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三年生編 第110話(7) [小説]

さすがに走って帰る体力は残ってなくて、火照った体を吹
き渡る川風で冷ましながら、ゆっくり歩いて帰った。

堤防から見える景色からは、まだ秋が漂ってこない。
あちこちがもりもりと青草で埋まったままで、ススキの穂
も出ていない。

でも。
夏の炎熱はもうすっかり遠ざかってる。
さっきあれだけ体を動かして汗まみれになったのに、ほん
の数分堤防を歩いている間に体が冷えてきた。

夏が……完全に終わった。高校最後の夏が。
そして、秋は僕を待っていてはくれない。
いつの間にか背後から忍び寄り、僕が慌てて手を伸ばして
も届かない速度で追い抜き、さっと消え去るんだろう。

全ての熱を道連れにして。
その時の流れに、ただ一方的に押し流されるのは怖いな。

学園祭を楽しみきれない自分が嫌なら、楽しむための熱を
自力でおこさないとならないんだろう。
ぐだぐだ言い訳してる暇があったら、祭りを楽しむ準備を
しなければならないんだ。

後輩を手伝うでもいい。
勉強を根詰めて、当日すぱっと切り替えるでもいい。
何かが自分を盛り上げてくれるのを待ってるから……受け
身だから祭りが萎んでしまう。

「あーあ」

情けない自分自身に呆れてしまう。
変わった変わったと思い込んでいても、自分の芯ていうの
は変わらないんだな。
悪魔も、きっと苦労しているだろう。

それでも。
少しずつでもいいから自分を変えていこう。
悪魔の依存癖と同じで、僕のどつぼにはまる癖は生まれつ
きのものだ。すぐには治らない。
治らないことをぐだぐだ嘆くんじゃなくて、祭りをちゃん
と利用しなくちゃね。

「それと……欲だなあ」

祭りの話も印象深かったけど、僕には欲の話の方がフック
した。
以前、母さんが実生に欲の話をしたのを思い出したんだ。
人間、欲がなかったら生きていけないよって。

そう。
欲なんて、誰にでもある。

でも、その形がはっきりしている場合と、そうでない場合
があるんだ。
見えない欲は厄介っていう矢野さんの指摘は、すごく納得
できた。

僕がいつもどつぼにはまるのは、見えない欲の形を探し出
そうとするからなんだろう。
進路に対する不安とか、しゃらとのこれからのこととか、
まだ何もわからない。
どうしても、そこに形が欲しくなる。

でもその形を決めるのが怖いから、いつまでももやっとさ
せたままで置いときたいと考えちゃう。
そういう自分もどこかにいる……。

答えの出ない堂々巡り。
またどつぼっちゃったなあと思いながら歩き続けていた
ら、いつの間にか帰り着いていた。

無意識に会長の庭に視線を送る。
会長ならきっと矢野さんとは違う見方をするだろうな……
なんとなくそう思った。
そして。会長の祭りと欲ってなんだろうなと、ぼんやりと
考えた。

矢野さんの存在感が岩だとすれば、会長の存在感は竹だ。
曲げられても曲げられても真っ直ぐに身を立て直し、いつ
も背筋を伸ばそうとする。
そういう会長の祭りの場として庭があり、自分の理想の庭
を作ろうとする欲がある。

「……」

会長の庭の片隅で、淡い藤色のスカビオサが花を揺らして
いた。
圧迫感のない柔らかい色と造形だから、存在感はない?
そんなことないよね。

全ての花が、生存欲に忠実に生きている。
見た目がどんなに地味であっても、だ。
会長は、その欲の形を決して見逃さないんだろう。

たとえそれが、柔らかな印象のスカビオサであっても。

視線を切って、ドアを開錠する。
まだ誰も帰ってきていない。
みんな、それぞれの欲に忠実に行動してるってことだ。
それなら、僕も欲に従おう。

「さて。シャワー浴びて、後半戦行こう。祭りの準備はま
だ続いてる」



scab.jpg
今日の花:スカビオサScabiosa atropurpurea


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