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三年生編 第53話(2) [小説]

「うん。もし良心的な雇用主さんが居ても、同じ職場の他の
人とうまくやっていけない。わがままじゃなければ集団にな
じめるってわけじゃないよね。自分の考えやイエスノーがき
ちんと言えないと、必ず浮く」

「そうですよね」

「集団にうまく適合出来ない以上、仕事をするのは絶対に無
理なの」

「分かります」

「でも、それを行政の人が理解出来ると思う?」

「あ!」

「でしょ? 本人に就労の意思があり、まじめで性格的にも
温和で協力的。赤ちゃんを抱えているから、働く意思を持っ
てるのは当然だとみなす。今日の話し合いでも、福祉課の担
当者がそういう方向に話を持って行こうとしてるの」

「それでかあ!」

「そう、申し訳ないけど朝一で電話させてもらったの」

「でも、今日の話し合いには僕は……」

「オブザーバーで出てくれる? 弓削さんと直接話が出来た
関係者のうち、私や五条は最初から庇護する側。なんでもか
んでも行政に持ち込むなって考えてる連中の抑止力にはなれ
ない」

「えー? そんなものなんですか?」

「たとえば親からDVの被害を受けているみたいな、心身へ
の危険が迫ってるケースが優先されちゃう。行政は、それす
らフォローし切れてないんだから」

「……。じゃあ、僕はそこで何をすればいいんですか?」

「弓削さんをうまくつついて。最初、そうするつもりだった
でしょ?」

「あ、確かに。そうです。本人にはちょっと答えにくい突っ
込みを入れて本音を吐かせようと思ったんですけど……あれ
じゃあ怖くて」

「さすがね。つつくと言っても、自我が弱い方をつつくん
じゃなくて、もう一方をつついて欲しいの」

「もう一方って言うと……学力の方ですか?」

「そう。彼女は小学校の頃から、まともに学校に行かせても
らえてない。中学校の出席日数は、三年間で百日もないの」

「ええっ!? それで卒業出来るんですか!?」

「させちゃったってことね。彼女の通ってた学校の先生が、
アパートに時々面接に来てたみたいだけど、それを出席に振
り替えちゃってるんでしょ」

「試験は?」

「出席した日は、ほとんどその関係の時だと思うよ。学校も
それだけ受けとけって感じで」

「げー……」

「学校も、弓削さんの家庭には深く関わりたくないって、投
げてたってことね」

森本先生の声に、強い怒気が混じった。

自分もそうされてたから、僕は学校っていうのが信頼に値し
ないただの箱だってことはよーく分かってる。

何もなければ、ただの箱で終わるけどさ。
でも僕の時みたいに何かあれば、それは箱から檻に変わる。
檻の外にいる人たちには、その怖さや惨めさが全く分からな
い。

だらしないとか、覇気がないからだとか、檻の外からそうい
う無責任なことを言い放つやつら。
じゃあ、あんたらが一人で檻に入ってみろよ!

僕が檻の中から毎日世界を呪っていた時から、まだ三年しか
経ってない。経って……ないんだ。

「弓削さんは、これまでほとんどまともな教育を受けていな
い。その歪みを、ちゃんと連中に見せておかないとならない
の」

森本先生の声で、はっと我に返った。
おっとっと。

「でも、それって森本先生の方から言えるんじゃ……」

「私たちから言うと、弓削さんのフォローが出来なくなる」

あっ!

「そ、そっか」

「私や五条の立場から、弓削さんにあんたはバカだって言え
ないの。私たちが弓削さんの上に立った途端に、彼女は私た
ちに隷属する。私たちの指示した通りにしか動かなくなるの。
それじゃあ、全部おじゃんよ」

「ぐえー、すっごい難しい……」

「そうなの。本当は、今日の話し合い自体を延期したいとこ
ろなんだけど、関係者の間できちんと共通認識を作っておか
ないと、行政側の受け皿作りを促せない」

「そっかあ」

「ごめんね。受験生に面倒なことを頼んじゃって」

「はああ……しょうがないです。しゃらのお兄さんのことも
あるし」

「そうね。そっちも厄介よ」

「やっぱかあ」

「弓削さんは自我を消して受け入れるけど、則弘さんはすぐ
全部ぶん投げて逃げようとする。どちらも、現実への対処法
としては全く機能しない」

「ですよね……」

「まあ、則弘さんはもうとっくに成人してるんだから、自力
でなんとかしてもらうしかないわ」

長岡さんのお兄さんの時と同じで、森本先生がすぱっと突き
放した。

そのあと僕がしばらく黙っていたら、森本先生に話し掛けら
れた。

「ねえ、工藤くん」

「はい?」

「五条もいろんな子と向き合ったと思うけど、私たちもたく
さんのケースを見てきてる」

「はい」

「そしてね、私たちが関わった子の全てでケアがうまく行っ
たってことはない。むしろ、うまく行く方がまれなの」

「……」

 


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