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三年生編 第80話(5) [小説]

これまでみたいで大勢でわいわいとは行かなかったお墓参り。
それは寂しいなと思った反面、またいとこたちがみんな自立
に向けて必死にあがいているのを聞いて。
僕らと何も変わらないなーと、どこか安心した。

いろいろあっても、みんな失敗や傷を乗り越えるさ。
自分の道を探り当てて、ちゃんと歩き出すと思う。
僕は心配してない。

辛い自分悲しい自分を隠して、無理に馬鹿笑いしてピエロみ
たいに振る舞う必要はないよね。
僕らはまだまだガキだけどさ。もうガキっていう言い訳が出
来なくなってきたんだ。
それなら、今の僕たちが出来る方法で交流すればいい。あが
けばいい。……そう思う。

帰りの電車の中。
父さんも母さんも寂しそうだったけど、覚悟が出来たんだろ
う。

僕は、家に帰ってから勘助おじさんの話を掘り返さないよう
にしようと思う。
だって僕らが勘助おじさんの何を知ったところで、何も出来
ないもの。
祈るしかない。なんとか回復してって、祈るしかない。

「なあ、いつき」

「うん?」

「四人で深刻そうに話してたけど、何かあったんか?」

「いや、みんないろいろ抱えてるなーって。それだけさ」

「そうか」

「前に父さんが、僕らには反抗期がないって、ぼやいてたじゃ
ん」

「ああ、そういうこともあったな」

「僕らは消耗しきってて、反抗する余裕なんか全然なかった
んだよ」

「む……」

「でも、健ちゃんとこも滝乃ちゃんのとこも、みんなうちよ
りずっとパワーがあるんだ」

「ははは。そうか」

「だったら、いろいろ出てくるよ。それだけだと思う」

「……なるほどな」

「父さんたちの間でしか出来ない話があるのと同じで、年が
近い僕らにしか出来ない話がある。アドバイスとか手助けも
そうだと思う」

「うん」

「そんなことを、ずっと話してたんだ」

父さんが、伏せていた顔を上げてふっと笑った。

「俺たちが親族の間で仲良くしているその雰囲気が、いつき
や実生にも手渡していければいいな」

「そうだね。僕はこれまで健ちゃんや滝乃ちゃんたちにずい
ぶん助けてもらった。だから、僕らに出来ることはしてあげ
たい」

「いいんじゃないか。勘助さんも、本望だろう」

父さんが、ゆっくり窓の外に目をやった。

「倒れた直後に、ほんの一瞬だけ意識が戻ったことがあった
そうだ」

「うん」

「みんなで仲良く。そう……言い残したってさ」

「そう……か」

電車の窓から見える夕景色が、ぼやっと滲んだ。
もう一度。もう一度だけでもいから、勘助おじさんと話がし
たかったな。
でも……それはきっとい叶わないことなんだろう。
悲しいけれど。

そして。
僕らがコンビニによってお弁当を買い、家に戻ったところで
父さんの携帯が鳴った。

「幹です。うん。うん。分かりました。詳しいことは、落ち
着いたらまた……。はい。連絡待ってます。それじゃ」

そっと携帯を畳んだ父さんが、はあっと大きな溜息をついて、
目を伏せた。

「勘助さんが……亡くなった」


           −=*=−


どんなにいっぱい咲いても、香りがなくて、実ることもない
セイロンライティア。
すごく清楚でかわいい花なのに、それは記憶の中からいつの
間にかこぼれ落ちてしまう。

どっしり構えてて、おうようで、懐が深いおじいちゃんだっ
た勘助おじさん。
その記憶も……いつか僕の中から褪せてしまうんだろうか?

いや。
僕が健ちゃんや滝乃ちゃんたちと縁遠くならない限りは、勘
助おじさんや寿乃おばさんの記憶が僕の中から消えることは
ないだろう。

勘助おじさん。
僕は……絶対に。絶対に忘れないよ。
だから……今は。泣く。

「っくううっく。うう……」




wrightia.jpg
今日の花:セイロンライティアWrightia antidysenterica




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三年生編 第80話(4) [小説]

滝乃ちゃんが、実生の肩を抱いてぐいっと引き寄せた。

「ねえ、みおっぺ」

「うん?」

「そのガッツさ。日和にも分けたげて」

「あはは。出来るかなあ」

「ジジツだけでいいよ。みおっぺががんばって、ちゃんと志
望校に合格したっていうジジツ。日和は、それ見てきっと思
うでしょ」

「なんて?」

「負けたくないって」

滝乃ちゃんがふうっと細く息を漏らした。

「あたしや姉貴は近すぎてね。どうしても日和のコンプレッ
クスを刺激しちゃうみたいなの。自分はお姉ちゃんたちみた
いに出来よくないからって」

「そっかあ……」

「今度、日和に電話してあげて」

「分かったー。うまく話せるかどうか分かんないけど」

「いや、姉妹よりゆるくて、友だちほど遠くないっていうの
は意外にいけるんちゃうかなーと思う」

「なるほどな」

健ちゃんも、うんうんと頷いた。

「さゆりが落ち着いたら、いつきと二人で泊まりに来てくれ
よ。そん時には滝乃ちゃんにも声掛ける。お盆じゃないと集
まれないってわけでもないよな」

「うん。そうだね」

「わあい!」

滝乃ちゃんが無邪気に喜んだ。

「まあ、ガキの頃のようなわけには行かねえけどよ。今みた
いにああでもねえこうでもねえって話すれば、お互いほっと
するだろ」

「んだね」

「うん!」

「あとは……じいちゃんがなんとか持ち直してくれればなあ」

健ちゃんは、深刻な表情で話し合ってる大人たちの方をじっ
と見据えた。

そうなんだよね。
こればかりは僕らの力ではどうにもならない。
僕らは、祈ることしか出来ないんだ。

一度水面近くまで浮き上がった僕らの雰囲気が、再び水底に
じわっと沈んでいく。
滝乃ちゃんが、それを嫌気するようにすぱっと話題を変えた。

「ねえ、いつきー」

「なに?」

「あんたさー、まだカノジョと続いてるの?」

「続いてるよ」

「ちぇー」

「まあ……いろいろあったけどね。そして、今もあるけどね」

「なに、もめてんの?」

「いや、仲良くやってるよ。でも……」

「うん?」

「あいつんとこは、今家族がトラブルを抱えてんだよ」

「ええっ?」

「お母さんが難病になって、疫病神の兄貴が舞い戻ってきた」

「げ……」

「まだ嵐は続いてるんだよ。それは絶対に」

右拳を固めて、ジャブを出す。
ひゅっ!

「乗り切る!」

「かっけー」

滝乃ちゃんが、ぷうっと膨れた。

「いいなー。わたしもいつきみたいなカレシ探そうっと」

「だははははっ!」

健ちゃんがからっと笑った。

「まあ、がんばってくで」

「ひとごとみたいにー」

「俺は、まだ自分のことで精一杯だよ」

拳で自分の頭をがんがん殴った健ちゃんは、おじさんの方に
目を向けた。

「今まで……俺は俺のしたいようにしてきたけどよ。でも、
メシ食わしてくれてるのは親父なんだよな」

「うん」

「そこを抜けてからじゃねえと何も偉そうなことは言えねえ
し、本気で人に手ぇ出せないんだ」

おおらかでがらっぱちに見える健ちゃん。
でも、中身はものすごく硬派なんだ。
頑固で妥協しないところは、間違いなくおじちゃんの血なん
だろうな。

「健ちゃんは、進路は路線変更なし?」

「変えてない。技専」

「そっか……」

「出てすぐメシが食えるように、がっつり突っ込むさ。そう
じゃねえとさゆりのケツを叩けねえ」

うん。抱え込むだけがケアじゃないよな。

ずっと健ちゃんの金魚のうんちだったさゆりん。
でも、背中の後ろに隠れてるだけじゃだめなんだよ。
兄貴が何に挑んでいるか。そうするためには何が要るか。
健ちゃんは、そういう姿を見て欲しいって思ってるんだろう。

「そうすっと、一番爆裂してるのは菊花ちゃんてことかあ」

速攻で、滝乃ちゃんが般若顔になった。

「爆裂し過ぎ!」

「え?」

「浮かれちゃってさ! オトコをとっかえひっかえ! おば
あちゃんの血圧高くしたのはあいつじゃ、ばかたれえっ!」

あーあ。
まあ、ずっとカレシ欲しがってたし、分からないでもないけ
どね。

「それで、ひよりんがドツボったかあ」

「ったく!」

でも、健ちゃんはつらっと突き放した。

「親が口挟めんのは、高校までだろ。あとは自己責任さ」

「だな」

同意。僕もそう思う。

「まあ、いろいろやってみないと分からんよ。そのやり方に
は、たとえ兄弟でも口を出せない。俺はそう思ってる」

「さゆりんにもそう言うの?」

滝乃ちゃんがじと目。

「最初からずーっと言ってる。俺は俺のやりたいようにやっ
てるから、おまえもおまえのやりたいようにやれってな」

「うー」

「でも、ガキのうちはなかなかうまくいかないんだよ。それ
だけさ」



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三年生編 第80話(3) [小説]

「たった一年の間に、いろいろ変わっちゃったって……こと
か」

「いや」

健ちゃんが、僕の見方を強く否定した。

「急に変わったんじゃねえさ。前から……いろいろあったん
だ。うちもそうさ」

「……」

「いつきやみおっぺがしんどい思いしてる時に、ここでそ
れぇ出さなかったろ?」

「うん。あ、そうかあ……」

「たまに顔合わす相手に暗い顔見せたくないって、そういう
のもあったんだろ」

「うん……」

はあっと大きな溜息を畳の上に転がして、健ちゃんが忌々し
げに首を振る。

「一番しんどそうだったいつきとみおっぺが、いっちゃんマ
シになったってことか」

思わず苦笑い。

「健ちゃん、それは違うよ」

「え?」

「僕らは、たまたま運が良かっただけさ。僕も実生も、去年
から今年にかけて大嵐だったんだ」

「どういうこと?」

滝乃ちゃんがぐいっと首を突っ込んできた。

「実生のは受験だよ。ゆるゆるのはずのうちの高校。今年は
倍率が三倍以上だったんだ」

「げえええええええええっ!!」

健ちゃんと滝乃ちゃんがのけぞった。

「うっそお! 進学高っていうならともかく……」

「いろいろあってね。市内の高校の統廃合のあおりで、うち
だけが割り食ったんだ」

「よく受かったな」

「実生は、必死に追い込んだからね。それでも結果はアウト
だったの」

「うそお!」

滝乃ちゃんの顔が引きつった。

「でも合格者の三分の一近くが辞退。私立の上位校の滑り止
めでうちを受けてた子が多かったんだ。補欠からの繰上げ合
格で、セーフさ」

「そんなこと、あるんだね」

「最初っから分かってたことじゃないからさ。地獄から天国
だったよな」

「うん。寿命が何センチか縮んだー」

「いつきの方は?」

「三年になって早々に、校長と正面衝突したんだよ。負けた
ら退学さ」

しーん。

「なに……やったん?」

「校長が、僕と生徒会長をピンポイントに潰しにかかったん
だよ」

「そんな、睨まれるようなことをやったんか?」

「やったのは校長さ。試験制度や校則をがっちゃがちゃにい
じったんだ。僕らはそれに文句を言ったんじゃない。校長に
情報提供して、交通整理を手伝ったつもりだった」

「じゃあ……」

「それを逆恨みされたの」

「ひでえ」

「うわ」

「生徒への個人攻撃なんか論外だよ! 時間がなかったけど、
生徒会、部長会、先生たち、全員に根回しして、校長とサシ
でぶつかれる条件を揃えて、がちでやりあったんだ」

「どうなったの?」

滝乃ちゃんが心配そうに確かめる。

「校長は全部ぶん投げて辞職。僕は喧嘩両成敗で三日間の停
学」

「あ、三日で済んだんだ」

「運良くね。もし校長が強権発動してたら、良くて無期停、
下手すりゃ退学だよ」

ごくり。健ちゃんと滝乃ちゃんが唾を飲み込む音がした。

「や……べえ」

ふう……。

「僕も実生も、最初から勝ち目がないと思ったら、負けてた
よ。でも、僕らはこれまでの失敗をどうしても繰り返したく
なかったんだ!」

「うん。そうなの」

実生も大きく頷いた。

「だって、今度のは自分ががんばれば乗り越えられるんだも
ん。言い訳したくなかったの」

「そっかあ……」





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三年生編 第80話(2) [小説]

巴おばさん、リックさんと一緒に、霊園近くのファミレスで
お昼ご飯を食べて、そこで別れた。

「さあ。今度は俺の方だな」

父さんは、憂鬱そうにそう呟いた。

養親を事故で突然失ってから先、僕や実生のことでいろいろ
あったって言っても、父さんにとってはそれは大きな不幸の
うちには入らなかったんだろう。
勘助おじさんの病気が、久しぶりに大きな不幸になってし
まったんだ。

気が重いだろうな……。

会話が弾まないまま電車で移動して、お父さんの養親が眠っ
ている墓地に辿り着いた。

いつもなら人影が濃くてうるさいくらいに賑やかなお墓の周
りは、今年はひっそりしていた。

「ああ、幹ちゃんたちが着いたか。久しぶり」

声を掛けてくれたのは、寿乃おばさんだった。
思わず聞き返してしまう。

「ねえ、おばさん。血圧高くて具合い悪いって聞いてたけど、
大丈夫なの?」

「はっはっは! さすがに無理はしてないよ。年相応だね」

相変わらず豪快だけど、前より年取ったなあって感じがする。

「今年はおばさん一人?」

「いや、滝乃が来てるよ」

「順ちゃんは、大学の合宿?」

「いや、講座が決まってから忙しくなったみたいでね。今年
は出られない、ごめえんて返事が来た」

「そっか……」

「小波は今ちょいとわけありでね」

おばさんが、ひょいと両手を開いて胸の前に差し上げた。

「まあ、若い連中にはいろいろある。そういう年頃さ」

工藤の方の親族も、健ちゃんはいるけどさゆりんの姿はない
し、円香おばちゃんとこの二人の姿も見えない。
僕、実生、健ちゃん、滝乃ちゃんで、四人だけ……か。
話が弾まなそう。

でも勘助おじさんのこともあるから、しょうがないね。

お坊さんが来て法要が始まったけど、今年は略式であっと言
う間に終わった。
きっと、寿乃おばさんの体調に配慮したんだと思う。

そして、いつもなら信高おじちゃんの家に行くはずなのに、
今年はお寺の近くの料理屋さんが集会場だった。

父さん母さんは、さっと信高おじちゃんのところへ行って、
寿乃おばさんを交えて情報交換をしてる。
勘助おじさんの容体や、これからのことを話し合っているん
だろう。

急に人数が減ってしまった子供軍団。いや……もう子供って
いう名前を付けることは無理なのかもしれない。
何から話していいのかって感じだったけど、僕らの会話は健
ちゃんの愚痴から始まった。

「なんかよう。うまく行かねえもんだな……」

「さゆりん?」

「ああ。べっこりへこんでてな。今は何を言ってもだめだ」

滝乃ちゃんが、はあっとでかい溜息をついた。

「健のとこだけじゃないよー。うちもさー」

「え?」

三人でほけた。

「何か……あったん?」

「ありありさー。お姉ちゃんが、大学受かってから家を出た
んだよね」

「菊花ちゃんが?」

「そう。そしたらさー、シスコンだった日和がずぶずぶと」

「あっちゃあ……」

健ちゃんが大仰に頭を抱えた。

「俺んとこと同じかよ」

「来年高校受験なのに、このままじゃそれどこじゃないわ」

「げえー……」

「さっき寿乃おばさんが、小波ちゃんも訳ありみたいなこと
言ってたけど、なんかあったの?」

滝乃ちゃんが、ぶるぶると首を振ってうめいた。

「ついてないよねー。大学に合格して、さあこれからって時
にこっぴどい失恋したみたいでさ」

どっきーん!

「そのショックで、せっかく入った大学を休学してんだよね」

「げー。なんつーか」

「こうさあ、うちらおばあちゃんの血を引いてるから打たれ
強いって思ってたけど、そうでもなかったってことだね」

滝乃ちゃんが、寂しそうに視線をさまよわせた。
健ちゃんが、眉の間にぎゅっとしわを寄せてこぼす。

「いろいろあるよなあ」

「まあねえ」

「そういや、円香おばちゃんとこのわんぱくコンビは?」

「あそこは、子供じゃなくて親が……な」

「え!?」

健ちゃんが口にした情報に、思わず僕と実生とで立ち上がっ
ちゃった。

「離婚協議の真っ最中だってさ」

「……」

もう……何も言えん。


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三年生編 第80話(1) [小説]

8月15日(土曜日)

ここに越して来てから三度目のお盆。

朝からお墓参りの準備で、家族全員ばたばた走り回ってる。
今日は少し雲が多いけど、雨の心配はなさそうだ。
ただ……。

どうも、気乗りしない。
それは僕だけじゃなくて、家族全員そうだろう。

勘助おじちゃんのことがあるからっていうだけじゃない。

亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんには申し訳ないけど、
僕や実生にとっては、お墓参りそのものよりも仲のいい親戚
の人たちに会える楽しみの方が大きかった。
それが……今年は初めて重荷に感じる。

僕や実生に分け隔てなく絡んでくれていた、またいとこたち。
健ちゃん、さゆりん、順ちゃん、小波ちゃん、菊花ちゃんた
ち……。
僕らはずっと子供だったんだ。でも、僕がもう子供とは言っ
てもらえないように、みんなの年齢が上がって、それぞれの
事情が複雑に絡むようになってきた。

去年は実生が受験生だったけど一緒に行ったし、今年は受験
生の僕が出る。でも、去年は大学のサークル合宿や受験対応
で来れなかったメンバーが結構いた。
そうやって、櫛の歯が欠けるみたいにみんながばらばらになっ
ていっちゃうのが……すごく寂しいんだよね。

時の流れ。
そこで癒されるものがあるのと同時に、僕らは多くのものを
失っていく。
それは……現実として受け止めないとならないんだろう。

「さて。出るか」

父さんが、踏ん切りを付けるように膝をぱんと叩いてソファー
から立ち上がった。

「おっけー。ゲート開けてくる」

「実生は、花忘れないようにね」

「うん。大丈夫だよー」

いつもよりは少ししんみりした感じで、僕らは揃って家を出
た。


           −=*=−


いつものように、お母さんの方から。
だいたい予定通りに海沿いの霊園に着いて、休憩所の横の階
段をゆっくり上がる。

「あれ? 誰か先客がいるじゃん」

「え?」

背後の海を見ながら歩いていた母さんが、僕の声にびっくり
して振り返った。

「あら。姉さんとリックじゃない。わざわざ来てくれたのか
しら」

そういえば、一昨年にここでリックさんとメリッサおばさん
に会って、僕らの周りが一気に賑やかになったんだよなあ。
不思議だよね。

小走りに階段を駆け上がった母さんが、おばさんたちに話し
かけた。

「姉さん、リック、わざわざ来てくれたの?」

「あはは。いつきくんにうちの母のお参りに付き合ってもらっ
たからね。それに、一度はどうしてもお参りしたかったし。
リックに無理を言って連れてきてもらったの」

「ありがとう。母がすごく喜ぶと思うわ」

「エリカさん、ご無沙汰しています」

「結婚式以来ね。元気にしてた?」

「はい。おかげさまで」

リックさんは、ずっとにこにこしてる。
最初に会った時と何も変わらない。

屈んだ母さんは墓石を白布できれいに拭くと、実生が持って
いた花束を受け取って、お墓の前にそっと据えた。

「母さん。とっても賑やかになったわよ。毎日が本当に楽し
いわ。だから、その毎日が一日でも長く続くように」

「祈っていてね。お願い」

立ち上がって静かに目を瞑った母さんが、胸の前でぎゅっと
手を組んだ。
僕らも、それにならう。

ふうっと大きな母さんの吐息が聞こえて、それが合図だった
かのようにみんなが目を開けた。

「ねえ、リック。新婚生活はどう?」

茶目っ気たっぷりに、母さんがリックさんをいじった。
リックさんが照れる。

「わはは! まあ、ブレーキの壊れてる人と一緒に暮らして
ますから、いろいろあります。でも、楽しいですよ」

ブレーキが壊れてるって……確かにしずちゃんはそんな感じ
だったよなあ。すげー。

「まあ、いまのところ一番の問題は」

リックさんが、やれやれって顔で腕を組んだ。

「もし妊娠したらお酒を当分控えないとならないんですが、
あのしずちゃんですからねえ……」

どてっ。な、なんつーか。

すかさず巴おばさんが混ぜっ返した。

「きっと、酒徳利持って生まれてくるでしょ」

ぎゃははははっ!
全員で大笑い。

母さんは満面の笑みを浮かべたまま、眼下の大海原をそっく
り抱きしめるようにして両腕を広げた。

「私が亡くなった母に捧げられるのは、幸せに暮らしてるっ
ていう報告だけよ。それしか出来ないし、母はそれで満足し
てくれるでしょ」

それから。
目を細めて海原を見渡し、メッセージを風に流した。

「母さん。また……来年ね」



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三年生編 第79話(7) [小説]

静かに携帯を畳んで、去年のお盆のことを思い返す。
そういや、あの時勘助おじさんに言われたんだよね。

僕や健ちゃんが気楽に集まれる場所。
生きてるうちは、おじさんがそれを確保してくれるって言っ
た。でも、おじさんは僕らより先に往く。
おじさんがこの世を去った後も、みんなが集まれる雰囲気だ
けは引き継いで欲しい……僕や健ちゃんにそう言ったんだよ
ね。

今となってみたら。
それがまるで僕らへの遺言だったように思えて、いたたまれ
ない。

でも、僕は勘助おじさんを実のおじいちゃんだと思ってる。
父さんだけでなく、僕や実生のこともずっと見守ってくれた、
ものすごく懐の深いおじいちゃんだと思ってる。
その孫の一人として、おじいちゃんの意思は大事に引き継い
で行きたい。

そのためには。
今、嵐の中にいる健ちゃんやさゆりんを支える方法を、なん
とか考えないとならない。

大したことは出来ないよ。
でも相談相手にはなれるし、さっきみたいに経験談や失敗談
は話せる。

「ふう……」

そうさ。家族の心がばらばらになってしまわない限り、なん
とかなるよ。だって、それが家族ってもんでしょ?

とか。
いろいろ考えているうちに、自分でもよく分からなくなって
きた。

重光さんの厳しいどやし。
自分がどうしたいかくらい、自分で考えろ!
僕は、それをもっともだと思った。
でも自分の理想を追えば追うほど、他のものが犠牲になる。

その犠牲で一番大きいのは、家族や恋人との関係だろう。
じゃあ、自分自身を犠牲にして親密な絆をずっと保っていれ
ばいいの?
いや、そうはいかないよね。

だって、家族や恋人にだって自分の考えや理想がある。
それを尊重しようとすればするほど、お互いに自分が出せな
くなる。窮屈になって、窒息しちゃう。

結局、これが正解っていう形はどこにもないんだよね。
行長さんがやってるみたいに、家族や恋人のエゴの強さや向
きを計って、自分のとうまく擦り合わせる。それを繰り返す
しか、現実的な出口はないんだろう。

うちは、家族関係の変化がゆっくりと進んでる。
健ちゃんのところは遠心力が強過ぎて、さゆりんが飛び出し
ちゃった。でも、それは速度の違いでしかないと思う。
ゆっくりでも速くても、変わってしまうのは同じなんだ。

うちも、決して安泰じゃないよ。
僕はともかく、実生が高校を出てどうするかの時には必ずも
めるだろうから。

心配性の母さんは、口先では突き放したようなことを言うけ
ど、実生の独立心を全然信用してない。
その分、進路決めの時には実生を家に囲い込もうとするだろ
う。

でも、実生はもう小さな子供じゃない。
自力でレールを敷こうとして、父さんとじゃなく、母さんと
がっつり衝突するような気がする。
その図式は、健ちゃんのところと全く同じなんだ。
決して他人事なんかじゃないよな。マジで。

一番お互いの心の中を知っているはずの家族でも、時が経つ
と関係が変化していく。
それがどんな形で僕らに影響するのかは、とても予想しきれ
ない。

めんどくさいけど。
きっとそれが……心っていうものの性質なんだろう。




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今日の花:キツネノマゴJusticia procumbens




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三年生編 第79話(6) [小説]

部屋で延長戦を始めてすぐ。
机の上に乗せてあった携帯がぶるった。

「あれ? しゃらかな?」

いや、違う。
この番号は……。

「健ちゃん?」

「おう。いつき。この前は済まんかったな」

「いや……ずっと気になってたんだけどさ。さゆりんは落ち
着いた?」

「一応な」

一応……か。

その後、健ちゃんはしばらく沈黙を守った。
僕は、探りを入れずにじっと健ちゃんが口を開くのを待った。

勘助おじさんのこともさゆりんのことも、健ちゃんに出来る
アクションはうんと限られてる。
どんなに健ちゃん自身がじりじりしてても、だ。

何も出来ないことが悔しい、情けない、我慢出来ない。
その気持ちはよーく分かる。
でも健ちゃんに出来ないことは、僕にはもっと出来ない。
僕は、健ちゃんが愚痴や弱音を吐いた時にそれを聞いてあげ
るくらいで精一杯なんだ。

しばらく続いた沈黙は、健ちゃんのふうっという吐息で破ら
れた。

「なんか……」

「うん」

「いつきやみおっぺががたがたしてる時に、大変だなーって
他人事みたいに見てたけどよ」

「うん」

「自分ちのことになると、しゃれになんねえな」

「そうなんだよね……」

ふう……。

「でも、嵐は過ぎるよ。必ず」

「そう?」

「そう。うちも過ぎたから。もちろん、無傷っていうわけに
はいかなかったけど。それでも、ね」

「ん……」

「健ちゃんとこも、うち以上に家族の結束強いじゃん。大丈
夫だよ」

「けど、親父とさゆりんがなあ。じいちゃんの仲裁はもうあ
てに出来ないし」

「心配ないと思うよ」

「そうかあ?」

「うん。さゆりん、家を出て初めて、家ってどういうところ
かが分かったと思う。それも分からんくらい本気で崩れてた
ら、どんなに勘助おじちゃんが危篤だって言っても絶対に帰
らないよ」

「ああ」

「それはおじちゃんもそうでしょ。家族のピースが欠けるっ
て、半端なくしんどい。健ちゃんだってそうでしょ?」

「そうだな」

「だから大丈夫だよ」

ふっと、健ちゃんの苦笑の音が漏れてきた。

「でも、うちはいつきんとこより激しいからなあ」

「その分、お互いに気持ちが分かりやすいでしょ」

「分かりやすい……か」

「そう。うちは、四人が四人、お互いの傷に触らないように
猫被ってたんだよ。いじめられることよりも、そういう腫れ
物扱いが息苦しくて、ほんとに嫌だったんだ」

「……なるほど。分かんないもんだな」

「まあね。ここに越してきたことがきっかけになって、全員
リセットがかかった。そうでなかったら、家族全員アウト
さ。潰れてたよ」

「げ……」

「一番窒息しそうだった僕が、苦しくて一番最初に激しくも
がいたんだ。だから、そこに息が出来る場所が出来た」

「ふうん」

「そんなもんだと思う」

「いつきんとこは、今はうまく行ってんだろ?」

「今は、ね」

「何か、あんの?」

「来年、僕は家を出る」

「あ!」

「そう。進学予定の大学は、家から通うのがしんどいんだ。
下宿する予定なんだよ」

「そっか……」

「家族四人でがっちり組んできたスクラムが初めて崩れる。
でも、それをこなさないとさ」

ふうっ。健ちゃんのでっかい吐息。

「どこもいろいろあるってことか」

「変わらないでずっと同じってのはありえないさ」

「だな」

「だからって、変化を難なくクリアするってわけにもいかな
いよ。よたよたしながら、それでも結果オーライで行くしか
ないんだろなあと思う」

「おう」

「お盆は、墓参りに行くんでしょ?」

「行く。その時にまた話そうぜ」

「そうしよう」

「みおっぺは?」

「一緒に行くよ」

「わあた。楽しみにしてる」

「抱え込まないようにね」

「さんくす。ほいじゃ」

「へーい」

ぴ。




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三年生編 第79話(5) [小説]

でかい買い物袋を二つぶら下げ、寿庵で和菓子の詰め合わせ
を買って、しゃらのいるアパートに向かった。

ぴんぽーん!

呼び鈴を押したら、しゃらがぶっ飛んできた。

「わあい! 暑かったでしょ?」

「しゃれにならんわ。ぎんぎらぎん」

「上がってー」

「いや、ちょい買い物帰りなんで、顔出しだけ」

「ぶー」

「まあ、寿庵のおいしいお菓子でも食べてくで」

「あ、ありがとー! 新作出てた?」

「んにゃ。盆菓子の対応がめっちゃハードみたいで、中村さ
んも長岡さんも燃え尽きてたわ」

「うわあ……」

「まあ、稼ぎ時だもんなあ」

「だよねー。葛桜はまだ出すのかなあ」

「八月いっぱいは作るってさ」

じゅるっ。
にへっと笑ったしゃらが生唾を飲み込んだ。

「じゃあ、これで。お母さんに無理しないでくださいねって
伝えて」

「うん……」

「まだ、しんどそう?」

「退院はしたけど、本当はまだ動ける状態じゃないんだよね」

「そっか……。とりあえず絶対安静だね。買い物とか、遠慮
なく声かけて。届けるから」

「うん! すっごい助かる」

「15日はお盆で一日家を空けるけど、それ以外はずっと部
屋にいるから、連絡して。メールでも直電でもいい」

「分かったー。ありがとー」

「じゃあ、お大事にねー」

「またねー」

名残惜しそうに、しゃらがドアをそっと閉めた。
いつもなら僕らの話し声を聞きつけてすぐ顔を出すはずのお
母さんが、床を離れられないってこと。

体調が本当に良くないんだろう。

「しばらく綱渡りが続く……な」


           −=*=−


家に戻って、母さんに食材を渡してしゃらのお母さんの容体
を伝える。

「しばらくサポートが要りそうね」

「うん。合宿を前半に持ってきてよかったわ。夏休みの後半
は密着する」

「それがいいね。御園さんの方の受験勉強は?」

「あいつ、お母さんのこともあるから推薦狙いに切り替えた
んだ」

「あ、そうか。それなら早くに結果が分かるから、お母様の
看護もしやすくなるってことね」

「そう。定期試験の結果が重要になるから、その時に集中し
てサポートする」

「なるほどなあ。いっちゃんが高望みしないっていうのは、
そういうのも入ってるってことか……」

さすが、母さん。
すぐに気付いてくれた。

「僕はまだいいさ。母さんも父さんも元気で、持病とかない
から。でも、しゃらは進学、就職しても、お母さんの看護が
ある限り家から出られないでしょ」

「……」

「だから僕のこれからは、それをベースに組み立てたい」

にっ!
母さんが、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「成長に伴って、いろんな顔が出てくる。見えてくる。思い
がけない顔にびっくりさせられることがあるけどさ。でも、
いっちゃんが小さい時から、ずっと変わらないものがあるね」

「そう?」

「そう。いっちゃんは優しい。そこらへんは、お父さんに似
たね。優しすぎて自分を削っちゃって、それがなんだかなあ
と思うこともあったけど」

「うん」

「でも、それがいっちゃんよ。何があっても最後まで残る財
産でしょ。大事にしなさい」

変えたい自分がある。
でも、それ以上に変えたくない自分がある。
僕は……それを高校を出るまでにゆっくり考えることにしよ
う。受験とは別にね。

「じゃあ。部屋で延長戦やるから、晩ご飯出来たら声かけて」

「ほいほい」





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三年生編 第79話(4) [小説]

話が重くなり過ぎるのを嫌気したんだろう。
行長さんがさっと話を変えた。

「工藤さんは、進学先はもう固めたんですか?」

「固めました」

「へえー。どっち系?」

「生物です。県立大の生物学部。バイオをやるつもりです」

「え?」

行長さんは、目をまん丸くして驚いてる。
ぐひひ。

「なんか……イメージが」

「あはは。みんなにそう言われてます。でも」

「うん」

「自分が何も知らない、真っ白のところからやりたいんで
す」

「ははあ。なるほどね。ユニークだなあ」

「バイオにすごく興味があるからってわけでもないんですけ
どね……」

「へー」

「生態学とか、本当に僕がおもしろそうだなあと思ってると
ころに突っ込んじゃうと、他のものを入れる場所がなくなる
ような気がするんです」

「他のもの……か」

「はい。僕がいろんなことをさくさく割り切れる性格ならい
いんですけどね」

「うん。抱え込んじゃうんでしょ?」

「そうです。それが必然でも偶然でも」

「そっかあ」

「それなら、付き合う相手と最初から最後まで距離を取れる
方がいいかなあと思って」

行長さんが苦笑した。

「まあ、いろんな選択があるよね」

「そうですね。行長さんはどうだったんですか?」

「ああ、僕は食ってくのが最優先。最初から公務員志望だっ
たし、司書を目指したのは専門職で異動が少ないから」

すげえ。きっちり計算してる。

「そうしないと、親父との距離を確保してなおかつ家を壊さ
ないっていうポジションを、うまく確保出来なかったんです」

「ぐええ。えぐいー」

「わはは。まあ、そんなもんです。でも、自分ではベストの
選択だと思ってるし、後悔はないかな」

「そっかあ。先生の方はどうだったんですかね?」

「みさも同じようなものかな。公務員はガラス張り。しかも
学生を教える以上、指導力だけじゃなくて規律の順守や公平
性が要求されるでしょ?」

「はい」

「なんでもありの親との間にきっちり距離を確保するには、
堅い職に就くしかないから」

「なるほどなー」

「でも、みさにとって、教師ってのは自分の真っ直ぐな性格
を最大限に活かせる道です。天職でしょう」

「ですよね。僕もそう思います」

「ははは。まあ、いろいろあっても落ち着くところに落ち着
きますね」

行長さんは、からっと笑って話をまとめた。

「選択は、選ぶと選ばれるのバランス上にあります。自分で
何もかも選ぼうとすれば逆風が強くなるし、人に全部選ばれ
たら自由がなくなって窒息します。その隙間をちょろちょろ
抜けるのがいいかなーと」

「あははははっ! さすが行長さんだなー」

「そう?」

「はい。考え方が柔軟ていうか」

「いい加減なだけですよ」

さらっと言い流した行長さんが、レシートを持って席を立っ
た。

「昼休みが終わるから、ここまでにしましょう。ご両親によ
ろしくお伝えください」

「はーい。ごちそうさまでした。先生にもよろしくお伝えく
ださい」

「ほい」


           −=*=−


行長さん。

自分で言ってるほどいい加減な人じゃない。
すっごくいろんなことを考え合わせて、その中で最適解を探
そうとする人だと思う。

でも。
人を縛らない。人に縛られない。
自由人のように見えた穂積さんよりも、ずっと自由人なんだ。
だから一緒に話をしてると、本当にほっとする。

一意貫徹。
重光さんのように、誰からみてもはっきり分かる生き方を貫
くなら、押し通すことから来る軋轢や衝突を自力でこなさな
いとならない。
そうするには、膨大なエネルギーと鉄のような意思を要求さ
れるんだ。

僕は重光さんのような実直な生き方に憧れるけど、そう出来
るかと聞かれたら無理だと言わざるを得ない。
僕はまだ、捨てるものよりも取り込むものをずっと多くしな
いと自分を作れないんだ。

どんなに重光さんやしきねの生き方に羨望を覚えても、それ
は僕には『合ってない』。
それならば、常にベストを探って頭と体を使う行長さんの生
き方の方が、ずっと僕の参考になる。

そして。
生き方の形は違っても重光さんと行長さんに共通しているこ
とがある。
二人ともやると決めたらやる。人にとやかく言わせない。
それこそ、自分の人生なんだから自分でやる、なんだ。

難題にぶつかって足が止まるたびに、どこがいけなかったの
かを自己点検するのはかまわないんだろう。
でもそれでずるずる後退しちゃったら、いつまで経っても前
へ進めない。

僕の筋へのこだわりは、信念とか信条に基づいてない。すご
く底が浅いんだろう。自分や身内をどうやって守るかってと
こで止まっちゃってるんだ。
せっかくこだわるなら、もう少し大きな自分を創れるこだわ
りにしたいけどなあ……。

「ふう……」

図書館での勉強を終えて、スーパーで母さんに頼まれた買い
物をしている間、僕はずっと憂鬱だった。
でも、どんなにうんうん考えたところで、今僕の出来ること
は限られてる。

自分で決めて、それを実行すること。
それしか……ないよね。




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三年生編 第79話(3) [小説]

もともとひょうひょうとしててあまり感情が表に出ない行長
さんだけど、今はいろんなことが安定しているんだろう。
表情が本当に穏やかだった。

そりゃそうだよね。
糸井先生の方は、両親との関係が薄くなってプレッシャーが
ぐんと減った。
行長さんの方は、橘社長とお母さんが穂積さんのサポートに
動き出してる。

年明けくらいの一番ごたついてた頃に比べたら、今は本当に
落ち着いてるんだと思う。

「ねえねえ、行長さん。先生とはうまくやってます?」

「ははは。まあ、どこまでも直球のみさだからねえ。最初は
でこぼこありましたけどね」

「やぱし」

「でも、好きになった同士の結婚だからね。落ち着くところ
に落ち着きますよ」

「あはは。さすが行長さん」

「僕もみさも、親とのごたごたがかなり整理できた。そこが
一番楽になったかな」

「そっかあ。先生の方のご両親とは、まだ連絡が取れない状
態なんですか?」

「いや、みさは一応所在の把握はしてるみたい。でも、みさ
自身が突き放してるからね。これ以上わたしに迷惑かけない
でって」

だよなあ……。
あまり人のことを悪く言いたくないけど、あの二人はほんと
に外道だから。ぶつぶつ。

「うちの親は猛勉強中です。これまでの経験や知識なんか何
の役にも立たない。謙虚に一から勉強しないと、穂積のサ
ポートなんか絵に描いた餅に終わりますから」

「うわ……」

「でも来春の開院に向けて、今のところは順調に来てます。
これで穂積の受け皿が出来る」

「ふう。一歩前進になりますね」

「そう。ただ……」

ずっと穏やかに話をしていた行長さんの顔が、急に曇った。

「肝心の穂積の状態があんまり上向いてないんです。巴さん
からは、そういう報告を受けてます」

「ううう、そっかあ」

「無理もないよ。病的な逃げ癖は生まれつきだから、一朝一
夕には改善しない。その上、仕事、実家や家族、友人……み
んな失ってしまって、喪失感がひどいんだよね」

「うん。分かります」

「どこかに浮上のきっかけを与えられるキーマンが要るんだ
けど、両親にはまだそこまでのキャパはないし、穂積のこと
をよく知らない第三者には、その人がたとえプロでも担えな
いんです」

「え? どうしてですか?」

「信頼関係がうまく築けないから」

「あ、そうか。自分の中にこもってしまった穂積さんの中に
強引に入り込む必要があるけど、そうする人は穂積さんから
見て侵略者に見える……ってことですね」

「ほー、うまい表現だなあ」

「いじめられてた中学の時の僕が、まさにそうでしたから」

「……」

「一度閉じこもってしまうと、自分の親や妹ですら僕の中に
入れなくなるんですよ」

「なるほど……ね」

残っていたおかずをがさっと掻き込んだ行長さんが、箸をこ
とんと置いて目を瞑った。

「あいつのサポーターとして一番適格なのが、僕だっていう
のは分かってんだよね。でも、僕は兄貴に過ぎない。しかも、
みさと所帯を持ってるんです。あいつの人生を担う責任はも
う負えない」

「……」

「もし、半端に手を出して穂積に倒れ込まれたら、不幸の拡
大再生産をしてしまいますから」

「ですよね……」

「縁を切るつもりはないけど、穂積がちゃんと立ち直るまで
は徹底的に距離を置くしかないんです」

「それは、先生には?」

「もちろん伝えてあります。僕は優柔不断じゃない。あっち
もこっちもは出来ない」

行長さんは、きっぱり言い切った。
もちろん、喜んでそうするっていう話じゃない。
まさに断腸の思いだろうな……。





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