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三年生編 第70話(4) [小説]

ちょっと考え込んでる間に、もう何箇所か刺された。
慌てて重光さんの代わりに窓を閉めた。

「なんだなんだ、やわだなあ。ちったあ蚊にも血ぃ分けてや
れ」

蚊に刺されたところをぼりぼり掻きながら、重光さんが酷な
ことを言う。

「これじゃ、勉強に集中出来ないですよう」

「殺虫剤でも使うんだな。ただ、蚊取り線香焚くのは禁止だ」

「え? なぜですか?」

「火を出されたら、どうにもならん」

確かに。家が密集してる住宅地だし、道が細いから消防車も
そうそう入れない。

「あの……自分で外から網張るっていうのは」

「かまわんぞ。これまで来たやつぁ、結構そうやってたから
な」

ほっ。
でも、風を通すなら入り口の方も開けておかないとならない
から、どっちにしてもミスト式の蚊取りがいるってことだ。
あとで、買ってこよう。

「冷蔵庫は使えるんですか?」

「使える。こっちに来い」

講堂と泊めてもらう部屋の間の細い廊下のどん詰まりに、バ
ストイレと洗濯機、冷蔵庫、流しやガス台が揃っていた。
ものすごく汚いのかと思いきや、きれいに整理整頓されてい
て、どれもこざっぱりしてる。

普段から手入れしていて、放置はしていない感じだ。

「きれいですね」

にやっ。
重光さんが笑った。

「あんたらが、最後にきれいにしていくんだよ。ここまでな」

!!!

そ、そういうことかあ!!

「ここは寺だ。寺が御仏の在所である限り、そこはいつもぴ
かぴかにしておかねばならん。ここで寝泊まりする以上、坊
主と同じ義務を負ってもらう。だらしない生活は絶対に許さ
ん!」

ぞわわわわ。
こらあ、五百円の安さに釣られたのは失敗だったかも。

でも、朝から晩まで掃除してろってことじゃないんだろう。
ここで暮らす以上、退去する日までには来た時以上にきれい
にしろってことだと思う。

「あと、勤行があると伺ったんですが」

「五時に起こす。そこからの一時間は、宿代の一部だと思っ
てくれ」

「はい」

「読経と本堂の清掃は義務だ」

「分かりました」

朝五時起床かあ。二週間は、本当に修行だな。

「それ以外の義務は一切ねえ。根性据えて勉強しろ。くだら
ねえこと考えてる暇があるなら、一問でも多く問題を解け。
一語でも多く単語を覚えろ」

「はい!」

「普段あんたがどれだけ時間を無駄に使っているか。そいつ
がきっちり身にしみれば、斎藤みてえなヘマはしねえはずだ」

ううう、瞬ちゃんをばっさり。
確かにすごいじいちゃんだわ。

でも、余計なことをぐちぐちいい続けたり、説教や嫌味をぶ
ちかましたり、そういうのは一切ない。
俺は言うべきことを言った。あとはおまえが自力でなんとか
しろ。……って感じ。

ぴんぽーん!

大きな呼び鈴の音が響いた。

「ああ、もう一人が着いたな。あとはおまえに任せる」

「え?」

「部屋はおまえの隣だ」

いいも悪いもない。
重光さんは、さっさと母屋に引っ込んでしまった。

なんつーか。

部屋にバッグを置いて、門を開けに行った。

「おわ!? なんだあ?」

呼び鈴を押して出てきたのが住職さんじゃなく僕だったのを
見て、立水がのけぞって驚いてる。

「よう。おつー」

「てか、ここの住職さんは?」

「めんどくさいから、あとは僕が説明しろってさ」

どごおん!!

立水がおもいっきりこけた。

「な、なんつー」

「強烈だわ。まあ、細かい説明は後で僕からするけど、挨拶
だけはしとかんとまずいよなー」

「当たり前だ」

「じゃあ、行くか」



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三年生編 第70話(3) [小説]

「きれいですね」

「誰も使わねえからな。掃除だけしてりゃ汚くはなんねえさ」

ぽいっと言い放った重信さんが、僕に向かってぐいって手を
伸ばした。

「管理費、先払いだ」

「あ、今出します」

ボストンバッグを床に置いて、茶封筒を引っ張り出す。
五百円かけ二週間で七千円。
都内のホテルなら一泊分にもならない。こんなんで大丈夫な
んだろうか? かえって心配になる。

「あのう……」

「うん?」

「宿代、こんなお安くていいんですか?」

「こらあ、宿代じゃねえよ。ここはホテルなんかじゃねえ。
空き地と同じだ」

げ……。

「ただ、電気と水道、ガスが使える空き地さ。その光熱費と
維持・管理のゼニだけもらうってわけだ」

「うわ」

「今ゼニをもらったから、水周りのものは好きに使ってくれ。
風呂、洗濯機、灯り、時間を気にせんで必要な時に使え」

「助かります」

「ゴミ。俺んとこでは処理出来ん。持ち込んだものは責任持っ
て始末しろ」

「はい」

そうか。弁当殻とか、予備校への行き来の時に始末しないと
ならないんだ。

重光さんは、また僕に向かって手を伸ばした。

「携帯を出せ。預かる」

「はい」

さっと携帯を差し出す。

「えらい素直だな」

「斎藤先生から、取り上げられるって聞いてたので」

「ああ、あの馬鹿野郎か。まともに生きてんのか?」

ぼろっくそだ。斎藤先生をまるっきりガキ扱いしてる。
確かに、すごい曲者だわ。

「ここを紹介してくれたのが斎藤先生なんで、生きてます」

「二回失敗したくれえで諦める大馬鹿者なんざ、とっととく
たばっちまえって言っとけ!」

うわ、一刀両断じゃん。き、厳しいなあ。

「あんたもそうだ。ここに来た以上、諦めることは絶対に許
さん!」

ううう、ぎびじい。

「がんばります! あ、ここに泊まるのは僕だけですか?」

「いや、もう一人、立水ってやつが来る。あんたと同じクラ
スなんだろ?」

ああ、やっぱりここに来ることにしたんだ。
あいつなら必ず食いつくだろうと思ったから。

「はい」

「同じ説明を二回したくねえ。おまえから説明しといてくれ」

どごん! こ、このじいちゃん。強烈だ。

「ああ、ここには門限はねえが、俺が寝る時に門扉を閉めち
まう。それが九時だ。それより遅く帰ってきたら入れねえか
らな」

それって、門限って言うんじゃ……。

「九時、ですね」

「おう。俺が寝た後に鍵外して外に出るのは構わんが、鍵ぃ
掛けられねえからな。その間に泥つくでも入ったら責任取っ
てもらう」

まあ、その時間帯に外に出る事はないな。

「どうしても帰りが遅くなる事情がある時ゃあ、早めに電話
を寄越せ。考慮する」

「分かりました。予備校の講義が終わったら直帰するから、
たぶん大丈夫だと思いますけど」

「まあな。でも、何があるか分かんねえから、備えだきゃあ
しとけ」

「はい」

ものっすごくぶっきらぼうだけど、必要な情報やルールはちゃ
んと説明してくれてる。今までのところは、ばあちゃんたち
がこき下ろすほどひどくないと思うんだけどな。

それよか気になったのは、予想通り空調がないことだ。
重光さんと話をしていても、暑くて暑くてしょうがない。

「あのー」

「なんだ?」

「窓を開けてもいいんですか?」

「かまわん。ただ網戸は入ってねえ。蚊が多いから、それは
覚悟してくれ」

ぐえー……。

引いてあった古ぼけたカーテンをしゃっと音を立てて引き開
けた重光さんは、ロックを外してガラス窓を全開にした。

「!!」

目の前にずらっと墓石が並んでた。
げ。でも、お寺さんなら当然そういうのもありうるよなあ。
一々気にしてなんかいられない。

幽霊よりも蚊の対策をなんか考えないと。




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