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三年生編 第112話(5) [小説]

モニュメントを背に、アプローチを見つめる。
真っ直ぐではなく揺れ動くように配置された行雲流水型の
鋪道。
人の流れは水盤に集められ、水盤から先は果てがなくなる。

「出ていくではなく、飛び立つ……か。滑走路なんですね」

「まあ、そういう見方もできるな。多分、わたしもそうな
る」

先生が目を細めて中庭の向こうを見つめた。

「ちぇ。ここは拾うのが楽だったのになあ」

なるほど、そういうことか。
えびちゃんと中沢先生。同期だから赴任してからの期間が
同じ。結婚もほぼ同じタイミングになった。
妊娠、出産のタイミングが重なるからどちらかが動かされ
るだろう。先生は前にそう言っていたんだ。
動くのが……先生の方になるってことだね。

鈴ちゃんたちがバージョンスリーを考える時に、一つハー
ドルが増えたかも。
でも、鈴ちゃんが顧問をどうするかで思い悩むことはない
だろう。
それは、鈴ちゃんだけの仕事じゃないから。

束ねられた花束は少しずつ解けていく。
それは……新しい花束を作るためにどうしても避けて通れ
ない。
いろんなことを記憶に刻む学園祭になりそうだ。

「じゃあ、僕は帰ります」

「御園さんによろしく」

「へいへい」



zac.jpg
今日の花:ザクロソウTrigastrotheca stricta


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三年生編 第112話(4) [小説]

横山くんと話している間に、少しずつもやもやが固まって
きた。
なくなったんじゃなく、どかせない塊として固まった。

くすぶってしまったエネルギーが使えないことを後悔する
んじゃなく、それを次にどう使うかを考えろ。
会長の「もうアルバムに貼ったら」というのは、そういう
ことなんだろう。
中庭に直接エネルギーを注ぐ機会はもうないんだ。
それなら、どうすればいい? 

「さて、と。鈴ちゃんも言ってたと思うけど、プロジェク
トってのは形がないんだ。こうしたいああしたいっていう
たくさんのエネルギーを集めて、こんちくしょうってそい
つらと喧嘩しているうちにだんだん庭の形ができてく。型
とかマニュアルがないの」

「うん」

「そういうのが合う子も合わない子もいる。あまりかっち
かちにプラマイ考えないで、入ったり抜けたりしてみて。
プロジェクトは出入りを拘束しないから」

ちょっと考え込んでいた横山くんが、わずかに頷いた。

「そうします」

「それとね」

「うす」

「自分が小さいってのをネガに考えないでね」

「え?」

そこも誤解されてるんだよなー。はあ。

「ぼっちの僕は小さかった。何もできなかったんだ。だか
ら出来る子にいっぱい手伝ってもらったの。僕が大きかっ
たら、庭は再生しなかった。校長に睨まれてたからね」

「う……はあ」

「いんだよ。できることなんか少しで。それよか、目一杯
楽しんでくれた方がいい。楽しいと、その次を考えられ
る。プロジェクトってのは、楽しさ探しの場所の一つに過
ぎないんだ。で、自分が小さいほど楽しさ探しをしやすい
の」

足元にぽよぽよ生えてる草を指差す。

「それ、ザクロソウっていうんだけど、ものっそ小さくて
細っこい草でね。雑草抜く時に見落とすから、どうしても
残っちゃう。でも、裏返せば小さくて目立たないから抜か
れないってことでしょ?」

「あ……」

「小さい方が、生えられる場所がいっぱいあるんだ。そん
なもんだと思うよ」

◇ ◇ ◇

僕もそうだったけど、一年の時は三年生が神様に見えた。
自分が小さくて無力に見えたんだ。

でも、三年の僕が大きく立派になったか?
いや……大して変わらない。
プロジェクトリーダーという立場を降りた今、特にそう思
う。小さいなあって。

でも、大きければいいということも、小さいからダメだと
いうことでもないんだ。
大小それぞれの立場でできることがあり、そうすることで
自分を満たせればいい。
足りなければ大きくすればいいし、持て余すようなら小さ
くすればいい。

そして……則弘さんが勘違いしてるみたいにずっと小さい
ままではいられないし、引退した伯母さんのようにずっと
大きいままでもいられないんだ。

それなら。
僕は最後の学園祭で、自分の大きさを考えることにしよう。
誰かのためじゃない。僕自身のためだ。
これまでと、今と、これからの、自分の大きさを考える。

うーん、こんな辛気臭いことを考えながらお祭りに行くや
つが他にいるんだろうか。
苦笑しながら、モニュメントの柱をぽんぽんと叩く。

お? 誰か来たな。ああ、中沢先生か。
元気のない横山くんを見て、気になったんだろな。

「なんだ、工藤くんか」

「あれ? ひーちゃんじゃありませんか」

「その呼び方はやめろおおおおっ!」

いじられてもだえている中沢先生をにやにやしながら見て
いたら、先生がふっと振り返った。

「拾い損ねたか」

「ああ、彼ね」

「フォローしてくれたの?」

「フォローしてほしいのは僕の方ですよ。僕だって同じだ
よって言っただけです」

「なるほどね」



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三年生編 第112話(3) [小説]

マイ剪定鋏を取り出して、植え込みの徒長枝を整えていく。
ぱちんぱちんという小気味いい音が、静まり返っていた中
庭に弾け飛ぶ。

もうお祭りは目前だ。
お祭りを盛り上げる熱を今から起こすのは無理。
でも、だからと言ってこのまま冷めてしまいたくはない。
つまらないと思ってしまう気持ちを摘み取るように、しば
らく剪定に集中していた。

「おや?」

背後に人の気配がして、ふっと振り返った。
中庭に入ってきたのは小柄な男子生徒。一年生だろうか。
見るからにつまらなそうだ。
さっきまでの自分も他の子からあんな風に見えたのかなあ
と思うと、げんなりする。

男の子は、むすっと黙り込んだままベンチにどすんと腰を
下ろし、そのまま顔を伏せた。
どう見ても、はみってる感じだなあ。

「ちわー」

声をかけた。

「あ、工藤先輩」

「え? 僕を知ってるの?」

「あ、部員です。横山です」

そっか。部員だったのか。

「ごめんね。一年生の部員はすごく多いし、さみだれ式に
入ってきたから、なかなか名前把握できなくて」

「いや……いいっす。はあ……」

見るからにおとなしそうな子だ。
男子部員は少ないからすごく目立つし重宝されると思うん
だけど、女子のハイパワーに付き合い切れてない感じがす
る。ちょっと先回りしようか。

「横山くんは、部活がなんかしっくり来ないと思ってる。
違う?」

「……」

しばらく黙っていた横山くんが、ぼそっと答えた。

「部活じゃなく、ここに……高校に合ってない気がするん
です」

「ふうん。ぽんいちにってこと?」

「いや……高校っていうもの自体に」

「ああ、わかる」

「そうすか?」

あんたは全力でエンジョイしてるじゃないか。
そういう疑念と批判のこもった暗い返事だった。

「僕だってそうさ。何も期待してなかったからね。ここだ
けじゃなく、自分の未来にも」

「……」

「誰も、何もしてくれない。それが中坊の僕だったし、そ
の気質はあんまり変わってないかな」

「……信じられないっす」

「ははは。嘘なんか言ったってしょうがないよ。実際、そ
れが元でさっきまでがっくり落ち込んでたし」

「え?」

今度は、僕が頭を抱え込んででかい溜息をつく。

「はああっ。大失敗したんだ。何もしてくれないなら、自
分でやるっきゃない。そこまではよかった。で、ハード
ガーデンプロジェクトの活動を軌道に乗せるまでは全力で
突っ走った」

「……」

「ただ、鈴ちゃんたちに引き継ぐ時、ちゃんと自立させよ
うと思って全部手を放しちゃったんだ。始めたのが僕なん
だから、僕は最後までやる! 出発点がエゴだったんだか
ら、最後までエゴを通せばよかったんだ。でも……」

左手に握り込んでいた切り枝を植え込みの下に突っ込む。
枝はゴミじゃない。
ちゃんと分解して、植物の役に立つはず。

でも、それは外から見た人の考えなんだ。
切り捨てられた枝は必ず抗議するだろう。
あんたになんの権限があって、俺たちをどかすんだって。

切り捨てられた枝は、切り捨てた人に文句を言える。
でも、加害者と被害者が同じだったら?

「自分から主人公の位置を降りてしまった。それは誰のせ
いにもできない。馬鹿みたいだ」

顔を上げた横山くんが、じっと僕の顔を見ている。

「わかんない……もんすね」

「そ。でも、割り切るしかないよ。黙ってても、ここには
三年しかいられないんだ。それなら、中坊の時の後悔を
しょうこりもなく繰り返したくないなー」

「後悔、すか」

「うん。何もできなかっただけじゃなく、何もしなかった。
そういう後悔」



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三年生編 第112話(2) [小説]

もやもやは僕自身の問題で、誰のせいにもできない。
でかいエンジンとそれを回す満タンの燃料が揃ってて、で
も点火装置がない。そんな気分。

「なんだかなあ」

ぶつくさ言いながら、学園祭準備のつち音があちこちで響
いている校内を溜息混じりに見渡す。

一年の時には、クラスイベントでもプロジェクトイベント
でも実質中心になって動いた。
自分の中でずっとくすぶっていた巨大なエネルギーに火が
点いて、どこまでも弾け飛んだんだ。
未熟かもしれないけど、達成感とか満足感はマックスだっ
た。

二年の時には沢渡校長とのがちゃがちゃがあったにせよ、
中庭をイベント会場にするっていうアイデアも出せたし、
プロジェクトをうまく回すためのシステム作りに学園祭を
しっかり利用できた。
羅刹門の吹き出し封鎖とかようこの大暴れとか、ヤバいこ
とはいろいろあったけど、それすらも楽しめたんだ。

でも。今年は何もない。
お祭りがくるという事実があるだけで、その真ん中に自分
がいない。
最後の学園祭をいっぱい楽しんでくださいという、えび
ちゃんの煽り文句だけが虚しく心の底にからから転がって
る。

「いかんなあ……」

矢野さんにがっつりヤキを入れてもらったのに、その筋肉
痛が癒えると同時に空虚感がまた押し寄せて来る。

「あ、あれ?」

自分では何も意識していなかったのに、足が自然と中庭に
向かっていて、ぞっとした。

『この中庭は、心が弱っているやつしか呼び寄せない』

中沢先生が猫拾いの時に言ったこと。そのままだ。
羅刹門の吹き出しが封鎖されても、気の流れが悪くて負の
念が集まりやすいっていう中庭の構造は変わっていない。
そうならないようにって、全力で中庭を元気付けてきたの
は僕だったのに。
その僕が中庭に吸い寄せられようとしていた……。

水盤の前で立ち止まり、奥のモニュメントを見据える。

「違うな。中庭が吸い寄せるんじゃない。ここにしか居場
所がないんだ」

お祭りを全力で楽しもうと誰もが張り切っている。
自分だけがその熱を持っていない。
賑やかな校内にいたくないから、ここに足を向けてしまう
んだ。

過去の履歴や好ましくない構造。
僕は、中庭の禍々しさをそれらのせいだと思い込んでいた。
そんな面倒な理由じゃなかったね。

明るく元気になった中庭だけど、きちんと整備されたから
どかどか踏み荒らすことはできなくなった。
僕らにとっては『鑑賞する』空間になったんだ。
それは、中庭と僕らとの間に微妙な距離ができたことを意
味する。

中庭と取っ組み合いをしていた一、二年の時。
中庭はライブステージだった。
裸に戻った中庭とエネルギーしかなかった僕らががちんこ
して、毎日火花を散らしていたんだ。

でも激しい撹乱が治って、中庭は静けさを取り戻しつつあ
る。
それと同時に、僕らはエネルギーを中庭以外にも向けるよ
うになった。
中庭はよく言えば落ち着き、悪く言えば冷めちゃったんだ。

「僕も同じだってか」

もやもやが、むかむかに変わっていった。
中庭を動かしたのは僕なのに、その僕が冷めちゃった? 
それっておかしくない?

中庭のせいじゃないよね。中庭は自力では変われないもの。
全ては僕の変節のせい。自分自身を殴りつけたくなる。

「はああっ」

中庭に背を向けてでっかい溜息を吐き捨て、のしのしと中
庭に踏み入る。

「冗談じゃない!」



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三年生編 第112話(1) [小説]

10月7日(水曜日)

あのあと。
しゃらの家で家族会議が開かれ、伯母さんの手を煩わせる
ことは大変申し訳ないが、現状では則弘さんのケアをでき
る余裕が全くないため、身元を引受けてくださるのは大変
ありがたいという結論になったらしい。
背に腹はかえられないよね。僕もそれしかないと思う。

御園家の意向確認を済ませた伯母さんの行動は、いつもの
ようにとても素早かった。
食い逃げなら被害額はたかが知れてるし、普通なら弁償と
厳重注意で放免になるらしいんだけど、伯母さんはそこに
弓削さんに手を出した前科を並べたんだ。

再犯なら起訴を猶予してもらえなくなる。
窃盗だけでなく強制性交等罪が加算されたら、微罪では済
まない。
再犯は全く反省していないってことだから、裁判官の印象
は最悪になる。
起訴されれば実刑間違いなしだし、短期刑にもならない。

「あんたみたいなへたれが前科持ちになったら、本当にど
こにも居場所がなくなるよ。人生詰んじゃうけど、それで
いいんだね?」

寄生虫として生きるなら、少なくともその虫がひどく悪さ
をしないという前提がどうしても必要になる。
でも則弘さんは、十分ヤバいことをやらかしているのに自
覚が全然ないんだ。
伯母さんは、その矛盾をきっちり突きつけた。

「確かに、ワルにはワルの居場所がある。でも居場所が作
れるのはワルを誇れるやつだけよ。ワルを誇れないチキン
な前科者が潜り込める暗闇なんかどこにもない。鉄砲玉に
すら使えないクズを誰が抱え込むっていうのよ。そんな
の、おん出されたアンタが一番わかってるでしょうに」

タカのどやしすらスルーした則弘さんも、伯母さんの出し
たレッドカードは回避できなかった。
逃げ場がどこにもないことを認めるしかなかったんだ。
ドナドナ状態で、則弘さんの海外島流しが決定。
速攻で、伯母さんのボディガードに両脇を抱えられて中塚
家から強制退去となった。

俺の顔に泥を塗りやがってと、則弘さんを殴り殺さんばか
りの怒りようだったタカも、伯母さんの強権発動には度肝
を抜かれたらしい。
俺らとはスケールが違うと妙に感心していたそうな。

はははのは。

しゃらには言ったんだけど、永久追放じゃないんだ。
互いに落ち着くまでの緊急避難に近い。
その間に、新しい生活に慣れないとね。

中塚家にとっても仕切り直しだ。
タカのいらいら材料がぐんと減って、五条さんはほっとし
てると思う。

ということで。
突発的に発生した則弘さんのトラブルは、さっと潮が引い
た。
その空いたスペースに、ここのところ僕の中でずっとくす
ぶっていたもやもやが、またぞろ流れ込んじゃった。

「うーん……」

確かに会長の言う通りなんだよね。

『プロジェクトの活動を後輩に引き継いだのなら、プロ
ジェクト関係のことはもう思い出アルバムに貼ったら?』

ぐうの音も出ないほど、お説ごもっとも。

でも僕は、まあだもやもやを引きずってる。
理屈の上でどんなに納得しても、心の中の反乱分子が大人
しくなってくれない。

だらしないやつだ。最後まできっちり突っ込めよ。
このぼけが!

喚きながら暴れ回る僕がどこかにいて、そいつを
どうしても抑え込むことができない。

でも、僕が突っ込みたくたって、もう突っ込める場所はど
こにもこれっぽっちも残っていないんだ。
それが最後の学園祭を無心で楽しもうっていう気持ちに冷
水を浴びせる。心が……冷めちゃう。

最後の学園祭に、こんな中途半端な気持ちで突入しちゃう
のは嫌だなあ。



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三年生編 第111話(8) [小説]

僕にもしゃらにも、いや誰にだって自分の人生というもの
がある。
それは誰にも渡したくないし、自分で組み立てたい。

だけど、弓削さんのように強制的にその自由を取り上げら
れてしまった人もいるし、則弘さんのように自分から自由
を放り捨ててしまった人もいる。

じゃあ、そういう人たちは滅亡するの?

「そんなわきゃないよなあ」

開いた植物図鑑の一ページ。
僕が腕組みして見つめているのはツルボだ。
学校からの帰り道、僕が存在に気づいてぎょっとしてし
まったのはツルボの花だった。

存在感の乏しい、薄紫色のぼやっとした花穂。
よく見るとあちこちで咲いているんだけど、誰も目を留め
ない。

じゃあ、薄ぼんやりな花のツルボは、薄ぼんやりの存在?
違うんだ。
ぼんやりしているのは見かけだけで、ツルボ自体はあちこ
ちに生えてる。生命力の強いタフな草なんだよね。

他人に頼る、隷従するには、その分強い自我を削らないと
ならない。
でも、自我を全部削ってしまうと生きてはいけない。

弓削さんや則弘さんは、今生きている。
それは自我があることの現れだし、その自我が貧弱だとは
限らないんだ。

小さく折りたたまれてしまった自我が、少しずつ羽を広げ
つつある弓削さん。
伯母さんは弓削さんの変化をずっと見続けて来たからこ
そ、則弘さんの寄生虫擬態を見破ったんだろう。
あれは、単なる生存戦略に過ぎないと。

でも、生き方が寄生虫型に凝り固まってしまった則弘さん
に、穏やかな方法で転換を促すことは難しい。
タカや五条さんは、則弘さんから失われてしまったものを
ベースに再起策を組み立てた。
だからうまくいかなかったんだ。

生き延びるための手段として、「弱い」という擬態が使え
ない場所。
則弘さんをそこに追い込むのは残酷かもしれない
僕らに何の権利があって則弘さんを振り回すんだと責めら
れたら、返す言葉はない。

でも、則弘さんのために代わりに僕らに自我を削れと言わ
れたら、それは断固拒否する。
苦い苦い経験があるからね。

そう。僕は中学まで自我を削って対処してたんだ。
自我をむき出しにするのを我慢してたんだ。
そのせいでいじめられ、窮地に追い込まれた時は、転校と
いう逃避でリセットをかけてきたんだ。
それは則弘さんの卑屈な戦略と何も変わらない。

則弘さんと違うのは、自我を削るやり方で大けがしたって
いうこと。
逃避は最悪の戦略だというのを自覚したこと。

だからこそ、高校に入ってからの僕は目減りしちゃった自
我を全力で盛ってきた。
しゃらだって、きっとそうだろう。

「うん」

僕もしゃらも、取り戻した自分には満足してる。
自分の嫌な面に目が行っちゃうことはあっても、だからっ
て自分を無理に削ろうとは思わない。二度と……思わない。

則弘さんも、それに気づいてくれればなあと思う。

ぱたん。
植物図鑑を閉じて、携帯の待ち受けに目をやる。

則弘さんへの向き合い方をしくじったお父さんは、本当な
ら自立を手伝ってあげたいはずだ。
お母さんだってそうだろう。
でも、則弘さんが突然姿を消した時と今とでは、状況がま
るっきり違うんだ。

最後の砦だったおばあさんはもう亡くなってる。
お母さんは身体を壊し、借金を抱えたお父さんは店の切り
盛りに全力を注がなければならない。
小さな子供だったしゃらは、目の前に進路選択が迫ってい
る。自力で生きるための助走が始まってる。

則弘さんの明日を案じる前に、まず自分の明日を固めない
とならないんだ。
そのための時間と距離はどうしても要る。

「伯母さんの提案に、則弘さんがどう答えるかだなあ」

それはわからない。
でも伯母さんは、則弘さんとしゃらの家族とをきっちり切
り離しにかかるだろう。
則弘さんの再起云々より前に、僕らが伯母さんに提供され
るチャンスをしっかり活かすしかない。

「さて。自分のことに集中しよう」

何度振り払ってももやもや湧き上がるツルボの花のイメー
ジに苦笑しながら。

僕は英語の問題集を開いた。



turubo.jpg
今日の花:ツルボBarnardia japonica


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三年生編 第111話(7) [小説]

伯母さんが、筆記具を動かしている音が聞こえた。

「私の方で、則弘さんの身元引き受けをします。実家では
引き受けを拒否したと告げてね。彼は新しい寄生先が見つ
かったと喜ぶのかしら。冗談じゃないわ。誰が面倒ごとを
タダで引き受けるもんですか」

ごくり。

「海外で仕事をするオファーを出す。拒否するならそれで
も結構。ただし、御園さんのご実家に逃げ込もうとした場
合は、強制排除します」

ワンテンポ遅れて、伯母さんが怖いことを言った。

「どんな手段を使ってもね」

ぞわわ。

「あの、伯母さん。それ、しゃらに伝えてもいいですか?」

「もちろんよ。ご両親の了解も得ないとならない。私は手
伝えるけど、則弘さんの人生を好転させる責任は負えない
から」

「そうですよね」

「長岡さんの時もそうだったけど、私が提供できるのは機
会だけよ。あとは、当人が決めることね」

「わかりました」

◇ ◇ ◇

伯母さんとのやり取りが終わってすぐ、はらはらしながら
待っていただろうしゃらに電話をして、伯母さんの提案を
伝えた。

「あの……また迷惑かけることになっちゃうけど、いいの
かなあ」

「伯母さんは、気にしないよ。気にしてるのは、お兄さん
じゃなくて、しゃらの家の事情なんだ」

「すっごい助かる」

「で、伯母さんは怖いこと言ってたけど、僕はそこまで悲
観してないから」

「そうなの?」

「うん。だって、お兄さん、命根性だけはものすごく汚い
もの。そうでなかったら、今まで生き延びてないよ」

しゃらの苦笑が漏れてきた。

「そうかも」

「自分を削って小さい居場所に押し込むやり方は、もうで
きない。どんなに粗末でも、自分を盛らないとならない。
伯母さんがチャンスって考えてるのは、そこだけだと思う」

「なんとかなるのかな」

不安そうなしゃらの呟きが聞こえる。それを笑い飛ばす。

「あははっ。大丈夫でしょ。すぐになんとかしなさいって
いう話じゃないもの。伯母さんの真の狙いは、お兄さんと
しゃらたちとの距離を一定期間強制的に離すことだと思う
よ。どっちも不安定なら何もできない。お互い、立て直す
には時間がいるよってことじゃないかなあ」

「あ、そういうことか」

「うん。今は無理だよ。関係者全員微妙な時期だからさ。
タカのところだって子育て期なんだし」

「そうだよね……」

「ちゅうことで、伯母さんから連絡が行くと思うから、ど
う対応するか家族会議で固めといて」

「うん。ありがとう」

「じゃあ、また明日ー」

「はーい。おやすみー」

ぷつ。

「ふう……」



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三年生編 第111話(6) [小説]

「長岡さんのお兄さんも、相当ぐだぐだだったような」

「まあね。社会経験がなければ仕方ないわ。それまで見て
いた世界がうんと狭いんだから」

「そっか」

「向こうで、現地の子供たちに勉強を教える補助教員を
やってるの。医大を目指してたくらいだから、頭はいいん
でしょ」

「そっかあ。すげえ」

わからないもんだなあ。
とても立ち直れそうにない雰囲気だったけど……。

「自分が持っている能力。それに気づいて、伸ばそう、活
かそうという発想に転換できれば、必ず生き方が陽転する
の。環境を変えるっていうのは文字通り転機なんだよね」

「うん。僕の場合も高校進学が立ち直りのきっかけだった
から、そうかも。じゃあ、こっちに帰ってくるんですか?」

「いや、帰らないって言ってる。親に見捨てられた傷は浅
くないわ。自分のことを道具だとしか思わない人のところ
には戻りたくないでしょ。現地スタッフとはとても仲良く
やってるし、向こうに骨を埋める覚悟なんじゃないかな」

「すごいなあ」

「彼は寄生虫なんかじゃなかったからね」

伯母さんが、ふっと小さな溜息をついた。

「則弘さんのケースは彼よりずっと難しいの。彼は、自分
の能力を活かすという発想を一度もしたことがないんで
しょ。いつも他人からバカにされ、役立たずと蔑まれ、自
我をぎりぎりまで切り詰めて自分を小さくすることで、寄
生虫に擬態してきたの」

「擬態……かあ」

「そう。自分は役立たずだけど小さくて従順ですから、
どっかに置いといてくださいってね」

「擬態できてないですよね」

けっ。伯母さんが吐き捨てた。

「寄生虫に擬態する意味がどこにあるの?」

「そりゃそうだ」

「則弘さんが破滅的な勘違いをどうにかしない限り、結局
いつかは野垂れ死によ」

「うーん……」

話を元に戻す。

「で、伯母さんが隔離って言いましたけど、僕らにできる
んですか?」

「いつきくんたちには無理よ。私がやったげるわ」

「げ」

「簡単よ。長岡さんのケースと同じだからね」

「じゃあ、同じようにボランティアの補助ですか?」

「まーさーかー」

けっけっけっ。伯母さんがからからと嘲笑した。

「長岡さんのようにアタマがいいわけじゃない。体力もや
る気も倫理観も社会常識もどん底。肝心の自我すらまとも
に残っていない。そんな彼に何の取り柄があるっていう
の?」

「う……」

「アリのように働いてもらうわ。斃(たお)れたらすぐ他
の人で代えが効く単純労働者。体を動かしている限り食
いっぱぐれる心配はないけれど、楽しみも何もない、そう
いう仕事よ。それも、日本語の通じない海外の、ね」

「げ……」

「国内はダメよ。彼は逃げることだけ覚えてしまってる。
必ずどこかに逃げ込める場所がある……そう言って放浪を
続けてきたんでしょ」

「逃げ場所はもうないですよね」

「ないわ。でも、則弘さんは実家に逃げこむつもりよ。そ
うされたら全員共倒れになる。絶対に回避しないと」

「はい!」


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三年生編 第111話(5) [小説]

家に帰ってから、すぐ巴伯母さんに連絡を入れた。
弓削さんの時と違って、伯母さんの力で何とかして欲し
いっていう話じゃない分、僕は気楽だった。

弓削さんのケア絡みで則弘さんのこれまでの経緯は一通り
話をしてあるから、則弘さんがここに来てからのぐだぐだ
な生活と今回起こしたアクシデントを追加で説明する。

もちろん、伯母さんの中では穀潰しのくせに弓削さんに手
を出した則弘さんの印象は最低最悪のはずだけど。
だからって、放っておけとも言わないと思う。

「ということなんですけど」

「ふうん」

僕の話を聞き終わった伯母さんは、乾いた返事をした。

「まあ、正直言わせてもらえば、ああいう箸にも棒にもか
からないろくでなしはどっかで野垂れ死んでしまえばいい
と思うんだけど」

うう、容赦ないのう。

「そうは行かないでしょ」

お、さすが伯母さん!

「彼をなんとかしないと、御園さんの御宅が崩壊してしま
う」

「あ、そっちか」

「そりゃそうよ。五体満足で、役立たずだと言っても今働
けているなら、基本は自力でなんとかしなさい、なの」

「はい。僕もそう思うんですけど……」

「でも、図体はでかくても、中身が小学生じゃね」

「うう。中学生以下っすか」

「そう。親に反発したくても、そこまで心と体がまだ発達
していない小学生。そのものよ」

こほんと一つ咳払いした伯母さんが、淡々と話す。

「全てが彼のせいではないわ。気の毒な経緯があったこと
はわかる。でも年齢的に言い訳ができないし、則弘さんに
こびりついてしまった本能的な生き方はそうそう変えられ
ないでしょ

「本能的な生き方、かあ」

「そう。寄生虫としての生き方」

うん。僕もそう思う。
自力でなにか作り出すことをしないで、強い者にくっつい
ておこぼれをもらって生き延びる。
でも、本物の寄生虫ならともかく、人間は寄生虫にはなれ
ないよね。誰もがそんなやつは遠ざけようとするから。
善人だけじゃなくて、悪人ですら。
役立たずの寄生虫なんか要らないって。

僕の推測をなぞるようにして、伯母さんが丁寧に説明を足
した。

「則弘さんが本当の寄生虫なら、干すだけよ。実際、もう
干される寸前だし。それで寄生虫は駆除できる」

「ひええ。駆除っすか」

「でも、彼は寄生虫じゃない。人間だからね。寄生虫のよ
うに見えるのは生き方であって、彼の本質であるとは限ら
ないの」

「なるほど……」

「そうしたら、手段は一つしかないでしょ」

ごくり。核心だ。

「どういう?」

「寄生虫のふりができないところに隔離する」

「隔離かあ」

「ねえ、いつきくん」

「はい」

「以前、長岡さんて子のお兄さんが同じように万引きで捕
まったの、覚えてる?」

「あ、そうそう。伯母さんが、海外のボランティアスタッ
フにするって言ってましたよね。彼、あのあとどうなった
んですか?」

「ふふ」

伯母さんが含み笑いした。

「楽しそうに向こうで働いてるわよ」

「えええっ?」

それはびっくり。


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三年生編 第111話(4) [小説]

「一文無し?」

「いや、それならまだわかるけど、払える分くらいのお金
は持ってたらしいの」

「はあ?」

「市場の中の店だから、タダで食べられると思ってたって
くだらない言い訳してっ!」

ありえんだろ。
これまでも、そこで食べたことあったんだろうし。

「そうか。確信犯だと思われて、警察に突き出されちゃっ
たんだ」

「そう。お母さんがショックで倒れちゃって」

しゃらの目に、見る見る涙が浮いた。
悲しいからじゃない。悔し涙。気持ちはよーくわかる。

しゃらは今、すごく強いストレスを抱えてる。
そりゃそうさ。
店は新装開店になったけど、借金は山盛りだし、病気のお
母さんの世話や家事もこなさなければならない。
自分の進学のこともある。

だからこそ少しでも明るい明日を想像したいし、そのため
に自分のできることには何でもトライしてる。
そのしゃらの必死の努力を、いかれぽんちの則弘さんが無
神経に踏んづけてるんだ。

何もしないくせに、迷惑だけかけ続ける疫病神。
あーあ……。

「そうだなあ」

僕は、あえてのんびり答えて間を取った。

「面倒見のいいタカと五条さんを怒らせたんだ。あの二人
以上にお兄さんを見てくれる人は誰もいないよ」

「うん」

「で」

「うん」

「タカが家からお兄さんを叩きだしたら、お兄さんはどこ
に来る?」

しゃらの顔が、怒りと恐怖で青ざめた。

「しゃらん家は、今いっぱいいっぱいだよね。寄生虫より
たちの悪いお兄さんを受け入れる余裕はこれっぽっちもな
い」

「当たり前よっ!」

「でも、警察沙汰になれば、身内が面倒見ろっていう話に
なっちゃうんだ。お兄さんの作戦は、そこでしょ」

「う」

しゃらは、則弘さんが見境なく食い逃げ事件を起こしたと
思ってたんだろう。そんなわきゃないよ。

「どうすれば……」

「アドバイザーが要る。五条さんよりもっと冷静に、僕ら
が取れる手段を教えてくれる人が」」

「そんな人、いる?」

「いるよ。巴伯母さんと森本先生さ。ただ、森本先生は未
成年専門。成人してるお兄さんへの対応策はまじめに考え
てくれないと思う」

「じゃあ……おばさまに?」

「巴伯母さんの力でなんとかしてくれって泣きつくわけ
じゃない。僕ら自身が未成年だからさ。僕らに足りない知
識や経験を教えてもらえば、何か手立てが探せるかもしれ
ないでしょ?」

「そっか。そうだね」

少しアタマが冷えたんだろう。
上目遣いでしゃらが僕の顔を見た。

「頼める?」

「すぐ連絡する。ここじゃ込み入った話をしにくいから、
僕の部屋で相談して、そのあと電話するから」

「助かる!」

「全部一人で抱え込まない方がいいよ。なんとかなるさ」

ほっとしたように肩を落としたしゃらが、俯いてぼそぼそ
謝った。

「ごめんね」

「いや、お互いさまでしょ。みんな、いろいろあるって」

「うん」

「明日は学校に来るんだろ?」

「行く。お母さんも少し落ち着いたし。まだがっくり来て
るみたいだけど」

「ったく、親不孝もいいとこだよな」

また頭に血が上り始めたんだろう。
ぎりっと歯を噛み鳴らしたしゃらが、力一杯マットレスを
殴りつけた。

ばすん!

「お兄ちゃんのばかたれえええっ!」


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