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【SS】 くりすますって、なに? (弓削佐保、土屋巴) (一) [SS]

 おばさんに、さんたさんにおてがみかきなさいっていわれたけど。あたし、さんたさんてみたことないもん。わかんない。ふみねえはずっといそがしそうだからきけないけど、りんねえやきりこねえにきいたらあたしたちだってみたことないよーっていってた。やっぱりー。

 でも、ほしいものをぷれぜんとしてもらうならおてがみがいるんだって。ほしいもの、なんだろ。わかんない。

 だって、あたしのほしいものはもうあるもん。こわいひとがいないとこ。むずかしいことをいわれないとこ。いたいことをされないとこ。こんなの、いままでいっかいもなかったもん。ここ、すっごいらくなんだもん。
 みわがなかなければもっといいけど。そういったら、おばさんにおいおいっておこられた。あかちゃんはなくのがあたりまえだよって。

 それよか、せのおさんもうこれなくなるかもっていってた。なんでもかなえてくれるひとがさんたさんなら、せのおさんをつれてかないでっていいたいな。あ、それをかけばいいのか。ええと。

『せのおさんお、つれてかないでください』

 あとはおもいつかないや。これでいいよね。

◇ ◇ ◇

「ふうっ」
「巴さん、佐保ちゃんのリクエスト、どうですか?」

 ケアチーフの妹尾が直に確かめる。サポーターの恩納、伴野、村松も心配顔だ。

「予想通りだよ。妹尾さんを連れて行かないで、さ」

 メンバー全員、深い溜息の中に埋もれた。家主の土屋巴が、固く腕を組んだまま、たどたどしいひらがな文をじっと見据える。

 サンタさんへのお願いを書いといてね。巴は弓削にそういう宿題を出していた。ただ……巴には確信があった。以前よりずっとましになったとは言っても、弓削にはまだ十分な自我が育っていない。自我がしっかり前に出てこない限り、欲しいものなんか思いつくはずがない。

 極めて貧弱な自我。その乏しい自我さえ誰からも否定され、徹底的に壊されてきたのだ。ほとんど残っていない自我を、どうやって膨らませるか。もともとある自我の復元ではなく、ほぼゼロからの育成に近いのだ。本人の自主性を全く期待できない以上、蒔いた種子が発芽して伸び始めるまでは周囲が徹底的にサポートをするしかない。
 だが、巴のシェアハウスはあくまでも共同生活空間であり、サポートはボランティアの域を出ない。その分、弓削との距離感にはどうしてもばらつきが生じる。

 弓削は、自我が貧弱な代わりに人感センサーが異常に発達していた。誰に奉仕するかで自身の待遇が極端に変化するからだ。ましてや今は奉仕の必要がない。生き延びるために自我を取り崩さなくてもよくなった弓削は、天国の永続を夢見てメンバーをしっかり峻別していた。
 『こわいひと』の巴。『いいひと』の恩納、伴野、村松。そして、ずっと密着ケアをしている『いてほしいひと』の妹尾とに。臨床心理士の資格を持つプロカウンセラーとして、包容力のある「優しいお姉さん」として、他の誰より弓削が懐いたのが妹尾だった。

 妹尾が最後の最後まで弓削に密着していられれば、弓削のストレスを大幅に軽減できる。自我の養成をゆっくり進めていけるだろう。しかし妹尾は期限付き出向社員で、最初から一年というタイムリミットがあった。幸福を追い求める権利は弓削だけでなく妹尾にもあるのだから、巴は無理を言えない。
 妹尾の献身があって予想以上に進んだ弓削の自我形成だが、巴は妹尾の離脱による反動を常に考慮する必要があったのだ。そして、離脱が反作用をもたらすのは妹尾だけではなかった。

 他の三人のシェアメンバーは実に上手に弓削とコミュニケートしている。無理をしない。無理をさせない。巴と妹尾との橋渡し的な役割を上手にこなし、弓削が思考と行動を自由に動かせる状況を見事に作り出していた。
 だが、なにもかもうまく行き過ぎた。伴野が育児の補助を、村松が勉強の補佐を、恩納が明るい雰囲気の醸成を、それぞれ誰に指示されているわけでもなく分担してこなしている。逆に言えば、その中の誰が欠けてもバランスが崩れてしまうだろう。来年は妹尾だけでなく、他のメンバーも家を離れる可能性が高いのだ。

 なんて厄介な! 巴は頭を抱えていた。ケアスタッフを固定できないことなど最初からわかっていたはず。対応が後手に回ったのは、初期ケアの緊急性が高かったからだ。
 スタートアップにもっと時間がかかると踏んでいた巴は、ケアメンバーをフィックスするつもりがなかった。やってみて、リハビリの進み具合やケアスタッフとの相性を見て、漸次入れ替えようと考えていた。まさか、こんなにうまくいくなんて。いや、いってしまうなんて。

 リハビリの加速が速いほど、失速による墜落のダメージも大きくなるだろう。巴は……弓削の『おねがい』を凝視したままほぞを噛んでいた。

「本当に。難しいね……」





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(エノキ)





The One Who Knows by Dar Williams


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