SSブログ

三年生編 第76話(4) [小説]

冷蔵庫からでかい麦茶のペットを出して、空になった自分の
ボトルに移し替える。
その水音に紛れ込ませるようにして、立水に話しかけた。

「なあ、立水」

「うん?」

「去年玉砕した先輩たち。夏期講習で潰れた人が多かったん
ちゃうかな」

「そうか?」

「ぽんいちのぬるま湯から出たことなかったら、競争のしん
どさなんか絶対に分からない。模試は一発勝負だし、問題し
か目に入らないから」

「ああ。確かにな」

「ぽんにや陵大付属と何が違うか。授業のカリキュラムに極
端な違いがあるわけじゃないんだ。競うっていう雰囲気があ
るかないかだけ。僕はそう思う」

立水がむくっと立ち上がる。
ものすごい形相だ。

「他のやつは僕の何倍も先に行ってるっていう焦りや、それ
に負けたくないっていう反発心。それはぬるま湯の中じゃ分
かんないんだ」

「ちっ!」

立水が悔しそうに舌打ちした。
そうなんだよ。立水一人がどんなにいきり立っても、それと
対張れるやつがいないと競争にならない。

僕にとっての武田くんや藤原さん。
負けたくないと思える、目標にしたいと思える、自分の真横
に並べられるライバル。
それが、ぽんいちの中じゃなかなか見つけられないんだよ。
僕だって、外に出て初めて強く意識したんだから。

「それでもね。夏期講習を受けたことで、自分にそういう意
識が生まれるのは悪いことじゃない。少なくとも、僕はそう
思う」

「ああ。同意」

「いい大学に行きたい、いいところに就職したい。それで、
他の人より自分を高いところに置きたい。そういう考え方が
間違ってるとは思わないけど。自分はそう考えたくない」

「ふうん。変わってんな」

「まあね。でも、それと現状で満足することとは別さ。きち
んと足を鍛えておかないと、結局どこにも行き着けない。そ
れだけだと思うな」

「そうか。おまえ、方針固めたのか?」

「固めた。もう動かさん」

「!!」

ぎょっとしたように立水が振り向いた。

「僕は、何を決めるにも時間がかかるんだよ。だから、具体
的な道を決めるのはずっと先にする」

「か、変わった……考え方だな」

「そうか?」

首にかけていたタオルで、汗まみれの顔を拭く。
ぶふう。

「それはモラトリアムとは違うよ。欲しいもののイメージは
固まったんだ。それをどう実現するかに時間をかける。それ
だけさ」

「欲しいものってのは、何だ?」

「自分だよ」

「は?」

「誰にも侵されない、最後まで崩さないで済む自分」

「……今はないのか?」

「ない。あるみたいに見えてたんなら、僕がそういうポーズ
を取ってたってこと。ここで……」

どん!
足を強く踏み鳴らす。

「それを見せつけられたんだ」

「じいさんにか?」

「すかすかの自分に、だよ」

ぎりっ! 歯を嚙み鳴らす。
今までどれだけ自分自身から目をそらしてきたのか。
それを重光さんにどやされて、とことん思い知らされて。
悔しいなんて生易しいもんじゃなかった。
自分自身を、ぼっこぼこにぶん殴ってやりたかった。

そう思いながらも、僕は自分自身を本気でどやしたことがな
かったんだ。
結局最後に引いて、安全地帯に軟着陸させてたんだ。

だから……ちっとも成長しない。

「もう受験戦争のど真ん中にいるっていうのに、まあだどう
しようかってふらふらしてる。それは自分がないからさ。好
きなこと、やりたいことが見つかんないんじゃない。そうす
るために絶対に必要な自分がない。すっかすか」

「ふうん」

「趣味がないのも、友達と全方位外交なのも、なんでも一通
りこなせてしまえるのも、みんなそう。入れ込める自分がな
いからこなせちゃうんだ。おまえと逆だよ」

「む!」

「不器用ってことは、それだけ自分に強いこだわりがあるっ
てこと。それは崩せない自我」

「俺には、えれえこだわってるように見えるけどな」

「まあね。何も自我がないってわけじゃないけど、そこがあ
まりにぶよぶよなんだよ」

「ぶよぶよ……か」

「そう。ソリッドじゃない。色も形も匂いも手触りもなにも
決まってない不定形。それが一部だけならいいけどさあ」

「ああ、そういうことか」

立水が納得顔で頷いた。

「そこが固まらないから、イメージを作ってもらえない。誤
解されやすい。それは……」

「ああ。これからきついってことだな」

「そうなの。中学まで、とことんいじめられ続けていた自
分。その間に、自分を小さく畳んでうまく合わせることを覚
えちゃった」

「未だに信じられねえんだが」

「いじめられ体質はしゃらも同じだよ。でも、しゃらと僕と
では大きな違いがある」

「どこだ?」

「あいつは、最後まで折れなかった。だからいじめられた。
孤立した」

「気は強そうだな」

「あいつは、見かけほど柔らかくないよ。自分を安易に崩さ
ない」

「ああ」

「だけど、僕の場合はしゃらと違う。自分を折り曲げ続け
て、空っぽになったんだ。それは、他人から見たらすっごい
気味悪いよ。わがままだからじゃない。気味が悪いから孤立
したんだ。そんな出来損ないの僕と、頑固で自分を曲げない
しゃらとはまるっきり違う」



nice!(59)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第76話(3) [小説]

「うん」

でも。
重光さんは、僕の中身を『今すぐ創れ』とは言ってない。

ないなら、全力で創ろうとしろ。手を抜くな!
それだけ。

「あはは」

くそ暑い部屋の中。
僕のやる気は、再びじわじわっと湧き始めた。

高校が僕のゴールじゃない。
もちろん大学も、だ。

重光さんのように、何かを貫き通せる生き方を探そう。
それは、職業とかそういうのとは違う。
これが僕だと言える自分をこつこつ創ること。

時間をかけて。
ゆっくりとそれに取り組もう。

暑さで溶けるぐだぐだな僕がいて。
その溶けた肉塊が蒸発しても、たぶん今は何も残らない。
それは……すっごい悔しいよね。

「よしっ!」

洗いじわだらけのタオルでわしわしと顔の汗を拭い、机の上
にテキストとノートを広げる。

ここでの二週間は、無駄じゃなかった。
足りないものが見えて、どうすればいいのかの見通しが立っ
た。

一人はきつい。寂しい、しんどい。
そこはまるっきり予想通りだったけど。

一人にされて見えたもの、動いた心があるなら。
それが、初めて出来たオリジナルの僕なんだろう。


           −=*=−


心頭滅却すれば火もまた涼し。

いやいや、そんなことはないよ。
風が死んじゃった部屋の中は、これまで経験したことがない
猛烈な暑さだった。
あまりの暑さで、やかましく喚き続けていた蝉までおとなし
くなってる。

でも、汗を拭くタオルを三回替え、麦茶のでかいペットボト
ルを足元に置いて水分補給しながら、僕は炎暑の午後を黙々
と勉強に費やした。

変な話、条件が悪い方が気が散らない。
快適だと、逆にすぐ気が緩むような気がする。

明日の模試をクリアして家に帰ったあとは、ずっと自習。
今度は先生も、講師も、住職さんもいない。
自分をどやせるのが自分しかいなくなる。
気合いや決意がすぐに後戻りしやすい僕は、そこで悩みの無
限ループに入ってしまうとまた集中力が切れるだろう。

今みたいに、暑い暑いとそのことだけに全部の不都合を押し
付けられる方が集中出来るんだ。ははは。


           −=*=−


部屋の中にシャーペンの走る音だけを響かせ続けているうち
に、暑さのたがが少しだけ緩んだような感じがして、ふと顔
を上げた。

「おっと。夕方?」

机の上に置いておいた腕時計で、もう一度きちんと時間を確
認した。

「わ。もう五時回ってたのかー」

夕飯用のお弁当はもう買ってあるけど、どのタイミングで食
べるかだよなあ。

明日は、朝一からびっしり模試だ。
途中で燃料切れになるのは嫌だから、今日の晩飯、明日の朝
昼と繋ぎのおやつ。間隔を詰めて、びちびちに詰め込んで行
きたい。

それなら、夕飯は早めじゃなくて遅めの方がいいな。
もう一踏ん張りしてからにするか。
今はまだ水分補給だけにしておこう。

足元の空になったペットボトルを拾い上げて、冷蔵庫で冷や
してあった麦茶を継ぎ足しに行く。

「お? 終わったん?」

「ああ。きつかった……」

立水が、しんどそうに冷蔵庫の前にしゃがみ込んでいた。

「暑かったしなあ」

「まあな。それよか講義の進み方が、ぱねえ」

「堪えどころだろ」




共通テーマ:趣味・カルチャー