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三年生編 第82話(4) [小説]

中庭の入り口。
水盤の横に立って、ぐるりと中を見回す。

夏休み中で人影がないって言っても、大勢の部員が毎日出入
りしている中庭はばっちり存在感を発揮していた。
ぽんいちに来たばかりの時の荒れ果てた庭が、もう思い出せ
ないほど充実してる。

思わず、ガッツポーズと声が出る。

「よーし、っと! いいぞー!」

部員の数が増えたから、中庭管理当番の間隔が空いて、負担
感が小さくなってる。
それをいいことに誰かがすっぽかしたり手を抜くと、管理に
穴が空いちゃうんだけど。
逆に、チームワークできちんとこなそうという意識に結びつ
いてる。

調整してる四方くんは大変だろうけど、大所帯になったス
ケールメリットはおっきいんだよな。

義務が外れた僕ら三年への割り当てはないけど、急なスケ
ジュール変更の時はいつでも手伝うよって四方くんに言って
おいたんだ。
でも実生情報だと、穴埋めは二年生で全部やってるらしい。

一番主人公の二年生は、人数少ないから実務はやらなくてい
いなんて風には絶対考えないんだろう。
寂しいけど、僕ら三年の出番は本当になくなった。

でも。それでも、中庭に行くとやっぱり気が引き締まる。

墨尾さんに打ってもらった剪定鋏で植栽の徒長枝を整理しな
がら、僕はここでの日々を思い返した。
中庭は、とても楽しいわくわくするキャンバスであると同時
に、間違いなく戦場だったな、と。

それは、ここが鬼門だからとか、羅刹門の裂け目があったか
らってことじゃない。

関わり続ける覚悟がなければ、中庭はすぐに僕らの手を離れ
てしまう。適当に手を出すだけじゃ、制御なんか出来ない。
規則も、歴史も、思惑も……中庭にある何もかもが僕らにそっ
ぽを向いていた。
僕らは全力で戦うことでしか、中庭にこっちを向いてもらえ
なかったんだ。

今。見事に整った庭を見回してしみじみ思う。
戦って勝つことよりも、戦うことで自分を鍛えることの方が
何千倍、何万倍も大事なんだろなあと。

だから後輩たちには、そういう意識をいつも持っていて欲し
い。
自分の手と足と頭を使って、庭と一緒にグレートになろう!
そんな感じで、プロジェクトを盛り立ててくれたらなと。

「うーん、それにしてもびしっと決まってるよなあ」

みのんと四方くんが全体ににらみを利かせてるから、庭は僕
の不在中も隅々まできちんと管理されていた。

僕らが最初に庭に手を入れ始めた頃の、ある意味アバウトな
管理と違って、細かいところまでよーくケアされてる。
間違いなく、庭としてのグレードが数段上がった感じだ。

今年のガーデニングコンテストでは大賞に手が届かなかった
けど、近い将来他の先進高に引けを取らないレベルまで上が
りそうだね。楽しみだー。

チェックするっていうより純粋に庭を楽しむ気分で、何度も
庭を見回って、最後にモニュメントに手を置いた。

初代校長の銅像の代わりに、大事な抑えとして中庭を見張り
続けていたモニュメント。
もう鳳凰はいないけど、今でもなんとなく神々しい感じがす
るよね。

「ようこも、ここを寝ぐらにしてたんだよなあ……」

この中庭を最初に鎮護していたのは、初代校長の銅像だった。
創立五十周年記念事業で、銅像の代わりにモニュメントが建
てられて、片桐先輩が言ってたみたいにちゃんと抑えとして
機能してた。そこに鳳凰が来て、ようこが来て……。

なんだかんだ言っても、モニュメントは今でもまだ庭の鎮護
の象徴で、どっしり庭の隅々まで睨みを利かせているんだろ
う。


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三年生編 第82話(3) [小説]

窓際から離れた僕は、母さんの横に腰を下ろした。

「実生は、黒歴史が近いしゃらと自分を比べて、どこに違い
があるのかをしっかりチェックしてるんだよね」

「!!」

「よく気が利くし、基本的に優しい。裏方をきちんとこなし
て、決して出しゃばらない。そういうところはよーく似てる
んだよ。でも、しゃらにあって、実生にないもの」

「うん。それが我の強さね」

「そう。絶対に人に崩されないぞって、一度意固地モードに
突入するとがんとして引かない。去年の夏がそうだった」

「うわあ……」

「ただ、しゃらは自己表現が決して上手じゃないんだ。取り
繕うとか、ごまかすってことがうまく出来ない。実生はその
逆だよ。僕もそうだけど」

「ふふふ。そっかあ」

「前に実生が木村くんに付きまとわれた時」

「うん」

「もし、しゃらがそうされてたら、みんなの前で引っ叩いて
たでしょ」

「うひい。でも、確かにそうかも。そして、実生にはそれが
出来てないってことか」

「そう。家族の僕らにすら伏せてたんだから。そんな自分で
自分を削って合わせてしまおうとするやり方をどっかで変え
ないと、最後は削るところがなくなるよ」

「そうよねえ」

「それをね、しゃらを見ることで分かってきたんじゃないか
と思うんだ」

「でも……大丈夫なんだろか」

「ほらほら、もう抱え込みにかかってるし」

思わず苦笑い。

「まあ、これから今までとは違う形で試練が来るでしょ。実
生は、それをもう覚悟してると思うし」

「へ? なにそれ?」

「部活だよ」

母さんは、ぴんと来ないのか何度も首を傾げた。

「どして?」

「工藤先輩の妹っていう形容詞が、ずっと付いて回るからさ」

「!!」

血相を変えた母さんが僕を凝視した。

「僕は」

「う、うん」

「実生がプロジェクトに入ったのは、覚悟の上だと思うよ。
兄貴は兄貴、わたしはわたし。兄貴とは、目的もやりたいこ
とも違うって。自己紹介の時も、それをはっきり言ってたん
だ」

「あ、そうか。それを、これからもずっと主張しないとなら
ないってことね?」

「そ。あいつも、いつまでもガキじゃないさ。ちゃんと自分
の課題は分かってて、その上でチャレンジしてる。だから僕
は全然心配してない」

ふうっと母さんが大きな吐息を漏らして、それからすくっと
立ち上がった。

「さゆりちゃんのことがあったから、少しナーバスになって
たかもね」

「確かにね。でも、さゆりちゃんだってまだ試練としては大
したことないよ。勘助おじちゃんなら、きっとそう言うと思
うな」

「そうかなあ」

「だって、生きてるじゃん」

母さんが苦笑いした。

「まあね」

「会長の娘さんみたいに自分で命を断っちゃったら、もうど
うしようもないもん」

「うん……確かにね」

「そこにさえ行かなければ、何とかなるよ」

さて。

「じゃあ、中庭見回ったついでにどっかで昼ご飯食べてくる
わ」

「遅くなるの?」

「まーさーかー。勉強があるからね」

「おっけー」



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三年生編 第82話(2) [小説]

さっき部屋を出る時も下に降りてからも、母さん以外の気配
がない。つーことは、実生は外に出たか。

「実生はバイトに出たん?」

「そう。がんばってるわよ」

「だよね。ウエイトレスはあいつに合ってると思うよ。好き
かどうかはともかく、実生は性格的にサービス業向きだよな
あ」

「まあね。でも、私はそっち系には行って欲しくないなあ」

「どして?」

「いいように使われるからよ。わたしみたいに、場面に応じ
てがっつり反撃出来ればいいけどさ。実生は我慢して抱え込
んじゃうからね」

「確かにね。でもさ」

「うん?」

「どんな仕事をしても、結局実生の人の良さは使われるよ」

「……」

「それなら、きっちり自己主張出来るように鍛えた方がいい
し、あいつもそれは分かってるでしょ」

「そうかな?」

「そう。僕は心配してない。そんな、いつまでも小さな子供
のままじゃないって」

「ふうん」

「それよか。母さんが心配し過ぎて抱え込んじゃわないよう
にしないと、共倒れになるよ?」

「ちぇ。分かったようなこと言っちゃってさー」

「あはは。まあね。でも」

僕は、窓の外の青空に目を移した。

「実生は進路を決める時、きっとここを出たいって言い出す
と思うよ」

「どして?」

「ここは居心地が良過ぎるんだ。守られることが当たり前の
ように思えちゃう」

「なるほどね。いっちゃんは?」

「本音を言えば」

「うん」

「ずっと家に居たいよ。ここにいると、一番自分らしくいら
れる」

母さんが、ふっと笑った。

「だからこそ、そういう場所や空気は自分で作れるようにし
ないとさ」

「ほー」

「それが……僕が勘助おじちゃんから受け取ったものだと思っ
てる」

すうっと母さんの首が垂れた。

「親の優しさ。先生や先輩の厳しさ。そういうのとは別に、
おじちゃんからもらえたものがあるんだ。なんでも許すって
いうのとは違う。あるのを認める……っていうか。そういう
おじちゃん独特の空気」

「分かる」

「それはおじちゃんだけのもので、僕らが真似しても出来な
いよ。でも、そういう人ぞれぞれの個性っていうか、空気感
みたいなのって、誰かの庇護や影響があるとうまく出せない
んじゃないかって、そう思ったんだ」

「あ。それがさっきの話に繋がるのね」

「うん。自立とか、反発とか、そういうの以前に。自分てな
んだろなーって。そういうのは、誰かの強い影響がない方が
探しやすいんちゃうかなって」

「実生もそう考える?」

「どうだろ。でも、実生はしゃらをよーく見てるんだよ」

「ふうん」

「しゃらは、見かけ以上に独立志向が強いの」

「ええっ!? そうなの?」

それは、母さんにはすごく意外だったんだろう。

「もし、しゃらに家庭の事情がなかったら、必ず家を出てた
と思うよ」

「知らなかった……」

「しゃらは、優柔不断でお父さんに反発しきれなかったお兄
さんの情けない姿をよーく見てる。ああいう風には絶対なり
たくないんだ」

「そうか。うん」

「でも、しゃらがお母さんのサポートをしないと家が壊れ
る。自立と家族の二択なら、家族を守るしかないんだよね」

「うん」

「しゃらは、自分の家庭の事情はよく分かってるさ。でも、
独立を諦めたわけでもない。だから……チャンスがあればい
つでも飛び立てるようにって、資格を取ろうとしてるんだと
思う」

「さーすがー。いっちゃんも、よく見てるね」

「ははは。さすがにこれだけ付き合いが長いとね」


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三年生編 第82話(1) [小説]

8月17日(月曜日)

父さんは、昨日の夜遅くに帰ってきた。そして、僕らには何
も言わなかった。
それだけで……昨日のお通夜がどういう雰囲気だったのか分
かってしまう。

勘助おじちゃんが亡くなって悲しいという以前に、トラブル
の渦中にある信高おじちゃんたちにどう接していいか分から
ないっていう、遠慮ととまどいが強かったんじゃないかと思
う。

勘助おじちゃん。
父さんにとっては父親代わりだと言っても、僕や実生にはお
盆の時にしか会えない親戚の人に過ぎない。

それなのに僕らが茫然自失の状態になっちゃうほど大きなダ
メージを受けてるのは、僕らにとって勘助おじちゃんが絶対
に揺るがない防波堤になってたってことなんだろう。

父さんが学生だった時と違って、勘助おじちゃんが僕や実生
に直接何かしてくれたわけじゃない。
でも、勘助おじちゃんはどんな時でも絶対に僕らを批判した
り責めたりしなかったんだ。

まあ、なんとかなる。
なるようになる。そんなもんだ。
いつもそう言った。

ものごとをネガに捉えない包容力やおおらかさ、懐の深さ。
それは……勘助おじちゃん天性のものなんだろう。

僕や実生は、直接勘助おじちゃんに寄っ掛かったんじゃない。
勘助おじちゃんに会うと、世の中には自分たちを受け止めて
くれる人と場所が必ずあるんだって安心出来たんだ。

勘助おじちゃんの海のような包容力。
僕らだけじゃなく、信高おじちゃんやたくさんのまたいとこ
たちも、これまでそこにすっぽり包まれていて。
だからこそ、みんな喪失感が激しい。

要の勘助おじちゃんが欠けたことで、これまで保たれていた
工藤のウエルカムな雰囲気が薄れてしまうのは……悲しいな
と思う。

でも、僕らは今を生きている。
失ったことを嘆いているだけじゃ、どこにも進めない。
事態が落ち着いて勘助おじちゃんの偲ぶ会が行われるまでの
間に、自分を立て直さないとならない。
きっと、信高おじちゃんも健ちゃんもそう思っているだろう。

「ふう……」

おとついも昨日も、勉強が手に付いてない。
このままじゃ、自腹を切って夏期講習を受けた意味がなくな
る。そろそろ僕もペースを取り戻そう。

勘助おじちゃんのことを忘れるわけじゃない。
おじちゃんからもらった安心感を……今度は僕が自力で作っ
て、必要な人に分けてあげないとならないんだ。
それなら、まず自分がしっかりしないと。

それが……僕が真っ先に出来る勘助おじちゃんへの供養にな
るはずだ。


           −=*=−


午前中は、集中して机に向かった。
まだ時々悲しみの波が打ち寄せてきて、意識がふわふわする
ことがある。

でも、夏休みの後半戦にはまだ重要なイベントが残ってる。
伯母さんの連絡次第で、田中っていう人に面会しに行かない
とならない。その日は、面会だけで一日終わるだろう。

他にもしゃらの家のサポートのことがあるし、勉強のスケ
ジュールにめりはりを付けて、出来る時にががっとこなさな
いとどんどんダレる。

「ううー、腹減ったー」

12時半までノンストップで引っ張ったんだけど、そこでエ
ネルギー切れ。
何か食べようと思ってリビングに降りた。
リビングは静かだったからみんな出かけてたんだと思ったん
だけど、母さんがソファーに座ってぼやーっとしてた。

「あれ? 母さん、今日は出じゃなかったの?」

「今日はオフよ。でも、家の中のことをする気力がなかなか
出てこなくてさ」

「うん……そうだよね」

「昼は、備蓄のものを適当に食べて」

「母さんは?」

「わたしはもう食べた」

「そっか。じゃあ、外で食べてくるわ」

「まあ、贅沢な!」

「せいぜいリドルでセット頼むくらいだよ」

「それだってワンコイン以上にはなるんでしょ?」

「まあね。でも、どっちみち中庭も見回ってこないとならな
いし。ついでさ」

「ふうん……」





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三年生編 第81話(9) [小説]

「今回のことは、弓削さんを連れてきたお兄さんに一番大き
な責任があると思う。でも、自分のことすらこなせてないお
兄さんには、弓削さんのケアは出来ない」

「……うん」

「じゃあ、僕らにそれが肩代わり出来る?」

「ううん」

「無理だよね。僕ら自身がまだ扶養されてる立場だもん。同
情は出来ても、責任持ってケアしますなんて絶対に言えな
い。だから、伯母さんが、僕らにもケアを振るよって言った
んだ」

「どういうこと?」

「あとはお願いって、僕らが弓削さんのことを切り離してし
まいかねないから」

「あ……」

「僕らが弓削さんに直接タッチすることは出来ない。実際、
伯母さんは、弓削さんに関わる人をものすごく厳密に限定し
てる」

「うん」

「そしたら、僕らが弓削さんに会わなくても出来ることをす
るしかないかなあと……思ってさ」

「それでかあ」

「ふう……もう少し後で。いろいろ落ち着いてから。そう考
えてたんだけど」

「なにかあったの?」

「父方の大叔父が、昨日亡くなりました」

「あ……」

しゃらが絶句した。

「僕の父、そして僕と実生が辛かった時期に精神的な支えに
なっててくれた人です。血のつながりなんかないのに、僕ら
をいつも心配して、励ましてくれた」

「でも、僕らは大叔父がいるのが当たり前のように思って
て、ちっとも恩返し出来ませんでした。亡くなってしまった
ら、もう何も出来ません」

また……涙がこぼれてくる。

「そういう後悔を……残したく……ないんです」

「そう……」

お母さんは、ゆっくり目を伏せた。

「だから僕と沙良さんとで、田中という人に会いに行きたい
んです」

「ねえ、いっき。その時に……何を話すの?」

不安そうに、しゃらに確かめられる。

「弓削さんの今」

「今って?」

「僕らに弓削さんのケアが出来ない以上、将来の話は出来な
いの。今、弓削さんが落ち着いて赤ちゃんと一緒に暮らせて
いること。心の治療を始めたこと。それだけ」

「そっか。そうだよね」

「それと……」

「うん」

「弓削さんのお母さんのお墓があるなら。それを田中って人
から聞き出したいの」

「お参りして、弓削さんのお母さんにも報告するってことね」

「そう。本当は、田中って人がそうしたいと思う。でも、出
来ないでしょ?」

「代わりに……か。うん。分かる」

「どうなるかは、会ってみないと分かんないけどね」

「うう」

「でも、ケンカ売りに行くわけじゃない。逆だよ。弓削さん
と田中っていう人をつなぐなら、間に僕らが入らないとどう
しようもないんだ」

ふう……。

「どんな人なのかも全然分からないし、緊張しちゃうと思う
けど。会ってみようよ」

「気が進まないけど……でも、いっきの言うのはもっともだ
と思う」

「あの、工藤さん」

お母さんから、ひょいと横槍が入った。

「あなたたち二人で……行くの?」

「未成年者だけでの接見は、家族でない限りなかなか許可が
出ないそうです」

「あ、そうなんだ」

「一応、伯母が接見のお膳立てをしてくれると言ってます。
でも、接見には僕ら二人で臨みます」

「……なぜ?」

「僕らがメッセンジャー以外何も出来ないってことが、向こ
うにすぐ分かるからです」

ぽん!
お母さんが手を叩いた。

「そうか! なるほどね」

「二、三日中に伯母から僕に連絡が来ます。接見の時には、
沙良さんをお借りします。よろしくお願いします」

僕はお母さんに向かって、深く頭を下げた。


           −=*=−


もし勘助おじちゃんが生きていたら。
弓削さんのことで、どういうアドバイスをくれただろう?

出来るんならやればいいし、出来ないならしなければいい。
きっとそう言ったんじゃないかって思う。

勘助おじちゃんがおおらかだったのは、父さんや僕らをサ
ポートすることも含めて、おじちゃんに出来ることは何でも
してきたから。
それは、誰かにしろって言われてやらされても意味がないよ
ね。
だから勘助おじちゃんは、父さんにも僕らにもこうしろああ
しろって指図しなかったんだと思う。

僕は。
机の上に一枚の白紙を広げて、それにくっきりと書き記す。

『出来ることを、出来るうちに、しよう!』

今まで、とりあえずペンディング……っていうのが結構あっ
たんだ。進路のこととかね。

それは、僕の甘えや緩みの象徴。
自分の使える時間は無限にある……そういう根拠のない思い
込みがそうさせてた。

でも。
高校生活がもう残り半年足らずしか残っていないように。
いつまでもあると思っているものは、刻一刻と取り上げられ
ていく。
……自分自身の生命も含めて。

僕は、時を失ったことやタイミングを逸したことに後悔を残
したくない。

「くっ……」

人だけじゃないね。
時の流れっていうのも、決してきれいなものじゃない。
臭くて……苦い。

でもそれを上手に自分のものにしないと、ネガティブな印象
しか自分に残らなくなってしまう。
過ごした時が全部無駄になる。

「冗談じゃねー! がんばらないとな」

戒めの言葉を書いた紙を、デスクマットの下に入れて。
僕は本棚から数学の問題集を出して、開いた。

だって。
それが今、僕が一番するべきことだから。




ksg.jpg
今日の花:クサギClerodendrum trichotomum



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三年生編 第81話(8) [小説]

「お兄さんにつながってたラインは、二系統。弓削さんを引
き取った田中耕七郎って人と、それ以外の犯人グループ」

「うん」

「今はどっちも捕まって刑務所に入ってるから、しゃらたち
がとばっちりを食うことはない」

「うん。そう思ってたんだけど」

「今は、ね」

しゃらとお母さんが顔を見合わせた。

「犯人グループの方は、首謀者二人がもう死んでる。彼らと
お兄さんとの間に面識がないから、こっちまではまず跳ねな
いと思うんだ」

「うん」

「残るは田中って人さ」

「でも、五条さんが無期懲役って……」

「そう。たぶん一生刑務所を出られないと思うよ。でもさ」

「うん」

「身に覚えのない恨みを背負わされちゃうって……嫌じゃな
い?」

しばらくじっと押し黙っていたしゃらが、こそっと口を開い
た。

「じゃあ切るっていうのは」

「田中っていう人と僕らとの縁なんか、最初からつながって
ないよ。ヤバそうなのは、お兄さんへの恨みの感情さ。それ
を……どうしても今のうちに断ち切っておきたいんだ」

「どうして?」

「そこから不幸をばらまきたくないから」

「う」

「田中っていう人は、自分とは血のつながりのない弓削さん
を命がけで守ってる。そのせいで罪を犯すことになったの。
自分が刑務所に入ったら弓削さんがどうなるかなんか、誰に
でも分かるよ。だから、しゃにむにお兄さんを引きずり込ん
だんだ」

「うん」

「後を託されたお兄さんが弓削さんをぶん投げたことが田中
さんに知れたら、お兄さんはずっとその恨みを背負って生き
ないとなんない。それに田中さんからの直接加害がなくて
も、弓削さんがお兄さんを恨むことはありうるでしょ?」

「そうか……」

「僕は、どうしても今のうちにそれを切っておきたいの」

ふうっ。お母さんが細い溜息を漏らした。

「工藤さん。ご迷惑……おかけします」

「いえ、それは則弘さんのためじゃないです。弓削さんのた
め、なんですよ」

「ええ」

「自分が愛情を注いだ娘さんが今どうなっているのか。お母
さんやお父さんが、則弘さんが生きてるって信じて待ち続け
たみたいに。田中っていう人も、弓削さんがどうなっている
のかを心配しているはず」

「うん。そうね」

お母さんは、伏せていた顔をゆっくり上げてかすかに微笑ん
だ。

「田中さんと弓削さんの間を、則弘さんを切り離して、直接
つないであげたいんです」

「ねえ、いっき」

「うん?」

なんでいきなり僕からそういう話が出たのか。しゃらにはよ
く分からなかったんだろう。直の突っ込みが入った。

「それは分かるんだけど……なんでいきなり?」

ふっ。
一つ息を吐いて、床に目を落とす。

「いきなりじゃないよ。前からそうするつもりだった。でも、
田中っていう人と直接会うつもりはなかったし、弓削さんの
ことを田中さんに伝えるのは、則弘さん、そしてその家族の
しゃらたちへの加害リスクを下げるためだったの」

「うん。分かる」

「でも、リスクなんかもうないんだよ」

「え?」

「五条さんが、則弘さんの更生の重石にするのに使ってるだ
け。もう弓削さんに絡んだ厄介な人との接点は、これからは
ないんだ」

「うん」

「じゃあ、僕やしゃらは、弓削さんのことをもう考えなくて
いい?」

「あ……」

「今回のこと。僕は最初からそれがずーっと引っかかってて、
苦しくて苦しくてしょうがないの」

ぎゅっと拳を握り締める。
口の中が苦くなる。


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三年生編 第81話(7) [小説]

お母さんは、最初に入院してた時よりも今回の方がずっと堪
えたんだろう。表情が冴えなかった。

本当なら、お母さんに心労を掛けるような話を今しない方が
いいんだろう。
でも、伯母さんはすぐに田中さんとの接見日を設定してくる
と思う。接見の場でどたばた慌てたくないんだ。

今回の接見。
僕にもしゃらにも覚悟が要る。
僕らの心の中を整理して、きちんと気持ちを切り替えてから
接見に臨まないとならない。

麦茶を持ってきてくれたしゃらが床にペタ座りするのを待っ
て、話を切り出した。

「あの……お母さん」

「え?」

しゃらじゃなくて自分に話しかけられたのが意外だったのか、
お母さんがほけた。

「お兄さん……則弘さんは、今どうされてるんですか?」

しゃらの家族の中では、その話題はタブーだったんだろう。
しゃらは露骨に不快感を顔に出し、お母さんは悲しそうに顔
を伏せた。

「今は、中塚さんのところに半監禁状態です」

「うわ……」

しゃらがぶうっとむくれる。

「タカがね! 物置部屋に閉じ込めてるの! 少しは恥を知
れって!」

だよなあ。

「本当は、中塚さんのところに迷惑をかけたくないんだけど、
今は私がこんな状態だし、主人もいっぱいいっぱいだから」

「そうですよねえ」

ふう……。
弓削さん以上に、時間がかかりそうだなあ。
まあいい。そっちはタカと五条さんに任せるしかないね。

「そのこともあって、ちょっと相談があるんですよ」

「へ?」

今度は、しゃらがほけた。

「相談?」

「そう。時間的な余裕があんまりないんで、かいつまんで話
します」

「なんかヤバい話?」

しゃらの顔に怯えが浮いた。

「ヤバくはないよ。既定路線さ。でも、目的と方法が変わっ
たって感じ……かな」

「ううー、何がなんやら」

「今、説明するよ」

僕がさっきお兄さんの話を出したから、二人ともそれに絡ん
だことだとは思ってくれてるだろう。

「お兄さんが連れてきてしまった女の子、弓削さん」

「うん」

「伯母が後見する形で、今、心の治療に入ってます」

「少しか……良くなったん?」

「僕は会えないから、直接は分からないよ」

「え? 会えないって?」

お母さんが、きょとんとする。

「弓削さんを手酷く扱ったのは、ほとんど男たちですよ。そ
して僕は『男』ですから」

しゃらはほっとしてるけど、お母さんの顔はひどく歪んだ。
そりゃそうだよ。酷いことした男の中に、自分の息子も入っ
てるんだもん。

「弓削さん、ちょっとだけ自分の意思が出てくるようになっ
たってさ。でも、まだ赤ちゃんから離すと保たないって」

「そっか……」

「まあ、そっちは妹尾さんが密着してるし、僕らの出番はな
いよ」

「うん」

「でも、弓削さんに絡む他の厄介ごとを今のうちに片付けて
おきたいの」

しゃらが、じっと考え込む。

「弓削さんの件を早く片付けるには、二つのアクションが要
るの。つなげる、と、切る」

「分かる。弓削さんを巴さんにつなげるのと、お兄ちゃんの
線から切る、ね」

「そう。で、伯母さんにつなぐ方はもう完了なんだよ。そし
て、僕もしゃらもそこから先は何も出来ないんだ」

「うん」

「そしたら、僕らの出来るのは切る方だけさ」

「でも、もう切れてるんじゃないの?」

「切れてないよ。考えてみて」

「うー」

「お兄さんと弓削さんの間は切れてる。でも、お兄さんの方
はずるずる紐付きだよ?」

「……あ」

さあっとしゃらが青ざめた。



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三年生編 第81話(6) [小説]

リドルで昼ご飯を食べようと思って、坂道をゆっくり下る。
その間に、さっき会長が言った言葉を何度も脳裏で反芻した。

見かけに騙されるな。
それは……普通見栄えがいいことに騙されないようにってい
う、用心を促す意味で使われることが多いよね。
でも、その逆もあるってこと。

瞬ちゃんがそうだったよな。
ガクセイの誰もが恐れている、強面でうるさ型の先生。
でも、僕はなぜか最初からその向こう側が透けて見えた。

表現はひねくれてるけど、すごく生徒思いで面倒見がいい。
表面のとっつきにくさだけ見て突き放してしまったら、瞬ちゃ
んの心遣いは手に入らないんだ。

瞬ちゃんは、きっと自分に対するマイナスイメージを逆用し
ているんだろう。
自力でなんとか出来るやつは、俺のところに来るな! てめ
えでなんとかしろ! ……そうどやすはず。
だって、瞬ちゃん一人でなんでもかんでも面倒を見ることは
出来ないもの。

弓削さんを引き取った田中っていう人。
五条さんがぼろっくそに言ってたみたいに、決して善人では
ないと思う。乱暴者で、難しい人なんだろう。
でも、そういう人がイコールどうしようもない極悪人とは限
らないんだよね。

僕は、しょせん悪人だからそんなものって最初から決めつけ
たらだめなんだろう。

田中って人と弓削さんの接点が、どこにどのくらいあるのか。
そして、僕らがどこまでそれに関われるのか。
会った時に、しっかり見極めてこないとね。

坂を下りきって、坂口の商店街に向かう。
リドルは混んでるかな?

ちりりん。
ドアベルを鳴らしてリドルのドアを引いたら、聞き慣れたい
らっしゃいませの声がぽんと飛んできた。

「あれ? 実生じゃん。今日はシフト?」

「違うけど、マスター一人だったから入れてもらった」

「……大丈夫?」

「家に……一人でぽつんといたくないの」

「そうだよなあ」

「お兄ちゃんも同じ?」

「ああ。どっかで気持ちを切り替えていかないとさ」

「うん」

「じゃあ、今日のランチ頼む」

「はあい。マスター、ランチワンですー!」

実生が、元気な声を張り上げた。
うん。すっかりバイトに慣れたみたいだな。
実生は誰かにサービスするってことを、特別な意識なしでこ
なせる。ウエイトレスみたいな接客は得意なんだろう。

僕に向かってひょいと手を上げたマスターが、きびきびと調
理を始めた。

「ふう……」


           −=*=−


「ちわー」

一時半くらいに、しゃらのアパートの呼び鈴を押した。

「はあい。いっきー?」

「うーす」

「今行くー。ちょっと待っててー」

何か家事をこなしてたんだろう。
少しして、ばたんとドアが開いた。

「入ってー」

「お母さんの具合いは?」

「昨日の夜から少し涼しくなってきたでしょ?」

「ああ、そっか。それで」

「うん、少し楽になったみたい。今日は床を上げてるの」

「大丈夫なの? まだ横になってた方が……」

「わたしもそう思うんだけどさ。何もしないで寝てるだけだ
と滅入るんだって」

「うう、それもよく分かるなー」

「あはは」

「じゃあ、お邪魔しまーす」

しゃらに腕を引っ張り込まれるようにして、部屋に入った。

あ……痩せた……なあ。
まだ顔色のよくないしゃらのお母さんが、僕を見てひっそり
頭を下げた。

「ごめんねえ、迷惑かけて」

「いえ、体調を戻すのが先ですよー。無理なさらないように
してくださいね」

「トシよ、トシ。ほんとにがっくり来るわ」


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三年生編 第81話(5) [小説]


「あら、いつきくん。散歩?」

ぼーっとしたまま会長の家の前を歩き過ぎたら、大きなお腹
を抱えた会長に呼び止められた。

「こんちわー。気分転換です」

「上に行ってきたの?」

僕が手にしていた小枝が目に入ったんだろう。
会長が、枝を指差しながら聞いた。

「はい。いつものコースだとつまんないかなーと思って、初
めて奥の方まで行ってみました」

「へー。わたしもそっちはしばらくご無沙汰だなー。で、そ
れは?」

「いや、おもしろい花が咲いてる灌木があるなーと思って」

「クサギじゃない?」

「クサギって言うんですか」

「そう。臭いでしょ」

それで、臭木かあ。納得納得。

「でもこの花、どっかで見たことがあるような気がしたんで
すよね」

「ゲンペイカズラに似てるでしょ?」

あっ! 

「そっか! それでかあ」

「同じクマツヅラ科だからね。クサギ属の木には園芸植物が
多いわよ。ゲンペイカズラ、ブルーエルフィン、クラリンド
ウ、ボタンクサギ……」

「ユニークな花ですもんね」

「クサギは園芸用に育てられることはないけど、観賞価値は
高いと思う。花も素敵だし、花の後に実る瑠璃色の果実もき
れいよ」

「そっか。また見に行かなきゃなあ」

「実は、すぐ鳥の餌になっちゃうから競争ね」

会長が、ぱちんとウインクした。

「それとね、クサギは食べられるの」

「ええええええっ!? うそお!」

こんなに臭くてまずそうなのに?

「うそじゃないわ。若芽を茹でてから、干して保存するの。
その間にほとんど臭さは消える。苦味が少し残るけどね」

「へー、知らなかった」

「もちろん、おいしいからどんどん食べなさいってことには
ならないわ。でも栄養価は高いし、身近にあって保存が効
く。備蓄食としては優秀ってことね」

「うう、どんな味がするんだろなー」

「菜飯をご馳走になったことがあるけど、そんなに変な味
じゃなかったわよ。ちょっと硬いホウレンソウって感じだっ
たかなあ」

「うわ、会長は食べたことあるんすか?」

「もちろん」

会長が、僕をじろっと見据えた。

「花がきれいだのなんだの言えるのは、食べる苦労がないか
らよ。貧乏や飢饉で食べるものに事欠けば、それどころじゃ
ないわ」

「……」

「強い毒を持ってるヒガンバナの球根やソテツの実だって、
昔の人は飢饉の時に毒抜きして食べてたの。いくら臭いって
言っても、毒のないクサギは食料としては上等品でしょ」

そっか……。

「味や臭いに癖があっても、毒さえなければ調理を工夫して
利用出来る。表に見える部分だけで拒否したら、中の財宝を
逃すかもしれないよね」

「そうですね」

見かけだけで判断するな……か。
確かにそうなんだよな。

おっと、時間が押してきた。

「じゃあ、これで失礼します」

元のにこやかな表情に戻った会長が、ひらっと手を振った。

「またね。いつきくん」

「はあい」



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三年生編 第81話(4) [小説]

「ねえ、伯母さん」

「うん?」

「弓削さん、いろんな人に振り回され続けて、奴隷みたいに
なっちゃったけど」

「ああ」

「お母さんとの関係は、そういうのとちょっと違ったんじゃ
ないかなあって思ったんです。伯母さんはどう思います?」

「いい推論だね。私もそう思う。弓削さんのお母さんが、自
分の娘に強く依存しちゃったんだ。子供の佐保ちゃんの自我
が固まる前に親が全力でのしかかったら、そりゃあ耐えられ
ないでしょ」

やっぱりな……。

「で、お母さんの死後に田中って男に引き取られて、犯人グ
ループに拉致され、おもちゃにされて、最後はしゃらのお兄
さんと逃避行」

「うん」

「その間、弓削さんを『モノ』扱いしなかったのは、田中っ
て人だけのように思うんです」

「!!」

伯母さんが、ソファーからばんと立ち上がった。

「あっ!!」

「弓削さんの特殊性があったから持て余したかもしれないけ
ど、少なくともちゃんと『自分の娘』として扱ってるんです
よ。血の繋がりがないはずなのに」

「そうだ。その通りだね」

「娘への強い思いがあるからこそ、犯人グループのリーダー
を撲り殺してまで取り返しに行ってる。亡くなったお母さん
への愛情だけじゃ、そこまでしないんじゃないかな……と」

「うん。それは分かるんだけど、いつきくんは何を考えてる
わけ?」

「田中って人に、弓削さんの『今』のことを伝えてあげたい
んですよ」

「……」

伯母さんが、絶句してた。

「僕は……弓削さんの件に関しては本当に何も出来ないんで
す。それがどうしても引っかかってて」

ふうっ。

「弓削さん本人を手助け出来ないなら、それ以外に僕の出来
ることはしておきたい。勘助おじちゃんの遺志は、どうして
も活かしたい」

「うん……さすがだね」

伯母さんが、じっと目を瞑った。

「亡くなった勘助さんという人の姿が……目の前に見えるよ
うだよ」


           −=*=−


僕は、夏休みの間しか自由に動ける日がない。
そして、しゃらのお兄さんのこともあるから、僕だけじゃな
くしゃらと一緒に行けるようにしたい。

自我の発達が未熟な弓削さんが田中って人をどう思っている
のかは確かめようがないから、弓削さん自身の言葉やメッ
セージを伝えることは出来ない。
でも弓削さんがちゃんとケアを受けてるってことだけでも、
亡くなったお母さんやもう刑務所を出られない田中さんに報
告しておきたい。

本当なら僕が面会の手続きとかをやりたかったけど、未成年
者の申し出による接見は血族でない限りは難しいだろうとい
うことで、伯母さんに手続きを任せることにした。

未成年……かあ。
大人として見て欲しい時には子供扱いされ。
じゃあ子供のままでいいのかってダレると、どやされる。
今は、どうにも中途半端だよなあ。

ぶつくさ言いながら伯母さんの家を出た頃には、結構いい時
間になってた。

「しゃらんとこ行くのは、午後からにしようかな」

お母さんのお世話の中には、食事の支度も含まれるだろう。
それが一段落してからの方が、僕は顔を出しやすい。

昼ご飯はリドルで食べればいいけど、すぐ昼ご飯にするには
時間が……なあ。

モヒカン山のてっぺんまで上がってくるかな。
今日は何も持ってないし、トレーニングで行くわけでもない
から、のんびり行こう。

T字路の突き当たりを左に曲がってすぐ。モヒカン山のてっ
ぺんに上がれる階段がジグザグに付いてるのを見上げて。
ちょっと考えた。

いつもここからしか上がってない。
ってか、ここ以外のところから上に登ったことがないんだ。
一人で来た時もしゃらと来た時も、いつもこの階段を上がっ
た。

でも年配の人が散歩する時は、この階段は使わないと思う。
手すりはあるけど、急で段数も多いから。
ずーっと左に回り込んだ奥に、きっと山道があるんじゃない
かな。
そう考えて、止まらずに左にずっと歩いていった。

この町に越してきて二年半。
モヒカン山には何度も上がってるけど、通学やトレーニング
で行き来するところがうんと固定されてて、町内の散歩って
したことなかったんだよなあ。

自分ではあちこち出歩いてた記憶があったんだけど、お気に
入りのコースをひたすらリピする癖が強いってことに今さら
ながら気が付いた。

小野川の川沿い、モヒカン山のてっぺん、坂口の商店街。
それ以外にもいろいろおもしろそうなところはあるはずなの
に、まるっきり行けてない。

「僕の本質は、ひっきーなのかもなー」

自分が慣れ親しんだものに固執して、それ以外のものをなか
なか受け入れない。
自分はそうじゃないと思い込んでたけど、よーく考えてみる
と自分の本質って意外に狭っ苦しいんだなあ。
それが……気になったりする。

たぶん、僕はずっとしかめ面しながら歩いてたんじゃないか
な。
誰かが僕を見たら、ぶすくれた今風の高校生に感じたかもね。

百メートルくらい丘を囲む道を辿っていったら、小さな菜園
の脇から山に上がる細い道が続いているのが見えた。

「あ、ここかあ」

まだ森の里が宅地になる前は、こんな風景が全面に広がって
いたんだと思う。
設楽寺のある山向こうの農村の景色。その一部をちょっとだ
け切り取って、こそっと残してある感じだった。

菜園の横を通り抜けて、モヒカン山のてっぺんを目指す。
こっち側は背の高い木が少なくて、藪っぽい。

その一角にもさもさと灌木が茂っているのが見えた。
枝先にちょっと変わった花がいっぱい着いてる。
ピンクのがく。白い花弁からぴゅっとながーいおしべが突き
出してる。

「へー。初めて見たかも。なんだろ?」

持ち帰って調べようと思って、花の着いてる枝を一本ぽきり
と折り取った。その途端。

ぷーん……。

「うわ、なんだこれ。くっさあ!」

青臭いっていうか、生臭いっていうか、変な臭い。
捨てちゃおうかなあ。
でも花が面白いし、調べてから処分しよう。

変な臭いのする枝を持ったままてっぺんまで登り詰めて、階
段を降りて家に帰った。



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