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三年生編 第83話(6) [小説]

その後、奥さんのお姉さんたちとその子供たちが乱入してき
て、わちゃわちゃになっちゃった。

子供たちの遊び相手をさせられて、へっとへと。
でも、家全体が赤ちゃんの誕生を全力で祝ってる……そんな
ものっすごく巨大なエネルギーを感じて、僕は気持ち良かっ
た。しゃらも、いい気分転嫁になったと思う。

赤ちゃんの顔をちらっと見せてもらって帰るはずが、お昼ま
でごちそうになっちゃって。
僕らは大満足で光輪さんとこを引き上げた。

だけど……。

帰りのバスの中。
むっつり僕が黙り込んだのを見て、しゃらがこそっと突っ込
んできた。

「いっき、なんか気になるの?」

「いや、気になるってことじゃなくてさ。光輪さんも奥さん
も、崖っぷちに立っちゃったんだなあと思ってね」

「へっ!?」

しゃらが、ぎょっとしたようにのけぞった。

「崖っぷちぃ!?」

「そ」

ふうっ。

僕はまだ世間知らずのガキさ。
だから、光輪さんや奥さんの生き方には偉そうに口を出せな
いよ。

でも、過去を薄めようとしている僕と違って、二人はいつま
でも過去をちゃらにしないんだ。
視線はちゃんと前に向けてるけど、過去を清算したなんてと
ても言えないと思う。

いつまでも整理できない重石。
光輪さんは前に、それはずっとそのまま転がしとくって言っ
たんだ。
そして心の重荷が重くて真っ黒だからこそ、奥さんにその重
石の正体を明かしていなかった。

なぜ命のやり取りをしないとならないくらい、親と激しく衝
突したのか。
そして、なぜ僧侶っていう職業選択をしたのか。

ずっと心の中に抱え込んだままだった矛盾や葛藤。
どうしても整理することが出来ない悪感情。
光輪さんは、それを放置しないでどかすことを決めたからこ
そ、これまでずっと伏せていた事実を奥さんや僕らに明かし
たんだろう。

確かにそれはものすごく潔いと思う。
でも、それと同時に逃げ場がどこにも……なくなるんだ。

奥さんの懐妊と同時に、自己改造を決意して突っ走ってきた
光輪さん。
それが自分を追い詰めてしまわなければいいなと。

僕は……どうしても心配してしまう。

前に瞬ちゃんに言われたこと。

『足元とずっと先を同時に見ろ』

今の光輪さんは、先しか見ていない。
足元にある石でこけないよう、それを蹴飛ばしながら全力で
進むつもりなんだろう。
それがずっと続けられればいいけど、もしつまずいてしまっ
たら……。

自分にも他人にも、ごまかしなしでまじめに生き続けようと
する人は素晴らしいと思う。
でも、本当にそう出来るかどうかはまた別だ。

最初に会った頃、光輪さんからでろでろ流れ出ていたいい加
減オーラ。
今は……むしろそっちの方が必要なんじゃないかなって。
つい、心配しちゃう。


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三年生編 第83話(5) [小説]

光輪さんは、生まれたばかりの赤ちゃんの顔をじっと見つめ
る。

「俺も見並も、後継ぎの話さえなければもうちょい真っ当な
人生送れたかもな。でも、今更それぇ愚痴ってもしゃあない
さ」

聞いていいものかどうか、だいぶ迷ったんだけど……。

「あの、光輪さん、奥さん。お坊さんになったり、家を継い
だりしたのは……懺悔のためですか?」

「違う」

すぱっと。光輪さんが否定した。

「前も言ったっろ? 俺は一生親を許すつもりはねえ。だか
ら坊主になったんだ。俺の中の鬼は、俺が坊主じゃねえと抑
えらんねえんだよ」

「そ、そっか!」

「わたしも……違うかな」

奥さんは、少し寂しそうに微笑んだ。

「心がぼろぼろだったあたしでも出来ること。それが……う
ちの畑を耕すこと。それだけなの」

「……」

「まともに学校に行かないで、遊んでばっかだったあたしに
出来る仕事なんかなんもないよ」

奥さんは、何度も大きな溜息を漏らした。

「甘くない。ほんとに……甘くない。後継ぎは、遊んで暮ら
せる? そんなわけないじゃん」

うん……。

「親父やお袋が生きてる間はなんとかなるけどさ。そのあと
は、全部自分でやんないとなんない。畑仕事なんかしません、
出来ませんじゃあ、すぐに野垂死にだよ。あたしは、他に何
もやれないんだから」

光輪さんの言葉も奥さんの言葉も、とんでもなく苦かった。

誰かに償うためじゃなく、自分の人生のために、生活するた
めに働いてる。その動機は、他の人と何も変わらないと思う。
でも……。

二人にとって、お坊さんと農家として働くことは決して楽し
いことではないんだろう。
それなのに、職を子供に継がせるの?

ああ、だからさっき光輪さんが言ったんだ。
なるようにしかならないって。

ずっしり重くなった空気に嫌気がさしたのか、しゃらがす
ぱっと話題を変えた。

「あのー、娘さんのお名前は?」

そうそう。
それを聞いてなかったんだ。

奥さんの表情が、ぱっと明るくなった。

「あはは! めっちゃめちゃ揉めてねえ」

げー……。

「光輪さんとですか?」

「まさかー。ダンナはなんでもいいってさ。だからあたしが
一生懸命考えたんだけど、親父とぶつかってねえ」

ひりひりひり……。

「折れたんですか?」

「そんなわけないじゃん。あたしの勝ち」

奥さんが、にやっと笑う。

「むつみ。親睦の『睦』に美しい」

「わ! かわいい名前ですー」

「でしょ? 親父の考える名前はみんなキラキラでさあ。論
外だよ」

どてっ! 思わずぶっこけた。

「普通、逆じゃ……」

「あはは。親父も、どっかぶっ飛んでるからねえ」

ぶつくさ言いながら、それでも奥さんから尖った感情がこぼ
れて見えることはなかった。
僕は、そのことにものすごくほっとする。

二人とも、全ての悪感情を飼い慣らしたわけじゃないんだろ
う。
でも、生まれたばかりのかわいい赤ちゃんに自分たちの汚い
垢を付けたくない。光輪さんや奥さんの態度や言葉から、そ
ういう決意みたいなものがくっきり見えて。

……すごく潔いなって思った。



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