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三年生編 第84話(8) [小説]

「ネグレクトでも過剰干渉でも、幼少時からの異常な接し方
で一度性格を壊してしまったら、そう簡単には修復出来な
いってこと。その厳しい現実を、毎日突きつけられてる」

ふうっ……。
伯母さんの口から細い吐息が漏れた。

「それにね。もっと厄介なことがあるの」

「もっと……ですか?」

「そう。佐保ちゃんの子供。みわちゃん。出生日がはっきり
しないけど、たぶん六、七か月くらいかな。もう離乳準備に
入ったの」

「へえー」

「そのくらいになると、赤ちゃんは自己主張がはっきりして
くるのよ」

!!!

そっか!
伯母さんが弱音を吐いてる一番の原因。そこか!

「ねえ、自我がない弓削さんが、自分の子供のわがままを制
御出来ると思う?」

しゃらが頭を抱え込んでうなった。

「ううー」

「でしょ? 親子なのに、関係がまるっきり逆。子供のわが
ままを佐保ちゃんが丸呑みしかねない」

おそろ……しい。

「そうね。みわちゃんを取り上げたら佐保ちゃんが保たない
と思って同時看護の方針を決めたんだけど、最初に生野さん
が同時は無理って言ってた意味が……今になって分かった。
ものすごく厄介」

バッグから手帳を出してぱらぱらめくった伯母さんが、それ
で膝をぱんと叩いた。

「妹尾さんは、優秀だけどまだ若い。独身で、育児経験がな
い。それは伴野さんにしてもそう。育児を手伝ってくれる二
人に、過度な期待は出来ないの」

「……」

「そしてね、ケアの最終方針はあくまでも自立よ。子供を託
児施設に預けて働いて、自力で生活出来るところまで導かな
いと、佐保ちゃんにもみわちゃんにも将来がない」

うん。

「そこまで持っていくなら、どう考えてもボランティアでは
限界があるの。専門スタッフが……いないと」

「でも、それを補助してくれそうな福祉施設はないんですよ
ね?」

「ない。その状況は変わってない」

伯母さんは、ぎゅうっと眉を吊り上げた。

「今のケアの形は、せいぜいあと数ヶ月が限度。その後のこ
とは、もう一度作戦を立て直さないとならない。いつきくん
も御園さんも、受験が一段落したらまた相談に乗って」

「はい」

「そうですね」

「次のケアの方針がきちんと固まるまでは、田中には佐保
ちゃんと赤ちゃんが元気だってことしか伝えられない」

「……」

「今度、いつきくんが面会に行く時には、二人の写真を持っ
て行って」

「すぐじゃダメなんですか?」

「欲しいものを手に入れると、それに慣れてしまうの。今日
は佐保ちゃんへの情で目立たなかったけど、あいつの粗暴な
ところははんぱじゃない。あいつも……壊れてるんだよ」

ぞっ。

「娘と対面で話をしたいなら少しは自分をまともにしないと
だめだって、そういう気持ちをこれからずっと持ち続けても
らわないと更生しない。すぐに元に戻っちゃうよ」

伯母さんは、ぎゅうっと拳を握った。

「有期刑で済むか、無期になっちゃうか。まだ裁判は結審し
てないの。裁判官にきちんと更生の覚悟を見せられないと、
二人殺したっていう事実だけが一人歩きする。下手すると死
刑になっちゃうよ」

「そんな……」

「誰も自分のことを分かってくれない。あいつの人間不信に
は筋金が入ってる。でも世間の無理解にいくら敵意を燃やし
たって、自分への見方が変わることなんかないよ」

「はい」

「……裁判官も含めてね」

「……」

「どういう方法でもいい。きっかけがなんであってもいい。
自分を変えて見せるしかないの。それしか……ないの」

まだ……何も前進してない。
弓削さんのことも、田中さんのことも。
伯母さんは、これからのことを全部ゼロベースで見てるんだ
ろう。

前に森本先生に言われた通りだ。
福祉は最後の手段であって、最初から福祉ありきじゃない。
福祉が担えることは、うんと少ないって。

きっと。
伯母さんも、森本先生にしっかり釘を刺されたんだろうな。
そんなに甘くありませんよ……って。

「ふう……」

思わず溜息が漏れちゃった。

「それでも、いつきくんは今日田中に希望のタネを蒔けた。
それはとても大事なことよ。あいつが自分を変えようとする
きっかけが出来たなら」

伯母さんは、表情を緩めてふっと笑った。

「それ以上もそれ以下もないよ。それでぴったり」

くるっと振り返って、伯母さんがしゃらの顔を覗き込む。

「御園さんも、ほっとしたでしょ?」

「はい」

しゃらは、すっきりという感じではなかったけど、小さく
笑った。

「お兄ちゃんのことは、お兄ちゃん自身で。わたしも……も
う気持ちを切り替えることにします」

「そうよ。まず自分のことをしっかりやらなきゃね」

「はい!」

「御園さんのお家は、お店が新しくなる。新生活を楽しく始
められるように、何でも前向きに考えましょ」

「ほんと、そうですね」

しゃらの心の揺れは、しばらく続くだろうな。
田中さんへの怖れもお兄さんへの怒りも、消えて無くなるこ
とはないと思う。

それでも。
どこかで区切りを付けていかないと、足が止まっちゃう。
考えたくないことばかり考えちゃう。

僕らには、立ち止まってる暇なんかこれっぽっちもないん
だ。そういう現実を、しっかり見据えよう。




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三年生編 第84話(7) [小説]

お寺へ向かう車の中で、田中さんとのやり取りをもう一度思
い返す。
いろいろ言いたかったこと、伝えたかったことがあったけど、
そのほんの一部しか言えなかったような気がする。

今まで、誰かに何か伝えるってことを特別意識したことはな
かったけど、こういう重たいメッセージを伝えるのは……
すっごく覚悟と勇気がいるってことを思い知らされた。

「はあ……」

「どうしたの?」

伯母さんが、僕の溜息を聞きつけて助手席から振り返った。

「いや……僕は、田中さんに伝えないといけなかったことを
ちゃんと言えたのかなあと思って」

「さあ。それは分からないわ」

伯母さんは肯定も否定もしてくれなかった。
いつもなら、大丈夫よって言ってくれる伯母さんが。
それだけ……田中さんの心の闇、心の傷が深いってことなん
だろう。

「でも、これで田中には生きがいが出来た。今すぐ会えない
のはしょうがないわ。田中にも佐保ちゃんにもいろいろな制
限があるから。でも、親子として直接会えるようになるまで
は、お互いの存在が必ず支えになる……いや、違う」

伯母さんは、僕以上に深い溜息を漏らした。

「それは私の希望的観測よ。親子として会えるようになるの
が最良の結果だけど、これからどうなるのか全く分からない
の。私は、うまく行ってくれることを祈るしかない」

伯母さんの弱音は、弓削さんのリハビリがそんなに進んでな
いってことを暗に匂わせていた。

「弓削さん、少しはよくなったんですか?」

一応確かめてみる。
これから田中さんに弓削さんの状況を伝えていくなら、僕が
何も知らないってわけには行かないから。

「……。想像を絶する難治療だってことを、毎日思い知らさ
れてるわ」

やっぱりか……。

伯母さんが、くたっと首を垂れた。

「いや、佐保ちゃんは、妹尾さんのカリキュラムは順調にこ
なしてる。恩納さんのケアは献身的だし、りんちゃんも伴野
さんもすっごく上手に接してる。相変わらずぎごちないのは
私だけ」

あはは……。

「佐保ちゃんは、私たちの差し出した手をちゃんと取ってく
れるようになった。それはいいの」

「はい」

「でもね」

伯母さんの表情が、ぐんと厳しくなった。

「時間が……ないの」

思わず、しゃらと顔を見合わせた。

「あの、どういう意味ですか?」

しゃらがおずおずと尋ねる。

「今のケアスタッフの中では、りんちゃんがムードメーカー
なの。彼女だけが、あちこち抜けてる。天然なんだよね」

「あ!」

しゃらが、ぱかっと口を開けた。

「そ、そっか!」

「でしょ?」

「はい……でも、りんは進路が」

「そう。来年早々東京に行っちゃう。うちを退去するの。そ
れだけじゃないよ」

伯母さんが、いらいらしたように何度も首を横に振った。

「伴野さんの受験態勢は、ちゃんと整えてあげないといけな
い。恩納さんも、学期末は試験やレポートで忙しくなる。妹
尾さんには、最初から一年限度ってことで無理なお願いを飲
んでもらってる」

「……」

「全てが期限付きのケア。最初の滑り出しが順調だっただけ
に、先が見えないのはどうにもしんどいの」

「そうか……」

「佐保ちゃんの年齢が年齢だから、本当なら助走だけ手伝っ
て、あとは彼女の自主性に任せたい。でも、その自主性が本
当に出来上がるまでには、最低でも数年はかかる」

「うわ」

僕もしゃらも絶句してしまった。





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