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三年生編 第91話(3) [小説]

古びた、時代を感じる部屋。
仮住まいのこのアパートも、時代感は前に住んでいたおばあ
さんの家とそれほど違わない。
父さんがまだ公務員だった時に転々としていた古い宿舎と同
じで、誰かの手垢がついた狭い空間だ。

そこは、いつも誰かが住んでいたんだっていう安心感をくれ
た。
僕らは古いなあぼろいなあって文句を言うより、人の気配が
残っているのがなんとなく好きだったんだ。

きっと、しゃらもそうだと思う。
最初のお父さんの家も、そこから住み替えたおばあさんの家
も、決して新しくはないけどいつも人の気配があって、暖か
かったんだろう。

でも。
僕はここに越して来る前の宿舎で、その暖かい人の気配に初
めて強い嫌悪を感じたんだ。
誰も僕を分かってくれない。僕を認めてくれない。
人なんか僕を壊そうとするだけで、僕を創ってはくれない。
そんなもの、要らない! 絶対に要らない!

父さんが新しい家を買って、そこに引っ越すって話をオープ
ンにした時。
僕がどうしてわくわくしたか。嬉しかったか。
本当の理由は……僕の親も分からないと思う。

僕は……僕以外の人の気配がない、僕だけの空間が欲しかっ
たんだ。
一人になりたかったからじゃない。
そこに信用出来ないものを何も入れたくなかったから。

寂しがり屋の実生は部屋をすぐにデコったけど、自分自身す
ら信用出来なかった僕は、中途半端に部屋をいじりたくな
かった。
そこは、空っぽに近いただの倉庫で構わなかったんだ。

何もなければ、それが僕を裏切ることはない……ってね。

そして。
それから二年半経って、僕の部屋は何も変わっていない。
たぶんあの部屋から僕がいなくなって、代わりに誰かが入っ
ても、何の違和感も覚えないだろう。

今なら。
人っていいなあと言えるようになった今なら。
僕は、あの部屋に僕らしさを植え付けたいと思える。

だけどね。
もう間に合わないんだ。

僕は、もうすぐあの部屋を出て行く。
下宿先が新しい僕の部屋になり、今の僕の部屋は客間になる
だろう。
誰がそこにいても構わないけど、誰かのものになることは永
劫にないよそよそしい部屋に。

「ふ」

思わず苦笑してしまった。
僕は……いろんな人から得難いものをもらって、すごく豊か
になったと思う。
でも、僕の部屋は貧乏くじを引いたんじゃないかなあって。
僕なんかに住まわれちゃってさ。

「ちょっと、いっき。何笑ってんの?」

「いや……僕は自分の部屋をもらったけど、そこが最後まで
自分の部屋に出来なかったなあと思ってさ」

「そう?」

「殺風景。倉庫みたいな部屋。今まで僕の部屋に入った誰も
が、みんなそう言ったんだ。あの無感情な弓削さんにまで言
われたじゃん。こんなきれいな部屋見たことないって」

「あ、そういや……」

「自分を人に合わすことで生きてきた弓削さんが、僕にはど
うやって合わせたらいいか分からない。僕の主張が、部屋か
ら何も見えてこない。ぎょっとしたんちゃうかな?」

「……」

「そういうのが、部屋に出ちゃうなあと思ってさ」

ふうううっ。
無意識に、でっかい溜息が出た。

「僕は……本当に変われたんかなあ。変われるんかなあ」

じっと僕を見ていたしゃらが立ち上がって、正面から僕の首
にふわっと両腕を回した。

「大丈夫。大丈夫だよ」

「うん」

ほっと……する。

そうだね。
僕が全然埋められなかったところは、しゃらがいっぱい埋め
てくれた。

僕の欠片をモノじゃなくて、しゃらがいろんなココロで埋め
てくれたこと。
僕は……あの部屋にそれがいっぱいあるんだって、考えるこ
とにしよう。



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