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三年生編 第83話(7) [小説]

「ただいまー」

「お帰り。どうだった?」

「すっごいかわいい女の子。あんなかわいい赤ちゃん、初め
て見た」

「あっらあ! 奥さん似?」

「間違いなくそうだね。ベビーモデルになれるわ」

「へえー。名前は?」

「睦美だってさ。伊予田睦美」

「あら、意外に地味」

「奥さんのお父さんがキラキラばっか考えたから、大変だっ
たみたいよ」

ぎゃははははっ!
母さんと、ばか笑いする。

「ともあれ、無事に生まれてよかったわね」

「うん、そう思う。順調だよなあ。五条さん、光輪さんと来
て、あとは会長、宇戸野さん、片桐さんかあ……」

「みんな、安産だといいね」

そっか……。
五条さん、光輪さんの奥さんは二十代だけど、あとはみんな
高齢出産になるんだもんなあ。

「僕らは安産祈願するしかないね」

「そうそう。で、御園さんは、気分転換出来てた?」

ああ、やっぱりか。
しゃらにかかっている強いストレスは、母さんにもちゃんと
見えていたんだろう。

今はお母さんのお世話があるから、しゃらは僕のところに気
軽に来れなくなってる。
学校では毎日顔を合わせてるって言っても、衆人環視の中で
いちゃつくことは出来ない。
それに僕の受験勉強もあるから、二人だけで過ごせるオフの
時間が本当に少なくなってるんだ。

もちろん、電話やメールでのやり取りは毎日欠かさずしてる
よ。
でもしゃらは、僕との直接の接点が細っていることに強い不
安と苛立ちを覚えているだろう。

ここが……僕らの堪え時だよな。

「すっごい弾けてたよ。ばんこほどではないにしても、しゃ
らは赤ちゃんや小さな子供が好きだよなー」

「うふふ。優しいよねえ」

「年下の子に好かれるタイプだよ。部活でも、三年の中では
後輩たちに一番頼りにされてるんじゃないかな」

「へえー」

「偉ぶらないし、態度が柔らかいからね」

「そっかあ」

「そこらへんは、実生とちょっと違うね。実生はもっとはっ
きり自己主張する。最後に折れちゃうけど」

母さんが苦笑した。

「やっぱりかー」

「そこが、最後に我を張るしゃらと違うんだ。ただ……どっ
ちもどっちなんだよね」

「分かる。実生は最後に自分が傷つく。御園さんは、最後に
孤立する……ってことでしょ?」

「そう。もちろん状況に依存する話だから、なんとも言えな
いけどね。二人とも、今はすごく友だちに恵まれてると思う
から」

「心配し過ぎない方がいいってことか……」

「今は大丈夫だと思うよ。今は、ね」

ふうっ。

「十月にお父さんのお店が新規開店になったら。しゃら的に
はだいぶ楽になると思う。進路の見通しもはっきりしてくる
し、これまでと違って職住が一つになるから、移動がね」

「あ、そうかあ。行き来の手間がなくなるってことね」

「そう。そこから先は、僕も本当に受験に集中出来る」

「ふう……そうなのよね」

「でも。そこからさ。いろいろ出て来そうなのは」

「自分の周りが落ち着いたら、視線がいっちゃんに向いちゃ
うってことでしょ?」

「どんぴ」

そういうこと。
微妙な時期に、しゃらとの距離をどうやって調整するか。
それは、親にも友だちにも頼れないんだ。

不安を抱えているのは、しゃらだけじゃないよ。
僕だってそうなんだ。
でも、それを何とかこなしていかないとさ……。

ふと窓の向こうに目を移したら。
母さんが買ったんだろう。窓際にダンギクの鉢植えがぽんと
置いてあった。

どんどん咲き上がる淡青色の花。
残り少ない夏を静かに燃やし続けている。
それが咲き終わる頃には……僕の高校最後の夏休みも終わる
んだろう。

毎日を、何もかもいいことばかりで塗り潰すことは出来ない。
だからこそ。

いいことがあった時。
おめでたいことがあった時。
小さくても幸運をつかめた時。
いつでも、それを素直に喜べる自分でありたい。

積み重ねた不安や心配に負けたくはない。
負けたくは……ない。

「さて。もう一踏ん張りするわ」

「おやつは持ってく?」

「いや、下に降りる」

「おけー。がんばってね」

「うす!」




dangiku.jpg
今日の花:ダンギクCaryopteris incana




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三年生編 第83話(6) [小説]

その後、奥さんのお姉さんたちとその子供たちが乱入してき
て、わちゃわちゃになっちゃった。

子供たちの遊び相手をさせられて、へっとへと。
でも、家全体が赤ちゃんの誕生を全力で祝ってる……そんな
ものっすごく巨大なエネルギーを感じて、僕は気持ち良かっ
た。しゃらも、いい気分転嫁になったと思う。

赤ちゃんの顔をちらっと見せてもらって帰るはずが、お昼ま
でごちそうになっちゃって。
僕らは大満足で光輪さんとこを引き上げた。

だけど……。

帰りのバスの中。
むっつり僕が黙り込んだのを見て、しゃらがこそっと突っ込
んできた。

「いっき、なんか気になるの?」

「いや、気になるってことじゃなくてさ。光輪さんも奥さん
も、崖っぷちに立っちゃったんだなあと思ってね」

「へっ!?」

しゃらが、ぎょっとしたようにのけぞった。

「崖っぷちぃ!?」

「そ」

ふうっ。

僕はまだ世間知らずのガキさ。
だから、光輪さんや奥さんの生き方には偉そうに口を出せな
いよ。

でも、過去を薄めようとしている僕と違って、二人はいつま
でも過去をちゃらにしないんだ。
視線はちゃんと前に向けてるけど、過去を清算したなんてと
ても言えないと思う。

いつまでも整理できない重石。
光輪さんは前に、それはずっとそのまま転がしとくって言っ
たんだ。
そして心の重荷が重くて真っ黒だからこそ、奥さんにその重
石の正体を明かしていなかった。

なぜ命のやり取りをしないとならないくらい、親と激しく衝
突したのか。
そして、なぜ僧侶っていう職業選択をしたのか。

ずっと心の中に抱え込んだままだった矛盾や葛藤。
どうしても整理することが出来ない悪感情。
光輪さんは、それを放置しないでどかすことを決めたからこ
そ、これまでずっと伏せていた事実を奥さんや僕らに明かし
たんだろう。

確かにそれはものすごく潔いと思う。
でも、それと同時に逃げ場がどこにも……なくなるんだ。

奥さんの懐妊と同時に、自己改造を決意して突っ走ってきた
光輪さん。
それが自分を追い詰めてしまわなければいいなと。

僕は……どうしても心配してしまう。

前に瞬ちゃんに言われたこと。

『足元とずっと先を同時に見ろ』

今の光輪さんは、先しか見ていない。
足元にある石でこけないよう、それを蹴飛ばしながら全力で
進むつもりなんだろう。
それがずっと続けられればいいけど、もしつまずいてしまっ
たら……。

自分にも他人にも、ごまかしなしでまじめに生き続けようと
する人は素晴らしいと思う。
でも、本当にそう出来るかどうかはまた別だ。

最初に会った頃、光輪さんからでろでろ流れ出ていたいい加
減オーラ。
今は……むしろそっちの方が必要なんじゃないかなって。
つい、心配しちゃう。


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三年生編 第83話(5) [小説]

光輪さんは、生まれたばかりの赤ちゃんの顔をじっと見つめ
る。

「俺も見並も、後継ぎの話さえなければもうちょい真っ当な
人生送れたかもな。でも、今更それぇ愚痴ってもしゃあない
さ」

聞いていいものかどうか、だいぶ迷ったんだけど……。

「あの、光輪さん、奥さん。お坊さんになったり、家を継い
だりしたのは……懺悔のためですか?」

「違う」

すぱっと。光輪さんが否定した。

「前も言ったっろ? 俺は一生親を許すつもりはねえ。だか
ら坊主になったんだ。俺の中の鬼は、俺が坊主じゃねえと抑
えらんねえんだよ」

「そ、そっか!」

「わたしも……違うかな」

奥さんは、少し寂しそうに微笑んだ。

「心がぼろぼろだったあたしでも出来ること。それが……う
ちの畑を耕すこと。それだけなの」

「……」

「まともに学校に行かないで、遊んでばっかだったあたしに
出来る仕事なんかなんもないよ」

奥さんは、何度も大きな溜息を漏らした。

「甘くない。ほんとに……甘くない。後継ぎは、遊んで暮ら
せる? そんなわけないじゃん」

うん……。

「親父やお袋が生きてる間はなんとかなるけどさ。そのあと
は、全部自分でやんないとなんない。畑仕事なんかしません、
出来ませんじゃあ、すぐに野垂死にだよ。あたしは、他に何
もやれないんだから」

光輪さんの言葉も奥さんの言葉も、とんでもなく苦かった。

誰かに償うためじゃなく、自分の人生のために、生活するた
めに働いてる。その動機は、他の人と何も変わらないと思う。
でも……。

二人にとって、お坊さんと農家として働くことは決して楽し
いことではないんだろう。
それなのに、職を子供に継がせるの?

ああ、だからさっき光輪さんが言ったんだ。
なるようにしかならないって。

ずっしり重くなった空気に嫌気がさしたのか、しゃらがす
ぱっと話題を変えた。

「あのー、娘さんのお名前は?」

そうそう。
それを聞いてなかったんだ。

奥さんの表情が、ぱっと明るくなった。

「あはは! めっちゃめちゃ揉めてねえ」

げー……。

「光輪さんとですか?」

「まさかー。ダンナはなんでもいいってさ。だからあたしが
一生懸命考えたんだけど、親父とぶつかってねえ」

ひりひりひり……。

「折れたんですか?」

「そんなわけないじゃん。あたしの勝ち」

奥さんが、にやっと笑う。

「むつみ。親睦の『睦』に美しい」

「わ! かわいい名前ですー」

「でしょ? 親父の考える名前はみんなキラキラでさあ。論
外だよ」

どてっ! 思わずぶっこけた。

「普通、逆じゃ……」

「あはは。親父も、どっかぶっ飛んでるからねえ」

ぶつくさ言いながら、それでも奥さんから尖った感情がこぼ
れて見えることはなかった。
僕は、そのことにものすごくほっとする。

二人とも、全ての悪感情を飼い慣らしたわけじゃないんだろ
う。
でも、生まれたばかりのかわいい赤ちゃんに自分たちの汚い
垢を付けたくない。光輪さんや奥さんの態度や言葉から、そ
ういう決意みたいなものがくっきり見えて。

……すごく潔いなって思った。



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三年生編 第83話(4) [小説]

光輪さんに急かされるようにして、寝室に移動。
廊下の途中に客間があって、親族の人たちが賑やかにわいわ
い話をしていた。
僕は……勘助おじさんのことを思い出してしまって……少し
辛かった。

「見並。入るぞ」

ぼすぼすとふすまをノックした光輪さん。
向こうから、いいよーと返事が返ってきた。

「失礼しまーす」

僕もしゃらも、もっとこじんまりでアットホームな雰囲気を
思い浮かべてたから、自分がまるっきりの異邦人のように感
じちゃう。お尻がむずむずする。

光輪さんが、お寺に詰めるはずだよ。
ここじゃ居心地悪いだろなあ……。

見並さんは、授乳が終わった赤ちゃんにゲップをさせていた
ところだった。

「わ! かっわいいーっ!!」

しゃらのテンションがマックスになった。
いや……冗談抜きに、生まれて間もないのにこんなに整った
顔の赤ちゃんは見たことない。

「あはは。ありがと。もう、姉貴たちが舞い上がっちゃって
さあ」

見並さんが、げんなり顔。

「ベビーモデルにするって騒いでたから、さっき雷落とした
の。そっとしといて欲しい」

うわわ。

「でも、おじいちゃんが喜んだでしょう」

「そうね。姉貴たちにも子供がいるから初孫ではないけど、
跡取りになるかもしれないからね」

やっぱりか……。

「まあ、なるようにしかならないよね」

「そうさ」

どすん。
座ってあぐらをかいた光輪さんが、ゆっくり目を瞑った。

「俺が親父と揉めた元も、そいつだ」

あ……。

「俺は、クソ田舎の辛気臭い寺なんざ継ぐ気はなかった。そ
こが最後まで合わんかった」

!!

光輪という名前。
それはお坊さんとして名乗る時の法名じゃなくて、本名だっ
たってことか。

「俺は坊主なんかまっぴらだったのさ」

「でも……それじゃなんで今は?」

しゃらが、おずおずと尋ねる。

「親父と派手にやらかした後。少年院に来た教戒師のおっさ
んにがっつりねじ込まれたんだよ。坊主をやってもいねえく
せに、偉そうに坊主の良し悪しを言われたくねえってな」

「あ!」

光輪さんは、ぐいっと腕を組んで強く顔をしかめた。

「あらあ、心底堪えたなあ」

……。

「俺には、もう継ぐ寺はねえよ。俺の実家の寺は廃寺になっ
ちまった」

「事件のせいですか?」

「違う。村の人口が減って、檀家がいなくなったんだ。坊主
じゃ食ってけん」

「そ……か」

「それなら、継ぐ継がんを考えないで、いっちょ坊主やって
みようかって。そう思ったのさ」




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三年生編 第83話(3) [小説]

バスを降りてから、ながーい農道をてくてく歩き詰めて、古
い家並みが点在する集落に入る。

光輪さんにも奥さんにもお寺と畑で会ってるから、家がどこ
にあるのか分かんない。
畑仕事してたおっちゃんやおばちゃんに、伊予田さんのお宅
を教えてくださいって聞いてみたけど、だあれもそんな人い
ないよって。

うそお!?

待てよ……。
そういや奥さんが、跡取りだって言ってたような。
戸籍では伊予田でも、家の方は奥さんの名前かもしれない。

でも、僕はそっちの名前をすっかり忘れてしまってた。
さあ、困ったどうしよう。

二人して、農道のど真ん中で途方に暮れてたら、ちゃりで通
りかかったじいちゃんが、どうしたって聞いてくれた。

「伊予田光輪さんという方のお宅に、出産祝いで伺おうと思っ
たんですけど」

ちゃりを降りたじいちゃんが、歯の抜けた顔をくしゃくしゃ
にして大笑いした。

「ぎゃっはっはっはっは! あのクソ坊主ンとこかい。そら
あ、伊予田なんて名前で探しても無駄だわ」

ううう。

「坂木の大将ンとこだろ。あっちだ。車がいっぺえ停まって
るから分かる」

じいちゃんが、ぐいっと手を伸ばした。

僕もしゃらもその方角を見たんだけど、家が豆粒。
ううう、視力が全然違う。

「ありがとうございますー」

「クソ坊主に、とっとと働けいうといてくれや」

うひー。

「はいー」

「はあっはっはっはー」

家は全然特定出来なかったけど、坂木っていう奥さんの実家
の名前と、車がいっぱい停まってるっていう情報だけあれば、
なんとかなるでしょ。

顔を見合わせて苦笑いした僕らは、じいちゃんが指差した方
へてくてく歩き出した。


           −=*=−


「ぐわあ!」

「ひええ!」

大ショック!

田舎の農家を甘く見てた。
家が……とんでもなく立派で、でっかい!

そっか……。
僕の中では、農家って広い田畑の中にぽっちりってイメージ
があったんだけど、とんでもない!

きっと、持っている土地もものすごく広いんだろう。
そりゃあ……後継ぎを必死に確保しようとするはずだわ。

ひろーい庭には、立派な車が何台も停められてる。

「ちょ、ちょっと……いっき」

「う……へえ。びびる」

「だよね」

僕もしゃらも、思い切り腰が引けてしまった。
でも、せっかくここまで来たんだし。

開けっ放しになってた玄関の戸に首を突っ込んでみる。
ちょうどそのタイミングで、外に出ようとしてた光輪さんと
目が合った。

ラッキー!

「光輪さん! おめでとうございますー!」

どすどすと大きな足音を立てながら、光輪さんが玄関先まで
出て来てくれた。

「わざわざ済まんな」

「いえー。でも、すごいお宅なんですね」

へっぴり越しのまま、家の中をぐるっと見回した。

「はっはっは! 田舎じゃあ、見栄も財産のうちだ」

「へえー」

「ま、上がれや。見並も今は起きてるし」

「奥さん、具合が悪いんですかー?」

しゃらが不安顔で聞き直した。

「はっはっは! 赤ん坊は腹が減ったら泣く。そのたんびに
起こされるのさ。俺がおっぱいやるわけにはいかねえからな」

「あ! そっかあ」





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三年生編 第83話(2) [小説]

駅前のデパートで紙おむつとかわいいスタイを買って、進物
用にラッピングしてもらった。
僕としゃらを見る店員さんの視線がどうにも気になったけど
ね。
まさか、僕らの子供に買っていくんだと思ってないだろうな
あ……。

まあいいや。

お祝いの品にしては大荷物になった包みをぶら下げて、駅前
からバスに乗る。
いつもはモヒカン山を越すルートで行くけど、荷物持って制
服姿で行くにはしんどいから。

僕は前にバスを使ったことがあるけど、しゃらは初めてのは
ずだ。
案の定、市街地を抜けてからずんずん変わっていく景色に興
味津々だ。

「うわ……ずっと市内で生まれ育ったって言っても、こっち
には来たことないから全然知らんかったー。こんな景色がま
だ残ってたんだねー」

「そう。僕も最初びっくりしたんだよね。むかーしむかしの
田貫市って、こんな感じだったのかなあって」

「そういや、リドルのマスターも前にそんなこと言ってたよ
ね」

「そうだそうだ」

うちがある森の台も、かつては稲荷山の山麓。
うっそうと木が生い茂った森だったって。

今僕やしゃらが見ている景色は、レガシー、遺産……なのか
なあ。

いや、そんなことはないよね。
何百年、何千年と変わらないで続いているものなんか、ほん
の少ししかない。
僕らが何かを遺産として残すのは……本当に難しいんだろう。

ふと、前に光輪さんに聞いたことを思い出した。
設楽寺は、建立の時の建物をもう残していないって。
何度も焼けて、その都度建て直されて今に至ってる。

つまり。
設楽寺っていう建物は遺産として残ってない。
残っているのは……そこにお寺を維持しようとする人の心。
心の繋がりなんだ。

光輪さんと奥さんの間に生まれた赤ちゃん。繋がれた命。
その子は……またお寺を残そうと考えてくれるんだろうか?

分からないよね。

ものや環境は変わっていく。
未来永劫に残るものなんか、どこにもない。
じゃあ、僕らは何を誰に残そうとすればいい?

「ふ」

思わず苦笑いしちゃった。
自分のこともろくたら決められてないのに、そんなこと考え
てもなあって。

「どしたん?」

「いや、ちょっとつまんない考え事」

「ふうん……」


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三年生編 第83話(1) [小説]

8月18日(火曜日)

昨日の夕方届いた、光輪さんとこのお子さん誕生のニュース。
おめでたい話は、出来るだけ早く知らせた方がいい。

僕は昨日の夕食後すぐに、しゃらにメールを流した。

『光輪さんとこ、女の子が生まれたって!』

しゃらからは、メールじゃなくて直電が返ってきた。

「いっき! 光輪さんとこ産まれたんだって? いつ?」

「何日に産まれたかは聞いてないけど、奥さんはもう退院し
たって言ってたから三日くらい前ちゃうかなあ」

「そっかあ……」

「すっごい嬉しそうだったよ」

「ふふ。そうだよねー。お見舞い、行くの?」

「うん。光輪さんに聞いてみたら、ばたばたしてるけどいい
ぜって言ってから、赤ちゃんの顔だけちらっと見せてもらお
うかなって」

「行こ行こ! 女の子かあ。奥さん美人だから、かわいいだ
ろうなー」

しゃらの声が弾んでる。
しゃらも、ほんとにこども好きだよな。
おっと、そうだ。お祝いどうすべ。さすがに手ぶらはまずい
だろ。前にスイカもらってるし。

「しゃら。出産祝い、何持って行こうか?」

「んー、ベビー服とかいいなあと思うんだけど、似合う似合
わないがあるからなあ」

「無難に紙おむつにしとく?」

「そだね。それにスタイかなんか付けよう」

「えと。すたいって?」

「よだれかけのこと」

へー、そう呼ぶのかー。知らんかったー。

「じゃあ、明日の朝十時に坂口のバス停で待ち合わせよう。
奥さんの実家は山向こうだから、歩いてくよりバス使った方
が近い」

「分かったー」

「てか、明日出られる? 家のこととか大丈夫?」

「行けるよー。明日はバイト入ってないし、買い物も今日済
ませたから」

「分かったー。じゃあ、明日バス停で」

「わあい!」

ふう……。
しゃらは今、お母さんのお世話とか家事負担があって結構キ
てるんだよね。近々田中って人との接見も控えてるし。
ストレスと緊張でかなりいらいらしてるだろう。

産まれたばかりのかわいい赤ちゃんの顔を見せてもらって、
少しでも気分転換出来たらいいなと思う。


           −=*=−


月曜の朝。
受験勉強で家に缶詰の時間が長かった僕にとっては、久しぶ
りに開放感が味わえる日になるだろう。たとえ、その時間が
短くてもね。

出産祝いの買い物するのに一度駅前に出ないとならないから、
制服で出発。
そのあと家に帰って私服に着替えるのはめんどい。
制服のままで光輪さんのところに行っちゃおう。

坂口のバス停に現れたしゃらは、最近会った中では一番機嫌
がよかった。めっちゃめちゃテンションが高い。

「いっき、おはー!」

「うーっす。楽しみだなあ」

「だよねえ! なんていう名前にしたのかなあ」

「あ、それ聞いてなかった。そっか」

「でしょー? お坊さんだから、それっぽい名前?」

「さすがに、女の子にそれはないんじゃね?」

「あははははっ!」

自分の進路のことだけでもしんどいのに、お母さんの不調や
店の新築、バイト、お兄さんのこと、弓削さんのこと……。
いろんな心配事がどかあっとのっかってきて、しゃらにとっ
ては堪え時になってる。

どこかに突き抜けて楽しめる時間がないと、そのしんどさを
抱え切れなくなるよね。
しゃらが弾けてるのは当然なんだよな。

お、バスが来た。

「おーっし! 行くぞーっ!」

それじゃあ、お見舞いっていうより出陣だよ。くす。





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三年生編 第82話(7) [小説]

リドルで昼ご飯を食べてから家に帰り、勉強再開。
夕方までしっかり集中出来た。

「ふーう」

「いっちゃあん!」

お、リビングから母さんのでかい声。
夕飯コールかな?

「電話よー」

へ? 家電? 誰だろ?

「今降りるー!」

ばたばたと階段を降りたら、母さんが子機を持って待ち構え
てた。

「誰?」

「伊予田さんて言ってるけど」

「わ! 光輪さんじゃん」

もしや!

「光輪さん? 工藤ですー」

「はっはっは! 生まれたぜ。娘だ」

「おおーーっ!! おめでとうございます! 奥さんはもう
退院なさったんですか?」

「おう。見並の実家にいる」

「僕ら、赤ちゃんを見に行ってもいいですか?」

「構わんぞ。てんやわんやだがな」

「じゃあ、しゃらを誘ってお見舞いに伺いますー」

「はっはっはっはっはあ! この俺が親父だとよ」

思い切り笑い飛ばした光輪さんだけど、僕はその声の奥に涙
を感じ取った。
人並みの幸せを得られた安堵感と、抱え込んだ業に再び向き
合わなければならない悲壮感。

……複雑なんだろなあ。

電話を切って、ほっと一息。
それでも、赤ちゃんの誕生は嬉しいよね。
望まれて生まれてきた子だもん。光輪さんも奥さんもべたべ
たにかわいがるだろうし。

「ねえ、いっちゃん。誰?」

「光輪さん。去年、僕がどつぼってた時にスイカ持って来て
くれたお坊さんがいたでしょ?」

「あ! 思い出した。設楽寺の住職さんね」

「うん。娘さんが生まれたんだって」

「あらあ! 初めての子?」

「そう。ものすごく喜んでた。僕にまで電話かけてきたって
ことは、めっちゃ嬉しかったんでしょ」

「あはは。そうかあ」

夕食の配膳の手を止めた母さんが、夕暮れの庭を見回した。

「消える命……現れる命……かあ」

そうだね。
失われた命は、もう取り戻せない。
それなら、生きている僕たちが生命のバトンを渡していかな
いとならないんだろう。

勘助おじちゃんの死は本当に悲しかったけど。
五条さん、光輪さんと、命のバトンは確実に渡ってる。
次は会長の第三子、宇戸野さんの第二子、そして片桐先輩の
弟か妹……かあ。

いいよね。
みんな、心から望まれて生まれてくる子供たちだもん。

そりゃあさゆりんとこみたいに、オトナになるまでの間に何
かかにかあるだろうけどさ。
それでも生きてる限りはリセットが出来るし、親が子供を見
捨てるってことはないでしょ。

僕も……やっと昔のことを引き合いに出さなくても済むよう
になってきたかな。

今日渡辺さんにしゃらとの馴れ初めのことを話する時、うっ
かりネガをしゃべりそうになっちゃったけど。
それは口から吐き出さないで済んだ。

後輩に引き継ぐのは希望のタネ、そして力一杯楽しむことが
出来る今。それだけでいいと思う。
そこに、僕の汚い過去を混ぜたくない。

史実としての、中庭の過去。
渡辺さんや一年生たちに知って欲しいのはそれだけだ。

そして。中庭の恐ろしい面を知って逃げ出すんじゃなく、僕
ら一期生がそれに真正面から挑んできたってことを、分かっ
て欲しいな。
そうしたらきっと、自分たちだって負けないぞって思ってく
れるだろうから。

「ただいまあっ!」

玄関先で大きな声が響いて、僕の考え事はぷっつり途切れた。
実生が帰ってきたな。
母さんが、リビングを出て出迎える。

「忙しかった?」

「うん。今日は日曜だったから、ずっとお客さんが途切れな
くて」

「マスターとしては一安心だよな」

「ずっとにこにこしてたよ」

「実生も立派に看板娘になったってことだろ」

「えへへ。商店街のおばちゃんたちが、みんなわたしの顔
知ってるから来てくれるのー」

「いじられてるでしょ?」

「まあね。でも、楽しいー」

母さんは、ほっとしたんだろう。
すぐに僕に指令を出した。

「いっちゃん、お父さん呼んできて。ご飯だよって」

「うーい!」




bluesalv.jpg
今日の花:ブルーサルビアSalvia farinacea


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三年生編 第82話(6) [小説]

「そうだなー。この中庭にはいろんな歴史があって、それは
決していい出来事じゃない。今は校舎の裏にある初代校長の
銅像、そして銅像の後釜になったモニュメントは飾り物じゃ
ないんだ。ちゃんと役割がある」

「役割、ですか」

「そう。だから、モニュメントは大事にして欲しいなーと。
それだけ」

「手紙置いちゃ……だめってことですか?」

「いや、それはいいと思うよ。想いを伝えたいっていうの
は、すっごいポジティブなことじゃん」

「はい」

「だったらいいと思う。たださ」

「うん」

僕はモニュメントの台座を指差した。

「前は、そこに女性の髪が埋まってたんだよ」

「う、うそー」

予想外の僕の言葉に怖じ気付いた渡辺さんが、じりじりっと
後ずさった。

「今はもうモニュメントの下から撤去されてて、供養は済ん
でるの。でも、マイアーはその時に一緒にいたんだよ。一部
始終を見てるんだ」

「あっ! そうか。じゃあ……」

「でしょ? 君の手紙を見た時に、イメージが重なっちゃう
だろなあと」

渡辺さんは、慌ててぱたぱたとモニュメントのところに走り
寄って、手紙を回収した。

「あの、先輩。ありがとうございますー」

「ははは。まあ、がんばって」

「はい!」

「小細工は後悔が残るよ。まっすぐトライした方がいいと思
うな」

「……。先輩はどうだったんですか?」

「ああ、しゃらとのことかい?」

「はい」

「最初の告白は向こうから。僕は最初オーケーを出さなかっ
たんだ。友達からねって、そう答えた」

「えええーーーーーっ!?」

ものすごいオーバーアクション。
何を贅沢な。そう思ったんだろうなあ。とほほ。

「でもその後僕からもコクってるから、お互いさまちゃうか
なー」

「それは、直接ですか?」

「直接だよ。しゃらから僕の時も、僕からしゃらの時も」

ほんとかなあ。そういう疑いのマナコだ。ちぇ。

「でもね、それは僕らに勇気があったからとか、そんな理由
じゃないんだ」

ふうっ。
思わず溜息が漏れる。

「あの……どして、ですか?」

「僕らは直接言葉にしないと保たなかった。僕もしゃらも、
相手の心をじっくり探る余裕なんかなかったのさ」

「意味が……」

「あはは。分かんなくてもいいよ。それは僕としゃらの間で
しか意味がないから。渡辺さんには渡辺さんのやり方がある
でしょ。それでいいじゃん。僕のアドバイスは余計なお世話
さ」

「うう」

ゆっくり中庭に踏み入って、もう一度モニュメントの側に立
つ。三本の柱を平手でぽんぽんと叩いて、話しかけた。

「恋バナの出来る庭になって良かったよ。これからもよろし
くね」

鳳凰もようこもいないけど。
それとは別に、モニュメントはこれからもぽんいちの学生た
ちをずっと見守ってくれるだろう。
そういう願いをこめながら、僕は改めてモニュメントをぱん
と叩いて激励した。

ふぁーん!!

その音が三本の柱の間で共振して……中庭をゆったりと満た
した。

その音をかき消すようにさわっと風が中庭を吹き抜けて。
満開のブルーサルビアの花を揺らす。

どんなに咲き揃っても、その青い波には圧迫感がない。
赤や黄色、ピンクのようなはっきりした自己主張は感じない。
それでも一つ一つの花は生きていて、何かを訴えているんだ
よね。

想いを口にして真っ直ぐ伝える。
伝えるには、それが一番確実だと思う。
でも、そうしないこと、そう出来ないことにもちゃんと意味
があるんだ。

そんな風に……考えよう。

「あ、じゃあ僕はこれで」

「ありがとうございますー」

「がんばってねー」

渡辺さんが、大慌てで中庭を駆け出していった。
そのあと僕も中庭を出ようとしたら、日課の見回りに来たみ
のんと鉢合わせた。

「お。みのん、おつー」

「どう?」

「すごくきれいにしてくれてるじゃん。一年生部員はほんと
に優秀だね」

「四方くんと一緒に、だいぶどやしたからなー」

「わはは! じゃなー」

「うーす」

みのんの背中に向かって手を振りながら、僕は思う。
僕には……いやきっと渡辺さんにも、結果は分かってる。
それでも、想いは溢れる。閉じ込めてはおけないってね。


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三年生編 第82話(5) [小説]

そういや片桐先輩が最初に中庭の鎮護に乗り出した時、モ
ニュメントの真下に埋められてた宇戸野さんの髪を探し出し
てるんだ。
マイナスの念を帯びた髪が、モニュメントの抑えの力を削い
でるって言ってたなあ。

「今はもうそんなのはないよね。げっ!!」

何気なくモニュメントの中をひょいと覗き込んで、心臓が止
まるかと思ったくらい驚いた。

「て、手紙ぃ!?」

何の飾りけもない白い角封筒。口が開かないように小石が乗
せられてるってことは、封がされてないのか。

「うーん……」

みのんのことだ。ここには毎日来てるはず。
中庭の中にゴミが落ちてないかどうか、厳しく見回っている
だろう。こんな目立つものを見逃すはずがない。
つまり、昨日みのんがここを出て、今日僕がここに来るまで
の間に置かれたものだろう。

なんのため?
僕には一つしか思い浮かばなかった。

「みのんへのラブレターだろなあ」

みのんは、ここにいる間は女の子と付き合うつもりはないと
はっきり宣言している。
それでも。それでもなお、みのんに想いを寄せる女の子は跡
を絶たない。

そりゃそうさ。人の気持ちだけは、理屈じゃないもの。
好きも嫌いも感覚的なもので、それはどうしてって聞かれて
も困る。

そして。
当たり前だけど、好きってなったらどうしてもそれは伝えた
くなる。伝えないと、両想いになれるチャンスがないもの。
もちろん、伝えたって玉砕しちゃう可能性の方がずっとおっ
きいけどさ。それでも、ね。

なぜ、モニュメントの真下に置いたか。
願をかけたんだろなあ。
自由、創造、友情を象徴するモニュメントの三本の柱。
それぞれの力が決意を後押ししてくれる。

そしてモニュメントの真下に置けば、他の場所と違って見回
りに来たみのんの目に確実に留まるんだ。

確実にってことなら下駄箱の中に置くのが一番だけど、そこ
はライバルが多いし、どうしてもラブレターを仕込むアク
ションが目立っちゃう。こっそりが出来ない。
見せつけるように堂々とっていうデモンストレーションは、
そういうのが大嫌いなみのんへのアピールとしては、最低の
策になっちゃう。

「むぅ」

それはいいけど。
どうするか、だよね。

ただのゴミとして僕が処理してもいいけど、中身が何かあた
りが付くからそれはちょっとなあ。
しゃあない。見なかったことにして成り行きに任せるか。

僕は、見下ろしていたモニュメントの台座から視線を外して、
そっと離れた。

「ふうっ」

僕が中庭入り口の水盤のところまで戻ったら。
一年生の部員らしい女の子が、顔を伏せたままこそっと近付
いてきた。
色白で小柄。派手な雰囲気はないけど、かわいい系だ。
かっちんがむふふと喜びそうなタイプ。

「あの……工藤先輩」

「こんにちは。当番?」

「はい」

「ええと、ごめん。一年生の部員は人数多いから、まだ全部
は覚えきれてないんだ。君は?」

「渡辺です」

「渡辺さんか。お疲れさま」

「あの……」

「なに?」

「み、見ました?」

その子が、おずおずとモニュメントを指差す。

「あるのは分かったけど、中は見てないよ」

ほっとしたように、その子が顔を上げた。

「マイアーに、だろ?」

「う」

返事は返ってこなかったけど、多分そうだろう。

「あいつの基本姿勢は知ってるよね」

「……うん」

「それが分かってるなら、いいんじゃない?」

「そうなんですか?」

「だって、ずっと抱えてるって苦しいじゃん」

「は……い」

僕は、もう一度中庭をぐるっと見回す。
塞がった鬼門。負の感情が吹き溜まりやすい危険な場所。
羅刹門の亀裂が封鎖されたって言っても、この中庭の危険な
性質が全て解消したわけじゃない。

ここにしか捨て場のない念が吹き溜まると……。
いつかまた、不幸の再生産が始まりそうな気がする。
それは……いやだなあ。

僕は無意識にしかめ面していたんだろう。
渡辺さんが、それを気にしたみたいだ。

「あの……やっぱりダメ、ですか?」

「え?」

慌てて、振り返る。

「違うよ。君の手紙のことじゃないの。ここの、この中庭の
変な性質のこと」

「へっ?」

今度は、渡辺さんがすっとんきょうな声を上げた。

「ははは。渡辺さんは、荒れてた中庭を僕らが整備した。そ
う先輩たちに聞いてるでしょ?」

「はい」

「じゃあさ。なんでずっと荒れたままだったと思う?」

「あ……」

ぽかんと口を開けて、渡辺さんも庭を見回す。

「ははは。そういうのも一年の部員で調べてくれるとうれし
いかな。そうしたら、君たちがここを見る目が少しだけ変わ
るかもしれないね」

「工藤先輩は、調べたんですか?」

「もちろん。僕がこの中庭整備のプロジェクトを立ち上げた
理由。それは……」

「はい」

「最初は、荒れてるからきれいにしたいなっていう単純な動
機だったの。でも、今言ったみたいに、なんでそんな長い間
ずっと荒れたままだったんだろうって思ってさ」

「ふうん」

「最初は美化のはずだったのが、謎解きになったんだ」

「わ! 知らなかったですー」

「でしょ?」

そう。そこから僕の戦いが始まったんだよね。
校長との条件闘争、事務長の説得、片桐先輩とタッグを組ん
での鎮護、そして羅刹門の封鎖。

ただそこにあるだけで、僕らには何もしない、出来ないはず
の中庭が、まるで僕らに挑みかかる化け物みたいに感じたん
だ。





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