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三年生編 第53話(1) [小説]

6月27日(土曜日)

どおおおっ……。

早朝から激しい雨。
四方八方からのしかかってくる分厚い雨音のノイズに、押し
潰されてしまいそうだ。

僕はものすごく憂鬱な気分で、携帯を握っていた。


           −=*=−


おとついの面談で五条さんの方針が固まったから、弓削さん
関連のことはこれでもう終わりかなあと思ったんだけど、そ
んなに甘くなかった。

「朝早くにごめんね。でも、事態が切迫してるから」

電話をかけてきたのは五条さんではなく、森本先生だった。

「いえ。でも、先生が僕にかけてくるってことは、弓削さん
の今後のケアの見通しがよくないってことですよね?」

「そう。精神科の先生が一人と、うちの臨床心理士が、それ
ぞれ別個に聞き取りとカウンセリングをしたんだけど、現段
階での結論はどちらも同じ」

「どうだったんですか?」

「うつ病や統合失調症のような疾患ではない。長期の抑圧に
起因するパーソナリティ障害の可能性が高いの」

パーソナリティ障害……か。

「それって、どういうことですか?」

「名前の通りよ。性格に障害があるってこと。でもそれは性
格が悪い、嫌なやつってことじゃないの」

「うーん……ぴんと来ないです」

「性格っていうのが、いろんな感情、思考の組み合わせで成
り立っている以上、これが正常でこれが異常っていう仕分け
はそもそも出来ない。いいも悪いもないんだよね」

「そうなんですか?」

「そうよ。よく喜怒哀楽って言うでしょ?」

「はい」

「そのどれかしかないってことはない。みんな、全部持って
るよね?」

「そうですね」

「でも、性格を形作るパーツは揃ってても、その在庫の量と
出荷の方法は人によってまちまちなの」

なるほど。

「特定の部分だけ足りなかったり、多過ぎたり、偏ってたり
すると、性格がバランスを崩すの。それがもとでみんなから
浮いちゃう。社会生活がスムーズに送れなくなる。それがパー
ソナリティ障害」

「病気ではないってことなんですか?」

「判断が難しい。でも障害を放っておくと、悪化はしてもよ
くなることはなかなかない。周囲との軋轢で強いストレスが
かかるからね。そういう意味では、治療が必要な病気と言え
るかもしれない」

うーん……。

「身体の異常と違って、精神のアンバランスについてはまだ
まだ未知の部分が多い。本人の状況を見ながら、関係者が根
気よくカウンセリング等で補正していかないとならないの」

「はい」

「でもね、弓削さんのケースは、私たちがサポートするには
極めて条件が悪いのよ」

「分かります」

「でしょ? まず、本人の年齢」

「はい。未成年だけど、もう義務教育が終わっちゃってる」

「立場的には自活出来ちゃうの」

「まだ無理ですよね?」

「無理よ。精神が全く自立してない。いや、それ以前に自我
形成不全がひど過ぎる。あの状態で放り出したら、すぐに誰
かのおもちゃになって、最後は廃人よ」

「げー……」

「これまでそうならなかったのが不思議なくらい」

うん。それは幸運なのか、それとも……。

「年齢の他に、身寄りがないことも悪条件」

「亡くなったお母さんの親族とかは?」

「いない。少なくとも、五条や池端さんからはそう聞いてる。
弓削さん自身が認知なしの私生児みたいで、父親の欄が空白
なの」

「うー」

「それに加えて、赤ちゃんでしょ?」

「ええ」

「本人に望まない子として手放したいという意向があるのな
ら、こちらでもいろんな手を使える。でも、ほとんどの事に
執着を示さない弓削さんが、その子にだけは激しく執着して
いる以上、その子を取り上げたら完全に壊れちゃう」

「そうか。それだけが現実との確実な接点になってるってこ
とですね」

「今の状況ではね」

むー……。

「一番困ってるのは」

「はい」

「弓削さんの態度や言動、行動には一見破綻がないってこと
なの」

「……」

「つまり、弓削さんは『見かけ上』正常で、独立出来てしま
うってことね」

「それは……」

「無理、でしょ?」

「無理ですよー。弓削さん、自分を消すことでなんにでも合
わせようとするもの。それじゃあ……」

 



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