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三年生編 第79話(2) [小説]

市立図書館はもっと混んでるのかと思ったけど、僕みたいな
学生も含めて来館者の数が少なかった。

「あ、そうか」

閲覧室の隅っこの席に落ち着いた時、ふと理由が思い当たっ
た。

「お盆が近いせいか……」

塾も合宿所もお盆は外していた。
こういう公的なところはカレンダー通りに開いてるけど、来
るお客さんはがったり減るんだろう。

予備校の自習室みたいな人の濃さがなくて、静かで集中出来
るはずなのに、どうも薄ら寒さを感じて気が削がれちゃう。
人っていうのは、本当にめんどくさく出来てるんだなあ……。

それでも、英語の問題集と単語帳を出して二時間くらいは
びっしり集中した。

「っと……」

外して机の上に置いておいた腕時計がぴぴっと音を立てて、
正午になったのを知る。

うーん……お腹が空かないなあ。
頭脳労働じゃあまりカロリーを消費しないらしい。
合宿期間中もかなり食生活が貧しかったし、メシ抜きの時も
あったけど、そんなに苦じゃなかったからなあ。

だからといって、昼抜きにすると食事のタイミングが掴めな
くなる。コンビニでおにぎりでも買うか……。

勉強道具をぱたぱたと片付けて席を立ったところで、ぽんと
声を掛けられた。

「工藤さん、お久し振りです」

え!?

思いがけない声にぎょっとして、大げさにきょろきょろと声
のした方を見回した。

「あ、行長さん! お久し振りですー」

そっか。本職は、司書さんだって言ってたもんなあ。
ローダンセでの館長姿が脳裏に焼き付いてたから、こっちが
本職だって言われてもぴんと来ない。

「今日はお勉強ですか?」

「あ、はい。自宅だと、どうしてもだらけるので」

「ははは。昔から、図書館でお勉強っていうのは定番の一つ
ですよね」

「不思議なんですけどね。自分の部屋だって静かで快適なは
ずなんですけど、どうも気合いが……」

「これだけ在館者が少なくても、まだ人の気配があるってい
うことじゃないですかね」

「人の気配……ですか」

「ええ。自分以外の人の気配があると、緊張します。それが、
逆に集中を高めるのかもしれません」

へえー。なるほどな。

「工藤さんは、お昼は?」

「これからですー。コンビニで何か買って食べようと思った
んですけど」

「近くに定食屋があるので、そこで一緒に食べませんか?
おごりますよ」

「わあい」

と。
行長さんが、僕の周りをきょろきょろと見回して聞いた。

「あれ? 御園さんは?」

「ああ、今日は僕一人で来てます」

「……何かあったんですか?」

行長さんが、心配そうに探りを入れてきた。

「いえ、仲良くやってますよ。でも、しゃらんとこは、今お
母さんの調子が悪くて」

「あらら」

「ここの帰りに差し入れ持って、しゃらの家に様子見に行く
つもりです」

行長さんは、僕の予定を聞いて安心したんだろう。

「今年の夏はほんとに暑いからね。体調を崩す人も多いんで
しょう」

「はい。僕の親族にも倒れた人がいて……」

「暑い夏は、らしいといえばらしいんですけど、年配者や病
人にはしんどいからね」

「ですよねー」

「ああ、続きは店でしましょう。館を出たところで待ってて
ください。すぐに行きます」

「はい!」




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三年生編 第79話(1) [小説]

8月13日(木曜日)

「ふうー」

問題を解いていた手を止めて顔を上げ、窓の外に目をやる。

そろそろ一雨欲しいところだけど、空は無情なくらいに真っ
青だ。
どこを見回しても雲一片ない。今日もどピーカン。

暑さは合宿中とそんなに変わらない。
これだけずっと猛暑が続くと、うんざりする。
正直言って、外に出たくない。

それでも、合宿中は予備校に通わないとならなかったから、
早朝から深夜まで時間に無駄がなかったし、必ず日に一度は
外に出ていた。

自宅で勉強だと、そういう規則性やめりはりがない。
空調の効いた自分の部屋でリラックスしてると、どうしても
ぐだぐだモードに落ちやすくなる。

実際に夏期講習に行ってみて思ったけど、やっぱり欲とか怠
けとかがすっぱり切り離されてて勉強に集中出来る合宿のメ
リットって、思ってた以上におっきいんだよね。

裏返せば、どんなに自分をどやしても、慣れ親しんだ環境の
中にいるとどうしても緩みが出るってこと。
宅浪はレベルが上がんないって言われてる意味が、よーく分
かった。

区切りのいいところで数学の問題集をぱたっと畳んで、机を
離れる。

「市立図書館に行って来ようかな」

本当ならしゃらも誘いたいところなんだけど、病み上がりの
お母さんの代わりに家事をこなしてるしゃらは、今は家を離
れられない。しょうがないね。

帰りに寿庵に寄って何か仕入れて、差し入れしよう。
お母さんの具合いを実際に見て確かめたいし。

制服に着替え、デイパックに勉強道具を詰めて部屋を出る。

「市立図書館に行ってくるわ」

「え? 高校の図書室じゃないの?」

「開いてるかどうか分かんないし、もし開いてても誰か知り
合いに捕まりそうだからさ」

「ふうん……でも、結構遠いじゃない。このくっそ暑いのに
わざわざ行くの?」

今日はシフトから外れてて家にいる母さんが、おやあという
顔で首を傾げた。

「自分の部屋にいると、なんかだらけるんだよね。めりはり
が付かないっていうか……」

「御園さんと絡めないからでしょ? いひひ」

ったく! このハハは!
でも……まるっきり外れっていうわけでもないからなあ。

「まあね。だけど、せっかく合宿で気合い入れたのに緩ん
じゃったらもったいないからさ」

「なるほどー。で、買い物は?」

「大荷物にならないなら、帰りにしてくよー」

「助かる! 今、メモ書くから」

「うい」

チラシの束をテーブルの上に広げた母さんが、さかさかとメ
モを書く。

そういや。
こうやって買い物を頼まれるのを嫌だと思ったことはなかっ
たよなあ。僕がここを出たら、それは実生の仕事になるんだ
ろうか。
いや、実生も僕と同じで、もうお使いをこなしてる。
僕が出れば、買い物の担い手が一人減る……ってことなんだ
ろう。

人が一人動けば、家の形が変わる。
もし僕がジャイアン系で親に猛反発してたら、僕がここにい
ようがいまいが母さんの家事の形は変わらなかっただろう。
でも家族の結束の強い我が家は、誰かが不在になった時に母
さんの負担感が変わっていってしまう。

出て行く僕も、残される家族も、『その後』がどうなるかを
想像出来ないんじゃないかな……。

「ふうっ」

思わず……溜息が漏れた。

「じゃあ、これ頼むね」

「うい」

母さんから畳んだメモ紙とお金を受け取って、財布に放り込
む。

「じゃあ、行ってくる」

「ちゃりで行くの?」

「いや、バス使う。距離あるから、行き帰りで汗まみれにな
りそうだし」

「そうよね。お昼は外で食べてくるんでしょ?」

「コンビニで何か買って食べるわ」

「ほいほい」

玄関を一歩出た途端に、強い真夏の日差しがどかあんと降っ
てきた。

とんでもなく暑い……けど。
その暑さも、これから徐々に薄らいでしまうんだろう。

引き潮のように、夏が過ぎる。
その暑さと一緒に自分の熱を持ち去られないよう、気合いを
入れ直そう。

「うっしゃあ! 行くかあ!」

汗をかいちゃうことは分かってても、僕はあえて走ることに
した。
焼けて陽炎を吹き上げる道に、何もかもを放り出すようにし
て。僕は勢いよく坂道を駆け下りた。





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