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三年生編 第110話(1) [小説]

10月4日(日曜日)

しゃらのお父さんの理髪店が新装開店して、今日から営業
開始になる。
予約はびっしりで、しばらく忙しくなるみたいだとしゃら
から追加情報が来た。
ありがたいことだけどね、とも。

一度壊れたものの修復がまた一つ前に進んで、同時に僕ら
を時の流れの中に押し流していく。

来週は僕らにとって最後の学園祭。
今日も、一、二年生は総出で準備に追われているだろう。
三年でも受験プレッシャーのない子は、これで最後になる
からと気合い十分で走り回っていると思う。

その喧騒の中に入れないことが、どうにもつまらない。
もちろんお祭りなんか一瞬のことで、それより自分の将来
がかかる受験にしっかり向き合いなさいっていうのは正論
だ。理屈としてはわかるんだけどさ。
でも、心は理屈のいうことを素直に聞いてくれない。

ちぇ。

体の中のエネルギーはぱんぱんに溜まっているのに、それ
をお祭りで吐き出せないもどかしさ。
体育祭の時には、それなりに吐き出せた。
でも、一番盛り上がる学園祭で弾けきれないのはなあ……。

「ちょっと、ストイックに考え過ぎたのかもな」

受験という大きな難題にしっかり取り組まないとならない
のは、ほとんどの三年生にとって同じ。
えびちゃんに言ったみたいに、三年になると萎むのは僕だ
けじゃないんだ。

それでも、たった二日間のこと。
その二日を失ったからと言って、受験にこけるっていうの
もおかしな話だよね。
受験に備えるのが遅くなった焦りが、イベントを楽しむ余
裕を失わせてしまってるんだろう。

過ぎてしまった時間を取り戻すことはできない。
たった二日間なんだから全力で弾けなさいって今さら言わ
れても、受験という甲冑を装着したままじゃ動けないよ。
ぽんいちのぬるま湯体質を心底危惧していた沢渡校長の強
権発動も、今となってみれば妥当だったのかもと思ってし
まう自分がいる。

こわいな。

「だめだ」

開いた数学の問題集がちっとも解けない。シャーペンがス
ムーズに動かない。
こんなんじゃ、学園祭うんぬん以前に自爆してしまう。
思い切って気分転換しよう。

机の上にシャーペンを叩きつけて、椅子から降りる。
中途半端な気分転換じゃもやもやが拭い取れない。
がっつり体を動かして、気合いを入れ直そう。

服をジャージに替えて、鍵を持って家を出る。
今日は父さんはパソコン屋、母さんはパート、実生はバイ
トだ。僕が出れば家は空になる。

がらんどうの家は確かに寂しい。
でも、その空間をもやもやしている僕が埋めていても、
ちっとも嬉しくないだろう。

「さて、と」

鍵をかけてから軽く屈伸運動をして、薄曇りの空を見上げ
る。
昨日はからっと晴れた秋晴れだったけど、二日続けての
サービスはないみたいだ。明日は雨かもな。

晴れっぱなしにはしてくれないけど、ずっと雨降りばかり
でもない。
そんな風に、僕の気分と関係なく天気は変わる。
天気だけじゃなく、僕は外からやってくるいろいろなこと
に振り回されてる。
強制的に押し付けられるいろんな変化を、どこか受け入れ
切れていない自分がいる。

でも……そろそろ切り替えよう。
結局、誰のせいにもできないのだから。

「小野川沿いを走るだけじゃつまらんなー」

走るコースを考えていて、ふと矢野さんの顔が目の前に浮
かんだ。
矢野さんも、堤防の上を走っていたんだよな。
トレーニングの一環で、試合がなくても毎日走るって言っ
てた。もしかしたら、ジムにいるかもしれない。

行ってみるかな。

軽いジョグというには距離がある。
たまには体にしっかり負荷をかけよう。
体がなまると、ろくなことを考えないからね。

「うっしゃあっ!」

自分自身に気合いを入れ直して、勢いよく走り出した。



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