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三年生編 第73話(1) [小説]

8月1日(土曜日)

今日は二週間コースの中日ってこともあって、講義はかなり
ごつかった。
一般コースは緩いかと思ってたけど、決してそんなことはな
かった。
講義内容の難度も先生のカツ入れも、容赦なくギアが上がっ
てる。

このペースだと、二週間の講習なんてあっという間に終わっ
ちゃうな。

「やべー。急がなきゃ」

僕は、まだ熱気が残る講義室のざわつきの中、机の上に広げ
てあったノートと問題集を素早くカバンにしまった。
てきぱき行動しないと、自習室がすぐにいっぱいになっちゃ
う。

学生で溢れ返る廊下をかき分けるようにして、自習室へ急ぐ。

ある水準以上の大学を狙う受講生は、講義が終わったあと自
宅や合宿所に真っ直ぐ帰らない。
自習室で延長戦をやったり、先生に食いついて弱点を潰しに
行ったり。みんな、限られた時間でどうやって自分を押し上
げるか、必死になってる。

その熱気の中で僕だけがぐだぐだをずっと引きずるのは、ど
うしても嫌だった。

合宿所に早く帰れない理由。
僕の中でも、この数日間でどんどん変化している。

最初は、暑い部屋に帰りたくないから。
その後、独りの世界に封じ込められたくないからに変わり。
今は、自分をきっちり追い込んで中身を詰めることに集中し
たい、その時間を確保したいから……になってる。

本当は、最初から今みたいな集中が必要だったんだろう。
でも、僕は出足でつまずいた。

止まってしまったエンジンを回すのに、三日もかかっちゃっ
た。
そしてエンジンを再始動したのは、僕が自分で課題にけりを
付けたからじゃない。
あいつが……立水が戻ってきたからだ。

僕があいつに何も言わなかったように、あいつも僕に何も言
わないし、アプローチも一切ない。
完全に勉強だけに集中している。

あいつが負けたくない相手は自分自身なんだろうけど、僕は
あいつの負けん気や集中力に負けたくなかったんだ。

相手の弱いところにシンパシーを重ねてたんじゃ、一緒に地
盤沈下する。
今は逆立ちしても敵わない、あいつの莫大なエネルギーと行
動力。
それに対抗するには、自分の中から熱をおこすしかない。
それしかないんだ。

学力から言ったら、立水じゃなくマカの方がずっと上だか
ら、僕はマカを目指さないとならない。
でも、マカは最初から僕を相手にしていない。
僕はマカとはレベルが違い過ぎて、競う資格がないんだ。

武田くんもそう。
彼は自分のオリジナリティに恐ろしいほどこだわってる。
頭の良し悪しじゃなくて、自分が欲しいものを取りに行くん
だっていう姿勢に全くぶれがない。
そこがまだふらっふらの僕は、今は競いようがない。

そして、立水。
目指す先がレベル的に妥当かどうかはともかく、あいつの
狙ったものを取りに行くという意思の強さは、桁違いだ。
まるっきり僕の比じゃない。

でも、あいつの場合その動機が自分の外にあった。
自分で熱をおこせなかった僕と、その欠点だけは共通だった
んだ。

そして、あいつはそれをご破算にした。
一旦スタート地点まで戻って、そこからやり直す決意を固め
たんだろう。
それなら、僕も中途半端な自分をぶん投げて、思い切ってス
タートまで戻った方がいい。

立て直すっていうことじゃ、僕も立水も変わらない。
ハンデは全く同じなんだ。だから、これからの競争には絶対
に負けたくない。

僕が、これまでなんとなく避けてきた競って勝ち取るという
こと。
スポーツではものすごく勝ち負けにこだわるのに、それ以外
の部分では自分を無意識に中立の位置に避けてしまう。

自分が孤立することを必要以上に恐れて。
自分のポジションをわざと下げて、そこに隙や白地を作って
見せて。
そんな心の弱さが……僕の熱を下げちゃってる。





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