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【SS】 見えないプレゼント (高井 涼) (一) [SS]

 年中季節感があっさりめのホームセンターと言っても、師走だけは別だ。店内に流れるビージーエムに、ささやかながらクリスマスソングが混じるようになった。田貫市の郊外、国道沿いにあるトレマホームセンターの新米社員高井涼は、入荷間もないパンジーの苗を手際よくチェックしながら、何気なくクリソンをハモった。

「リョウちゃん、なんかいいことあった?」

 鼻歌をパートのおばちゃんに聞きつけられ、すかさず突っ込まれた高井が苦笑い混じりに答える。

「いやあ、特に何もないです。景気づけですかねえ」
「景気づけねえ。これ以上忙しくなるのは勘弁してほしいけどなあ」
「ははは」

 いや、間違いなく暇より忙しい方がいいでしょ。
 高井は、心中でそのパートさんの位置付けをちょっとだけ下げる。年中混み合う園芸コーナーといっても、大規模量販店のように人でごった返すことなど滅多にない。店としてはスタッフを増やす算段をしなければならないほどの繁忙があって初めて「忙しい」と言えるのであって、通常の業務を通常通りこなしていれば一日が終わる今は、決して忙しいとは言えない。

 ただ、それをパートさんに言っても仕方がない。高井は、鼻歌を切り上げてバックヤードに走った。

「そろそろどどっと納品が来る。慌ただしくなるなあ」

◇ ◇ ◇

 ホームセンターはデパートやスーパーマーケットと違い、クリスマスで大幅売り上げアップを図るという営業戦略を立てていない。クリスマスに関連する商品は他の小売店同様に取り揃えるものの、食品の扱いが少ないので売り上げへの寄与は知れている。それより年末年始の方がずっと忙しくなる。
 師走に入ってから順調に客足が伸びているものの、ペースとしては例年並み。店員がパニックに陥るほどの大入りにはなっていない。

 高井にとって、クリスマスに尻を蹴飛ばされるような多忙が襲いかかってこないことはいいことでも悪いことでもあった。
 いいこと。余裕を持って仕事をこなせるということ。もっとも通常業務だけでも十分忙しいので、クリスマスに取り殺されないだけまだマシというレベルであったが。
 悪いこと。少しでも手が空くと、余計なことをいろいろ考えてしまうこと。考えたくない不安を頭から追い出すには、むしろ忙しすぎる方がよかったのだ。

 ホームセンターに就職してから現在に至るまで、怒涛のように押し寄せてくる業務をこなし、覚え、慣れ、次のステップを見据える余地が少しだけできてきた。
 学生から社会人へのステップアップを順調にこなせるとは思っていなかった高井にとって、余地が得られることは好ましいはず。だが、余地はまだ白紙のままで、そこに何も描けていない。少しずつ広がる白地には、望ましい未来ばかりではなく、不安や恐れも忍び込んでしまう。

 自分は、本当にこのままで大丈夫なのだろうか、と。

「リョウちゃん。これ、どうする?」

 ベテランパートの松田が、高井を見つけて声をかけた。納入品一覧の複写紙に引かれたピンクマーカーの列を指さしている。はっと我に返った高井が、紙面にさっと目を走らせた。

 園芸コーナーには、クリスマス用の商品として定番のポインセチア以外にもチェッカーベリーやヒメヒイラギなどの小鉢をいろいろ仕入れてあった。それが順調にはけて、店頭在庫が払底しつつある。どうするの中身は、追加注文を出すかどうかの確認だ。これから追い注をかけても売れる数より残る方が多くなると考えた高井は、そう言いかけて口をつぐんだ。

「主任に。菊田さんに確認を取ってみます」
「そうだね」

 松田が、苦笑混じりにわずかに微笑んだ。その複雑な笑顔が高井の心に引っかき傷を残す。
 コピー紙を畳んだ松田は、高井に背を向けると同時に小声で言った。

「リョウちゃん。そろそろ離陸よ」

 高井は唇を噛む。わかっている。変化の大波は、自分の意思や願望とは無関係に押し寄せる。高校を卒業した時のように。否応無く、容赦なく、厳然と。
 だが、学生という立場を失う時には何も感じなかった不安が、高井の心中をじわじわと侵食していた。

 変化から逃げるわけにはいかない。いや……逃げてもいずれ変化の波には飲み込まれる。自分は変化と向き合わなければならない。わかっている。
 ただ……変化に挑むタイミングがどうしても掴めない。

 高井は、土だらけになっている両手を見つめて大きな溜息をついた。

「相手がいるなら、殴り倒しゃ済むことなんだけどな」

 ぶるぶる首を振っていた高井に、園芸部門主任の菊田宏子が気づいた。窮屈そうにはまっているメガネをかけ直しながら、さっと駆け寄る。

「どした? リョウ」
「あ、ポインセチア以外の小鉢をどうしようかと思って」
「クリスマス関連なら追い注かけるだけ無駄だよ。だいたい出荷側にタマがもう残っていない。これからは正月、早春ものに切り替え」
「ですよね」
「こんな初歩的なレベルで迷うなんてリョウらしくないな。即断即決しなよ」
「はい」

 ふくよかな丸顔に似合わない厳しさと真剣さ。高井は、着任から今に至るまで菊田の容赦ない鬼指導によって鍛えられてきた。理詰めで読みの奥が深い菊田の薫陶は、高井にとってまさにバイブルのような存在。菊田は商品知識が豊富なだけではなく、業者との駆け引きやパート、アルバイターの扱いも巧みだった。
 それは努力と経験で磨き上げられた才能であり、ぽっと出の新人が付け焼き刃で会得できるものではない。仕事に慣れたとは言っても、人扱いの部分は高井にとってまだまだ敷居が高かったのだ。

 だが……変化は来る。自分はその変化がくることをずっと前から知っていたはず。それなのに、なぜ今の今まで顔を背け続けていたんだろう。黙り込んでしまった高井を見て、菊田がしょうがないなあという表情で笑った。

「しけてるねえ」

 厳しいけれど、心配りが細やかで頼り甲斐のある超有能な上司。うっかり、そんな神様のような上司に当たってしまうと、上司の存在が必要不可欠なものに変わってしまう。
 高井は、菊田の厳しさと優しさの両面を思い知らされた春先のハプニング……小田沢お仕置き事件のことを無意識に思い返していた。



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