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三年生編 第111話(8) [小説]

僕にもしゃらにも、いや誰にだって自分の人生というもの
がある。
それは誰にも渡したくないし、自分で組み立てたい。

だけど、弓削さんのように強制的にその自由を取り上げら
れてしまった人もいるし、則弘さんのように自分から自由
を放り捨ててしまった人もいる。

じゃあ、そういう人たちは滅亡するの?

「そんなわきゃないよなあ」

開いた植物図鑑の一ページ。
僕が腕組みして見つめているのはツルボだ。
学校からの帰り道、僕が存在に気づいてぎょっとしてし
まったのはツルボの花だった。

存在感の乏しい、薄紫色のぼやっとした花穂。
よく見るとあちこちで咲いているんだけど、誰も目を留め
ない。

じゃあ、薄ぼんやりな花のツルボは、薄ぼんやりの存在?
違うんだ。
ぼんやりしているのは見かけだけで、ツルボ自体はあちこ
ちに生えてる。生命力の強いタフな草なんだよね。

他人に頼る、隷従するには、その分強い自我を削らないと
ならない。
でも、自我を全部削ってしまうと生きてはいけない。

弓削さんや則弘さんは、今生きている。
それは自我があることの現れだし、その自我が貧弱だとは
限らないんだ。

小さく折りたたまれてしまった自我が、少しずつ羽を広げ
つつある弓削さん。
伯母さんは弓削さんの変化をずっと見続けて来たからこ
そ、則弘さんの寄生虫擬態を見破ったんだろう。
あれは、単なる生存戦略に過ぎないと。

でも、生き方が寄生虫型に凝り固まってしまった則弘さん
に、穏やかな方法で転換を促すことは難しい。
タカや五条さんは、則弘さんから失われてしまったものを
ベースに再起策を組み立てた。
だからうまくいかなかったんだ。

生き延びるための手段として、「弱い」という擬態が使え
ない場所。
則弘さんをそこに追い込むのは残酷かもしれない
僕らに何の権利があって則弘さんを振り回すんだと責めら
れたら、返す言葉はない。

でも、則弘さんのために代わりに僕らに自我を削れと言わ
れたら、それは断固拒否する。
苦い苦い経験があるからね。

そう。僕は中学まで自我を削って対処してたんだ。
自我をむき出しにするのを我慢してたんだ。
そのせいでいじめられ、窮地に追い込まれた時は、転校と
いう逃避でリセットをかけてきたんだ。
それは則弘さんの卑屈な戦略と何も変わらない。

則弘さんと違うのは、自我を削るやり方で大けがしたって
いうこと。
逃避は最悪の戦略だというのを自覚したこと。

だからこそ、高校に入ってからの僕は目減りしちゃった自
我を全力で盛ってきた。
しゃらだって、きっとそうだろう。

「うん」

僕もしゃらも、取り戻した自分には満足してる。
自分の嫌な面に目が行っちゃうことはあっても、だからっ
て自分を無理に削ろうとは思わない。二度と……思わない。

則弘さんも、それに気づいてくれればなあと思う。

ぱたん。
植物図鑑を閉じて、携帯の待ち受けに目をやる。

則弘さんへの向き合い方をしくじったお父さんは、本当な
ら自立を手伝ってあげたいはずだ。
お母さんだってそうだろう。
でも、則弘さんが突然姿を消した時と今とでは、状況がま
るっきり違うんだ。

最後の砦だったおばあさんはもう亡くなってる。
お母さんは身体を壊し、借金を抱えたお父さんは店の切り
盛りに全力を注がなければならない。
小さな子供だったしゃらは、目の前に進路選択が迫ってい
る。自力で生きるための助走が始まってる。

則弘さんの明日を案じる前に、まず自分の明日を固めない
とならないんだ。
そのための時間と距離はどうしても要る。

「伯母さんの提案に、則弘さんがどう答えるかだなあ」

それはわからない。
でも伯母さんは、則弘さんとしゃらの家族とをきっちり切
り離しにかかるだろう。
則弘さんの再起云々より前に、僕らが伯母さんに提供され
るチャンスをしっかり活かすしかない。

「さて。自分のことに集中しよう」

何度振り払ってももやもや湧き上がるツルボの花のイメー
ジに苦笑しながら。

僕は英語の問題集を開いた。



turubo.jpg
今日の花:ツルボBarnardia japonica


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