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三年生編 第106話(8) [小説]

帰宅したら、黒ちゃんからメールが入っていたことに気づ
いた。

『わたしが交渉の責任者になりました。がんばります』

「うーん」

正直言うと、一年生にやってほしかったんだけどな。
でも、三班の責任者でありながら一年生トップの高橋くん
に全部実務を押し付けるのは……そういう気後れがあった
んだろう。
のんびりの黒ちゃんにしては、がんばったと思う。

しゃらのこっそりサポートも入るだろうし、まあいいか。

着替えてリビングに降りたら、見慣れない花が窓際に置い
てあるのが目に入った。

「エキザカム、かあ」

そういや、母さんが会長からもらったって言ってたな。
リンドウの仲間なのに、とてもそんな風には見えない。

葉が小さくてぽってり厚いから乾燥や寒さに強そうに見え
るけど、実際はそうでもないらしい。
花期は長いけど、いい状態を維持して花を咲かせ続けるの
は結構大変だって聞いた。

鉢を持ち上げて、咲きそろっている花をじっくり見つめる。

園芸植物って、もともと日本には自生してない植物が多い
んだよね。
エキザカムだってそうなんだろう。

そういう植物は、最初に生えていたところから外に持ち出
されて迷惑なんだろうか?
それとも、他の土地で増えるチャンスが増えてラッキーだっ
て思うんだろうか?

わからないけど。

でも、勝手に広がって増えるほどタフじゃなく、かと言っ
て温室とかが必要なほどひ弱でもないところは、僕らに
ちょっと似てるかもしれない。

そう、親に守られて一緒に暮らす子供と、外に放り出され
て自分一人で生きなければならない大人の中間。
そして、子供から大人には勝手になっちゃうけど、逆には
もう戻れない。
僕の手元にあるエキザカムが、もともと生えていたところ
にもう戻れないのと同じだ。

だとすれば。

嬉しいと思っても思わなくても、最初にあった場所から外
に出されたことをチャンスと考えないと、ただ枯れるだけ。

自分はもっとできるもっと磨けると思っていても、ステッ
プアップに挑めるチャンスはそう簡単に巡ってこない。
自力で外に取りに行っても、だ。

血のにじむような努力を重ねて自分を築き上げてきた菊田
さんは、今のポジションですら通過点だと考えて、チャン
スに挑むんだろう。

僕もそうだよね。

今まで僕が遭遇したチャンスの数々。
自分にプラスになったことばかりじゃないけど、じっとし
ているだけじゃゲットできなかったのは確かだ。

鉢植えを窓際に戻して、窓の外に目をやる。

「いろんなチャンスが……あるよな」

菊田さんの栄転。リョウさんのステップアップ。松田さん
の復帰。
いいことばかりじゃないかもしれないけど、みんなチャン
スだと思う。

もちろん、今まで自分が知らなかった人たち相手に交渉を
しなければならない一、二年生にとっても、今回のことは
大きなチャンスなんだ。

めんどくさい、やだなあと思ったままなら、そのチャンス
の価値はきっとなくなるだろう。
でも、チャンスを活かせるかどうかすら経験のうちなんだ。
もしそれが失敗に終わっても、経験をしないよりずっとマ
シだと思う。

そう考えたら。
望まなかった変化に押し流されてしまった寝太郎や元原
も、それをピンチだと思わない方がいいんだよな。
環境を変えることで自分を立て直すチャンスが来る……そ
んな風に思考を切り替えられれば、確実に今よりよくなる
はずなんだ。

「ふうっ。人ごとじゃないよな」

たくさんのチャンスを与えられて、僕もしゃらもどん底か
ら今の状態になるまであげあげで来た。
もちろん、あげあげになるよういっぱい努力をしてきたと
思う。

でも、すでにゲットしたお宝に満足してそれにしがみつけ
ば、それ以上に大きなチャンスの到来をみずみず見逃すこ
とになる。
かと言って、現状を全部ぶん投げてリスクを取ることもで
きない。しきねのようなチャレンジは、さすがにね。

どこまで挑み、どこまで守るか。
これからの舵取りはすごく難しくなる。

腕組みしたままずっと考え込んでいたら、いつの間にか部
屋が真っ暗になっていた。
慌ててリビングの明かりを点けて、自分の部屋に戻る。

「日が落ちるのがどんどん早くなるなー。考える時間があ
るなら、行動で使えよってことかあ」




exacm.jpg
今日の花:エキザカムExacum affine


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