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三年生編 第86話(1) [小説]

8月23日(日曜日)

「ううー」

机の上に広げた数学の問題集の前で、目一杯うなる。

「ううー」

受験生の夏は灰色?
何、すっとぼけたこと言ってるんだ。
灰色どころか、ごっつメタリックだったやん。

何か、自分自身にすっごい事件とかアクシデントがあったわ
けじゃない。
前半に夏期講習。そのあとは、勘助おじさんが亡くなったダ
メージを引きずりつつ、しゃらのサポとかで駆け回った。

自分が磨かれて光ったって感じじゃない。
外から強烈な光を浴びせられて、無理やり光らされた感じ。
ぎんぎらぎんに。

ほとんどが机に向かっていた時間だった。
それなのに、ずっと走り回ってた感がはんぱない。

そしてさー。
夏休みが恐ろしいくらい短く感じてて、その間一分一秒たり
とも無駄にしたつもりはないのに、どうにもこうにももや
あっと残尿感が。
どっか未達成だったなーって、じわっと。

はあ。
なんとも、すっきりしない高校生活最後の夏休みになっちゃっ
たなあ……。

一年の時が天国、去年が地獄なら、今年はなんだろ?
右往左往? どたばた? 浮遊感?
うーん、そういうのとは違うよなあ。

ちゃんと計画を立てて、僕が出来ることは手を抜かずにやり
切った。もう少しこうしておけばよかったっていう、焦りみ
たいなものはないはずなんだ。
そのないはずの焦りが、夏休みの最後の最後にじわじわと形
になろうとしてる感じ。

「ううー」

たぶん。
しなきゃならないことに隙間がなかったから、余計未達成感
が強くなってる気がする。
スケジュール通りのかっちんこっちんで何も変更しなかっ
たってことじゃないんだけど、全部走りながらだった。
自分を大幅にゆるめてリセットしたり、引き返してやり直
すっていう暇がまるっきりなかったんだ。

方針は固めたけど、疑問符がそのまま残っちゃった感じ。
立水みたいに、どかあんとちゃぶ台ひっくり返すエネルギー
はもう残ってない。そこがなあ……。

考えるのを諦めて、ぱたっと問題集を閉じる。

高校の夏休み。その最後の一日。
それくらいは、好きに使おうか。
僕の性格だとすぐに受験モードに戻っちゃうから、それまで
の間ってことで。

「よし……っと」

持ってたシャーペンをノートの上にぽんと放って、椅子から
降りる。

残暑が厳しいけど小野川沿いをちょこっとジョグしようかな
と思って、ジョギパンとランナーシャツに着替えて部屋を出
た。

「おっと!」

鉢合わせするみたいに、向かいの部屋から実生が出てきた。
よれよれ。見るからに絞りかす。
追試で完全に燃え尽きたとみた。

「どうだった?」

「なんとか……くりあー」

「よかったじゃん!」

「ううう、でもあと二回はこの地獄が来るのかあ」

「ははは。そりゃあしゃあないよ。次は、友達とタッグ組ん
で乗り切りゃいいだろ」

「ううん」

実生が、きっぱり否定した。

「わたしは、そうしない」

「ほ? なんでまた?」

「レベルが違いすぎる。すっごいプレッシャーを感じちゃう
の」

なるほど。
僕らの時にも出来のでこぼこはあったけど、全体としてはど
んぐりの背比べだったんだ。
受験でいろいろあった実生の代は、上下の格差があまりに大
き過ぎるってことなんだろなあ……。

「それなら、先生や教材を上手に使わんと乗り切れんぞ」

「ううう」

「まあ、いざという時には鬼のリョウさんもいるし。げひひ」

「お兄ちゃんの意地悪っ!」

げしっ!
久しぶりに蹴りが来た。いでで。

実生的には、僕にフォローして欲しいってことなんだろ。
でも、これから先はもう無理さ。僕は自分の受験のことで頭
が一杯になる。
まあ……実生もそれが分かってるからいらいらしてるんだろ
うけどね。

ぷんぷくりんに膨れている実生を置いて、僕は大あくびを噛
み締めながらリビングに降りた。



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