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三年生編 第109話(4) [小説]

お父さんがにっこり笑った。

「いや、かんちゃんはまじめで働き者です。私の心配なん
か必要ないんですけどね」

くすくす笑い声が広がる。

「それでも、いろいろな意味で過去にけじめをつけて、こ
れからの人生を前向きに二人で乗り切っていってほしい。
それが……私からのささやかな激励です」

お父さんが、かんちゃんの背中をぽんと叩いた。

「頼むな」

かんちゃんは涙涙で、頷くことしかできなかった。
今度は椅子に座っていたお母さんが口を開いた。

「みなさん。瑞宝さんの衣装がなぜ白無垢じゃないのと思
われたんじゃないかと」

あ、そう言えば。色打掛だ。

「白無垢は、生家との別れ。色を捨て、婚家に染まる覚悟
を示すもの。でも、お二人ともすでに生家がありません」

し……ん。
場が水を打ったように静まる。

「これ以上色を失ったら、何も残らないんです」

お母さんが、二人に向かって微笑む。

「いついかなる時も、お二人揃って自分の色を失わないよ
う。いつまでも自分の色を手放さないよう。あえて色打掛
をご用意しました」

お母さんが、すっと頭を下げた。

「どうか、お二人で素敵な色を作り上げてくださいね」

親に捨てられたかんちゃんと、親から裏切られた中沢先生。
二人とも、喪失感ははんぱなかったと思う。
でも、そこが今白地だからこそ受け入れられる感動という
のもあるんだろう。
少なくとも……僕はそう信じたい。

かんちゃんも中沢先生も、揃って涙涙になってしまった。
少し苦笑したお父さんが、大きな声を張り上げた。

「ああ、めでたい席なのに、そんなに泣いちゃいけません。
さあ、みんな。美男美女と一緒に写真を撮りましょう。ちょ
いと先生の化粧直しに時間をください」

感極まったかんちゃんと中沢先生の気持ちが落ち着くのを
待ってお色直しが行われ、ぴかぴかの店の前に立つ新郎新
婦との写真撮影会になった。
二人きりでの前撮りっていうのもいいけど、こういう賑や
かな撮影会もいいよね。思い出になるし。

十五分くらいわいわい言いながら写真を撮って、そのあと
新郎新婦からそれぞれ挨拶してもらうことになった。

「じゃあ、まずかんちゃんから」

「はい」

緊張の面持ちで、一度咳払いをしたかんちゃんが深くお辞
儀をして前に一歩出た。

「本日は……当店の新装開店にお集まりいただき、まこと
にありがとうございます」

もう一度深々とお辞儀をしたかんちゃんは、顔を上げると
わずかに苦笑を浮かべた。

「本当は。御園さんに『私の店』と言えと言われていたん
ですが。どうも尻がむずむずするもので。済みません」

わははははっ!
一斉に笑い声が響いた。
その笑い声で緊張が少しほぐれたのか、かんちゃんの顔が
いつもの優しい顔になった。

「自分の取り分はちゃんと主張しろ。御園さんから、いつ
も言われてます。そうしないと、受け取れるものも誰かに
取られてしまうぞと」

ふっ。
小さな溜息の音が響いた。

「そうですね。私はもうこれ以上自分を削れません。私
は……本当はそんなに優しい人じゃない。そんなにいっぱ
い人にはあげられないんです」

「それに気づかせてくれた御園さんに。そして、私の過去
をご存知の上で髪を扱わせてくれたみなさんに。心からお
礼申し上げます」


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三年生編 第109話(3) [小説]

まじめなお父さんらしい、おちゃらけ一切なしの挨拶だっ
た。
ギャラリーから一斉に拍手が沸き起こった。

「さて!」

もう一度、お父さんが声を張り上げた。

「本来ならこれで挨拶おしまいなんですが、今日は、こっ
からの方が大事なんです」

なっつが、お母さんにそっと椅子を勧めた。
応じたお母さんが、ほっとしたように腰を下ろす。

「御園理髪店は私がゼロから作り上げてきましたが、則弘
も沙良もここを継ぐことはありません。私もそれは望みま
せん。床屋っていうのは職人商売です。志のないやつが、
床屋をやっちゃいけないんです」

一度口を閉ざしたお父さんが、ぐるりとギャラリーを見回
す。

「でもね。私はついてました。私の代で終わりになるはず
のこの店に、後継者ができたからです」

お父さんが看板を指差した。

「私は腕が落ちたと自覚するまでは、店に立つつもりです。
でもね、先々看板はかんちゃんに譲ります」

おおおっ!
驚きの声が上がった。

「かんちゃんがうちの店に来たばかりの頃、かんちゃんは
うちの店の従業員でした。でも、今は違う。今回の新装
オープンにあたって、かんちゃんは共同経営者になってい
ます。店の上がりだけじゃなく、借金も仲良く半分こなん
ですよ」

「人に使われるんじゃなく、オーナーとしてプライドを
持って店をやろう。そういう覚悟を……二人で確かめまし
た」

「でね。先々私が引退するまでの間に、一緒にやりたいと
いう仲間を探してくれ。かんちゃんには、そう言ってあり
ます」

ぱちぱちぱち!
いつの間にか拍手が起こり、それがみんなに広がった。

「どうか。私らにくださったご厚情を、かんちゃんにも注
いでやってください。よろしくお願いいたします」

ひときわ大きな拍手が響く中、突然かっちんのお父さんが
ダミ声を張り上げ始めた。

「高砂や この浦船に帆を上げて
月もろ共に出汐の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖こえて
はや住の江につきにけり
はや住の江につきにけり」

低い地響きのような声は、何人かのおじさんたちの合唱に
なって、あたりを埋め尽くした。

その歌声をかき分けるようにして、和装のかんちゃんと色
打掛を着た中沢先生が緊張の面持ちで歩いて来た。
僕とかっちん、なっつと実生が、それぞれ緋毛氈の布を敷
いて二人を店の前に導く。

うわあ……中庭で即席結婚式をやった時の洋装もきれい
だったけど、和装だと美男美女の取り合わせはひときわ目
立つ。すげえ……。

しゃらのご両親の間に立った二人を、お父さんが改めて紹
介する。

「みなさん。もうご存知だとは思いますが、かんちゃんと
瑞宝さんは、もう籍を入れて一緒に暮らしています。でも
ね、結婚式はしていないし、その余裕もない」

「今は、地味婚どころか式をしないカップルも増えている
そうですから、まあそれでもいいのかとは思いますが……」

「式ってのはけじめです。共に歩くことを簡単に投げ出さ
ない。そういう覚悟をみんなに示す場です。私はそう思っ
ています」

「男女同権と言いますが、私はやっぱり男の甲斐性という
ものを主張したい。責任を持ってきちんと働き、女房子供
を食わせる。その覚悟を示すのが式の一つの役割だと思う
んです」


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三年生編 第109話(2) [小説]

「いっき、おせーぞ!」

息急ききって店の前に駆け込むなり、かっちんにどやされ
た。

店の前は黒山の人だかり。そりゃそうだよね。
商店街だと、開く店より閉まる店の方が多いんだ。
こんな風に大々的にオープンをアピールすることが少なく
なって、全体としては寂れていってる。
だから、みんなわくわくしてるんだろう。

「わりぃわりぃ。母さんに捕まっちゃってさ」

「いいけどよ」

「みんな揃ったの?」

「揃ってるよ。いっき待ちだったんだ」

ううう。
済まんこってす。

しゃらのお父さんが僕を見て、小さく頷いた。
すぐに始めるってことなんだろう。

「みなさん!」

礼服をぴしっと着こなしたしゃらのご両親と、リックさん
の結婚式の時のスーツを着たしゃらが、店の前で横一列に
並んで小さくお辞儀をした。

「本日は御園理髪店リニューアルオープンにあたり、たく
さんのお祝いと激励の言葉を頂戴いたしました。あつくお
礼申し上げます」

お父さんが、ぴかぴかの店舗を振り返ってぐるりと見まわ
した。

「私がこの商店街でお世話になって二十年あまり。その間
に、いろいろなことがありました」

お父さんの表情は柔和だけれど、いろいろの中身が半端じゃ
ないことはみんな知ってる。
集まった人たちはみんな小さく頷いた。

「最初は、女房子供を食わせることで精一杯でした。きっ
と、愛想のないあんちゃんだと呆れられていたと思いま
す。私はまじめに仕事に励んできましたが、店を保たせて
くれたのは私の腕じゃなく、家内です」

お母さんが、少し照れたように笑った。

「そのまま静かに時が流れてくれれば。どんなにか、そう
願っていたことか。でも神様仏様ってのは、時として無慈
悲な運命を押し付けます」

笑顔を消したお父さんが、ゆっくりギャラリーを見回した。

「則弘がトラブルに巻き込まれて失踪。沙良がひどいいじ
めにあい、女房は身体を壊し、私は店を潰した。失意の最
中に私たちを支えてくれていた義母が病死しました」

「なんで。なんで私らだけがこんな目に。そう思わなかっ
たと言ったら嘘になります」

ふっと漏らした息の音が、はっきり聞こえる。

「でもね、そんな私らがこうやって店を再興できたのは、
不幸以上に幸運があったからです。林さんに店を貸しても
らい、かんちゃんが来てくれて、商店街のみんなや沙良の
友達が私らを助けてくれた。私らは……恵まれています」

お父さんの顔に笑顔が戻る。

「床屋ってのは客商売です。髪を切るだけじゃなく、そこ
でいいものをやり取りしないと意味がない。私がへたばっ
ていた時に林さんにどやされたことを、もう二度と忘れる
ことなく。これから来店してくださる方には、髪が目減り
した分、明るい気持ちをお土産を持って行ってくれればな
と。そういう心がけで精進してまいります」

親子三人が、揃って深々と頭を下げた。

「どうか、倍旧のご愛顧をよろしくお願いいたします」


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三年生編 第109話(1) [小説]

10月3日(土曜日)

「うん。いい天気になってよかった」

リビングの窓から、きれいに晴れ渡った秋空を見上げる。
しゃらのお父さんの理髪店が、いよいよ今日から再出発になる。
スタートの日がすかっ晴れだと、幸先いいもんな。

「いよいよオープンなのね」

朝食を運んできた母さんの声が背中にぽんと当たった。
振り返って答える。

「そう。今日はお披露目だけで営業はしないみたいだけど
ね」

「ふうん。明日から? 日曜なのに?」

「しゃらんちは水曜定休なんだ」

「これまでも?」

「ずっと前は知らないけど、林さんとこ借りてやってる時
はそうだったよ」

「日曜にはしないのね」

「お客さんの層を広げたいみたい。年配の人ならいつが休
みでも関係ないけど、勤めてる人は日曜に店やらないと来
てくれないからね」

「そっかー」

「かんちゃんも、前に働いてたところが水曜定休だったか
ら違和感ないって言ってたし」

「奥様と休みを合わせるのが大変そうね」

「はははっ!」

思わず笑っちゃった。

「あの二人なら、何曜日が定休でも関係ないよ。熱々で毎
日が日曜だもん。それに」

「うん」

「先生は基本怠け者のインドア派だから、二人でどっか行
くっていっても、この辺りの散歩で済んじゃうし」

「ばばくさー」

お母さま。うちの親父もそうだってばさ。

「いいじゃん。それぞれのスタイルってのがあるんだから
さ」

「まあね。そういや、実生はまだ寝てるの?」

ああ、そうか。
母さんには、今日の詳細を知らせてなかったな。

「開店早々に営業しないのは、ちゃんと訳があるんだ」

「へ?」

「開店に合わせて、店で先生とかんちゃんの結婚式をやる
んだよ。実生はしゃらと一緒に先生の補助に行ってる」

「ちょっとっ! そういう話はもっと早く言ってよっ!」

ぶわっと母さんが沸騰する。
まあ、式を大々的にやるなら手伝い頼むけどさ。

「結婚式って言っても、どっかの式場でお客さん呼んでや
るって感じじゃないんだ」

「え?」

「そりゃそうでしょ。かんちゃんも先生も、身内が誰もい
ないんだもん」

「あ……そうか。そうだったね」

母さんの怒りの火は、さっと鎮火した。

「じゃあ、挨拶だけって感じ?」

「それに近いと思う。ただ、その挨拶がすごく大事なん
だって聞いてる」

「どして?」

「しゃらんちの理髪店は、先々かんちゃんが跡継ぎになる
からさ」

「ああっ! そうかあ!」

「でしょ? お父さんは、しゃらに継がせる気はないの。
御園理髪店という名前も、かんちゃんの代からは桧口理髪
店になるんだ。今のうちから、そういうのをアナウンスし
ておこうっていうわけ」

「すごいなあ。歌舞伎の襲名披露みたいだ」

「わははっ!」

うん。なんか、そんな感じ。
暖簾分けもいいけど、こういう形で店をつないでいくって
いうのもいいなあって思っちゃう。

寿庵とかも、そうなるんだろうなあ。
中村さんから長岡さんへ。
でも中村さんが言っていたように、継ぐのは店そのもの
じゃなくて、精神なんだろう。
いくらもうけたか……じゃなくて、どれくらい自分の理想
に近づけたか。いい菓子が作れたか。

青臭いって言われるかもしれないけど、心を受け継ぐ生き
方にはすごく憧れるし、自分もそういうのを目指したいな
と思うんだ。

「いっちゃん、ぼーっとしてたら遅れるよ? さっさと朝
ご飯食べて!」

「おおっと! まずいまずい!」


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三年生編 第108話(7) [小説]

「じゃあ、また明日なあ」

「おつかれさまー。ありがとねー」

「おう!」

いつものように、じゃれ合いながらなっつとかっちんの後
ろ姿が遠ざかっていく。
さて、僕も帰ろう。

「それじゃ、僕も失礼します。明日、また来ますので」

「お手伝いありがとうございました」

お母さんに深々と頭を下げられて、心配になる。

「明日もばたばたすると思いますから、今日は早めに休ん
で、疲れを取ってくださいね」

「ありがとう。明日は賑やかになるわね」

体のしんどさよりも、店が再生した喜びの方がずっと大き
いんだろう。お母さんの表情は終始明るかった。

「ああ、そうだ」

ごそごそと店舗に入っていったお母さんが、小さな鉢植え
を手に戻ってきた。

「引っ越しを手伝ってくださった方にはお菓子をお配りし
たんだけど、工藤さんならお花の方がいいと思って」

「お、なんですか?」

「初恋草」

「へえー!」

「ふわっと柔らかいイメージで、私は好きなの」

でも。
お母さんの横で、しゃらが渋い表情をしている。

「育てるのが簡単だったらもっといいんだけど」

どてっ。

「なんかー、初恋って実らないもんだよーって言われてる
みたいで」

「ふふふ」

お母さんは、それを知っててのチョイスなんだろなあ。
うちの母さんと同じで、意外にシビアだから。

「恋と愛情は違うよ」

お母さんが、さらっとしゃらを諭す。

「恋は一瞬でできる。でも愛情は育てて築くもの。工藤さ
んがさっき言ってたでしょ? 変化っていう嵐で枯らさな
いようにするには、努力が必要なの。恋は一瞬で消えて
も、しっかり育てた愛情はそんなに弱くないわ」

店舗を振り返ったお母さんが、柔らかく微笑んだ。

「いろいろあったけど。お父さんに付いてきてよかった
と。本当にそう思ってる。あんたも、がんばりなさい」

「えへへ」

しゃらのやつ、いっちょまえに照れてやがる。
いいけどさ。

初恋草は気難しい草。
花は可憐だけど、手入れをとちるとすぐ枯れる。

初めての恋を愛に発展させたいなら、花のない時期にも手
を抜かずに世話をしなさい。
きれいな部分、美しい部分だけに目を向けていたら、あっ
という間に枯れてしまうよ。

恐ろしいくらい、シビアな指摘だなあと思った。

「じゃあ、ありがたくいただきます」

「枯らさないでねー」

しゃらの突っ込みを苦笑混じりに聞き流しながら、商店街
を走り抜け、坂を上がる。
夜空に瞬く星を見上げながら、明日のことを考えた。

僕らが山形からここに越してきた時。
家族の誰もが、それをきっかけにして自分を立て直した。
きっと、しゃらのところもそうなんだろう。

失った自分の家、店、生活、プライド……。
その負債が、明日で一度リセットされる。
一から築き上げるのは大変だけど、逆に言えばそれまでず
るずる引きずっていたものをちゃらに出来る。

あとは……どうやって育てていくか、だよね。
僕としゃらの仲も。
かっちんやなっつとの友情も。

変化という嵐に負けないように。



hatk.jpg
今日の花:ハツコイソウLechenultia spp.)



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三年生編 第108話(6) [小説]

あくまでも希望的観測。
僕のは、甘めの宣言だったと思う。
実際には、この四人で次にいつ集まれるかすらわからない。

かっちんの進路は聞いていないけど、なっつは初志貫徹で
教育大だろう。
僕の志望してる県立大と同じで、ここから通うのはしんど
いはずだ。

かっちんの進学先次第では、四人が物理的にばらばらにな
るんだ。
そして僕はしゃらとの時間を、かっちんはなっつとの時間
を最優先するだろう。

大きな変化を乗り越えて、今と同じ気持ちで四人で顔を合
わせることができるか。
それは……冗談抜きに挑戦になると思う。

僕の顔をじっと見ていたかっちんが、どわっと笑った。
僕の大好きな、屈託のない笑顔。

「はははっ! まあ、大丈夫だろ。俺らはタフだからよ」

「そうね」

かっちんの頭をごんとど突いたなっつが、にやっと笑った。

「わたしが毎日どついても壊れないんだから大丈夫よ」

「ええー?」

しゃらがぷうっと膨れた。

「ちょっと、やめてよ。そんなことされたらわたしは壊れ
ちゃう。ねえ、いっき」

同意を求められたから、思い切り混ぜっ返した。

「そりゃそうだ。しゃらをどついたら、百倍で返ってくる
から」

「いっきーっ!」

「ほら」

わはははははっ!
お母さんも含めて、五人で力一杯笑い転げる。

変化は来る。来てしまう。
でも、その変化に翻弄される前に……こうして少しだけ
『今』を楽しませてほしい。

そう思いながら。


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三年生編 第108話(5) [小説]

「沙良?」

お母さんの穏やかな声がして、ドアがすうっと開いた。

「おばさん、引っ越しで疲れてるんだから休んでないとだ
めだよ」

さっと立ち上がったなっつが、お母さんをたしなめる。
その口調に苦笑したお母さんが、持っていたトレイを床に
下ろした。
トレイの上で、オレンジジュースの入ったグラスが四つ、
うっすら汗をかいていた。
なっつとしゃらが、手際よくグラスを配る。

「手伝ってくれて、ありがとね。本当に助かるわ」

「いよいよ明日ですね」

にんまり笑ったかっちんが、改めてしゃらの部屋をぐるっ
と見回した。

「そうね。いろいろあったけど……。やっとここまでたど
りついたっていう感じ」

「ああ、おばさん座ってください。疲れますよ」

かっちんが、しゃらのベッドを指差した。

「ありがと。じゃあ……」

そろっと入ってきたお母さんが、ベッドに腰を下ろして僕
らを一人一人見つめる。

「あなたたちも、とうとうここまで来たのねえ」

お母さんの感慨深げな言葉に、僕らは思わずうなずいてし
まった。

もちろんお母さんは、僕としゃらの付き合いだけじゃなく
て、かっちんとなっつがまとまったことも知っている。
商店街ってとこは、そういう情報が回るのが早いから。
でも、誰もそれに突っ込まない。

商店街の人たちにとって、最初から規定事実だったみたい
な。
それくらい、かっちんとなっつのコンビは歴史が長かった
んだ。

だけど、二人の関係の微妙な変化は一番近くにいた僕と
しゃらにしかわからない。
お母さんにとっては、いつの間にかまとまったっていう感
じなんだろう。でも、実際はそうじゃないんだ。

三年に満たない時間の中で、ものすごくたくさんの変化が
起きて、僕らはそこを泳ぎ切ってここにいる。
四人でここにいる。
その変化がここで終わりになってくれれば、どれほど嬉し
いだろう

でも。
変化はきっと僕らを再び押し流そうとするだろう。
今のこのつながりをずっと守ろうとするなら、僕らは変化
に挑まないとならないんだ。

昨日と今日とが違うように。
明日は今日と同じにはできない。

僕は思わず口に出していた。

「ここまで……来ましたね。でも、ここから、ですよ」

しゃらもかっちんもなっつも、引きずられるようにうなず
いた。

「僕は、来春大学に合格したら家を出ます」

しゃらにはもう何度も言ってるけど、念のため。
すっと俯いたしゃらが唇を噛んだ。

「同じ校舎で学ぶ時間も残りわずか。プロジェクトの最前
線からも下がりましたし。四人が四人、これから自分の道
を探します」

「そうね」

「僕らがこれから来る変化を乗り切って、笑顔でここにま
た集まれるように。別の意味でここまで来たのねって言っ
てもらえるように」

ぐんと胸を張った。

「御園理髪店は明日からリスタートですけど。僕らは毎日
がリスタート。それくらいの気持ちで行かなきゃなーと」



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三年生編 第108話(4) [小説]

「確かに、おばあちゃんの家や借りてた部屋だと限界があ
るもんなあ」

「そうなの。なんかね、最後まで自分の部屋っていう感じ
じゃなかった。いじりきれなかった」

「うん」

「ここは違う。今度は間違いなくわたしの、わたしだけの
部屋。誰にも気兼ねしなくていいよね」

「んだ」

「うふふ」

嬉しくてしょうがないという顔でぱっと立ち上がったしゃ
らが、まだ真新しい壁をそっと触った。

その光景は……僕、かっちん、なっつの三人にとって、地
味だけど最高の一瞬だったかもしれない。

高校入学の時、全ての不幸がいっぺんに押し寄せて崩れる
寸前だったしゃら。
何も悪くないしゃらが気の毒で気の毒で、僕らは思わず手
を伸ばした。
でも本当は。必ずしも純粋な善意だけでしゃらに手を貸し
たわけじゃないと思う。

最悪の中学時代を過ごした僕だけでなく、環境が変わって
大きな不安を抱えていたかっちんもなっつも、しゃらを取
り囲んで賑やかに過ごすことで自分の不安を薄めようとし
た。
そしてしゃらは、僕らの中核にぴたりとはまったんだ。

それは、決して必然とか運命じゃない。ただの偶然。
だから僕らは……本当に運が良かったんだと思う。

これまで、四人べったりの時間をずっと過ごしてきたわけ
じゃない。
クラスも、オフの過ごし方も、興味の方向も、もちろん性
格や嗜好もそれぞれに違っていて。
違うことが反目に変わったら、互いの距離が離れても仕方
なかったんだ。

実際、一年の時によくつるんでいたメンバーから、しきね
とてんくが脱落してる。
夢を追ったしきねはともかく、親友を失ったてんくは今で
も僕を恨んでいるだろう。

しきねとてんくのような離脱は、僕らの間にいつ起きても
おかしくなかった。
でも……。
僕らの結束は、出会ってから今まで揺らぐことはなかった。

一度も。
ただの一度も。

僕らの間に危機がなかったわけじゃないよ。

僕がしゃらと激しく揉めてた時。
そして、どつぼったかっちんがなっつとぎくしゃくしてい
た時。
誰もが自分自身のことで精一杯だった。
もしその時に衝突していたら、僕らの友情には深いひびが
入っていたかもしれない。

でも四人が四人、僕らの間のトラブルを誰かのせいにはし
なかった。
相手から逃げない。ちゃんと向き合う。僕らはその原則を
崩さずに、ここまで来れたんだ。
だからこそ面と向かってきついことも言えたし、耳の痛い
ことを言われてかちんときても最後に消化できた。

親友という言葉を、軽々しく使いたくないけど。
やっぱり、いっぱいいる友人の中でも、一番最初に友達に
なって、一番深くまでお互いに刺さって、一番自分をさら
け出せるようになった友達は他にいないんだ。
かっちんとなっつ以外にはね。

ただ……。
最高の時は、最高であるからこそ一番辛い。
こうして四人が何も構えず自然に集まれる日は、もうそん
なに残っていない。




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三年生編 第108話(3) [小説]

僕もかっちんもなっつも兄弟がいて。
しゃらも最初はそうだったんだ。
お兄さんがまだ小さかった頃は、きっとしゃらの家も部屋
もすごく賑やかだったんだろう。

でも。
お兄さんが姿を消してから、しゃらへの露骨ないじめが始
まって、しゃらは外で遊びにくくなったんだと思う。

自分の部屋にいるのが一番安全。
だけど、そこは一番孤独な場所だったんだ。

僕は……最初にしゃらの部屋に入った時のことを鮮明に覚
えている。
女の子の部屋にしてはシンプル……っていうより、シンプ
ルすぎるくらいデコレーションが少なかった。

自分の部屋が持てた途端にこれでもかと部屋をデコった実
生とは、そこが徹底的に違ってたんだ。

なんでかなーと。
その時はちょっと違和感を覚えただけだったけど。
今から考えれば、理由がよーくわかる。

自分の部屋を自分の好きなもので埋めると、それだけで完
結しちゃうんだ。
自分の作ったお城から出られなくなる……いや、出る気力
がなくなるんだろう。

いじめの影響で人に対して不信感を持ってるけど、それで
も人との繋がりは絶対に否定したくない。
自分の中だけには閉じこもりたくない。
しゃらの部屋は、そんな微妙な心模様を正確に表していた
んだと思う。

僕もそうだったな。
自分が間違いなく認められるもの。信じられるもの。
それだけで部屋を整えたい。

でも、そんなものは実在しない。
人だけでなく、物にだって全てに表裏や盛衰があるもの。
これなら絶対と思い込んだものほど、あっさりその逆サイ
ドが見えてがっかりするんだ。

鉢植えに例えるとわかりやすい。
ものすごく欲しかった花の鉢植えは、花が終わった途端に
化粧が剥げちゃう。ただの緑色の塊にしか見えなくなる。

それと……同じ。

だから、僕の部屋には何もないんだ。
しゃらの部屋以上にね。

もちろん、そんなのは自慢にもなんにもならない。
何もない薄ら寒い部屋は、そのまま僕の心象風景だと思わ
れてしまうから。

外でどんな楽しいことがあっても、僕はそれを心の中だけ
に留めて形に残さない。
大事なものは人に渡さず、自分だけのものにしておきたい
んだ。
でもそれを他人が見ると、何にも興味を示さない無感動で
冷たいやつっていう印象になってしまう。

見えるもの。
見せるもの。
見えないもの。
見せたくないもの。

部屋っていうのは……そういう感情のディスプレイになっ
ているんだなあと、しみじみ思う。

「おい、いっき。なに、にやにやしてんだ?」

おっと、かっちんに突っ込まれちった。

「いや、しゃらがこれから部屋をどう作り込んでいくのか
なあと思ってさ」

「うふふ」

しゃらが自分の部屋をぐるっと見回して、目を細めた。

「もう……ここから動くことはないよね。今度はしっかり
わたし色に染めるわ」

「なある。そっかあ」

なっつが納得顔で頷く。



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三年生編 第108話(2) [小説]

「おせーぞ、いっき」

「すまんすまん」

すでにねじり鉢巻で気合い十分だったかっちんが、手ぐす
ね引いて待ってた。

「荷物は?」

「大物は兄貴がほとんどやっつけた。あとは段ボール系だ
けだ」

「おっけー! しゃらの荷物は女性軍任せだろ?」

「そう。そっちはなっつと恩納先輩が仕切ってる。俺らの
出番はねえよ」

「わあた!」

仮住まいだったアパートの荷物は、もう引き払い済みだっ
た。
最初から、最低限の家具や電化製品しか持ち込んでなかっ
たものね。

商店街の人に借りた倉庫に収めてあったものが、荷物の本
隊になる。
車を使うほどの距離でもないので、レンタルのリヤカー二
台でピストン輸送。
倉庫から荷物を出して乗せる組、運んで新居前で荷下ろし
する組。新居に運び入れる組の三部隊に分かれてさくさく
と片付ける。

前の引っ越しの時もそうだったけど、手伝いの人数が多い
からあっという間だ。

おばあさんの家を引き払う時には、みんな湿っぽくなっ
ちゃったけど、今回は誰もが明るい。
そりゃそうだよ。新築ぴかぴかの家への引っ越しだから!

当然のこと、しゃらもご両親もテンションが高い。
アドレナリン出し過ぎて、あとで燃え尽きなきゃいいけど。
ちょっと心配。

商店街にとっては書き入れ時の夕方の作業だったから、本
業がある大人たちは荷物搬入終了と同時にさっと引き上げ
た。
そういう制限のない僕ら学生だけが、新しいしゃらの部屋
でささやかなお疲れさん会をやった。
と言っても、恩納先輩とりん、ばんこはバイトがあるから
すぐ離脱しちゃって、残ったのはいつ面。
僕としゃら、かっちんとなっつの四人だ。

上機嫌のかっちんが、音頭を取る。

「おいおい、とうとうここまで来ちまったよ。一昨年には
想像もつかんかったよなあ」

「そうだよねー……」

自分の部屋をぐるっと見回して、しゃらがふっと笑った。

「最初の家、おばあちゃんの家、仮住まいのアパート、そ
してここ。いつも自分のスペースがあるっていうのは、恵
まれてるなーと思う」

「そっかー」

ぷっと膨れたなっつが、文句をぶちかます。

「わたしも自分の部屋はあるけどさ。もうちょい静かな方
がいいなあ」

かっちんが苦笑いしながらうなずく。

「下が作業場だもんな」

「弟も騒がしいし」

「いつも賑やかでいいじゃない」

しゃらの一言で、場がさっと静まった。

「あ、ごめん。嫌味じゃなくって」

慌てて、しゃらが手をぱたぱた振った。

「わたしの部屋は、いつも必要以上に静かだったから」

「そうか……」



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