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三年生編 第78話(2) [小説]

「ふうっ……いろいろあるね」

「まあな。それより」

「うん?」

「夏期講習はどうだったんだ?」

「充実してたよ。何もないお寺で修行生活だからどうなるか
なあと思ってたけど」

「うん」

「そういう生活にもすぐに慣れちゃう。人間の適応能力って
すごいなーと思っちゃった」

「そうか」

「勉強に集中出来たかっていうと、そこはうーんていう部分
はあったけどね」

「おいおい」

「いや、目標仮置きがずーっと続いてたからさ」

「ああ、そういう意味でか」

「そう。予備校のアドバイザーの先生にも甘過ぎるってどや
されたし、住職さんにもどやされたし」

「ははははは」

「でも、そのどやしはよく効いた」

「ほう? 進路を固めたのか?」

「うん。自分ではもう動かさないつもり」

「やるじゃないか」

父さんが、目を細めて笑った。

「仮を取るのか?」

「取る。県立大生物本命。それよりレベルの高い私大の生物
系を滑り止めにする」

ずべっ!
父さんがずっこける。

「おいおい。それは逆じゃないのか?」

「逆じゃない。県立大よりレベルの高い所に目標を置いてお
かないと、僕は怠ける。現時点では、ほぼAに近いBランク
なんだ」

「それなら、素直にもっと上を目指したらいいと思うんだ
が……」

「自分がずっと背伸びしているって感じちゃうと、僕はきっ
と窒息する」

「ああ、なるほど。そういうことか」

「ここらへんでいい。怠けたい。そういうつもりはないよ。
でも、急かされないで自分のペースでこつこつ出来る。そう
いうところに行きたいんだ」

「今は?」

「出来てない。僕は自分を無理やり上昇気流に乗せてる。だ
からいつも神経を張り詰めてて、その無理がどっかに吹き出
しちゃう」

父さんが、僕の顔をじっと凝視した。
その視線から目を逸らさないで、自分の立ち位置をしっかり
説明する。

「去年から今年にかけてしんどいアクシデントが続いたせい
か、ものすごーく理屈っぽくて筋論ばりばりの自分になっ
ちゃってる。それが、どうにもやな感じだったんだ。自分で
嫌だって思ってるから、周りの人にはもっと偉そうに見えて
たと思う」

「ふむ」

「それがずっと引っかかっててさ。僕は、もっとゆるかった
はずなのになあと思って」

「うん」

「しゃらの上昇志向が根っからのものだとしたら、僕のそい
つは付け焼き刃なんだよね。それを今のうちにしっかり自覚
しとかないと」

ふうっ。

「僕はまた猫を被らないとならなくなる。それは……さ」

「確かにな」

両腕を真上に突き上げて深呼吸し、それから父さんの隣に腰
を下ろした。

「家族、友達、しゃら。そういう理解者が誰もいないところ
に、素っ裸の僕をぽんと置く。そうしたら、僕はがらんどう
の自分を見るしかなくなる。合宿は、本当に有意義だったわ」

「かわいい子には旅をさせろ、か」

「あはは。本当にプチトリップだったけどね」


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三年生編 第78話(1) [小説]

8月10日(月曜日)

「ん……つつ」

後頭部に、じわあっとしびれるような痛みを感じて目が覚め
た。

体を起こして、窓に目をやる。まだ外が暗い。
思わず苦笑しちゃった。

「目覚ましかけなくても、五時前に目が開いちゃうな」

たった二週間なのに、冷房なし五時起きの環境が自分のデフォ
ルトになっちゃった。
人間の環境適応能力って凄まじいなあと思う。

頭痛はたぶんエアコンのせいだろう。
暑さに慣れちゃった体には、温度設定が27度でも低すぎる
のかもしれない。

「早くに目ぇ覚めちゃったから、顔を洗って、少し追い込む
か」

まだみんな寝ているはずだから、忍び足で部屋を出てリビン
グに降りる。

「あれ?」

リビングの明かりが点いてる。誰だろ?
父さん、か。

「おはよー。ってか、ずいぶん早くない?」

「眠れなくてな」

「勘助おじさんのこと?」

「そう。樹生も実生も年齢が上がってきたから、大勢でわい
わいの墓参りもそろそろ終わりだなあとは思ってたんだけど
さ」

「うん」

「まさか……こういうことで出来なくなるとはなあ」

父さん、がっくりだ。

「でも、僕らはお墓参り行くんでしょ?」

「もちろん行く。たぶん、向こうで工藤と斉藤の誰かかれか
に出くわすだろ。その時に、いろいろ状況を聞いておきたい
し」

「あ、そうか。寿乃おばさんも、血圧高くて具合い悪いって
言ってたもんな」

「そうなんだよ。おばさんは、墓参りには必ず行くってゴネ
てるんだ。でも、付き添いがな」

「だよね。おばさん、豪快だから」

父さんが苦笑した。

「残暑が厳しいし、無理を押して病状を悪化させるとしゃれ
にならん」

「うん……」

関係者一同が集まっての大宴会も、去年のが最後になったの
かもしれない。
お盆の風物詩は、それがずっと続くってわけじゃなかったん
だ。時の流れって、本当に残酷だな。

僕がしょげちゃったのが目に入ったんだろう。
父さんがうっすら笑った。

「それでもな」

「うん」

「親族同士がこんなに仲がいいっていうのは、今時珍しいん
だよ。職場でも友人関係でも、あまりいい話は聞こえてこな
い。子供の人数が減って、それでなくても親戚っていう概念
が薄れてる時代なんだ。うちは、本当に恵まれてると思うぞ」

そうか……。

「うちもごたごたを抱えたけど、そういうのはどこも同じさ。
みんな、何かかにか抱えてる。愚痴を聞いたり、みんなで知
恵を出し合ったり、そういうのが出来る間柄が多いのは、間
違いなく財産だよ」

「そうだよね」

「昨日、おまえが休むちょっと前に、健くんからまた電話が
あってな」

「おじさんのことで?」

「いや、さゆりちゃんのことさ」

「ああ……」

「向こうでばったり出くわしたんだろ?」

「そう。あの新宿の人混みの中でばったりだったから、偶然
てすげえと思ったんだけど」

「偶然か……健くんにとってはそうじゃない。まさに天の配
剤だろうな」

天の配剤、か。
僕は、そう思いたくないけど。

「勘助さんのことで家がごたついてるから、今は健くんがさ
ゆりちゃんの目付役になってる。落ち着いたら、また連絡す
るってさ」

ああ、そうか。
僕の方からはアクセスしないでくれ……そういうことだ。
さゆりんだけじゃない。健ちゃんもまた、今はいっぱいいっ
ぱいなんだろう。

それなら、僕は待つしかない。
健ちゃんやさゆりんが嵐を乗り切るのを、じっと待つしかな
い。かつて僕らがそうだったようにね。



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