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三年生編 第79話(2) [小説]

市立図書館はもっと混んでるのかと思ったけど、僕みたいな
学生も含めて来館者の数が少なかった。

「あ、そうか」

閲覧室の隅っこの席に落ち着いた時、ふと理由が思い当たっ
た。

「お盆が近いせいか……」

塾も合宿所もお盆は外していた。
こういう公的なところはカレンダー通りに開いてるけど、来
るお客さんはがったり減るんだろう。

予備校の自習室みたいな人の濃さがなくて、静かで集中出来
るはずなのに、どうも薄ら寒さを感じて気が削がれちゃう。
人っていうのは、本当にめんどくさく出来てるんだなあ……。

それでも、英語の問題集と単語帳を出して二時間くらいは
びっしり集中した。

「っと……」

外して机の上に置いておいた腕時計がぴぴっと音を立てて、
正午になったのを知る。

うーん……お腹が空かないなあ。
頭脳労働じゃあまりカロリーを消費しないらしい。
合宿期間中もかなり食生活が貧しかったし、メシ抜きの時も
あったけど、そんなに苦じゃなかったからなあ。

だからといって、昼抜きにすると食事のタイミングが掴めな
くなる。コンビニでおにぎりでも買うか……。

勉強道具をぱたぱたと片付けて席を立ったところで、ぽんと
声を掛けられた。

「工藤さん、お久し振りです」

え!?

思いがけない声にぎょっとして、大げさにきょろきょろと声
のした方を見回した。

「あ、行長さん! お久し振りですー」

そっか。本職は、司書さんだって言ってたもんなあ。
ローダンセでの館長姿が脳裏に焼き付いてたから、こっちが
本職だって言われてもぴんと来ない。

「今日はお勉強ですか?」

「あ、はい。自宅だと、どうしてもだらけるので」

「ははは。昔から、図書館でお勉強っていうのは定番の一つ
ですよね」

「不思議なんですけどね。自分の部屋だって静かで快適なは
ずなんですけど、どうも気合いが……」

「これだけ在館者が少なくても、まだ人の気配があるってい
うことじゃないですかね」

「人の気配……ですか」

「ええ。自分以外の人の気配があると、緊張します。それが、
逆に集中を高めるのかもしれません」

へえー。なるほどな。

「工藤さんは、お昼は?」

「これからですー。コンビニで何か買って食べようと思った
んですけど」

「近くに定食屋があるので、そこで一緒に食べませんか?
おごりますよ」

「わあい」

と。
行長さんが、僕の周りをきょろきょろと見回して聞いた。

「あれ? 御園さんは?」

「ああ、今日は僕一人で来てます」

「……何かあったんですか?」

行長さんが、心配そうに探りを入れてきた。

「いえ、仲良くやってますよ。でも、しゃらんとこは、今お
母さんの調子が悪くて」

「あらら」

「ここの帰りに差し入れ持って、しゃらの家に様子見に行く
つもりです」

行長さんは、僕の予定を聞いて安心したんだろう。

「今年の夏はほんとに暑いからね。体調を崩す人も多いんで
しょう」

「はい。僕の親族にも倒れた人がいて……」

「暑い夏は、らしいといえばらしいんですけど、年配者や病
人にはしんどいからね」

「ですよねー」

「ああ、続きは店でしましょう。館を出たところで待ってて
ください。すぐに行きます」

「はい!」




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三年生編 第79話(1) [小説]

8月13日(木曜日)

「ふうー」

問題を解いていた手を止めて顔を上げ、窓の外に目をやる。

そろそろ一雨欲しいところだけど、空は無情なくらいに真っ
青だ。
どこを見回しても雲一片ない。今日もどピーカン。

暑さは合宿中とそんなに変わらない。
これだけずっと猛暑が続くと、うんざりする。
正直言って、外に出たくない。

それでも、合宿中は予備校に通わないとならなかったから、
早朝から深夜まで時間に無駄がなかったし、必ず日に一度は
外に出ていた。

自宅で勉強だと、そういう規則性やめりはりがない。
空調の効いた自分の部屋でリラックスしてると、どうしても
ぐだぐだモードに落ちやすくなる。

実際に夏期講習に行ってみて思ったけど、やっぱり欲とか怠
けとかがすっぱり切り離されてて勉強に集中出来る合宿のメ
リットって、思ってた以上におっきいんだよね。

裏返せば、どんなに自分をどやしても、慣れ親しんだ環境の
中にいるとどうしても緩みが出るってこと。
宅浪はレベルが上がんないって言われてる意味が、よーく分
かった。

区切りのいいところで数学の問題集をぱたっと畳んで、机を
離れる。

「市立図書館に行って来ようかな」

本当ならしゃらも誘いたいところなんだけど、病み上がりの
お母さんの代わりに家事をこなしてるしゃらは、今は家を離
れられない。しょうがないね。

帰りに寿庵に寄って何か仕入れて、差し入れしよう。
お母さんの具合いを実際に見て確かめたいし。

制服に着替え、デイパックに勉強道具を詰めて部屋を出る。

「市立図書館に行ってくるわ」

「え? 高校の図書室じゃないの?」

「開いてるかどうか分かんないし、もし開いてても誰か知り
合いに捕まりそうだからさ」

「ふうん……でも、結構遠いじゃない。このくっそ暑いのに
わざわざ行くの?」

今日はシフトから外れてて家にいる母さんが、おやあという
顔で首を傾げた。

「自分の部屋にいると、なんかだらけるんだよね。めりはり
が付かないっていうか……」

「御園さんと絡めないからでしょ? いひひ」

ったく! このハハは!
でも……まるっきり外れっていうわけでもないからなあ。

「まあね。だけど、せっかく合宿で気合い入れたのに緩ん
じゃったらもったいないからさ」

「なるほどー。で、買い物は?」

「大荷物にならないなら、帰りにしてくよー」

「助かる! 今、メモ書くから」

「うい」

チラシの束をテーブルの上に広げた母さんが、さかさかとメ
モを書く。

そういや。
こうやって買い物を頼まれるのを嫌だと思ったことはなかっ
たよなあ。僕がここを出たら、それは実生の仕事になるんだ
ろうか。
いや、実生も僕と同じで、もうお使いをこなしてる。
僕が出れば、買い物の担い手が一人減る……ってことなんだ
ろう。

人が一人動けば、家の形が変わる。
もし僕がジャイアン系で親に猛反発してたら、僕がここにい
ようがいまいが母さんの家事の形は変わらなかっただろう。
でも家族の結束の強い我が家は、誰かが不在になった時に母
さんの負担感が変わっていってしまう。

出て行く僕も、残される家族も、『その後』がどうなるかを
想像出来ないんじゃないかな……。

「ふうっ」

思わず……溜息が漏れた。

「じゃあ、これ頼むね」

「うい」

母さんから畳んだメモ紙とお金を受け取って、財布に放り込
む。

「じゃあ、行ってくる」

「ちゃりで行くの?」

「いや、バス使う。距離あるから、行き帰りで汗まみれにな
りそうだし」

「そうよね。お昼は外で食べてくるんでしょ?」

「コンビニで何か買って食べるわ」

「ほいほい」

玄関を一歩出た途端に、強い真夏の日差しがどかあんと降っ
てきた。

とんでもなく暑い……けど。
その暑さも、これから徐々に薄らいでしまうんだろう。

引き潮のように、夏が過ぎる。
その暑さと一緒に自分の熱を持ち去られないよう、気合いを
入れ直そう。

「うっしゃあ! 行くかあ!」

汗をかいちゃうことは分かってても、僕はあえて走ることに
した。
焼けて陽炎を吹き上げる道に、何もかもを放り出すようにし
て。僕は勢いよく坂道を駆け下りた。





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三年生編 第78話(11) [小説]

涙涙の再会になるかと思いきや、それぞれにトラブルや課題
を抱えてて、そこが緩衝材になってたかもしれない。
僕としゃらは、そのまま進路絡みの話をずっとし続けた。

昼前に、どっかにお昼ご飯を食べに行こうかって揃って腰を
上げたら、いきなりノックなしでばたんとドアが開いた。

「あら」

意外なものを見たっていう感じで、母さんが僕としゃらを見
比べる。

「てっきり、ベッドで組んず解れつしてると思ったのに」

「ごるああああっ!!」

全く、油断も隙もない。

「てか、パートは?」

「帰ってこない方が良かった?」

ひりひりひり。

「どっちでもいいけどさ。でも、半日だけって珍しいじゃん」

「勘助さんのことがあるから、家を長時間無人に出来ないの」

「あ……そういうことかあ」

「緊急の連絡はお父さんの方に行くと思うけど、誰かがここ
に居て、いっちゃんたちに連絡を回さないとならないから」

「うん、そうだね」

ふうっ。一息ついた母さんが、寂しそうに呟いた。

「いい方の連絡が出来れば……それが一番なんだけどね」

「……」

母さんがそう言うってことは、決して楽観できない状況なん
だろう。
さっきえげつない突っ込みを入れたことなんか、忘れたみた
いに、母さんがしゃらにつらっと話しかけた。

「御園さんは、元気にしてた?」

「……はい。でも、うちもちょっとトラブってて」

「え?」

「母の調子が悪くて。短期間だけど、入院してました」

「あら!」

母さんが、血相を変えた。

「お母様の容体は?」

「ものすごく悪化したわけじゃないんですけど、前みたいに
はいろいろこなせなくなりそうです」

「お大事になさってね」

「はい。新居への引越しが済むまでは、絶対に無理させない
ようにしないと……」

「そうよ。それでなくても、引越しは体力使うから」

「はい」

「いっちゃんに差し入れさせるから、何かあったら遠慮なく
言ってね」

「ありがとうございます!」

これで母さんにも、僕らが再会で浮かれていなかったわけが
分かったと思う。

僕らは、ちゃんと努力してるよ。
まともに生きるための努力はしてるよ。
それでも、運命の歯車は回る。
必ずしも僕らの望まない方向に、僕らを動かしてしまう。

だからこそ!
これでいいとは思いたくない。
もう出来ることはないって思いたくない。

あと半年。
受験だけでなくて、僕らを取り巻く環境は大きく変わってい
くだろう。
やり残して後悔を残すよりは、きちんと行動を積み重ねて足
掻きたい。その全てが実を結ばなくても。それでも、ね。

「ああ、いっちゃん」

「なに?」

母さんが、僕の目の前にぐいっと指を突き出した。

「顔がじょりじょりになってるから、シェーバー買ってきな
さい。お金あげるから」

「げええ……やっぱかあ」

「まあ、しょうがないわ。それもオトナになるための通過儀
礼でしょ」

「あの……早くないですか?」

しゃらが、こわごわ僕の顔を覗き込む。

「いや、こんなもんじゃないかなー。どっちにしても、これ
からどんどんむっさくなっていくからね。御園さんも覚悟し
ないと」

「げー」

ちぇ。女の子はいいよなー。
男は、汚いとか、臭いとか、むさいとか、言われ放題やん。
ぶつぶつぶつ。

「じゃあ、買い物がてら、どっかで昼ご飯食べてくるわ」

「はいはい。御園さんも一緒でしょ?」

「はい! 帰りに食料品の買い出しして行きます」

「いっちゃんに持たせてね」

「ひいー」

「助かりますー」

くすくす笑いながら僕の腕を引っ張ったしゃらが、母さんに
ぺこっと頭を下げて部屋を出た。

「おじゃましましたー」

「またね。お母様に無理なさらないようにって伝えてね」

「はい!」




sarus.jpg
今日の花:サルスベリLagerstroemia indica




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三年生編 第78話(10) [小説]

「ねえ、しゃら」

「なに?」

「しゃらの方は、方針そのまま?」

聞いてみる。

「ううん。わたしは方針変えた」

「アガチスでないところにするの?」

「いや、アガチス短大の栄養科はそのままだけど、推薦取り
に行く」

「やっぱりかあ……」

「特待は入ってからもずっと縛りがかかるし、しんどいって
聞いてさあ」

「だよね。お母さんのことで、いろいろと時間を融通しない
となんないしな」

「そうなの。受験を回避出来れば、長期のバイトを今から組
み込めるし、プレッシャーが少なくて済むから」

「うん。見込みは?」

「今の成績なら安全圏みたい。でも二学期の点数で確定にな
るから、それまでは気を抜けない」

「だな。すんなり決まればいいね」

「うん!」

形の上では、僕としゃらの最初の志望が大きく変わったわけ
じゃない。
でもそれぞれの選択には、最初のぼやっとしたイメージじゃ
なくて、選択した理由がくっきりと記される。
その理由は……いいことばかりじゃない。『仕方ない』って
いうのがどうしても混じる。

もし僕らが、ベストの選択で得られるものがくっきり分かっ
ていれば。仕方ないっていう妥協は、すごく苦く感じるかも
しれない。

でも……たぶんどんな選択をしても、ベストっていうのはな
いと思う。自分でそれをベストにする努力をしたか。
結局、そこしか残らないんじゃないかな。


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三年生編 第78話(9) [小説]

「荒れたの?」

「うん。親と……おじさんとぶつかったんだ」

「げげっ」

「さゆりんは、ブラコンなんだよ」

「え? ……ってことは」

「そう、健ちゃんを崇拝してた。さゆりんは、健ちゃんの金
魚のうんちだったんだ」

「うわ、そっちかあ」

「僕と実生にも似た様な時期があったけど、それぞれの自衛
でいっぱいいっぱい。相互依存てとこまではいかなかったん
だ」

「うん」

「でも、健ちゃんとさゆりんは兄妹仲が良すぎたんだよ。
べったり。それも、さゆりんの方が強い兄貴依存で、からっ
と醒めてる健ちゃんとのバランスが、ものすごーく悪かった
んだ」

「ブラコン、かあ」

「うん。そういうのが、高校受験のごたごたと合わさって」

「ぼかあんと行っちゃったんだ」

「だと思う。さゆりんも、さっきの悪魔と同じでまだ中身が
ない。これから……大変だあ」

「あの。さゆりちゃん、家に戻ったの?」

「戻した。さゆりんは、ヤンキーの集団に飲み込まれてたん
だ。たまたま立水に絡もうとしたヤンキーを、出くわした矢
野さんが叩きのめしたんだよね」

「ひええっ」

しゃらがのけぞった。
試合を真ん前で見てるから、しゃらには矢野さんのすさまじ
さががっつり刻み込まれてる。
冷や汗かいてるよ。うくく。

「鮮やかだったよ。殴り合いにすらならない。ごっつい野郎
二人を、それぞれワンショットで仕留めた」

しゃらが、口をあんぐり。

「矢野さん、現役引退したって言っても体も心も間違いなく
まだプロだわ。あの立水が、そんけーの眼差しで見てたから
なー」

「すごいなー」

「その後、おじさんと健ちゃんを交番に呼んで、さゆりんを
引き渡して」

「大丈夫……なの?」

「今おじさんの家は、さゆりんのことをかまってられないん
だ」

「え?」

「健ちゃんのじいちゃん。僕の大叔父。勘助おじさんが、脳
梗塞で倒れて、まだ死線をさまよってる。それを健ちゃんに
聞かされてさ」

「そ……んな」

おばあちゃんを病気で亡くしたしゃらにとって、それは他人
事じゃないんだろう。ひっそりと俯いた。

「僕の親父にとっても、勘助おじさんは父代わりの大恩人な
んだ。今年はお盆どころじゃないかもしれない」

「うん……面会は?」

「まだ出来ない。危険な状態がまだ続いてるんだって」

「……」

「ここまでで、もうお腹いっぱいだったんだけどさ」

「まだあんの?」

「まあね。昨日模試が終わった直後に、知らん女の子に
とっ捕まって」

「いっぎいいいっ!!」

しゃらが、ぽんぽんにむくれる。

「わはは。彼女の興味の対象は僕じゃないよ。合宿所の方
さ」

「へ?」

「僕が向こうでお世話になった講師の先生と立ち話してた時
に、お寺のことを聞きつけたみたいで。そこはこれからでも
申し込めるのかって」

「あ、そういうことかー」

「僕は何もしてないよ。住職さんとの面通しの段取りして、
僕が出た後の部屋にそのまま彼女が入った。そんだけ」

「でも、よくそんなすごいとこに泊まる気になるなあ。立水
くんだっているんでしょ?」

「いかにもな体育会系だもん」

「へえー」

「水泳部だって言ってた。逆三角形のマッチョだったよ」

しゃらが、苦笑する。

ふうっ。一息ついて、椅子の背もたれに体を預けた。

「これまであったみたいに、出会いが全然なさそうな合宿所
暮らしでも、コンタクトはあった」

「うん」

「でも、それは僕には何も関わらない。どれも、ね」

「……」

「僕がお寂しフェロモンをばらまかない限りは、それで済むっ
てことだと思う」

「お寂しフェロモンかあ」

「今は、自分の将来のことで頭がいっぱい。寂しがってる暇
なんかないんだ」

「……うん」

しゃら的には、合宿中の僕の様子が分かってほっと出来たん
だろう。顔の緊張が緩んだ。



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三年生編 第78話(8) [小説]

しゃらがのけぞって驚いた。

「えええーっ!?」

「そうしないと、僕はバランスが取れない」

「バランス?」

「そう。家族のこと。しゃらのこと。僕が今大事にしたいと
思っていることを、仕事とか自分の生きがいと二択にしたく
ないんだ」

「そこまで……考えたのかー」

「合宿の間、びっしり勉強したよ。でも、英語とか数学の勉
強だけじゃ、全部の時間を使い切れないんだ。どんなに集中
してもね」

「うん」

「その合間。誰も自分の周りにいなくて、僕だけぽつんとい
る時間。そこで……これまでとこれからを考えてたの。それ
がすごい財産になったと思う」

「住職さんが、何かアドバイスしてくれたの?」

「いいやー。どやすだけ。あとは自分で考えろ、さ」

「げー」

しばらく僕の顔をじっと見つめていたしゃらが、ふっと質問
する。

「ねえ、いっき」

「うん?」

「向こうで……何かアクシデントがあったの?」

女の子の勘ていうのは、本当にすごいね。
思わず苦笑い。

「予備校と合宿所の間の往復だけだから、何もないかなあと
思ったんだけどさ」

「やっぱりぃ!」

きいん!
しゃらの目が速攻で三角になった。とほほ。

「でも今回のは、どれも僕には関わらないのばっかさ」

「ほんと?」

「まあね。予備校から夜遅くに戻る途中で、中坊の家出少女
に後付けられたのが一件」

どた。しゃらがひっくり返る。

「ひええ」

「それは、住職さんに引き渡して終わりだよ」

「そっかー。どうなったの?」

「親が迎えに来たよ」

しゃらが、ほっとした顔を見せた。

「日曜に、立水の買い物に付き合って新宿に出たんだけどさ」

「うん」

「そこで、悪魔にばったり」

「うっそおおおおっ!?」

「びっくりしたわ。もちろん矢野さん付きね」

「なんでまた」

「東京でスパーリングなんだって。今度C級ライセンス取ら
せるって言ってたから、トレーニングの一環なんだろね」

「へえー」

「別人になってたよ」

「あの、しょうもない人が?」

「そう。ただ……」

「うん」

「まだ自分に自信がない。人に本気ぶつけることを怖がる。
そこが変わってないみたい」

「ええー? そっかなあ。ものすごくとんがって、噛み付い
てたじゃない」

「弱い犬が吠えるのと同じさ。そうやって距離を確保してた
んでしょ。人に踏み込む勇気がないんじゃない。誰にも踏み
込まれたくないっていうへたれ。でも、きゃんきゃん吠えな
くなった」

「ふうん」

「合宿中の僕と同じで、自分を見るしかなくなったら吠え
たってしょうがないんだよね」

「あ、そういうことかあ」

「うん。矢野さんが、そこらへんを上手に調整してると思
う」

「なるほどー」

「同じ場所で、またいとこのさゆりちゃんとも再会」

「あ、さゆりちゃんて、みおちゃんとおない年の」

「そう。前に、一緒にバスケやったろ?」

「うん、よく覚えてる。元気のいい子だよね」

「今年高校に入ってから、家を飛び出してたんだよ」

ざあっ。
しゃらの顔から血の気が引いた。


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三年生編 第78話(7) [小説]

「ねえねえ、いっきの方は合宿どうだったの?」

はあ……。

「修行だあ。エアコンなし。メシなし。娯楽なし。部屋のす
ぐ横が墓地。蚊だらけ。門限は厳しいし、住職さんはごっつ
いし」

「うわ……」

しゃらの想像の限界を突破したんだろう。
ぶるぶるっと震え上がった。

「まあ、そっちは覚悟してたからいいんだ。慣れたし。問題
は……」

「講習の……ほう?」

「そう。付いていけないほどしんどくはなかったけどさ。み
んな目標固めてぎっちり追い込んでる。僕みたいに目標仮置
きのままふらふらしてるなんてやつは、誰もいないんだよね」

「うわ」

「それを、講師の先生にも住職さんにもこっぴどくどやされ
てさ。べっこりへこんだ状態からスタートだあ」

「でも」

「うん?」

「その割には、すっきりしてるように見えるんだけど」

「固めたから」

「え!? ほんとに!?」

「そう。今朝、家族にも宣言した」

「県立大?」

「そう。県立大生物。専攻はバイオにする」

どったあん!!

今までの誰よりも激しく、しゃらがぶっこけた。

「えええええええええええええええええええええっ!?」

「みんな、そういう反応をするんだよなあ」

思わず苦笑い。

「だ、だって、全然イメージが……」

「前にね、瞬ちゃんに言われたんだよ」

「なんて?」

「理系より文系科目の方が点数がいいし、人の心理を読むこ
とに長けてるから、心理学とかをやった方がいいんじゃない
かってね」

「へー」

「確かに、今の学力とか僕の適性から見たらそうなのかもし
れないなあと思う。でも、妹尾さんの仕事見てても思うんだ
けど、いろーんな人を見ないとならないわけでしょ?」

「うん。そうだね」

「僕は、それをこなせないと思う。人のことは人のこと。自
分とは関係ない。そんな風にすぱっと割り切れない。どうし
ても自分の中に混ぜ込んじゃうんだ」

「あ……」

「中学の時は、人間不信で誰も容れなかった。高校に入った
ら、寂しくて何でもかんでも飲み込んじゃった。そういうの
を、整理してスマートに出し入れ出来ないんだ」

「そっかなあ」

しゃらには、僕がそういうのをそつなくこなせるように見え
るんだろうか。
思わず苦笑する。

「自分では、成長すればこなせるようになるのかなーと思っ
てたんだけど。そんな単純なもんじゃないね。合宿で一人に
なって、そのことばっかずっと考えてたんだ」

「ふうん」

「住職の重光さんのどやしが強烈だったよ」

「なんて言われたの?」

「自分の生き方くらい、自分で決めろって」

「うわ」

「世の中、自分の思い通りにならないことばかりなんだ。生
き方くらいは自分で決めないと、死ぬまで後悔するぞって。
きつかった……」

「でも、いっきは自分で決めてるじゃん」

「見かけはね」

はああっ。でっかい溜息が出る。

「どうしても自分で納得が行かない部分が残ってて、それが
やる気の足を引っ張るんだ。仮が取れなかったのは、そのせ
いさ」

「うーん……」

しゃらには、まだぴんと来ないんだろう。

「目の前にあることは、事務的にさっさとこなせる。そこに
自分を全部突っ込まなくてもいい」

「うん」

「でも、これから自分がどうやって生きてくか。そこは絶対
に妥協したくない。だからこそ、イメージが全然固まらなく
て、一歩も足が出なかったんだ」

しゃらが、じっと僕の目を見る。

「このままじゃ時間切れだよ。急かされて、なんでもいいっ
てわけには行かない。それだけは回避したい」

「で?」

「だから、興味があるのをいろいろ試すっていうやり方じゃ
なくて、最初の一点だけ決めてそこからこつこつ組み立てる
のがいいかなと思ったんだ。それなら自分のペースで出来る」

「あ、それでバイオ……」

「そうなの。今はまだ何も分からないよ。でも最初は誰でも
そうだと思うし、きっと分かってくることで面白くなってく
るんじゃないかなーと思ってさ」

「そういう発想かあ」

「それでもね、みのんとか酒田先輩みたいな『好き』とは違
う。僕は、それを自分の『外』に置くと思う」

「!!!」



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三年生編 第78話(6) [小説]

シャワーを浴びて、すっきり汗を流す。
まとわりついていた野蛮な夏の匂いが、柔らかい石鹸の匂い
に入れ替わった。

「ふうっ……」

がさがさと髪をタオルで拭きながらバスルームを出て。
冷蔵庫に入ってた麦茶のでかいペットボトルを、ぐいっと引っ
張り出す。

コップになみなみと注いだ麦茶を一気飲みして、中からきん
と冷えた自分に満足する。

「帰ってきたんだなあ……」

と。

うん。
まだ……離陸はしてない。
でも、今僕が無意識にしていることや出来ていることが、い
つまでも続くわけじゃない。

こうやって少しずつ僕は。
ここを出ることを……意識していくんだろう。

コップに氷を入れ、麦茶を注ぐ。
それを二つ持って階段を上がった。

「うーい、開けてくでー」

「えー?」

「手が塞がってるー」

「あ、ありがとー」

ぱかっとドアが開いた。

麦茶の入ったコップを一つしゃらに渡し、自分の分は机の上
に置いた。

去年のあのごたごたと違って、今年の隔離期間はお互いに合
意の上だ。それでも、二週間の没交渉はしゃらには寂しかっ
たんじゃないかと思うんだけど、珍しくスキンシップを求め
てこない。おやー?

「あの後、どうだった?」

先に探りを入れてみる。

「寂しかったよー。でもさ……」

あ……なんかあったな。

「うん」

「ちょっと……いろいろあってね」

「やっぱりかあ」

「え?」

「いや、珍しくぶっ飛んでこなかったから」

「あはは」

しゃらが苦笑した。

「お母さんの体調?」

一番は、多分それだろうと思ったんだ。

「うん……この暑さがちょっと堪えたみたいで。動けなくなっ
ちゃって」

ざあっ!
血の気が引いた。

「だいじょうぶ……なん?」

「とりあえず、三日間の入院で済んだ」

「げえええーーっ! にゅ、入院!?」

「検査と点滴治療。ものすごく病状が悪化したとかではな
いって」

ほっ。

「でも、自分の体調なんだから自分できちんと管理しないと
だめだよって、先生にがっちり叱られちゃってさ」

「そっかあ。お母さん、落ち込んじゃった?」

「そうなの。お兄ちゃんのことも、引っ越しのこともあった
し、いろいろとね……」

「確かになあ」

「今は、うちでゆっくり休んでる」

「うん。それがいいね。お店の方は順調に進んでるの?」

「うん! そっちは順調。家建つのってすっごい早いんだな
あって、びっくりしちゃった」

「へえー」

「家自体はもう建ってるの」

「どえええっ!?」

「びっくりでしょ? でもツーバイフォーっていうのは壁組
みで仕上げてくから、そんなもんなんだって」

「すげえ……じゃあ、もう内装工事に入ってるんだ」

「うん! お父さんもかんちゃんも、楽しみで楽しみでしょ
うがないみたいで、毎日見に行ってる」

「わはは! そうだよなあ。二階が住居になるんでしょ?」

「うん。まだ設計図見せてもらっただけだからぴんと来ない
けど、これまでで一番広い家になるみたい」

「うわお! 楽しみじゃん」

「そだね。りんやばんこみたいに、自分の帰れる場所がなく
なっちゃった子がいるんだから、わたしは恵まれてるね」

しゃらが、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

二度家を失ったしゃら。
今度こそ、新しい家がしゃらの安住の地になりますように。
僕はそう祈ることしか出来ない。


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三年生編 第78話(5) [小説]

合宿の間ずっと机に向かってて、ほとんど体を動かす機会が
なかった。
全身が、ものすごーくなまっちゃったような気がする。

これからも勉強ばっかになるから、どこかで体を動かす時間
を確保しとおかないとなー。
せっかく早起きしたから、モヒカン山のてっぺんまで軽く
ジョグしてくることにした。

部屋でジャージに着替えて、タオルを首にかけて家を出る。
途端に、押し潰すような真夏の日差しが降ってきた。

「ふう……あづいー」

朝からこの気温なら、日中は猛暑になりそう。
それでも、暦の上ではもう残りの夏。夏真っ盛りじゃないん
だよね。そういうズレ。

そして僕も、自分の中にズレを感じてる。

僕が立てた目標は、誰かにそうしろって言われたことじゃな
い、自分でいろいろ考えて、悩んで、よしそうしようって決
めたことなんだ。
でも、どこかにそれに納得していない僕がいる。
そのズレはどこから? どうして納得出来てない?

どうしてか……なんとなく分かる。
それは素直な僕、無邪気な僕、子供の僕がものっそ反発して
るからだ。

しきねが、何もかもぶん投げてパラグライダーに突っ込んで
行ってしまった時、僕は猛烈に腹が立った。
あの時は感情がぐちゃぐちゃになってて、自分の怒りの中身
がよく分からなかったんだ。

でも。今その時のことを振り返ると、どうして腹が立ったの
か分かる。
怒りは、自分勝手なしきねに対してじゃない。
本当は自分の思うように振る舞いたいのに、そう出来ない自
分自身に対する怒り……だったんだ。

だけどさ。
全ての束縛を外して好きなようにしろって言われても、まだ
中身が空白だらけの僕は何をどうしたいのかが自分でも分か
らない。

転校先に馴染もうとするあまり、好きなことに我を忘れて熱
中するってことがうまく出来なかった僕。
きっと、好きなようにやりたいっていう欲求だけが、ぽつん
と僕の中に取り残されてしまってるんだろう。
もう子供のままではいられない今になって、小さな子供の無
邪気な欲求が暴れてる。どこかで僕の足を引っ張ってる。

その欲求には形も色も何もない。
でも、いつまでも僕にもやもやとまとわりついていて……
すっきりしない。
リアルな暑さと自分の中のもやもやした感じが絡まり合って、
僕はものすごく不愉快に感じてしまう。

「むー……」

いかんいかん。
せっかく修行してきたのに、これじゃ元の木阿弥だ。
気持ちを切り替えよう。

ぶるぶるっと首を振り、顔を上げて夏景色を見回した。
あちこちの家の庭で、サルスベリが満開になっているのが見
える。

「どうもすっきりしないよなあ……」

ふわっと優しく咲くっていうより、固まり損ねてもやもやし
てるように見えるサルスベリの花。
まるで、今の自分の宙ぶらりんの状態を象徴しているように
見える。

だけど。
いつまでも咲いてるように見えるサルスベリも、花が終わっ
て実が生る時期が来る。
そして、僕もきっとそうなるんだろう。

「ふうっ!」

まばゆい夏空をもう一度見上げて。
僕は、ゆっくりと足を送り始めた。


           −=*=−


「ぶふう!」

モヒカン山のてっぺんでちょこっとストレッチしただけで、
全身汗まみれのぐっしょぐしょ。
もうちょっと気温と湿度が低かったら設楽寺まで足を伸ばそ
うと思ってたんだけど、あまりの蒸し暑さで根性が尽きた。

家に戻ってシャワーを浴びて、態勢を立て直そう。

絞れるくらいに汗を含んで重くなったタオル。
そいつをだらりと首から垂らして、僕はへとへとになって家
に戻った。

「お?」

蛇腹ゲートのところに、うろうろしてる人影がちらり。

「しゃらかな? うーい!」

ぱっと振り返ったのは、やっぱりしゃらだった。

「よう。おひさー」

「じゃないわよう! なに、昨日のあれ!」

ぶうっ!
むくれるむくれる。

「しゃあないやん。帰ってきたのはもう夜の九時過ぎだった
し、模試のあとでくったくた」

「あ……そっかあ」

「中入ろうぜ。汗でどろどろ」

「ジョグしてきたの?」

「ずーっと机に向かってばっかで、体がなまりまくってたか
らさー」

「そっか……」

「でも、今日はまずかったなー。この暑さじゃ、鍛え直す前
にもっとへたるー」

「だよねえ」

「中入って僕の部屋で待ってて。シャワーで汗流してから行
く」

「うん! 今日は誰もいないの?」

「いない。親父は仕事、母さんはトレマのパート。実生は中
庭の水まきの後、真っ直ぐリドルのバイトに行くって」

「あ、そうか。みおちゃん、夏休み中はフルのシフトに入っ
てるんだね」

「そう。実生に聞いたんだけど、曽田さん辞めたんだって。
マスターが必死に後釜探してるわ」

「そっか、辞めちゃったんかー。感じいい人だったけどなあ」

「もともと次の仕事見つかるまでの繋ぎだったみたい。踏ん
切りついたんちゃう?」

「うん」

とか話しながら二人で家に入って、僕の部屋のエアコンを点
ける。

「ふひー、ごくらくー」

しゃらが両手を頭上に伸ばして、そのまま僕のベッドの上に
背中からばたっと倒れ込んだ。

「今の仮住まいんとこは空調ないの?」

「あるけど、リビングに一台だけだもん」

「げえー、それは修行だー」

「しゃあないね。もうちょっとの辛抱だしー」

「だな。あ、シャワー使ってくる。待ってて」

「うん!」




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三年生編 第78話(4) [小説]

リビングで三人で爆笑していたら、実生が眠そうに降りてき
た。

「うるさいー」

「ああ、ごめん。起こしちゃったか」

「いや、いいけどー。今日は中庭当番だし」

「朝行かないと、どんどん暑くなるもんな」

「うん」

「みんな、まじめに来てる?」

「来てるみたいだよー。四方先輩からお小言は飛んできてな
いー」

「だはは! お小言かー」

「なんだかんだで、マイアー先輩が毎日来て、厳しくチェッ
クしてるし」

ひりひりひり……あいつならやるな。
庭にかける愛情がはんぱないから。

「お兄ちゃんは、合宿どうだったの?」

「修行だよー。エアコンなんかないし、蚊はひどいし、娯楽
一切禁止だし」

「げえー」

「でも、勉強のために行ってるんだからそんなもんでしょ」

「そこって、お兄ちゃんだけ?」

「いや、同じクラスの立水ってやつも一緒。あいつは四週の
コースだから、夏休みいっぱいだな」

「そっかあ」

「そのお寺の住職さんはもうお年で、来年からは合宿引き受
けないって言ってたから、僕らで最後ってことだね」

「そうか。そりゃあ、寂しいなあ」

「すごいおじいさんだったから、引退しても退屈はしないん
でしょ」

「へー、すごいの?」

「とっ初めにがっつりどやされて、最後に気合い入れられ
て。今時珍しい、どこまでも直球系の人だったわ」

「でも、いっちゃんには合いそうじゃない」

「うん。僕が好きなタイプ。裏表がまるっきりなくて、言っ
てることにびしっと芯が通ってる。絶対にぶらさない」

「ねえ、お兄ちゃん。その人って、お兄ちゃんのどこをどや
したの?」

興味津々で、実生が突っ込んでくる。

「痛かったよー。自分のことくらい自分で決めろってさ」

実生がぐっと詰まった。
僕と同じで、実生もできてないもんな。

「周りを見て自分の生き方を修正するのはいいと思うんだけ
ど、それと人に振り回されることは違うんだ。味噌も糞も一
緒にするな! って、がっつり」

「うわ……」

びびってる、びびってる。いひひ。

「でもね、だからこうしろああしろって言わないの。あとは
自分で考えろ、なの」

「ああ、それでなのね」

「うん。一意貫徹。そういうの、憧れる」

「おまえに出来るのか?」

「そう簡単には出来ないよー。でも、目標にはなるかなーと
思ってさ」

「なるほどな」

四人で話してる間に、外が明るくなってきた。

「ふう……今日は日中眠くなりそうだな」

「気をつけてね、父さん」

「ははは。おまえは今日はどうするんだ?」

「家で自習。しゃらが来るだろうから、残りの勉強プランは
しゃらと立てる」

「そうだな。進路以外にも考えないとならんことが、いっぱ
いある……か」

「受験生の夏なんか、かったるいなあと思ってたけどさ」

「うん?」

「かったるいと思ってる暇もないわ。時間の流れが本当に早
いね。怖いくらい」

「そこも、俺と同じだな」

「いや、僕は父さんよりずっと恵まれてるよ。それは活かさ
ないと損だと思う」

「ははは。まあ、がんばってくれ」

「うっす」




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