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三年生編 第78話(6) [小説]

シャワーを浴びて、すっきり汗を流す。
まとわりついていた野蛮な夏の匂いが、柔らかい石鹸の匂い
に入れ替わった。

「ふうっ……」

がさがさと髪をタオルで拭きながらバスルームを出て。
冷蔵庫に入ってた麦茶のでかいペットボトルを、ぐいっと引っ
張り出す。

コップになみなみと注いだ麦茶を一気飲みして、中からきん
と冷えた自分に満足する。

「帰ってきたんだなあ……」

と。

うん。
まだ……離陸はしてない。
でも、今僕が無意識にしていることや出来ていることが、い
つまでも続くわけじゃない。

こうやって少しずつ僕は。
ここを出ることを……意識していくんだろう。

コップに氷を入れ、麦茶を注ぐ。
それを二つ持って階段を上がった。

「うーい、開けてくでー」

「えー?」

「手が塞がってるー」

「あ、ありがとー」

ぱかっとドアが開いた。

麦茶の入ったコップを一つしゃらに渡し、自分の分は机の上
に置いた。

去年のあのごたごたと違って、今年の隔離期間はお互いに合
意の上だ。それでも、二週間の没交渉はしゃらには寂しかっ
たんじゃないかと思うんだけど、珍しくスキンシップを求め
てこない。おやー?

「あの後、どうだった?」

先に探りを入れてみる。

「寂しかったよー。でもさ……」

あ……なんかあったな。

「うん」

「ちょっと……いろいろあってね」

「やっぱりかあ」

「え?」

「いや、珍しくぶっ飛んでこなかったから」

「あはは」

しゃらが苦笑した。

「お母さんの体調?」

一番は、多分それだろうと思ったんだ。

「うん……この暑さがちょっと堪えたみたいで。動けなくなっ
ちゃって」

ざあっ!
血の気が引いた。

「だいじょうぶ……なん?」

「とりあえず、三日間の入院で済んだ」

「げえええーーっ! にゅ、入院!?」

「検査と点滴治療。ものすごく病状が悪化したとかではな
いって」

ほっ。

「でも、自分の体調なんだから自分できちんと管理しないと
だめだよって、先生にがっちり叱られちゃってさ」

「そっかあ。お母さん、落ち込んじゃった?」

「そうなの。お兄ちゃんのことも、引っ越しのこともあった
し、いろいろとね……」

「確かになあ」

「今は、うちでゆっくり休んでる」

「うん。それがいいね。お店の方は順調に進んでるの?」

「うん! そっちは順調。家建つのってすっごい早いんだな
あって、びっくりしちゃった」

「へえー」

「家自体はもう建ってるの」

「どえええっ!?」

「びっくりでしょ? でもツーバイフォーっていうのは壁組
みで仕上げてくから、そんなもんなんだって」

「すげえ……じゃあ、もう内装工事に入ってるんだ」

「うん! お父さんもかんちゃんも、楽しみで楽しみでしょ
うがないみたいで、毎日見に行ってる」

「わはは! そうだよなあ。二階が住居になるんでしょ?」

「うん。まだ設計図見せてもらっただけだからぴんと来ない
けど、これまでで一番広い家になるみたい」

「うわお! 楽しみじゃん」

「そだね。りんやばんこみたいに、自分の帰れる場所がなく
なっちゃった子がいるんだから、わたしは恵まれてるね」

しゃらが、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

二度家を失ったしゃら。
今度こそ、新しい家がしゃらの安住の地になりますように。
僕はそう祈ることしか出来ない。


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三年生編 第78話(5) [小説]

合宿の間ずっと机に向かってて、ほとんど体を動かす機会が
なかった。
全身が、ものすごーくなまっちゃったような気がする。

これからも勉強ばっかになるから、どこかで体を動かす時間
を確保しとおかないとなー。
せっかく早起きしたから、モヒカン山のてっぺんまで軽く
ジョグしてくることにした。

部屋でジャージに着替えて、タオルを首にかけて家を出る。
途端に、押し潰すような真夏の日差しが降ってきた。

「ふう……あづいー」

朝からこの気温なら、日中は猛暑になりそう。
それでも、暦の上ではもう残りの夏。夏真っ盛りじゃないん
だよね。そういうズレ。

そして僕も、自分の中にズレを感じてる。

僕が立てた目標は、誰かにそうしろって言われたことじゃな
い、自分でいろいろ考えて、悩んで、よしそうしようって決
めたことなんだ。
でも、どこかにそれに納得していない僕がいる。
そのズレはどこから? どうして納得出来てない?

どうしてか……なんとなく分かる。
それは素直な僕、無邪気な僕、子供の僕がものっそ反発して
るからだ。

しきねが、何もかもぶん投げてパラグライダーに突っ込んで
行ってしまった時、僕は猛烈に腹が立った。
あの時は感情がぐちゃぐちゃになってて、自分の怒りの中身
がよく分からなかったんだ。

でも。今その時のことを振り返ると、どうして腹が立ったの
か分かる。
怒りは、自分勝手なしきねに対してじゃない。
本当は自分の思うように振る舞いたいのに、そう出来ない自
分自身に対する怒り……だったんだ。

だけどさ。
全ての束縛を外して好きなようにしろって言われても、まだ
中身が空白だらけの僕は何をどうしたいのかが自分でも分か
らない。

転校先に馴染もうとするあまり、好きなことに我を忘れて熱
中するってことがうまく出来なかった僕。
きっと、好きなようにやりたいっていう欲求だけが、ぽつん
と僕の中に取り残されてしまってるんだろう。
もう子供のままではいられない今になって、小さな子供の無
邪気な欲求が暴れてる。どこかで僕の足を引っ張ってる。

その欲求には形も色も何もない。
でも、いつまでも僕にもやもやとまとわりついていて……
すっきりしない。
リアルな暑さと自分の中のもやもやした感じが絡まり合って、
僕はものすごく不愉快に感じてしまう。

「むー……」

いかんいかん。
せっかく修行してきたのに、これじゃ元の木阿弥だ。
気持ちを切り替えよう。

ぶるぶるっと首を振り、顔を上げて夏景色を見回した。
あちこちの家の庭で、サルスベリが満開になっているのが見
える。

「どうもすっきりしないよなあ……」

ふわっと優しく咲くっていうより、固まり損ねてもやもやし
てるように見えるサルスベリの花。
まるで、今の自分の宙ぶらりんの状態を象徴しているように
見える。

だけど。
いつまでも咲いてるように見えるサルスベリも、花が終わっ
て実が生る時期が来る。
そして、僕もきっとそうなるんだろう。

「ふうっ!」

まばゆい夏空をもう一度見上げて。
僕は、ゆっくりと足を送り始めた。


           −=*=−


「ぶふう!」

モヒカン山のてっぺんでちょこっとストレッチしただけで、
全身汗まみれのぐっしょぐしょ。
もうちょっと気温と湿度が低かったら設楽寺まで足を伸ばそ
うと思ってたんだけど、あまりの蒸し暑さで根性が尽きた。

家に戻ってシャワーを浴びて、態勢を立て直そう。

絞れるくらいに汗を含んで重くなったタオル。
そいつをだらりと首から垂らして、僕はへとへとになって家
に戻った。

「お?」

蛇腹ゲートのところに、うろうろしてる人影がちらり。

「しゃらかな? うーい!」

ぱっと振り返ったのは、やっぱりしゃらだった。

「よう。おひさー」

「じゃないわよう! なに、昨日のあれ!」

ぶうっ!
むくれるむくれる。

「しゃあないやん。帰ってきたのはもう夜の九時過ぎだった
し、模試のあとでくったくた」

「あ……そっかあ」

「中入ろうぜ。汗でどろどろ」

「ジョグしてきたの?」

「ずーっと机に向かってばっかで、体がなまりまくってたか
らさー」

「そっか……」

「でも、今日はまずかったなー。この暑さじゃ、鍛え直す前
にもっとへたるー」

「だよねえ」

「中入って僕の部屋で待ってて。シャワーで汗流してから行
く」

「うん! 今日は誰もいないの?」

「いない。親父は仕事、母さんはトレマのパート。実生は中
庭の水まきの後、真っ直ぐリドルのバイトに行くって」

「あ、そうか。みおちゃん、夏休み中はフルのシフトに入っ
てるんだね」

「そう。実生に聞いたんだけど、曽田さん辞めたんだって。
マスターが必死に後釜探してるわ」

「そっか、辞めちゃったんかー。感じいい人だったけどなあ」

「もともと次の仕事見つかるまでの繋ぎだったみたい。踏ん
切りついたんちゃう?」

「うん」

とか話しながら二人で家に入って、僕の部屋のエアコンを点
ける。

「ふひー、ごくらくー」

しゃらが両手を頭上に伸ばして、そのまま僕のベッドの上に
背中からばたっと倒れ込んだ。

「今の仮住まいんとこは空調ないの?」

「あるけど、リビングに一台だけだもん」

「げえー、それは修行だー」

「しゃあないね。もうちょっとの辛抱だしー」

「だな。あ、シャワー使ってくる。待ってて」

「うん!」




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