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三年生編 第84話(6) [小説]

両拳をぐっと握りしめ、それで涙を拭った田中さんが、思い
がけないことを言った。

「佐保は。俺の実の娘だ」

ええええええーーーっ!?

僕もしゃらも伯母さんもびっくり仰天。

「俺が父親になるのを嫌がって、美夜が届けなかったんさ。
俺は片親の私生児にしたくなかったんだが、やさぐれてる俺
にはどうしようもなかった」

そうか……。
惚れ抜いたお母さんに頼まれたからって、そこまでするかと
思ったんだけど、実の子供なら話は別だよな。

「親父としてあいつにしてやれることは何もねえんだ。それ
が……情けねえけどよ。でも佐保が元気でいてくれるなら、
それだけでいい」

うるっと……きた。

「どんなやつが来たんかと思ったけどよ。佐保のことを知ら
せてくれるならありがたい。よろしく……頼む」

もう一度。
田中さんが深々と僕らに向かって頭を下げた。
僕らも、同じくらい深く頭を下げてそれに応える。

「あの……」

「うん?」

「一つだけ伺いたいことがあるんです」

「なんだ?」

「佐保さんのお母さんのお墓。どこにあるかを教えてもらえ
ますか?」

「……」

「田中さんの分も報告してきます。佐保さんもお孫さんも、
元気にしてますよって」

田中さんは、もう流れている涙を拭かなかった。
床に、ぽたぽたと涙の雫が落ちていく。

「刈干(かりぼし)ってとこに、円乗寺ってえ小さい寺があ
る。そこに美夜の骨ぇ預けてある。墓はねえんだ」

そっか……。

「坊主に俺の名を出せば分かるはずだ。俺の分も……拝んで
やってくれ」

「分かりました!」

「頼む」

田中さんが、もう一度深々と頭を下げた。

「なあ」

「はい?」

「なんで、あんたら俺によくしてくれるんだ?」

僕は思わず苦笑いした。

「僕も彼女も、二年くらい前には死ぬことまで考えてたんで
すよ」

「は?」

「すさまじいイジメにあって」

「……」

「心が傷付いたのは佐保さんだけじゃない。僕らもそうなん
です」

「そうか……」

「僕らが心を立て直せたのは、親身に支えてくれる人たちと
出会えたから。その恩は……どこかで返したいんです」

「ああ」

「だから。田中さんも則弘さんを恨まないでくださいね。則
弘さんは、覚えのない人殺しの罪を着せられて、僕らくらい
の歳の時に失踪してる。どこにも救いがなくて、今まで逃げ
通しです」

「……」

「則弘さんの心も、ずーっと壊れたままなんですよ。どっか
で治さないと死んでしまいます」

横で、ぶるぶるっとしゃらが震え上がった。
しゃらとお兄さん。出会えた幸運の差でこんなに結果が大き
く違ってしまったってことが、すごく怖くなったんだろう。

幸運に出会えるか、不運につかまるか。
僕らはそれを選べない。
選べない以上、幸運を活かし、不運は捨てるしかない。
それしか……ないんだ。

田中さんは、自分の娘に無節操に手を出した則弘さんを絶対
に許せないだろう。
でも則弘さんがいなければ、そこで弓削さんの人生は終わり
だったと思う。

ものすごく情けない形だったけど、則弘さんが僕らに倒れか
かってきたから弓削さんと赤ちゃんに生き延びるチャンスが
出来た。
そして娘さんを則弘さんに押し付けた田中さんも、そうなる
ことをどこかで期待していたはずだ。

僕は……田中さんの次の言葉をじっと待った

「分かった」

それが田中さんの本心なのかどうかは、僕には分からない。
でも、納得してくれたと……思いたい。

ふうっと頬を膨らませた田中さんは、寂しそうな表情になっ
てすっと横を向いた。

「俺はもう無期でも死刑でも構わねえって思ってたけどよ。
一度でいい。娑婆で……佐保に会いてえなあ」

それは。孤独にあえいでいた田中さんの、心の底からの叫び
だったんだろう。

「また……来ます」

「ああ、頼む」

「今日はこれで失礼します」




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三年生編 第84話(5) [小説]

「ねえ、田中さん。則弘さんを……利用されましたよね?」

僕は、いきなり核心に切り込んだ。

「信用のおけるしっかりした人に預けた方がいい。僕ならそ
う考えます。でも、則弘さんはどうしようもない」

「ああ」

「覇気がない。責任感がない。誰かにこびへつらうことしか
しない。でも、そういう人にしか佐保さんを託せなかった。
違います?」

「おめえ……」

苦々しげに、田中さんが顔を歪める。

「それは則弘さんのせいじゃない。佐保さんのせいです。田
中さんも、困ったんじゃないですか?」

「ちっ!」

鋭い舌打ちの音。
でも、田中さんはあっさりその事実を認めた。

「そうなんだよ。素直なのはいいんだが、何も断らねえ。い
や、誰にも逆らえねえ。言いなりのロボットだ。俺には……
どうしようもなかったんだよ」

田中さんの溜息と僕の溜息が、ぴったりシンクロした。

「ですよね……」

ぐいっと背筋を伸ばして、続きを話す。
面会時間が限られているから、ぐだぐだ余計な話は出来ない。

「僕は沙良さんの彼氏です。則弘さんが佐保さんを連れて実
家に転がり込もうとした時に居合わせたんですよ」

「ああ」

「でね。則弘さんは、食い詰めて田中さんの家を出て実家に
来るまでの間に、佐保さんを抱いて妊娠させてます」

僕は……あれほど恐ろしい表情を見たことがない。
もし、田中さんの前に則弘さんがいたら。
間違いなく三人目の犠牲者になっていただろう。

でも、僕は隠したくなかった。
どうしても隠したくなかったんだ。

「ねえ、田中さん。田中さんが怒るのは筋違いですよ」

「はあ!?」

「そういう人だと分かってて、佐保さんを預けたんですから」

「……」

「もちろん、田中さんが切羽詰まっていたことはよく分かり
ます。だから、今日までのことを蒸し返すつもりはありませ
ん。僕らは則弘さんの代理人じゃない。部外者ですから」

「じゃあ、なんで来たんだ?」

怒りを無理やり噛み潰すようにして、田中さんが声を絞った。

「佐保さんのこれからを考えないとならないから、です」

「……」

「佐保さんは、心がほとんど壊れてます。重病人です。そう
してしまったのは、お母さんでしょう」

「ああ」

「病気ですから、時間をかけて直さないとならない。今、も
う治療に入ってます」

それまで全身に力が入りまくっていた田中さんの緊張が、
ふっと緩んだ。

「そうか……」

「それまで佐保さんにひどいことをしていたのは、みんな男
です。だから、治療に男は関われないんです。もちろん、僕
も含めて」

「ああ」

僕は、後ろを向いて伯母さんに目をやった。
それから視線を田中さんに戻した。

「後ろに座っているのは、僕の伯母です。伯母が女性だけの
シェアハウスを運営していて、そこで佐保さんと赤ちゃんを
看てくれてます」

伯母さんに視線を移した田中さんが、深々と頭を下げた。

「済まねえ。世話をかけるが、よろしく頼む」

うん。
伯母さんの言う通りだったな。
最初、殺気にまみれていた田中さんの気配が一変した。

伯母さんも、それを確かめて安心したんだろう。
笑顔で軽く会釈を返した。

「佐保さんの今の状況を伝えること。関わった僕らには、そ
れしか出来ないんです。ですから、これからも佐保さんの回
復の状況をお知らせします」

ふう……。

「本当は。佐保さん自身が自分の言葉で田中さんと話出来れ
ば一番いいんですけど……」

「ああ、無理だろ?」

「今は。一緒に暮らしている伯母にも、まだ心を開いてませ
ん。そう……聞いてます」

「そうか」

「でも、少しずつ。少しずつよくなっていくはずです。です
から、佐保さんの状況はこれからもお伝えします」

「は……はは」

それまでずっと強張っていた田中さんの顔が崩れて、いきな
りぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣き出した。

「は……は……は」

「……」

「つい……て……ねえと……思って……たけど……よ。世の
中……悪く……ねえな」





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