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三年生編 第86話(4) [小説]

もやもや気分まで流れてくれればいいのにと思いながらシャ
ワーを浴びて、汗を流す。

「ぶひー。すっきりしたー」

「すぐ食べて」

「うーい。あ、父さんは?」

「新製品のパソコン見に行くって」

「へえー。パソコンかあ」

「まだ今ので十分使えるのに」

ぶつくさ文句を言いながら、母さんがキッチンに引っ込んだ。
ぶつくさ言ってるってことは、父さんはもう買う気満々なん
だろな。

確かに、コスパを考えたらもっと引っ張れる。
でも、父さんからパソコン関係引くと何も残んないんだ。
他に趣味らしい趣味がないんだよね。
それが父さんの唯一の楽しみなら、ちゃんと配慮しないとだ
めってこと。

母さん的には、二人で出来る趣味が理想なんだろうけどさ。
実際は……難しいよなあ。

僕は昼ごはんを食べながら、しゃらとならどこが重なるかな
あなんて考えてた。
これが……意外にない。

ガーデニングは、しゃらは好きで、僕は普通。
スポーツは、僕は好きだけど、しゃらが普通。
音楽聴くとか映画見るとか、僕もしゃらも入れ込んでない。

「むー」

いや、今はいいんだけどさ。
一緒にいて、あーでもないこーでもないってただくっちゃ
べってるだけで充分楽しいから。
でも進学先が割れたら、何か接点とか共通点とか作っとかな
くていいんかなあ?

ああ、またもやもやがひどくなってきちゃったよ。
しかめっ面のままご飯を食べてたら、家電が鳴りだした。

誰だろ?

「はい、工藤です」

「おー、いつきー。元気かー?」

わあお! 健ちゃんじゃん!

「おひさー。元気だよー」

「みおっぺは?」

「今日は午後からバイト」

「そっか。ちょい、そっちに行っていいか?」

「って、もうこっちに来てるん?」

「そう。今、駅にいる」

健ちゃんの性格がアバウトだって言っても、いつもは必ず事
前にスケジュールを詰める。
いきなりってことは、訳あり……なんだろう。
たぶん、さゆりちゃん込みだな。

「ちょっと待ってね」

「おう」

一度電話を保留にして、母さんに打診した。

「もちろん、寄ってもらって。たぶん、さゆりちゃんのフォ
ロー絡みでしょ。健ちゃんといっちゃんだけじゃどうにもな
んない。わたしも同席するから」

「うん。助かる」

話を聞いてあげるだけなら、僕だけでいい。
でも、さゆりちゃんのこれからをどうするって話が必ず出て
くるはず。
そして、それは学生の僕らだけじゃどうにもなんないことだ。

保留を解除して、健ちゃんにオーケーを出す。

「いいよー。家で待ってる。バスとか分かる?」

「大丈夫。調べた。じゃあ、これから行くから」

「うい」

ぷつ。

ぽんいちだけじゃない。
他の高校も明日から新学期のところが多いんだろう。
それで、ぎりぎりだけどうちにアクセスしてきたんだと思う。

でも。どうするか……だよなあ。


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三年生編 第86話(3) [小説]

母さんが、ぱちっと指を鳴らしてうなった。

「うーん、やっぱりかわいい子には旅をさせよ、ねえ」

「あはは」

苦笑いした実生が、すっと顔を上げる。

「どうしても、ここでいいやっていう線を自分だけで決め
ちゃう。そして、その範囲がちっちゃい」

なるほど。そういうことか。

「わたしはお姉ちゃんもそうなんだろうって、安心してたん
だ。でも……」

「しゃらは違うだろ?」

「違う。いや……最初から違うんじゃなくて、変わってきた」

ああ。
しゃらと僕との付き合いをずっと見てきた実生には、変化が
はっきり見えるんだろうな。
しかも実生にとってしゃらは他人だから、感情を入れ過ぎな
いで冷静に変化を観察出来る。

「お姉ちゃん、すっごい頑固なんだよね。最初はそれが外か
らよく見えなかったんだ。でも、今はそれがはっきり分かる
ようになった。中身と外側のズレが小さくなったの」

「僕もそう思う」

「それがね、めっちゃめちゃかっこいいの」

思わず苦笑する。

「あはは。そっかあ」

「変に思われたらどうしようってびくびくしてるより、もっ
とさらけ出した方がいいのかなーって」

「いろいろやってみたらいいよ。失敗しても、これまでと同
じにはなんないさ」

「うん! そだね!」

「うまく行った時より、失敗した時の方がいっぱい大事なこ
とを覚えられた。少なくとも、僕はそうだった」

「ふうん」

「いきなり全開には出来ないけどさ。いろいろトライしてみ
たらいいんちゃう?」

「なあんか」

不満そうに、母さんが口を挟んだ。

「うん?」

「親の出る幕がないけど」

「これからまだまだいっぱいあるって」

「そう?」

「僕が兄貴面出来るのは、あとちょっとだけさ。実生だけの
生き方が出来たら、もうあれこれ言えないよ。僕は親じゃな
いんだし」

にこにこしてた実生の顔が歪んで、いきなり泣き出した。

「ううー……」

「おいおい。これもトライのうちだぞー。もっとハートを鍛
えなきゃ」


           −=*=−


朝っぱらから微妙なやり取りがあって、僕のもやもやはもっ
とひどくなった。

でも、明日から学校なのに変なもやもやまで引っ張って行き
たくない。
頭を空っぽにしたくて、ちょろっとジョギングのつもりが、
がっつり長距離になっちゃった。もう、全身汗まみれ。

汗をぽたぽた道路に垂らしながら、よれよれになって帰宅。

「ぐえー、あづーい」

「まあ、がんばるわねえ」

「勉強ばっかであんま体動かしてなかったから、全身なまり
まくってるなー。近いうちに一回フォルサに行って、がっつ
り絞ってくるかな」

「そうね。受験本番に風邪引いてぶっ倒れてたら、しゃれに
ならないものね」

「縁起でもない! あ、シャワー浴びてくるわ」

「すぐ昼ごはんよー」

「うっす。腹減ったー。あ、実生は?」

「もうご飯食べて、リドルに行ったよ」

「ああ、午後シフトか。今日はバイト代もらってくるんだろ
なあ」

「初給料ね」

「僕もすっごいうれしかったからなあ」

「そうね。どんな顔で帰ってくるか、楽しみ」

実生よりも、母さんの方が楽しそう。うけけ。

初めてのバイトで緊張もあったと思うけど、しゃらやマス
ターがまじめにきちんとこなしたよって言ってたから、上出
来だろう。
将来何をするにしても、今回のバイトが貴重な経験になるは
ず。自立への第一歩ってとこだよな。



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三年生編 第86話(2) [小説]

「あら、いっちゃん。起きてたの? 叩き起こしに行こうと
思ったのに」

「七時には起きてるよ。勉強してた」

「ちっ! つまんなーい」

高三にもなって母親に布団引っ剥がされるようじゃ、笑いも
のっす。

「学校は明日からだっけ?」

「そ。なんか、締まらない夏休みだったなあ」

「そう? 修行並みの夏期講習こなしたんだし、充実してた
んじゃないの?」

「これといった楽しみが……」

げしっ!
頭を引っ叩かれる。

「いでー」

「受験生が贅沢言うんじゃありません!」

「へいへい」

まあ、そうなんだけどさ。

「ああ、そうだ。来知大、どんな感じだった?」

「ものすごーく堅実。ちゃらけたところはない」

「あのフォルサでの……」

「堅実さなんかばかばかしいっていうアウトローがいるんで
しょ。でも、あんなの少数派だよ」

「ふうん」

「卒業後の就職率がいいみたいだし、学生へのサポートも
しっかりしてる。ただ」

「うん」

「すっごい地味。大学生活しっかりエンジョイしたいって子
には、あんま向いてないかもしれない」

「そっかあ……」

「あくまでも僕の印象だよ。たった一日で全部わかるわけな
いし」

「そりゃそうだ。実生にいいかなあと思ったんだけど」

「やぱし。そうだなー、女子大系よりは合ってるかも」

「どして?」

母さんは、しゃらが目指してるアガチスみたいな女子大系の
方が安心なんだろな。
でも、実生はたぶん拒否するよ。

「いろいろな人がいる環境の方が、自分を薄めていられる。
女子大だと、女の子ばっかで自分の位置決めするのに疲れる
んちゃうかな」

「おー。いっちゃん、よく見てるわー」

「でしょ? 部活の選び方で分かるよ。中学の時の陸上も今
のプロジェクトも男女混合でしょ? 男子に興味があるか
らっていうより、そこにいる子たちの中にまぎれ込みやす
い。リラックス出来る」

「……」

「リドルも、実生にとってはバイトしやすいと思うよ。お客
さんたちの年齢とか立場とかが、自分から遠過ぎでも近過ぎ
でもない。ほどほどの、いい距離でしょ?」

「うわ……」

「実生は、基本すっごい慎重なんだよ。あえてリスクは冒さ
ない。自分のポジションを上手に調整してると思う」

「うーん、じゃあぽんいち受験の時には、どうして賭けに出
たの?」

「市商も柾女も、女の子ばっかだったから。その中にいる自
分をイメージ出来なかったんちゃう?」

「そう」

いつの間にか、実生が降りてきてた。
顔は真剣そのものだ。

「お兄ちゃん。こわいくらいに当たってる。そうなの」

実生は、ソファーに体を投げ出すようにしてどすんと座って、
両手で顔を覆った。

「ふうう……なんかさあ」

「うん」

「自分のことを見透かされるって、いい気分じゃない。で
も、それが嫌ならはっきり言わないとだめだよね」

「そう」

僕は、あえてしっかり肯定した。

「わたしの見かけと中身が違うってこと。お兄ちゃんはそれ
をよーく分かってる。だから、ちゃんと配慮してくれる。で
も、それじゃあどっかで行き詰まるんだよね」

「分かってんじゃん」

「リドルで、お姉ちゃんが仕事を教えてくれた時にそう思っ
たんだ」

「へ? しゃらが?」

「うん。お姉ちゃんね。普段ここや合気道の道場で話してる
時には、すごく優しいの」

「ああ」

「でも、リドルではすっごい厳しかった」

それは初耳だ。

「へえー」

「お姉ちゃん、わたしを見てないの。マスターと、お店に来
るお客さんを見てる。お金を払ってくれる人に、ちゃんとそ
の分やりましたって胸張って言えるようにしないとだめだ
よって」

「でも、実生ならちゃっちゃっとやるだろ?」

「自分ではそう思ってた。でも、お姉ちゃんやマスターの目
はごまかせない。わたしは……どっかで自己満足しちゃう
の」


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三年生編 第86話(1) [小説]

8月23日(日曜日)

「ううー」

机の上に広げた数学の問題集の前で、目一杯うなる。

「ううー」

受験生の夏は灰色?
何、すっとぼけたこと言ってるんだ。
灰色どころか、ごっつメタリックだったやん。

何か、自分自身にすっごい事件とかアクシデントがあったわ
けじゃない。
前半に夏期講習。そのあとは、勘助おじさんが亡くなったダ
メージを引きずりつつ、しゃらのサポとかで駆け回った。

自分が磨かれて光ったって感じじゃない。
外から強烈な光を浴びせられて、無理やり光らされた感じ。
ぎんぎらぎんに。

ほとんどが机に向かっていた時間だった。
それなのに、ずっと走り回ってた感がはんぱない。

そしてさー。
夏休みが恐ろしいくらい短く感じてて、その間一分一秒たり
とも無駄にしたつもりはないのに、どうにもこうにももや
あっと残尿感が。
どっか未達成だったなーって、じわっと。

はあ。
なんとも、すっきりしない高校生活最後の夏休みになっちゃっ
たなあ……。

一年の時が天国、去年が地獄なら、今年はなんだろ?
右往左往? どたばた? 浮遊感?
うーん、そういうのとは違うよなあ。

ちゃんと計画を立てて、僕が出来ることは手を抜かずにやり
切った。もう少しこうしておけばよかったっていう、焦りみ
たいなものはないはずなんだ。
そのないはずの焦りが、夏休みの最後の最後にじわじわと形
になろうとしてる感じ。

「ううー」

たぶん。
しなきゃならないことに隙間がなかったから、余計未達成感
が強くなってる気がする。
スケジュール通りのかっちんこっちんで何も変更しなかっ
たってことじゃないんだけど、全部走りながらだった。
自分を大幅にゆるめてリセットしたり、引き返してやり直
すっていう暇がまるっきりなかったんだ。

方針は固めたけど、疑問符がそのまま残っちゃった感じ。
立水みたいに、どかあんとちゃぶ台ひっくり返すエネルギー
はもう残ってない。そこがなあ……。

考えるのを諦めて、ぱたっと問題集を閉じる。

高校の夏休み。その最後の一日。
それくらいは、好きに使おうか。
僕の性格だとすぐに受験モードに戻っちゃうから、それまで
の間ってことで。

「よし……っと」

持ってたシャーペンをノートの上にぽんと放って、椅子から
降りる。

残暑が厳しいけど小野川沿いをちょこっとジョグしようかな
と思って、ジョギパンとランナーシャツに着替えて部屋を出
た。

「おっと!」

鉢合わせするみたいに、向かいの部屋から実生が出てきた。
よれよれ。見るからに絞りかす。
追試で完全に燃え尽きたとみた。

「どうだった?」

「なんとか……くりあー」

「よかったじゃん!」

「ううう、でもあと二回はこの地獄が来るのかあ」

「ははは。そりゃあしゃあないよ。次は、友達とタッグ組ん
で乗り切りゃいいだろ」

「ううん」

実生が、きっぱり否定した。

「わたしは、そうしない」

「ほ? なんでまた?」

「レベルが違いすぎる。すっごいプレッシャーを感じちゃう
の」

なるほど。
僕らの時にも出来のでこぼこはあったけど、全体としてはど
んぐりの背比べだったんだ。
受験でいろいろあった実生の代は、上下の格差があまりに大
き過ぎるってことなんだろなあ……。

「それなら、先生や教材を上手に使わんと乗り切れんぞ」

「ううう」

「まあ、いざという時には鬼のリョウさんもいるし。げひひ」

「お兄ちゃんの意地悪っ!」

げしっ!
久しぶりに蹴りが来た。いでで。

実生的には、僕にフォローして欲しいってことなんだろ。
でも、これから先はもう無理さ。僕は自分の受験のことで頭
が一杯になる。
まあ……実生もそれが分かってるからいらいらしてるんだろ
うけどね。

ぷんぷくりんに膨れている実生を置いて、僕は大あくびを噛
み締めながらリビングに降りた。



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三年生編 第85話(9) [小説]

まさか、オープンキャンパスに行った先で、恋愛関係のこと
で突っ込んだ話になるとは思わなかったなー。

僕だけじゃなくて、しゃらもきっとそう思ったに違いない。
帰りのバスの中で、しっかりチェックが入った。

「ねえ、いっき。あの奥村さんて人さー、何してる人なの?」

「大学の職員さんだよ。先生じゃないんだ」

「ふうん。でも、すっごいいろんなことに詳しいね」

「そりゃあそうでしょ。学内のいろいろなトラブル処理をす
る専門の人。会社で言ったら、クレーム担当、クレ担」

「うわ……」

「フォルサで行長さんのお父さん、橘社長が学生にぼこられ
た事件の後処理で、うちに謝罪に来たんだよね」

「ひえー! 知らんかったあ」

「こっち側が被害者でも、いろんな人が絡んでるからうかつ
に口に出せない。だから、しゃらにも詳しいことは言わな
かったんだ」

「そっかあ……」

「だけど、トラブルの方はもう片が付いてるし、そんなくだ
らないことより大学のいろんな情報もらった方がいいと思っ
てさ」

「前にパンフとかくれたのもそれ?」

「僕が欲しいって言ったわけじゃないんだけどね。いい縁を
利用したいって思ったのは、向こうも同じなんちゃう?」

「そうだよねー。うふふ」

「僕らが受験することはなくても、クラスの誰かが受験する
かもしれないし、先々実生の選択肢にも入ってくるだろうか
らね」

「そっかあ。ねえ、いっき。実生ちゃんてさ、どっち系行き
そう?」

「全然分からんわ。母さんは、サービス業に就職するような
方向には行ってほしくないみたいだけど、向き不向きで言っ
たらサービス向けなんだよなあ……」

「あ、なんとなく分かる」

「でそ?」

「よく気が利くし、仕事はてきぱきだし、愛想はいいし」

「うん。でも、自然にそう出来るのはいいんだけど、嫌なの
を我慢してる時と見分けがつかないってのがね」

「うー」

はあ……。

「自分が壊れたら元も子もないんだから、そこを割り切れる
かどうかだなあ」

「うん」

「まあ、まだ高校入ったばっかだし、これからでしょ。今は
しっかり楽しんだ方がいいよ。あいつも、そう考えてるで
しょ」

「わたしも、一年の時が一番楽しかったもんなー」

「ははは。そうだよな。僕らが堂々と、まだ子供だからって
言い訳出来たからね」

「ううー」

「今日、奥村さんが恋愛のことですごい突っ込んで来たの
は、心配だからなんだろな」

「心配?」

「そう。大学に入ってからなら、ある程度世の中の常識とか
しきたりとか、そういう知識や経験が揃ってくるから、自分
で決断しろって突き放せる」

「うん」

「でも、まだ子供だった頃の恋愛意識を引きずったまま、そ
の延長線で大学に進んじゃうと、何も考えないで恋愛を楽し
めた中高の頃の思い出が、逆にあだになっちゃう」

「……。どういうこと?」

「あの頃はよかったなあって、逃げちゃうんじゃない?」

「あ!」

「なんかシラケたねーで、お互い納得して別れておしまいな
らいいけどさ。どっちかが割り切れなかったら……」

「ううう、どろどろに」

「ダメージがいろんなところに影響しちゃうんでしょ。それ
までみたいに、親や先生や友達が面倒見てくれるわけでもな
いし」

「そっかあ。なんか怖いね」

「そう。僕も怖いなーと思う。でも」

「うん」

「奥村さんは、奥さんと一緒にそこを抜けてきたんでしょ。
だから僕は、いいお手本があるんだって考えたいなー」

「ふふふっ。いっきの前向き思考はずっと変わんないね」

「それしか取り柄ないもん」

「そんなことないよー」

しゃらが、もらったパンフレットをぽんと叩いた。

「自分が進学しない大学のオープンキャンパス。そんなの意
味ないじゃん。そう考えちゃったら、今日みたいな話は聞け
なかった」

「わははっ! そりゃそうだ」

「チャンスを待つんじゃなくて、チャンスは作る。それっ
て、いっきの一番大きな武器だよね」

「そうだな。それが、僕が高校でもらった一番大きな財産か
もしれない」

バスの外で流れていく風景。
それがまるで、時の流れのように見える。

僕らは、同じ位置にずっといることは出来ない。
しゃらと初めて中庭で出会った時のような……ああいう感覚
を今から欲しいって言っても、もう無理なんだ。

でも、僕らはあの頃にはまだ出来なかったことをこなせるよ
うになった。

その時にしか出来ない恋愛のカタチ。
僕もしゃらも、それはチャンスなんだって考えられるように
なったはずだ。

受験に紛れて後回しになっていた、僕らの次の形を考えるこ
と。
それはピンチじゃなく、チャンスなんだと。

そう……考えよう!




gingly.jpg
今日の花:ジンジャーリリーHedychium coronarium


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三年生編 第85話(8) [小説]

「中高と違って、大学はあくまでも容器。単なる容れ物で
す。私たちが学生さんを選んでいるように見えるかもしれま
せんが、容れ物を選んでいるのは君たち学生さんなんですよ」

「あ、そうかあ」

「アガチスさんは、レベルがうちよりずっと高い。統合の話
も戦略的なもので、単なる経営判断だけで決めたわけじゃな
いでしょう。心配なさらなくてもいいと思いますよ」

奥村さんが丁寧に説明してくれたのを聞いて、しゃらはほっ
としたみたいだ。

「お二人とも、しっかり自分の足元を見ておられる。そうい
う学生さんに、いっぱい来ていただきたいんですけどね」

少し疲れたような顔で、奥村さんがかすかに笑った。
自分の仕事がなくて暇だっていうのが、奥村さんの、そして
来知大の理想なんだろなあ……。

「あ、そうだ」

僕は、来た時に正門のところで受けた印象を奥村さんに伝え
た。

「奥村さん、正門のところに白い花が咲く大柄な花が植えて
ありますよね?」

「そうなんですか?」

そっか。
学内のことで頭がいっぱいで、そこまで気が回らないのかな。

「はい。ジンジャーリリー。とても素敵な花なんですけど、
僕らならたぶん別のところで使います」

「は?」

「僕も彼女も、部活で学校の庭整備をしてるので」

「ほう!」

「白い花は清楚なんですけど、寂しい。インパクトがない。
お客さんを出迎える花としては、大人し過ぎるんじゃないか
なあと」

「わたしもそう思いますー。全部を派手派手にする必要はな
いけど、暖色系の花と組み合わせて使った方が、白が生きる
と思います」

「ふむ。すごいですね。そういうところでも雰囲気を作れ
るってことか……」

「はい。僕は、来知大はすごくしっかりした大学だと思いま
す。だから、その良さをアピールする方法をもっと考えた方
がいいかなあって」

「はっはっは! 私たちの方がいろいろ教わらないとだめだ
ね。貴重な提言として承ります。ありがとうございます」

最後まで僕らに丁寧に接してくれた奥村さんは、僕らに一礼
すると慌ただしく走り去った。


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三年生編 第85話(7) [小説]

「昨年のトラブルは、本学の致命傷になりかねなかった。工
藤さんの的確な対応には、本当に助けられました」

奥村さんに、深々と頭を下げられる。
ううう、僕は何もしてないよう。

「いやいや、奥村さんには大学のことをいろいろ教えていた
だいたので。いいご縁が出来たと思ってます」

顔を上げた奥村さんは、僕の顔をしげしげと見つめた後で、
にこっと笑った。

「そう考えてくだされば、とても嬉しいです。ああ、そうだ。
お二人は進学先はどの方面をお考えなんですか?」

僕が先に答えた。

「僕は生物系志望で、今のところ県立大生物を一般入試で受
験する予定です」

「彼女さんは?」

「わたしは、推薦狙いです。アガチス短大の栄養科です」

「そうか。進学先が割れるんですね」

しゃらと顔を見合わせて溜息をつく。

「しょうがないですね。僕らそれぞれに事情があるので」

「それは、経済的な?」

「一番は、そうですね。うちは、父が転職した関係でお金に
余裕がありません。国公立の大学で、自宅から比較的近いと
ころっていう制約があるので」

「自宅から通われるんですか?」

「いいえ、家は出るつもりです。きっと、バイトざんまいに
なります」

「それなら遠くの大学でも……」

僕は、黙ってしゃらを指差した。
奥村さんが、すっとうなずいた。

「僕は遠距離を続ける自信がないんです。今までずーっと一
緒でしたから」

「うん」

はあっと大きな溜息をついたしゃらが、それでもぐんと胸を
張った。

「でも、わたしもそろそろいろんなことから自立したい。
いっきが側にいないことに慣れないと」

ふっと。寂しそうにしゃらが笑った。

「さっき奥村さんがおっしゃってた、恋愛で壊れる人になっ
ちゃいます」

「すごいね。私らの時には、そこまでの覚悟はなかったな
あ……」

腕を組んだ奥村さんが、昔を思い出すような顔つきになっ
た。
でも、僕らのは覚悟とかそういう問題じゃないんだよね。
そこを訂正しておこう。

「僕らは、少し特殊かもしれません」

「は?」

「恋愛以前に、お互いに緊急避難でよっかかるところからス
タートでしたから」

「ほう」

「高校を卒業したら、それが強制リセットされます。もう
待ったなしなんですよ」

「そうですか……」

「でも、僕らの先々のことを考えてのプランですから」

「わははははっ! いや、本当にすごいですね」

すごくはないと思う。
僕らに出来ることを重ねたら、それしかないっていうのに近
い。

「彼女さんは、資格を取られるんですか?」

「はい。管理栄養士の資格があれば、いろいろな就職先を考
えられます。病院、学校、保育施設、養護施設……その選択
肢を出来るだけ増やしたいんです」

「うん。それは理にかなってますね」

「ただ……」

しゃらが、急に難しい顔になった。なんだろ?

「わたしが進学予定のアガチス女子短大は、あと二年で学生
の募集を停止するそうです」

「うかがってます。四年制への一本化ですね」

「はい。ちょっと雰囲気ががさつくのかなあって……」

「それはしょうがないですね」

奥村さんは、あっさりかわした。



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三年生編 第85話(6) [小説]

しゃらと一緒に公開講義を一コマ聞いて、学内施設をいろい
ろ見学したあと、きれいなカフェテリアでお昼ご飯。

「ううー」

「いっき、どしたん?」

「いや、奥村さんからあんなベタな突っ込みが入るとは思わ
なかったからさー」

「うん、わたしもびっくりした。穏やかそうな人だったけ
ど……」

「いや、穏やかな人だと思うよ。でも、穏やかな人だから何
でも認めるってわけじゃないってことなんだろなあ」

「そっか。会長とちょっと雰囲気が似てるかも」

「んだんだ。会長も、普段の雰囲気と中身のごつさがアンバ
ラだもんなあ」

「恋愛レッスンかあ」

しゃらは、お箸を握りしめたままかちんと固まった。

「お遊び……のつもりはないんだけどなあ」

「いや、レッスンに、そういう意味は入ってないと思う」

「そうなの?」

「勉強は、教科書や参考書で覚えたことが試験に出る」

「うん」

「それがレッスンだとしたら、教科書のない恋愛は自分でい
ろいろ試して解を探しなさい。そういうことなんちゃうかな
あ」

「わ! そっかあ」

「奥村さん、厳しいよ。失敗を糧にしないと、学んだことが
全部無駄になるよって、そういう警告だった」

「うん」

「僕らにえげつない警告をしたってことは、大学でその手の
トラブルが多いってことなんだろね」

「うー、そっかあ」

「まあ、僕らがそれを今から心配したってしょうがないよ。
こなしながら、歩いていくしかないもん」

「あはは。そうだよね」

二人して奥村さんとの会話を思い返していたら、その奥村さ
んが再び登場した。

「おや、工藤さん。いかがでした?」

「あ、奥村さん。いろいろ見せてもらいました。思ったより
もずっと堅実だなあって」

「そう感じていただければ嬉しいです」

食べ終わった食器を乗せたトレイを乗せた奥村さんは、それ
を回収台に置いてまた戻って来た。

「あの、奥村さん」

しゃらから質問が出た。

「なんでしょう?」

「オープンキャンパスって、もっと華やかなのかなあと思っ
ていたんですけど……」

しゃらの突っ込みに苦笑した奥村さんは、カフェテラスの中
をぐるりと見回した。

「お化粧は、すぐ剥げるんです」

「お化粧、ですか」

「そう。大学は、自由で華やか。そういう明るい面だけをこ
ういう機会に植え付けてしまうと、学生の行動をコントロー
ル出来なくなる。それは、のちのち私どもの首を絞めるんで
すよ」

「あ……」

「本学は高い就職率を売りにしていますが、そう出来るのは
学生さんの努力あってこそです。きついカリキュラムにして
いるのもそうです。決して有名大学ではない本学で学ぶこと
には、最初からハンデがある。それを実感していただくため
に、誤解を与える要素を出来るだけ排除しているんです」

なるほどなあ。

「学校のクオリティを高めて、イメージを改善する。そう簡
単なことではありませんよ」

奥村さんが、ふうっと大きな溜息をついた。


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三年生編 第85話(5) [小説]

「工藤さんと彼女さんは、時の試練をこれまで越えて来た。
好きの次を考える。学生のうちからそう出来るカップルは、
本当に少ないんですよ。ですから、珍しいなあと」

僕は……意外だった。
学内のトラブル処理を担っている奥村さんは、学校が学生に
どう対処しているかを感情を入れずに説明してくれた。
腰は低いけど、ドライな人っていう印象だったんだ。

でも、今の突っ込みはナマだった。どうして?

僕が警戒した空気を察知したんだろう。
奥村さんが、さっと手の内を明かした。

「私どもは、学生さんのお付き合いには一々口出ししません
よ。大学生にもなって、外野から付き合いのことをあれこれ
言われるのは嫌でしょう?」

「あはは、そうですね」

「彼女さんは、どうですか?」

「わたしも、それはちょっと……。でも女子短大や女子大だ
と、事情が違うのかなあ」

アガチス短大が志望先のしゃらは、少し不安顔だ。

「いや大学から先は、そこがどこでも口出しは無理ですよ。
成人してからも外野が行動制限する必要があるような人は、
大学に来てくれない方がいい」

そ、そこまで言う?
でも、それで奥村さんの言いたいことが分かった。

「そうか。付き合いの中身と行き先を制御出来なくて、仲が
壊れちゃう学生さんがいるって……そういうことですね?」

「仲が壊れるかどうかは、私たちの関心外です」

奥村さんは、すぱっと切って捨てた。

「そうじゃない。恋愛に酔ってるだけの男女は、必ずろくで
もない副産物を抱えてしまう。そっちが厄介なんですよ」

「あっ」

あとは、奥村さんが言わなくてもなんとなく分かった。

「出来ちゃったや、失恋引きこもりかあ」

「ははは。さすが工藤さん。ぴったりです。そういうものま
で私どもに持ち込まれるのは、本当に勘弁して欲しいんです
けどね」

うん。そうだろうな。
学生がフォルサで起こしたトラブル。あれは、奥村さんに
とってはまだ想定の範囲内なんだろう。
被害と加害の関係がはっきりしてるから。

でも、恋愛トラブルはデリケートだ。
微妙な事情は当事者同士にしか分からないし、その時の感情
で言うことや行動が大きく変わっちゃう。
大変だろうなあ。

「社会人になったら、全ての言動、行動は自己責任ですよ。
それが恋愛であってもね。でも、学生のうちは猶予がある。
その練習期間をどう活かすか。私どもは、いいレッスンにし
て欲しいんですけどね」

僕もしゃらも、言葉が出なくなってしまった。
僕かしゃらのどっちかがものすごーく積極的ってことなら、
大丈夫ですよって言えたかもしれない。

でも、僕もしゃらも肝心な時に腰が引けちゃうタイプなんだ
よな。
自己責任で全部やれって言われた時に、大波を越えていける
んだろうか。

「あなたたちは、これまで揉めたことはないんですか?」

奥村さんのえげつない突っ込み。あはは。

「ありましたよー。去年の夏休みは最悪でした」

「うん……」

「ほう」

「でも、時間をかけてクリアしました」

「うーん、大学生より大人ですね」

ちっとも、ほめられてる気がしないっす。ううう。
しゃらは、僕とは逆にすっごい嬉しそうな表情になった。

「わたしは、あの時のごたごたがあったから成長出来たかな
あと思ってます」

「いいですね」

奥村さんが、目を細めた。

「恋愛は、いいことばかりじゃない。嫉妬、不安、不満、疑
心暗鬼。人間の感情の一番汚い部分が出て来やすい。でもそ
の試練を越えた恋愛は、実っても実らなくても一生の財産に
なる。私は、学生たちにそう言うことにしてます」

「あの……」

しゃらが、奥村さんに突っ込み返した。

「奥村さんは、結婚されてるんですか?」

「していますよ。家内とは、私が学生の時からの付き合いで
す。今はそういうパターンは天然記念物かもしれませんが、
おかげさまでこれまでずっと仲良く過ごしてます」

「そっかあ」

「でもね、理想とする形は人それぞれです。私の理想や価値
観を誰にでもあてはめるつもりはありません」

すいっと腕時計を確認した奥村さんが、僕としゃらに向かっ
てすっとお辞儀した。

「どうぞ、本学をよくご覧になっていってください」



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三年生編 第85話(4) [小説]

終点の来知大前でバスを降りて、正門のあたりを見回す。
小さな円形の花壇スペースに、かなりボリュームのある葉が
茂ってて、その間から出ている花茎に大きな白い花がいくつ
も咲いていた。

「ジンジャーリリー、か」

花自体はとてもユニークなんだけど、どこかはかなげで、花
の色が白ってこともあって訪れた僕らにあまりアピールしな
い。
その花が大学の地味なカラーをそのまま表してるように見え
て、ちょっと残念な感じがした。

中庭のデザインを決める時も、配色はこれまで何度も議題に
なってるんだよね。特に白。
白の使い方は難しいよねーって。

学内の雰囲気はどうかな?
パンフレットで見てるけど、写真と実物とでは印象が変わる
ことがあるから。

「ふうん……」

「へえー」

僕もしゃらも、最初想像していた雰囲気とだいぶ違うことに
とまどった。

オープンキャンパスって、学祭ではないにしても少しくらい
はお祭り的な要素があるのかなあと思ったけど。
ものっそ地味だー。

正門入ってすぐに受付があって、そこでオープンキャンパス
用のパンフレットと胸につけるリボンをもらう。
大学の新学期開始は九月に入ってかららしいけど、今日は公
開講座が行われてて、学生にはそれへの出席義務があるみた
い。

高校みたいに制服があるわけじゃないから、開放的で華やい
だ雰囲気はあるけど、軽薄とかちゃらいって感じは薄い。
カリキュラムが結構きついって言ってたから、そういうのも
影響してるのかも。
フォルサで騒いでたやつらは、ここの標準から外れてたって
ことなんだろな……。

見学に来たのはいいけど、さてどうしたもんかなあと思って、
建物の入り口付近で人の流れを見ていたら、中から出て来た
年配のおじさんに声をかけられた。

「工藤さん、今日は本学にお出でくださってありがとうござ
います」

わ! 奥村さんだ!

「奥村さん、今日はお世話になりますー。結構いっぱい来て
ますねー」

奥村さんは、にこにこ顔だ。

「入り口の受付係員に動向を聞いたんですが、田貫一高の生
徒さんにも例年以上にたくさん来て頂いてます。ご協力本当
にありがとうございます」

「あはは」

僕が配ったパンフくらいじゃ、あんまり効き目はなかったと
思うけど。
それよか、みんなの進学への関心が上がったってことじゃな
いかなあ。

「僕らみたいな受験生の反応はいかがですか?」

「そうですね。今のところ、卒業後の就職率がいいこと、各
種助成制度が充実していることを評価してもらえているよう
です。来年は、本年度よりも少し競争倍率が上がりそうです」

う……競争倍率かあ。

「それでも、ネームバリューのある大学に比べればまだまだ
ですよ」

行き交う高校生を目で追っていた奥村さんは、少し自虐が混
じった声で、そう言った。

「工藤さん、そちらのお嬢さんは?」

おっと。

「クラスメートです」

しゃらがぷうっと膨れた。
本当は、恋人だと紹介して欲しかったんだろう。

ばかたれ! いきなりそんなこっ恥ずかしいこと言えっか
よ。まあ勘のいい奥村さんのことだから、すぐにばれると思
うけどさ。ほら、もうにやにやしてるし。

予想通り、すぐに突っ込まれた。

「お付き合いされているんですか?」

「ええ。高校入学からですから、結構長いですね」

「ほう!」

さっきまでにやにやしていた奥村さんの顔から、さっと笑み
が消えた。

「珍しいですね」

「え? そうなんですか?」

一瞬口を閉じた奥村さんが、僕らを見比べながら薄笑いを浮
かべた。

「中高生の恋愛は、基本的にレッスン。私どもは、そう考え
ています」

「レッスン……ですか」

「はい。大学でも、まだその色が濃いと思っています」

「あの、どうしてですか?」

しゃらが、少し不満そうに口を突っ込んだ。

「恋愛の先がないからです」

「え?」

しゃらだけでなくて、僕もぽけらってしまう。

「好きという感情だけなら、その相手が音や映像の時と何も
変わりません。それは単なる嗜好。好みの問題です」

げ……。

「感じ取るだけの恋愛は、しょせん練習にしかなりませんよ。
感情以外の何も生みませんから」

うわ、きっつー。

「相手のことが好きなら、その先にどうするか。恋愛の本当
の価値が出てくるのは、そこからだと思いますよ」

「あ、そうか。学生のうちだとそこが……」

「ないでしょう?」

言葉は厳しいけれど、奥村さんの表情はとても柔和だった。




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