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三年生編 第84話(4) [小説]

朝家を出た時よりはましだったけど。
やっぱり、拘置所ってところには入りたくない。
僕もしゃらも……いやほとんどの人は、たぶんそことは一生
縁を持ちたくないと思う。

伯母さんが、拘置所と刑務所は違うよっていろいろ説明して
くれたけど、僕の頭の中にはほとんど残らなかった。

そこはものすごくいかめしい建物ではなかったけど、僕も
しゃらも漂ってくる重苦しい雰囲気に気圧されていた。

約束の時間より、少し早く着いた。
でも余計なことを考えたくなくて、職員の人にすぐ面会室ま
で案内してもらった。

面会手続きをしてくれた伯母さんが、裏のルートを使ったの
か、それとも普通の手続きだったのか、それは分からない。
でも、伯母さんは僕らと並んで面会に臨むつもりはないみた
いだ。
僕らからは少し離れて、部屋の後ろの方に着席した。

「今、田中がまいります。着席のままお待ちください」

案内してくれた職員の女性が、そう言って部屋を出た。

アクリルの頑丈なつい立があって、それがこっちと向こうを
隔てている。
でも、それ以外は特に何もない。普通の部屋だ。

そわそわしていた僕らの様子を見ることもなく、男の職員さ
んに付き添われて、田中っていう人が面会室に入ってきた。

「!!」

粗末なスウェットの上下。
髪もひげもあまり整えられていない。ぼさぼさ。
でも、そのみすぼらしい見てくれを全部すっ飛ばすくらいの
猛烈な威圧感だった。

五条さんが札付きと言った意味が……よーく分かった。

田中って人は、これまで僕らが出会ったどの乱暴者とも雰囲
気が違っていた。

しゃらをいじめ抜いた双子のような、ガキっぽさはない。
テツや谷口のような、軽薄さやずる賢さは感じない。
いつも人を脅して自分を大きく見せようっていう、ヤクザの
見栄みたいなものも感じない。

それはそのまんま、制御出来ない巨大な暴力の塊。

ああ、そうか。
中庭で羅刹門の亀裂を封鎖する時、裂け目から吹き出した猛
烈な力。
それが固まって人間になったみたいな……印象だった。

「おまえ、誰だ?」

自己紹介する前に、いきなりぎょろっと目を剥き出した田中
さんに睨まれる。

ふう……根性を据えよう。
僕は、まず田中さんに一礼した。

「初めまして。僕は工藤樹生といいます」

「初めまして、だあ?」

不信感と嫌悪感を練り上げたような、棘だらけの口調。

「何の用だ」

「弓削佐保さんのことで」

ばん!

僕がその名を口に出した途端に、雰囲気が一変した。
血相を変えた田中さんがアクリルのつい立を蹴破ろうとする
勢いで席を立とうとして、職員さんに押さえつけられた。

「く……」

「佐保さん。元気ですよ。赤ちゃんも元気です」

ほっとしたんだろう。
田中さんの全身から怒気が抜けた。

「そ……うか」

「これからのこともあるので、僕から少し事情説明をさせて
ください」

もう一度、田中さんに一礼する。

「僕の隣にいるのは、田中さんが佐保さんの世話を託した則
弘さんの妹。御園沙良さんです」

「ああそうか。あんたら誰だと思ったが、そっちだったか」

納得してくれたんだろう。
田中さんが深く椅子に座り直した。




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三年生編 第84話(3) [小説]

「田中はいいのよ。あいつは、弓削さんがきちんとケアを受
けられるってことで満足するはず。それ以上は望まないで
しょう。でも、それじゃ半分しかつながらない」

うん。

「生活の苦労はともかく、孤独っていう底なし沼に二人が堕
ちないようにしないと、結局救いがないの」

ああ、そうか。そういう……ことか。
自我がものすごく薄い弓削さんが、田中っていう人をどう位
置付けているのか。
慕っているのか、嫌っているのか、なんとも思っていないの
か。それが、伯母さんにはまだ見えてない。
いや……伯母さんにだけでなく、誰にもまだ見えてない。

僕らは、田中っていう人に弓削さんの今を伝えることは出来
る。でも、それには弓削さんの外側の情報しか入ってないん
だ。

まだ誰も踏み込めていない弓削さんの心の中。
そこに何が、誰が、どんな形と色で入っているのか。
それをうまく伝えられないと、通り一遍の事務報告で終わっ
てしまう。
弓削さんと田中っていう人の縁は、切れてしまうだろう。

僕は……伯母さんから言われたことを元に、これからどんな
風に話そうかっていろいろ考えてみた。

弓削さんにも田中っていう人にも、僕やしゃらは無関係な第
三者に過ぎない。
でも、第三者だからこそ出来る言い方っていうのがたぶんあ
るんだろう。

僕らは、弓削さん自身のことについては何も言えないんだ。
その上で、今の弓削さんには出来ないことを代わりにする。
それしかないよね。

恐怖感で朝からずっとざわついていた心が、少しだけ落ち着
いた。

「ん……」

思い出せ。
今日のことは、伯母さんや弓削さんに頼まれたことじゃない。

僕が。
僕自身が、弓削さんに関わった者として出来ることを考え、
それを僕の意思で実行してる。
誰も、僕にそうしろなんて命令してない。

だから、僕に今出来ることをすればいい。
それ以上も、それ以下もない。

「ふうっ」

「落ち着いた?」

「ちょっとだけ。直接顔を合わせたら、また緊張すると思い
ますけど」

「あはは。それはしょうがないわ」

「でも、僕がしないとならないことは、整理出来ました」

「あの……いっき。わたしは?」

「何も言わなくていいよ。その代わり」

「うん」

「お兄さんを、きっちり弓削さんの件から切り離させてもら
う。きつい言い方しちゃうと思うけど、それは許してね」

激しい怒りの表情を浮かべたしゃらが、ぐいっと頷いた。

僕は、しゃらとお兄さんとの兄妹の縁を切りたくない。
でも、現状ではどうやってもお兄さんを擁護出来る材料がな
いんだ。

孤独に押し潰されるかもしれないっていう、ものすごく強い
恐怖。
僕もしゃらも伯母さんも、同じように辛い思いをしてる。
でも、僕らはその恐怖に負けないよう戦ってきた。
本当に恐怖に打ち勝てたかどうかは分からないけど、投げや
りになって自分を全部ぶん投げることはしなかった。

でも、今のお兄さんは逃げ癖が極限まで染み付いちゃって、
自我がぎりぎりまですり減ってる。
そこは弓削さんとまるっきり同じなんだよ。

しかも、弓削さんは被害者だけど、お兄さんは加害者だ。
何の言い訳も申し開きも出来ない。
虚勢を張るエネルギーすらないのに、行動だけは刹那的。
自分のしでかしたことに後悔も反省もない。
自分には同情して欲しいのに、人の気持ちは何も考えないん
じゃ……本当にどうしようもない。

孤立の怖さを知らないのは、これまでずっと誰かのパラサイ
トとして生きてきちゃったから。
それって、親のすねをかじって暮らしてる僕らとまるっきり
同じなんだよね。

罪を着せられて逃げた時のガキの意識のままで、これっぽっ
ちも成長してない。
いや……空意地すら張れなくなってる分、かえって退化し
ちゃってる。

誰からも切り離して独りの辛さをがっつり認識させないと、
お兄さんはいつまで経ってもパラサイトから抜け出せないと
思う。
五条さんが、独房に入れるみたいにお兄さんを部屋に閉じ込
めてるのは、たぶんそのためなんだろう。

今日、弓削さんの件をお兄さんから切り離すのも、同じ理由
だ。

お兄さんは、最初に逃げ出した時とは違う。
もうとっくに成人してるお兄さんは、被害者だっていう切り
札が使えないんだ。それを言い訳にしたって、生きる役には
立たない。
今のうちに言い訳のネタを全部取り上げてしまわないと、ま
た無責任に逃げ出そうとするだろう。

田中っていう人のためじゃない。しゃらとしゃらのご両親の
ために。
お兄さんが後ろを向いても、そこにはもう何もないよって言
えるように。お兄さんの逃げ道を一つ、確実に、塞ぐ。

僕は弓削さんには何も出来ないけど、お兄さんに出来ること
はあるんだ。あるのなら、僕はそうしよう。

もう一度確認。

僕が田中っていう人に言えること。
弓削さんの今。そして、しゃらのお兄さんとの切り離し。
それだけしかないし、それだけでいいよね。





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