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三年生編 第96話(3) [小説]

会長は、視線を僕に戻して柔らかく微笑んだ。

「いつきくんも、御園さんも、亜希ちゃんも。したくない
経験をしてる分、慎重なの。慎重なのと腰が引けてること
とは違う」

「……」

「したくない経験で損なわれたもの。例えば、亜希ちゃん
が失った肉親は二度と取り戻せない。その欠損を甘く見
ちゃだめなの。欠けてるなりにこなせる。そこまで自分の
ポジションを下げないと保たないこともある」

「分かります」

「いつきくんや御園さんは、過去に受けたいじめの反動で、
どこかに強い人間不信感を抱えてる。違う?」

頷かざるをえない。

「自分がされたことを人にはしたくない。だから、二人と
もとても他人に対して優しい。でも、それはあくまでも心
のバランスを取るための錘(おもり)」

相変わらず、会長の洞察は恐ろしいほど鋭い。

「いつきくんや御園さんの優しさの底にあるものを甘く見
て、その気遣いを無造作に扱うと、いきなり強烈なしっぺ
返しが来る。年初の校長先生とのやり取りがそうだったと
思う」

「そうかも」

「でしょ? 辞められた校長先生は、生徒の心を深堀りす
る手間を惜しんだ。そこが甘かったのよ。だから、絶対に
触っちゃいけないいつきくんの逆鱗に触れちゃった。妖怪
の安楽先生とはそこが違うわね」

「あはは……」

「でもね、一般社会だと、安楽先生が特殊。前の校長先生
のタイプの方がずっと多い。だって、自分のことだけで精
一杯な人が多いんだもの」

「ううー、げっそり」

「じゃあ、どうすればいい?」

「あ、そういうことかあ」

「でしょ? 自分のポジションを下げておくのが、一番確
実な対処法なの。いいも悪いもないわ」

うーん、すごいなあ。

「一度レベルを上げてしまうと、トラブルやアクシデント
でそのレベルが下がっちゃった時に現実を受け入れるのが
しんどくなる。でも、逆ならこなせるでしょ?」

「深いです……」

「あはは。まあ、いろんな考え方、選択肢があるってこと
ね」

「会長は、その正反対だったんじゃないですか?」

僕のツッコミに、会長が思い切り苦笑いした。

「あたた。その通り。私は、逆らうことで荒波を乗り切る
生き方を選んだから」

逆らうこと……か。

「それは窮屈だけど、誰のせいにも出来ないの。だから覚
悟もやる気も出る。ただ……」

会長が、庭の一角……小さな十字架を凝視した。

「想定以上の試練が襲いかかってきた時に。どうしようも
なくなる」

「……」

「絶対にこれなら大丈夫っていう生き方なんか、どこにも
ないわ。ない以上、いろいろ安全弁を考えておかないと。
試練で潰されたらそれで終わりよ」

「会長の安全弁はなんだったんですか?」

会長が、嬉しそうに頬を染めて答えた。

「主人よ」

うぷ。ごちそうさまです。
おっと、言い忘れるところだった。

「すっかりお祝いが遅れてすみません。息子さんのお誕生
おめでとうございます!」

「ほほほ。こんなおばちゃんになってから、二人の子持ち
になるとは思わなかったわ」

「ご主人が喜んだんじゃないですか?」

「張り切ってるわー。私は今からげんなりだけど」

会長が、やれやれって顔をした。
男の子二人だもんなあ。あっきーだって、これから家を離
れるんだし。

まあ、会長は挑む人だ。
経験がないってことをネガに考えないんだろう。

「落ち着いたら、赤ちゃんのお顔を見せてくださいー」

「あら。これから見る?」

僕は、慌てて胸の前で腕を交差させてばってんを作った。

「僕だけ抜け駆けしたら、しゃらに殺されます」

「あらあ。今から尻に敷かれてんのねえ」

わはははははっ!



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