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【SS】 くりすますって、なに? (弓削佐保、土屋巴) (二) [SS]

 巴はかつて母親から警告されたことを思い返し、悄然としていた。

 大きな組織の長を務めるには、できるだけ情に絡む部分を小さくしておかないとダメよ。冷血になれ、非情に徹しろということじゃないけれど、自分の中で割り切れない情がわだかまると意思決定に致命的な迷いが生じるの。
 だから誰かの人生に手を突っ込むなら、その人と心中する覚悟がいる。無闇に手を出すものじゃないわ。

 娘を諫めた母親自身が夫の愚行によって激しく感情を害し、生涯傷をむき出しにしたまま一生を終えた。母親は、夫の人生を共に背負う覚悟ができなかったのだ。
 絶対に母親と同じ轍は踏まない。そう肝に銘じて長としての責務を全うしてきた巴だが、引退してビジネスを離れるとどうにも勝手が違った。人に手を貸そうとすると力加減がわからない。助力の手段も規模も過剰になってしまう。

 これまでは相手が余剰分をこなしてくれた。巴の助力は、感謝されても厭われることなど一度もなかったのだ。だが……弓削のケアだけはそうは行かなかった。弓削は過不足をまだ自力でこなせないのだから仕方がない……わかってはいても、遠ざけられたままにされているのは心底堪えた。

 追い詰められてしまった巴は、ふらふらとはす向かいにある波斗の家を訪ねた。弓削の外部接点確保に協力してもらえないかと巴に持ちかけられ、提案を大筋で了承していた波斗は、その打ち合わせに来たのだろうと快く迎え入れたのだが。意気消沈している巴を見て首を傾げた。

「あら、土屋さん。どうなさったんですか?」

 波斗もいずれケアの一翼を担うスタッフになるのだ。隠し事はできない。巴は、弓削が書いた『おねがい』の紙を見せた上で、正直に窮状を訴えた。愚痴にしかならないのは承知の上だった。巴にできないことは、波斗にはもっとできないのだから。それでも、出口の見通せない迷路に踏み入ってしまった悔いを己の中に抑え込んでおけなかった。

 波斗は目を瞑り、黙って巴の愚痴を聞き続けた。巴が弱音を吐き出しきるのをじっと待ち、それからうっすらと笑った。

「そうね。私は土屋さんのお手伝いしかできませんので、無責任にいいとか悪いとかは申し上げられません」
「ええ」
「でも」

 立ち上がった波斗は、庭に面した窓際に歩み寄ると、庭の一角にある小さな十字架……墓碑を見つめた。

「弓削さんはこれまでずっと一人だったのでしょう。孤独の泥沼に両足を取られたら、誰だって生きていけないんです。自分を殺さないと一人ぼっちだというのをことさら意識してしまう。だからこその隷属体質だったんじゃないかな」
「……」
「でもね、今は一人じゃない」

 波斗が十字架に向かってまっすぐ手を伸ばす。

「私は。私は、娘の孤独を理解できずに死に追いやってしまいました。主人と結婚するまでずっと孤独の泥沼で溺れていた私が。何より孤独の恐ろしさを知り尽くしていたはずの私が。娘の孤独を軽視してしまったんです」
「……」
「孤立無縁に絶望した娘が自ら命を絶ってしまった時。私は……悲しいよりも腹立たしかったんですよ。弱い。弱すぎるってね」
「弱い、ですか」
「ええ。でも弱いからこそ感じ取れるんですよ。人のいいところも汚いところも。娘の死後、そう思うようになりました。弱いことを恥じてはいけない。弱者にしか見えないものがあるんだと」

 波斗が十字架を凝視したまま静かに話を紡ぐ。

「娘を失い、どん底に堕ち、心が空っぽになって初めて。私はとことん弱くなったんです。だから」
「だから?」
「差し出された手を素直に取れるようになったんですよ」

 振り返った波斗が笑顔で次々に指を折る。

「主人、トレマの菊田さん、そしてお隣に越してこられた工藤さんたち。誰もがどん底を経験した弱者でした。みんなは名声を得たプロガーデナーとしての私ではなく、生傷からだらだら鮮血を流してのたうち回っている私を、どうしようもなく弱い私を見てくれました」

 買い物から戻ってきたのが見えたのだろう。息を弾ませながらゲートを開けて飛び込んできた少女に向かって、波斗がにこやかに手を振った。そしてきっぱり言い切った。

「弱いからみんなの手を取れた。手を取れたから、今の私があるんです」
「……」
「弓削さんもそうだと思いますよ。最弱者だったから土屋さんの手を取れた。そして、どん底から離れられたんでしょう。妹尾さんは、これまでのようにずっと密着できないというだけ。手を差し出す優しさまで引き上げてしまうことはないでしょう?」
「そう……ですね」
「きっと大丈夫ですよ。誰よりも真剣に弓削さんに手を差しのべ続けているのは土屋さんなんですから。それは、土屋さんが弱くないとできないことなんです」

 人に弱みを見せないのは組織長の時だけでいい。楽隠居になった今は、素直に弱みを見せていい。理屈ではわかっていても、心身に絡みついたままの強者の鎧はどうしても外れてくれなかった。いや、外れてくれないと思い込んでいた。
 でも。自分はもうとっくに弱くなっていたのだ。弱かったからこそ父の落とし子を探し回り、弱かったからこそ少女たちとの同居に踏み切った。ああ、なんだ。そういうことだったのか。

 巴は両手で顔を覆って泣いた。悲しいからではない。弓削と同じ地平に立っていることを確かめられて、安堵したからだった。

 両手いっぱいに買い物袋をぶら下げてリビングに入ってきた八内は、土屋が臆面もなく泣いているのを見て仰天していた。

「会長! 何かやらかしたんですか?」
「ちょっとちょっと、亜希ちゃん。いきなりそれはないでしょ」

 波斗がぷっとむくれる。

「弓削さんのサポーターがこれから入れ替わっちゃう。どうしようっていう相談を受けていただけよ」
「あ、確かにー。っとっと。司くんも激しく泣いてますけど」
「きゃああっ! 忘れてたーっ」
「かあいちょーっ!」
「ごめん、亜希ちゃん。進はお義母さんに任せてあるんだけど、そっちも心配なの。見てきてくれる?」
「らじゃーっ!」

 二階に吹っ飛んでいった八内の背を見送ってから、波斗が土屋に言い足した。

「土屋さん。前にもお話ししましたけど、うちも同じ状況なんです。亜希ちゃんは来年うちを出ます。亜希ちゃんが予想以上に有能だった反動がどっと来るんですよ」
「……そう……ですね」
「うちも、なんとか変化を乗り切らなければならないの。お互いにがんばりましょ!」

◇ ◇ ◇

 波斗の家を出てすぐ。すっきりしない冬空を見上げた巴がぽつりと呟いた。

「そうね、佐保ちゃん。クリスマスってなんだろう。私にもわからないわ。クリスマスにしかほしいものがもらえないのは、確かにおかしい。ほしい時にほしいって言えるようにしなきゃね」


【 了 】



 注:
 弓削佐保という少女は、この小説の中ではモブの一人にすぎません。ただし、モブだから瑣末な位置付けというわけではないんです。彼女は、とても特殊なんですよ。

 まず。いっきの彼女であるしゃらにとって、
弓削は非常に厄介な存在になります。しゃらは弓削を加害した兄の縁者。知らないふりはできないんですが、かと言って手助けもできません。手助けできないのはいっきも同じですね。
 これまで様々な人々に支えられ、同じくらい困っている人たちに手を差し伸べてきた二人ですらどうにもできない。それが弓削という少女です。

 いっきの妹の実生と同じ十六歳の孤児で、すでに(望まぬ)子持ち。それだけでも十分に厄介なんですが、弓削は自発意思が極めて弱い。命じられて動くロボットのような性格です。その上容姿がとても整っていて、礼儀も『見かけ上は』しっかりしています。ですから、外面と内面の極端なずれがなかなか周囲に理解してもらえません。さらに厄介なことに、ほとんど学校に行けていません。学力的には小学二、三年程度というところでしょう。

 外面が整っているので、福祉関係者からのアドバイスは「職を斡旋するから働きなさい」になりますが、そんなの無理ですよ。何から何まで命じないと動けない。難しい指示を理解できない。自発意思がほとんどないのでコミュニケーションが極めて成立しにくい。飛び抜けた容姿が男たちの注目を集め、まんまと弄ばれてしまう。

 いろいろなケースをこなしてきたいっきやしゃらでも対応できないわけですから、他の人にはもっと手が出せません。いっきの伯母である巴が提供しているケアは、最初からチャレンジングなんです。
 欲しいものを聞き出す。たったそれだけのことにこんなに苦労するなんて。さらに、それが叶えられないリクエストだったなんて。これまで、力技で事態を打開してきた巴にとって、弱者救済の難しさ、デリケートさを思い知らされた形になっています。

 それでも。上から目線ではない善意の助力は必ず相手に届きます。会長が巴を「持てる者」ではなく弓削と同列の「弱者」に位置付け、助力を最大限持ち上げたことで、巴はほっとしたでしょう。本当の弱者は、どんな形であれ支援をどこまでも待ち望んでいるのですから。それが彼らにとって唯一の希望なのですから。


 みなさま、どうぞよいクリスマスをお過ごしください。(^^)/




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(モチノキの果実)





Do They Know It's Christmas by Emily Hall


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