帰った。

堤防から見える景色からは、まだ秋が漂ってこない。
あちこちがもりもりと青草で埋まったままで、ススキの穂
も出ていない。

でも。
夏の炎熱はもうすっかり遠ざかってる。
さっきあれだけ体を動かして汗まみれになったのに、ほん
の数分堤防を歩いている間に体が冷えてきた。

夏が……完全に終わった。高校最後の夏が。
そして、秋は僕を待っていてはくれない。
いつの間にか背後から忍び寄り、僕が慌てて手を伸ばして
も届かない速度で追い抜き、さっと消え去るんだろう。

全ての熱を道連れにして。
その時の流れに、ただ一方的に押し流されるのは怖いな。

学園祭を楽しみきれない自分が嫌なら、楽しむための熱を
自力でおこさないとならないんだろう。
ぐだぐだ言い訳してる暇があったら、祭りを楽しむ準備を
しなければならないんだ。

後輩を手伝うでもいい。
勉強を根詰めて、当日すぱっと切り替えるでもいい。
何かが自分を盛り上げてくれるのを待ってるから……受け
身だから祭りが萎んでしまう。

「あーあ」

情けない自分自身に呆れてしまう。
変わった変わったと思い込んでいても、自分の芯ていうの
は変わらないんだな。
悪魔も、きっと苦労しているだろう。

それでも。
少しずつでもいいから自分を変えていこう。
悪魔の依存癖と同じで、僕のどつぼにはまる癖は生まれつ
きのものだ。すぐには治らない。
治らないことをぐだぐだ嘆くんじゃなくて、祭りをちゃん
と利用しなくちゃね。

「それと……欲だなあ」

祭りの話も印象深かったけど、僕には欲の話の方がフック
した。
以前、母さんが実生に欲の話をしたのを思い出したんだ。
人間、欲がなかったら生きていけないよって。

そう。
欲なんて、誰にでもある。

でも、その形がはっきりしている場合と、そうでない場合
があるんだ。
見えない欲は厄介っていう矢野さんの指摘は、すごく納得
できた。

僕がいつもどつぼにはまるのは、見えない欲の形を探し出
そうとするからなんだろう。
進路に対する不安とか、しゃらとのこれからのこととか、
まだ何もわからない。
どうしても、そこに形が欲しくなる。

でもその形を決めるのが怖いから、いつまでももやっとさ
せたままで置いときたいと考えちゃう。
そういう自分もどこかにいる……。

答えの出ない堂々巡り。
またどつぼっちゃったなあと思いながら歩き続けていた
ら、いつの間にか帰り着いていた。

無意識に会長の庭に視線を送る。
会長ならきっと矢野さんとは違う見方をするだろうな……
なんとなくそう思った。
そして。会長の祭りと欲ってなんだろうなと、ぼんやりと
考えた。

矢野さんの存在感が岩だとすれば、会長の存在感は竹だ。
曲げられても曲げられても真っ直ぐに身を立て直し、いつ
も背筋を伸ばそうとする。
そういう会長の祭りの場として庭があり、自分の理想の庭
を作ろうとする欲がある。

「……」

会長の庭の片隅で、淡い藤色のスカビオサが花を揺らして
いた。
圧迫感のない柔らかい色と造形だから、存在感はない?
そんなことないよね。

全ての花が、生存欲に忠実に生きている。
見た目がどんなに地味であっても、だ。
会長は、その欲の形を決して見逃さないんだろう。

たとえそれが、柔らかな印象のスカビオサであっても。

視線を切って、ドアを開錠する。
まだ誰も帰ってきていない。
みんな、それぞれの欲に忠実に行動してるってことだ。
それなら、僕も欲に従おう。

「さて。シャワー浴びて、後半戦行こう。祭りの準備はま
だ続いてる」



scab.jpg
今日の花:スカビオサScabiosa atropurpurea


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三年生編 第110話(6) [小説]

ぼんぼろりん。
とほほ。

ジムでトレーニングしてるボクサーさんは、みんな気が良
くて熱心だった。
会長さんの雰囲気と教え方がうまいんだろうな。
僕が最初にこのジムと矢野さんに出会っていたら、また違
う高校生活になっていたかもしれない。

だけど。
その頃矢野さんは、まだ糸井夫婦に飼われてた。
僕は僕で、自分のことだけで精一杯だった。
きっと……祭りにはできなかったと思う。
こういうのも巡り合わせなんだよね。

帰り際、悪魔のことを矢野さんに聞いてみた。

「あの、矢野さん。校倉さんは実家に帰ったんですか?」

「いいや。あいつは、東京の別のジムに預けてある。女子
プロの育成をやってるところで、きっちり修行させる」

「そっかあ……」

表情を引き締めた矢野さんが、ふうっと大きく息をついた。

「ビルドアップを引き受けた以上、最後までケツを拭きた
かったんだがな。あいつは、俺への恐怖心が薄れた途端に
寄りかかってきやがった」

「あたた……」

思わずしゃがみ込んでしまった。

「やっぱ、かあ」

「しゃあないさ。あいつのは生まれ持っての依存癖だ。た
かだか半年か一年で根性が据わるなんてありえねえよ」

「ですよねえ」

「とりあえず自分の尻の拭き方を、最低限のところまでは
教えた。あとは、しんどくても一つ一つ鍛えて作っていく
しかない」

大丈夫かなあ。悪魔だからなあ。
僕が顔をしかめたのを見て、矢野さんが苦笑した。

「はっはっは! 一生のことだ。慌てるこたあないさ。婆
さんにもそう言った」

開いた手のひらにぱちんと右拳を当てた矢野さんが、見え
ない誰かに向かってひょいとジャブを出した。

「みんな同じなんだよ。一つも悩みのねえやつなんて誰も
いないって」

「ええ」

「悩みがあるから、祭りが楽しく感じられるのさ。それに
気づくまでは」

ひゅっ。
小さな風音に乗せるようにして、矢野さんが悪魔にエール
を送った。

「こつこつ準備するしかねえんだよ」


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三年生編 第110話(5) [小説]

すたすたとサンドバッグの前に歩いていった矢野さんが、
クラウチングスタイルで構えるやいなや、ずどんとものす
ごい音を立ててフックをかました。
サンドバッグがパンチから逃げようと反対側に吹っ飛ぶ間
もなく、次々に左右のフックを浴びせる。

ジム内の練習生の人たちが、すげえすげえと言いながら、
足を止めて矢野さんの連打をじっと見ている。

「ぶふう!」

リングロープにかけてあったタオルで顔を拭いた矢野さん
は、まだぎしぎしと音を立てて揺れているサンドバッグを
じっと見つめていた。

「あいつは……殴られるのが仕事だ。それしかできない」

「ええ」

「でも、ボクサーってのは違うんだよ。ボクシングはス
ポーツだ。いかに相手よりも多くの有効打を浴びせるかを
競う競技であり、ノックアウトはその一つの手段に過ぎな
い」

「あ、そうか……」

「だろ? どういう形の試合になったにせよ、それはあく
までも試合であって、試合終了時に勝者と敗者がいる。そ
れだけのことさ」

「……」

「それだけのことを祭りにするには、どうしても欲が要る
んだよ」

ごつい拳を開いた矢野さんが、それを一つ一つ折りながら、
祈るように唱える。

「オンナにもてる。うまいメシを食う。誰でも知ってる有
名人になる。でかい家に住む。かっこいい車に乗る。金持
ちになる。欲の形はなんでもいいんだ。一つ勝てば欲を満
たせる……そういう実感がないと祭りを楽しめねえ。だけ
どな」

「はい」

「始末に負えねえ欲もあるんだよ」

「始末に負えない……ですか?」

「そう。目に見えない欲。形にならない欲ってのが一番厄
介なんだよ。それがなにか、どうやって満たしたらいいか
わからない。だからもやもやするのさ。工藤さんのもそう
だよ」

「あ……」

なんか、すこんとはまった気がする。
僕の納得顔を見て、矢野さんがにやっと笑った。

「それがあるからボクサーってのは厄介なんだ。即物的な
欲を通り越すと、みんなあっち側に行っちまう」

「あっち側、かあ」

「そう。世界一になるってのはまだいいさ。具体的だから
な。でも、一番強いやつとがちんこしたいっていう欲は、
本当に難しいんだよ。その欲に取り憑かれると、身を持ち
崩す。祭りにならなくなる」

目を細めた矢野さんが、ぐるっと首を回した。

「挫折とトシで物理的に限界が来た俺は、幸運だったと思
うぜ。最後に最高の祭りを楽しめたからな」

そうか。
浦川さんとの試合がボクサーとしての最後の祭り。
今、体を絞って試合できるコンディションを作っているの
は、あくまでも指導者としての基礎作りなんだ。
指導者という次の道に向かって歩きつつある矢野さんの次
の祭りは、もう始まっているんだろう。

僕もそうなのかもな。
高校生っていう祭りは、もうそろそろ最終盤に来ている。
準備も含めて祭りを楽しんできたけど、その祭りは僕がど
う感じようともう終わりなんだ。

今の祭りを楽しみきって、次の祭りの準備に勤しむ。
考えてみれば、当たり前のことだったかもしれない。

とか考えていたら、矢野さんのごつい声が響いた。

「ようし。休憩終了だ。ナガタニ、上がれ。こいつとス
パーしろ。他の連中もアップしとけ」

「え?」

「半端にエネルギーを残すからもやもやすんだよ。きっち
り完全燃焼してけ」

「ひええええっ!」


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三年生編 第110話(4) [小説]

まるで修行僧のように見えていたから、すごく意外だった。

「前に。減量の話をしたろ?」

「はい。階級が上がると体格差がもろパンチ力の差で出て
しまうから、減量して階級を維持するっていうことでした
よね」

「そうだ。食って脂肪を増やすのは簡単だが、ボクシング
に使える筋肉を食って作るのは大変なんだ。でかくすれば
重くなる。骨格が大きくなるわけじゃないから、体のバラ
ンスが崩れてくる。そいつをしっかり制御するのは大変な
んだ。絞って体重減らす方がまだ楽さ」

「はい」

「減量はボクサーにとっての苦行。確かにそうなんだが、
俺にとっては祭りなんだよ」

「えええっ?」

そ、それはびっくり。

「どうしてですか?」

「祭りってのは、当日までの準備が楽しいのさ。本番は、
そのおまけだ」

「あ……」

そうか。

「しんどい減量も、うんざりする基礎トレや節制も、毎日
飽きもせずに繰り返すスパーも。全部、祭りの準備だ。準
備を手抜きしたら、最高の祭りにならないんだよ」

「……」

「準備を手抜きした祭りはぽしゃる。試合で勝利するため
に戦うのが祭りのクライマックスだが、準備まで含めて祭
りと考えられないやつは大成しない」

「なんとなく、わかります」

もう、僕の準備は間に合わない。
祭りはすぐに始まってしまう。
最後のお祭りだっていうのに。

ぐだぐだと自分自身に言い訳をしていた。
受験生だからしょうがないって。

違うよな。
一度楽しいことに目が向いてしまうと、受験から逃げたく
なるんだ。
これで最後なんだから、ちょっとくらい……って。
オンオフをすぱっと切り替えられない自分が、楽しいこと
から無理やり目を逸らすために、自分自身に苦しい言い訳
をし続けていただけ。

でも。
お祭りは一人で盛り上がっても意味がない。
三年生全体がシラケている中で、僕一人がハイになっても
しょうがないじゃん。

ああ……でも。それもきっと言い訳なんだろな。

なんか試合にぼろ負けしたボクサーみたいな気分で俯いて
いたら、矢野さんがからっと笑った。

「はっはっは! だが、しょせんは祭りさ。一瞬のこと
だ。祭りで全てをちゃらにすることはできない」

「どういうことですか?」

「足んない部分は、欲で満たすしかないんだよ」


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三年生編 第110話(3) [小説]

「ようし。二セット。思ったほどなまってねえな」

「はあはあはあっ。そ、そうですか?」

息が上がってる。腕の筋肉がつりそうだ。
でも、身体中にアドレナリンがどくどく溢れ出ていた。

ミットを外して、それをぽんぽんと膝に叩きつけた矢野さ
んが、僕をぐるっと見回した。

「飢えてんな」

「そうかもしれません」

「いいことだ」

にっと笑った矢野さんが、僕に基本の構えをさせた。

「ジャブとショートストレート。そんなに錆びてねえ。次
はフックだな」

「フック、かあ」

「ジャブやストレートは縦の動き。ピストン運動なんだ。
元のポジションにすぐに戻せる反面、軌道を読まれる。だ
が、フックは円運動。動きの予測がつかん」

「なるほど」

「フックってのはオフェンスの中で一番応用が利く。チン
(顎)を狙って頭を揺らす。ディフェンスの上からぶちこ
んで、相手の体勢を崩す。決定打からつなぎまで広く使え
る。ただな」

「はい」

「円で打って線で戻すのは異なる動作の組み合わせだ。ど
うしてもディフェンスが崩れやすい。それと、腕を曲げた
まま打つからアッパーほどじゃないが射程が短い」

そうか。腕を曲げ伸ばししてみて、納得する。

「寄れば、相手のパンチを食らうリスクも高くなる。勇気
を持って踏み込まないと届かない」

そのあと、矢野さんが見本を見せてくれた。
腕を振り回すのではなく、肩をひねって入れる。
打ち終わったあとでディフェンスポジションにいかに素早
く戻すか。
打ち抜くことよりも横から崩すことをイメージしろ。

気づけば30分以上パンチを出し続け、汗まみれになって
リングを降りた。

「ぶふぅ」

「すっきりしたか?」

「ええ。何も考えないで、無心に動くっていいですね」

「というこたあ、今できてねえんだな」

「どうでもいいって言えば、どうでもいいことなんですけ
ど」

隠し事をしてもしょうがない。
もやもやがあるのは紛れもなく事実なんだ。
僕は、学園祭との距離が開いてしまって楽しめなくなって
しまった苛立ちをそのまま吐き出した。

しょせんガキのお遊びじゃないか。
そんな風に、矢野さんに呆れられるのは覚悟の上で。

でも僕のげろを黙って聞いてくれた矢野さんは、目を細め
てふっと笑った。
それは、バカにした笑いではないように思えたんだ。
何かを思い出したような、そんな笑い。

「祭りだな。俺も好きだよ」

「矢野さんも、ですか?」

「そう」


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三年生編 第110話(2) [小説]

「ひいひいひい……げほっ」

あ、あかん。
とことん体力が落ちてる。恐ろしいもんだなあ。
体育の授業では体が動いてるんだけど、基礎体力が少しず
つ削げていってるんだ。
たかだか5キロに満たない距離で息が上がるとは思わなかっ
た。がっくし。

セイノジムの前で両手を膝に当ててあえいでいたら、ジム
の引き戸が勢いよく開いて、中からファニーな顔の会長さ
んが出てきた。

「あれ? あんた」

「あ、ご無沙汰してますー」

「やっとその気になったかい」

ちゃうって。

「いや、もうちょいで受験なので……」

「ちぇー」

ちぇーじゃないよ。まったくぅ。
がっかり顔の会長さんに、矢野さんがいるかどうかを聞く。

「矢野さん、来てらっしゃいます?」

「ああ、今はロードに出てる。すぐ戻ってくるはずだぜ」

「すごいなあ。まだずっと鍛えてるんですね」

「そりゃそうさ。あいつの大事な稼ぎだからな」

「え? 稼ぎ?」

首を傾げた僕の背後で、ごっつい声がした。

「おう、工藤さん。久しぶり」

「あ! 久しぶりですー!」

「今日はどうしたい」

「いや、ちょっとここんとこ全体に不完全燃焼気味なの
で、スパーをやってもらいたいなあと」

「はっはっは! まあ机にかじりついてばかりじゃそうな
るわな」

「矢野さんは、まだ体を絞ってるんですね」

「そう。来週、スパーリングの相手をしないとならん。相
手は世界ランカーのメキシカンだ」

「ひ、ひえええっ!」

「まだ若いんだが、パンチ力がはんぱなくてな。スパーリ
ングパートナーを壊しちまうんだよ」

え、えぐい……。
でも、矢野さんはけろっとしていた。

「それでも、ライト級のやつだからな。ウエルターの俺と
は階級差がある。そう簡単に壊されるこたあない。ああ、
立ち話もなんだ。すぐにヘッドギア付けて上がれ」

「ありがとうございます!」

以前矢野さんに教えてもらったことは、頭ではなく体が覚
えてる。
ただし全体に筋力が落ちてるから、イメージしている通り
には動けないだろう。
少しずつでも動作を研いでいくしかない。

動き回る矢野さんを追いつつ、矢野さんの構えたミットの
位置にジャブを打ち込んでいく。
筋肉がすぐに悲鳴を上げ始めたけど、そこを抜けないとト
レーニングにならない。

痛みやしんどさを、言葉ではなくエネルギーに転換しない
と、何も残らない。
これまでのスパーと違って、僕は矢野さんの足さばきや
ミットの動きに集中できた。


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三年生編 第110話(1) [小説]

10月4日(日曜日)

しゃらのお父さんの理髪店が新装開店して、今日から営業
開始になる。
予約はびっしりで、しばらく忙しくなるみたいだとしゃら
から追加情報が来た。
ありがたいことだけどね、とも。

一度壊れたものの修復がまた一つ前に進んで、同時に僕ら
を時の流れの中に押し流していく。

来週は僕らにとって最後の学園祭。
今日も、一、二年生は総出で準備に追われているだろう。
三年でも受験プレッシャーのない子は、これで最後になる
からと気合い十分で走り回っていると思う。

その喧騒の中に入れないことが、どうにもつまらない。
もちろんお祭りなんか一瞬のことで、それより自分の将来
がかかる受験にしっかり向き合いなさいっていうのは正論
だ。理屈としてはわかるんだけどさ。
でも、心は理屈のいうことを素直に聞いてくれない。

ちぇ。

体の中のエネルギーはぱんぱんに溜まっているのに、それ
をお祭りで吐き出せないもどかしさ。
体育祭の時には、それなりに吐き出せた。
でも、一番盛り上がる学園祭で弾けきれないのはなあ……。

「ちょっと、ストイックに考え過ぎたのかもな」

受験という大きな難題にしっかり取り組まないとならない
のは、ほとんどの三年生にとって同じ。
えびちゃんに言ったみたいに、三年になると萎むのは僕だ
けじゃないんだ。

それでも、たった二日間のこと。
その二日を失ったからと言って、受験にこけるっていうの
もおかしな話だよね。
受験に備えるのが遅くなった焦りが、イベントを楽しむ余
裕を失わせてしまってるんだろう。

過ぎてしまった時間を取り戻すことはできない。
たった二日間なんだから全力で弾けなさいって今さら言わ
れても、受験という甲冑を装着したままじゃ動けないよ。
ぽんいちのぬるま湯体質を心底危惧していた沢渡校長の強
権発動も、今となってみれば妥当だったのかもと思ってし
まう自分がいる。

こわいな。

「だめだ」

開いた数学の問題集がちっとも解けない。シャーペンがス
ムーズに動かない。
こんなんじゃ、学園祭うんぬん以前に自爆してしまう。
思い切って気分転換しよう。

机の上にシャーペンを叩きつけて、椅子から降りる。
中途半端な気分転換じゃもやもやが拭い取れない。
がっつり体を動かして、気合いを入れ直そう。

服をジャージに替えて、鍵を持って家を出る。
今日は父さんはパソコン屋、母さんはパート、実生はバイ
トだ。僕が出れば家は空になる。

がらんどうの家は確かに寂しい。
でも、その空間をもやもやしている僕が埋めていても、
ちっとも嬉しくないだろう。

「さて、と」

鍵をかけてから軽く屈伸運動をして、薄曇りの空を見上げ
る。
昨日はからっと晴れた秋晴れだったけど、二日続けての
サービスはないみたいだ。明日は雨かもな。

晴れっぱなしにはしてくれないけど、ずっと雨降りばかり
でもない。
そんな風に、僕の気分と関係なく天気は変わる。
天気だけじゃなく、僕は外からやってくるいろいろなこと
に振り回されてる。
強制的に押し付けられるいろんな変化を、どこか受け入れ
切れていない自分がいる。

でも……そろそろ切り替えよう。
結局、誰のせいにもできないのだから。

「小野川沿いを走るだけじゃつまらんなー」

走るコースを考えていて、ふと矢野さんの顔が目の前に浮
かんだ。
矢野さんも、堤防の上を走っていたんだよな。
トレーニングの一環で、試合がなくても毎日走るって言っ
てた。もしかしたら、ジムにいるかもしれない。

行ってみるかな。

軽いジョグというには距離がある。
たまには体にしっかり負荷をかけよう。
体がなまると、ろくなことを考えないからね。

「うっしゃあっ!」

自分自身に気合いを入れ直して、勢いよく走り出した。



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ちょっといっぷく その219 [付記]

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 本編長期休載中です。
 一年生編の推敲作業をぼちぼちやっているんですが、さすがに十年以上前ですからねえ。そうさくさくとは進みません。その上、母が死去したあとのこともいろいろあったので、再び創作作業が頓挫したままになっています。落ち着くまではペースを落とします。

 なお、改稿にあたって一部の植物を別の種に入れ替えています。先々何らかの形で書籍化するつもりなので、著作権の関係もあって画像を自分で撮ったものに極力限定したいからです。今までは数十種ほど画像サイトで購入したものを使っていたんですが、ロイヤリティフリーのものであってもやっぱりもやもやするんですよね。入れ替えることによっていただいたコメントにずれが生じてしまうかもしれませんが、どうかご容赦ください。

 本文も入れ替えした植物に合わせて書き直してあります。

◇ ◇ ◇

 定番化させるつもりでコマーシャル。

 アメブロの本館で十年以上にわたって書き続けて来た掌編シリーズ『えとわ』を電子書籍にして、アマゾンで公開しました。第1集だけ300円。残りは一集400円です。最新作は第26集、第27集です。
 kindke unlimitedを契約されている方は、全集無料でご覧いただけます。






◇ ◇ ◇

 このあと、一話だけ本編を進めます。三年生編第110話。学校生活最後の学園祭まであと少しというところですね。張り切るプロジェクトの後輩たちを見て、疎外感を覚えるいっきのもやもやを体験していただこうと思います。


 ご意見、ご感想、お気づきの点などございましたら、気軽にコメントしてくださいませ。

 でわでわ。(^^)



sr.jpg

空に還れるその日まで

空を見上げて祈りゆく





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