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三年生編 第108話(1) [小説]

10月2日(金曜日)

「じゃあ、いっき。四時半に」

「おけー! 楽しみだな」

「うんっ!」

ホームルームが終わるまで待てないっていう感じで、しゃ
らが教室からぶっ飛んでいった。

「いよいよか」

学内が、学園祭に向かって少しずつ盛り上がりつつある中。
しゃらにしか大きな意味がないもう一つの大イベントが、
すぐそこにまで来ていた。

しゃらのお父さんが下した大きな決断。
自分の店を再興すること。
それはお父さんだけの問題じゃ済まない。

ずっと調子が悪いお母さんのケアをどうするか。
しゃらの進路をどうするか。
生活と借金の返済が両立できるか。

きっと、いっぱい悩んだんだと思う。
でも、お父さんは決断した。

自分一人ではなく、かんちゃんという共同経営者と働ける
から、きっと山は乗り越えられる、と。

坂口地区の理髪店がお父さんの店一軒だけになってしまっ
たので、お客さんを確実に確保できるという見通しもある。
実際、林さんから借りた店舗で営業してた時はすっごい忙
しそうだったから。

決めたら揺らがないのは、お父さんの特徴だ。
そこは、しゃらがそっくり。
本当に頑固で、一度決めたら安易に引かない。

しゃらの家族が最後に拠り所にしていたおばあさんの家を
売って、それを元手に借りていた林さんの土地と店舗を購
入し、改築ではなく新築で新しい店舗兼住宅を建てる。

夢も大きいけどリスクも大きい、まさに一世一代の賭けだ
と思う。
僕ならとてもそこまで出来ない。

でも、お父さんがお店を再興しようとした理由は、単なる
プライドとかじゃないと思う。

林さんに借りていた店舗は、もし林さんが亡くなったらす
ぐご家族に返さなければならないだろう。
そうしたら、お父さんは職も居場所も失ってしまう。
しかも、窮地にかんちゃんまで巻き込んでしまう。

自分や自分の家族だけでなくかんちゃんも含めて、この先
誰もが足元の不安を考えずに済むようにしたい。
それなら、まだ元気でばりばり働けるうちに思い切って
打って出よう……ってことなんだろう。

三ヶ月ちょっとという突貫工事で、何もなかった更地の上
に立派な店舗がどーんと建った。
でも、その中身はまだ何もなかった。

店という容れ物に、何をどうやって満たしていくのか。
お父さんとかんちゃんは、開店後それに全力で挑んでいく
んだろう。
新しい店は、単なる出発点にすぎないんだ。

そんなことを考えながらぼんやり机を見下ろしていたら、
ゆいちゃんがちょろちょろっと寄って来た。

「二人でどっか行くのー?」

「ん? どこも行かんよ。これから、しゃらの家の引っ越
しなんだ。手伝いさ。同じ町内だけどね」

「引っ越し?」

「そ。親父さんが新しく住居兼用の店を建てたの。これま
では借りてた店舗だったから」

「ふうん。でも、一緒に作業するんでしょ? いいなー」

「なに、マカとわ倦怠期かー?」

ぐわっつーん!
後頭部にゆいちゃんの本気パンチがめり込んだ。

「ぐえー、ぐーかよ」

「ろくなこと言わないんだからっ!」

ゆいちゃんの表情が冴えないのは、マカがいよいよ臨戦態
勢に入ったからだろなあ。
やっぱ、医進は勉強量はんぱないよ。
あのマカでさえ苦戦してるみたいだから。

そんなゆいちゃんを見て、永見さんがざまみろって顔で
笑ってる。
永見さんも、ルックス上々の割には浮いた話が一つもない
んだよなあ。

本人にそっち系興味なしってわけじゃなく。
アプローチしてほしい人は誰も来ないのに、ハエだけは
いっぱいたかるという図式なんでしょ。ぐひひ。

おっとっと。
ゆいちゃんや永見さんをいじってる場合じゃない。
さっさと行かなきゃ。

「ほんじゃお先ー」

「ういー」

教室の何か所かで、気のない返事が響いた。
そろそろみんな、てんぱってきたなあ……。




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