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三年生編 第70話(2) [小説]

ぎゃはははははっ!
おばあさんたちが、こらあたまらんという感じで腹を抱えて
大笑いした。

???

「あんたも物好きだねえ。照さんは厳しいよ」

「はい、そう伺ってます」

「そうかい、そうかい。まあ、がんばっとくれ」

おばあさんの一人が、右手の枝道をひょいと指差した。

「入り口が引っ込んでるから見えにくいけど、ちょっと行っ
た先に一軒小さなコンビニがあるよ」

「それが須坂さんてとこですか?」

「そう。ここらにはそれくらいしかないからね」

「不便じゃないんですか?」

「一駅先には商店街もスーパーもあるからね。ここに店ぇ出
しても流行らんよ。駐車場にするスペースもろくにないから
ねえ」

あ、そういうことかあ。

「ありがとうございます。助かりました」

「はいはい。お勉強がんばってね」

「あのじいさんに負けるんじゃないよ」

「偏屈が服着てるみたいなやつだからねえ」

「そうさ。あんなのが坊主だなんて世も末だよ。仏さんが鼻
つまんで逃げるわ」

ぎゃはははははっ!
僕もつられて笑ったけど……向こうに着いてからも笑ってい
られるかは正直ギモンだった。

おばあさんたちがみんな知ってるってことは、この界隈では
相当の有名人なんだろう。気が重くなってきた。

ぐええ……。


           −=*=−


「ひいひいひい……」

ぱっと見、平地なのかなあと思ったんだけど、違ってた。
きつい坂じゃないけど、微妙にずっと上り坂なんだ。

ぎんぎらぎんの酷暑の中を大荷物背負って上るのは、かーな
り堪える。

「ひいひいひい……あ」

古くてくすんだ家並みがぽこんと空いて、その奥に小さな門
と湧元寺っていう木の表札が見えた。

お寺っていうより、こじんまりした古屋敷っていう感じ。
決して大きくない。設楽寺とどっこいどっこいかなあ。

庭なんかどこにもないびちびちの家並みからすれば、少し緑
があってスペースが見えるお寺は、幾分空気が違う感じ。

呼び鈴を押す前に、歩いてきた道を振り返る。
確かに、駅から僕の足で五分くらいだった。近い。
朝、ここから出て駅に向かう時には下りになるから楽だろう
けど、講習でへとへとになったあとでこの坂を上るのはしん
どそう。

でも、宿泊費を考えたら文句は言えない。駅から近いだけで
もありがたいと思わないとね。

さて。

覚悟を決めて、呼び鈴を押す。
電話で住職さんとやり取りしたけど、口調や話しっぷりから
判断する限り、かなりきつそうな人だった。
さっきのおばあさんたちの評価もそうだよね。曲者だって。

でも。僕は泊めてもらうんだから、あれこれ文句を言える立
場にない。辛抱しないとね。

「誰だ?」

いきなり門柱から声がしてびっくりした。
そっか。インターフォンになってたんだ。

「今日からお世話になる予定の工藤です」

「ああ、来たか」

スピーカーからぶっきらぼうな声が聞こえたと思ったら。
すぐに門が開いて、住職さんが出て来た。

うわ……。予想以上に年を取ってる。
でも、お坊さんというから坊主頭かと思ったら、白髪を伸ば
してて、それを後ろで結んでる。
変わった雰囲気のおじいさんだ。

「あんたが工藤さんかい?」

「はい! よろしくお願いいたします」

深く頭を下げてお辞儀したけど、それをほとんど見もせずに。
重光さんが僕にくるっと背を向けた。

「ついてきな。案内する」

「はい」

すっごいぶっきらぼう。
ようこそもいらっしゃいませもなし。
確かに、瞬ちゃんが俺以上の偏屈っていうだけあるなあ……。

たぶん……もう八十は過ぎてるんじゃないかなあ。
でも、背筋はしゃんと伸びてるし、足取りにも年寄りっぽい
よたよた感はない。
お年の割に元気……じゃなくて、顔を見なければその年齢と
は分からないみたいな。

お住まいとお寺の本堂はくっついてない。別立てだ。
そして、お住まいの方は本当にコンパクト。
とても、僕が泊めてもらえそうな気配はない。
つまり、本堂の中の部屋を貸してくれるってことなんだろう。

案の定、重光さんはお住まいの方ではなく、本堂の方にすた
すた歩いていった。

本堂もそれほど大きくはない。
法要をする広間みたいな広い部屋が二間。その他に小さな部
屋が三つか四つ。それだけ。

靴を脱いで開け放ってあった講堂に上がり、そこを突っ切っ
て、反対側の部屋に入った。
カーテンが閉めてあって、部屋は真っ暗。
重光さんがぱちっと壁のスイッチを押して、灯りを点けた。

「ここを使ってくれ」

「わ!」

ものすごーく陰気臭い部屋を想像してたんだけど、部屋自体
はごく普通の作りだ。僕の部屋と対して変わらない。


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三年生編 第70話(1) [小説]

7月26日(日曜日)

「あーづーいー……」

朝も早よから一点の曇りもなく晴れ渡って、ぎんぎらぎん。
もちろん温度計はレッドアウト。
もう楽々30度を超してるんちゃうかな。しゃれにならんわ。

涙涙の別れの一時なんて、感傷に浸る元気もない。
そんなん、どっかに蒸発しちゃったよ。
とりあえず、これから酷暑をくぐり抜けて、合宿所であるお
寺までなんとか辿り着かないとなんない。

心配顔の家族三人ぷらす泣き顔のしゃらが見送る中、僕はう
んざりしながらマットブルーの空と一人元気な太陽を見上げ
た。

でえっかいボストンバッグには、勉強道具一式と洗面道具と
衣類。それ以外のものは一切入ってない。

「じゃあ……行ってくるわ」

「気をつけてね」

母さんが、珍しく突っ込まない。
今回のは学校行事や目的のある旅行じゃないから、母さんも
向こうの生活がどうなるか心配なんだろう。
二、三日じゃなくて二週間だしね。

僕も、正直不安がいっぱい。
なにせ、向こうじゃ自分のことは全部自分でしないとならな
い。勉強に集中する時間とそういう雑事をきちんと並行して
こなせるんだろうか?

やってみないと、何も分かんない。
開き直るしかないよね。

気分が盛り上がる要素なんかこれっぽっちもないけど、気合
いを入れていかないと現地まで辿り着けない。
僕は、あえておおげさに手を振って、勢いよく駆け出した。
きっと……バス停に着くまでの間に汗だくになっちゃうだろ
う。しょうがないね。

「あづー……」


           −=*=−


バスと電車の中は空調が効いてるから快適だったけど、外は
一歩歩くだけで汗が止まらなくなる猛暑。

勉強に集中できるかどうかは、精神的な問題より物理的に暑
さに耐えられるかどうかのような気がしてきた。
だってさ、おんぼろのお寺がエアコン完備なんてしてるわけ
ないじゃん。
すっかり快適環境に体が馴染んじゃった僕は、そこで苦労す
るかもしれないなあと。

うんざりする。

「ええと……」

二時間近くかかって、どうにかこうにかお寺の近くの駅に到
着した。

駅舎から出る前に、待合いのベンチで住所を確認する。
瞬ちゃんが地図書いてくれなかったんだよね。

駅降りて、改札出たら、前の道をまっすぐ、だ。五分もかか
んねえ。地図描くまでもねえよ。その辺りに他に寺はないか
らな。
……って瞬ちゃんが言ってたけど。

信じて行ってみるしかないか。

駅舎から見える景色を見回す。目に入るのは、四方八方普通
の住宅ばっかだ。家以外のものが何もない。
平屋のふるーい家の間に、それを壊して建て直しましたって
感じの新しい家がぱかぱか挟まってるって感じ。
そのうち、新旧の比率は逆転していくんだろうけど、今はま
だ古い家の方が多い印象だ。下町だからかなあ。

街並みの雰囲気は、どこかしゃらが住んでる坂口に似てる。
その似てるってことが……やるせなくなる。
だって、似ていてもそこにはしゃらがいないんだもん。

ちぇ。

家並みを見回している間、僕は嫌あな予感を覚えていた。
そう、ここらへんには店らしいものが何もないんだ。本当に
家ばっかで。

普通、駅の周りって、コンビニとかスーパーとか、そういう
のの一つや二つ、どっかにあるんじゃないの?
でも、きょろきょろ見回してみたけど、それらしいものは一
つもない。

つまり、だ。
これがないあれがないって、コンビニとかで買い物したくて
も、すぐには調達出来ないってこと。
予備校との行き来の間に、予備校に近いところで買い物を済
まさないとならないね。

「さて、と」

ええと。お寺の名前は、湧元(ゆうげん)寺。住職さんは重
光照昭さん、だったな。
もう一度メモ帳を見て確認して。

「どっせい!」

声を出して、立ち上がった。

僕が駅舎を出るのと入れ違いになるようにして、何人かのお
ばあさんたちが、暑そうに日傘を畳んで駅舎に入ってきた。

「はあ……こんなあっつい日に出歩くのはしんどいわ」

「そうだね。でも、買い物には行かんとさあ」

「須坂さんとこじゃ間に合わんのかい?」

「あすこは高いよ。たまにならいいけど、毎日じゃあゼニが
保たんわ」

「そうだよねえ」

ぴくっ! 今のを聞き逃すわけには行かない。

「あの……」

話し掛けてみた。

「はい?」

「このあたりに買い物出来るお店があるんですか?」

「ああ、あんた学生さんかい?」

「はい。明日から予備校の夏期講習受けるんで、その間湧元
寺っていうお寺に泊めてもらうことにしてるんですけど」