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三年生編 第86話(2) [小説]

「あら、いっちゃん。起きてたの? 叩き起こしに行こうと
思ったのに」

「七時には起きてるよ。勉強してた」

「ちっ! つまんなーい」

高三にもなって母親に布団引っ剥がされるようじゃ、笑いも
のっす。

「学校は明日からだっけ?」

「そ。なんか、締まらない夏休みだったなあ」

「そう? 修行並みの夏期講習こなしたんだし、充実してた
んじゃないの?」

「これといった楽しみが……」

げしっ!
頭を引っ叩かれる。

「いでー」

「受験生が贅沢言うんじゃありません!」

「へいへい」

まあ、そうなんだけどさ。

「ああ、そうだ。来知大、どんな感じだった?」

「ものすごーく堅実。ちゃらけたところはない」

「あのフォルサでの……」

「堅実さなんかばかばかしいっていうアウトローがいるんで
しょ。でも、あんなの少数派だよ」

「ふうん」

「卒業後の就職率がいいみたいだし、学生へのサポートも
しっかりしてる。ただ」

「うん」

「すっごい地味。大学生活しっかりエンジョイしたいって子
には、あんま向いてないかもしれない」

「そっかあ……」

「あくまでも僕の印象だよ。たった一日で全部わかるわけな
いし」

「そりゃそうだ。実生にいいかなあと思ったんだけど」

「やぱし。そうだなー、女子大系よりは合ってるかも」

「どして?」

母さんは、しゃらが目指してるアガチスみたいな女子大系の
方が安心なんだろな。
でも、実生はたぶん拒否するよ。

「いろいろな人がいる環境の方が、自分を薄めていられる。
女子大だと、女の子ばっかで自分の位置決めするのに疲れる
んちゃうかな」

「おー。いっちゃん、よく見てるわー」

「でしょ? 部活の選び方で分かるよ。中学の時の陸上も今
のプロジェクトも男女混合でしょ? 男子に興味があるか
らっていうより、そこにいる子たちの中にまぎれ込みやす
い。リラックス出来る」

「……」

「リドルも、実生にとってはバイトしやすいと思うよ。お客
さんたちの年齢とか立場とかが、自分から遠過ぎでも近過ぎ
でもない。ほどほどの、いい距離でしょ?」

「うわ……」

「実生は、基本すっごい慎重なんだよ。あえてリスクは冒さ
ない。自分のポジションを上手に調整してると思う」

「うーん、じゃあぽんいち受験の時には、どうして賭けに出
たの?」

「市商も柾女も、女の子ばっかだったから。その中にいる自
分をイメージ出来なかったんちゃう?」

「そう」

いつの間にか、実生が降りてきてた。
顔は真剣そのものだ。

「お兄ちゃん。こわいくらいに当たってる。そうなの」

実生は、ソファーに体を投げ出すようにしてどすんと座って、
両手で顔を覆った。

「ふうう……なんかさあ」

「うん」

「自分のことを見透かされるって、いい気分じゃない。で
も、それが嫌ならはっきり言わないとだめだよね」

「そう」

僕は、あえてしっかり肯定した。

「わたしの見かけと中身が違うってこと。お兄ちゃんはそれ
をよーく分かってる。だから、ちゃんと配慮してくれる。で
も、それじゃあどっかで行き詰まるんだよね」

「分かってんじゃん」

「リドルで、お姉ちゃんが仕事を教えてくれた時にそう思っ
たんだ」

「へ? しゃらが?」

「うん。お姉ちゃんね。普段ここや合気道の道場で話してる
時には、すごく優しいの」

「ああ」

「でも、リドルではすっごい厳しかった」

それは初耳だ。

「へえー」

「お姉ちゃん、わたしを見てないの。マスターと、お店に来
るお客さんを見てる。お金を払ってくれる人に、ちゃんとそ
の分やりましたって胸張って言えるようにしないとだめだ
よって」

「でも、実生ならちゃっちゃっとやるだろ?」

「自分ではそう思ってた。でも、お姉ちゃんやマスターの目
はごまかせない。わたしは……どっかで自己満足しちゃう
の」


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三年生編 第86話(1) [小説]

8月23日(日曜日)

「ううー」

机の上に広げた数学の問題集の前で、目一杯うなる。

「ううー」

受験生の夏は灰色?
何、すっとぼけたこと言ってるんだ。
灰色どころか、ごっつメタリックだったやん。

何か、自分自身にすっごい事件とかアクシデントがあったわ
けじゃない。
前半に夏期講習。そのあとは、勘助おじさんが亡くなったダ
メージを引きずりつつ、しゃらのサポとかで駆け回った。

自分が磨かれて光ったって感じじゃない。
外から強烈な光を浴びせられて、無理やり光らされた感じ。
ぎんぎらぎんに。

ほとんどが机に向かっていた時間だった。
それなのに、ずっと走り回ってた感がはんぱない。

そしてさー。
夏休みが恐ろしいくらい短く感じてて、その間一分一秒たり
とも無駄にしたつもりはないのに、どうにもこうにももや
あっと残尿感が。
どっか未達成だったなーって、じわっと。

はあ。
なんとも、すっきりしない高校生活最後の夏休みになっちゃっ
たなあ……。

一年の時が天国、去年が地獄なら、今年はなんだろ?
右往左往? どたばた? 浮遊感?
うーん、そういうのとは違うよなあ。

ちゃんと計画を立てて、僕が出来ることは手を抜かずにやり
切った。もう少しこうしておけばよかったっていう、焦りみ
たいなものはないはずなんだ。
そのないはずの焦りが、夏休みの最後の最後にじわじわと形
になろうとしてる感じ。

「ううー」

たぶん。
しなきゃならないことに隙間がなかったから、余計未達成感
が強くなってる気がする。
スケジュール通りのかっちんこっちんで何も変更しなかっ
たってことじゃないんだけど、全部走りながらだった。
自分を大幅にゆるめてリセットしたり、引き返してやり直
すっていう暇がまるっきりなかったんだ。

方針は固めたけど、疑問符がそのまま残っちゃった感じ。
立水みたいに、どかあんとちゃぶ台ひっくり返すエネルギー
はもう残ってない。そこがなあ……。

考えるのを諦めて、ぱたっと問題集を閉じる。

高校の夏休み。その最後の一日。
それくらいは、好きに使おうか。
僕の性格だとすぐに受験モードに戻っちゃうから、それまで
の間ってことで。

「よし……っと」

持ってたシャーペンをノートの上にぽんと放って、椅子から
降りる。

残暑が厳しいけど小野川沿いをちょこっとジョグしようかな
と思って、ジョギパンとランナーシャツに着替えて部屋を出
た。

「おっと!」

鉢合わせするみたいに、向かいの部屋から実生が出てきた。
よれよれ。見るからに絞りかす。
追試で完全に燃え尽きたとみた。

「どうだった?」

「なんとか……くりあー」

「よかったじゃん!」

「ううう、でもあと二回はこの地獄が来るのかあ」

「ははは。そりゃあしゃあないよ。次は、友達とタッグ組ん
で乗り切りゃいいだろ」

「ううん」

実生が、きっぱり否定した。

「わたしは、そうしない」

「ほ? なんでまた?」

「レベルが違いすぎる。すっごいプレッシャーを感じちゃう
の」

なるほど。
僕らの時にも出来のでこぼこはあったけど、全体としてはど
んぐりの背比べだったんだ。
受験でいろいろあった実生の代は、上下の格差があまりに大
き過ぎるってことなんだろなあ……。

「それなら、先生や教材を上手に使わんと乗り切れんぞ」

「ううう」

「まあ、いざという時には鬼のリョウさんもいるし。げひひ」

「お兄ちゃんの意地悪っ!」

げしっ!
久しぶりに蹴りが来た。いでで。

実生的には、僕にフォローして欲しいってことなんだろ。
でも、これから先はもう無理さ。僕は自分の受験のことで頭
が一杯になる。
まあ……実生もそれが分かってるからいらいらしてるんだろ
うけどね。

ぷんぷくりんに膨れている実生を置いて、僕は大あくびを噛
み締めながらリビングに降りた。



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