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三年生編 第70話(1) [小説]

7月26日(日曜日)

「あーづーいー……」

朝も早よから一点の曇りもなく晴れ渡って、ぎんぎらぎん。
もちろん温度計はレッドアウト。
もう楽々30度を超してるんちゃうかな。しゃれにならんわ。

涙涙の別れの一時なんて、感傷に浸る元気もない。
そんなん、どっかに蒸発しちゃったよ。
とりあえず、これから酷暑をくぐり抜けて、合宿所であるお
寺までなんとか辿り着かないとなんない。

心配顔の家族三人ぷらす泣き顔のしゃらが見送る中、僕はう
んざりしながらマットブルーの空と一人元気な太陽を見上げ
た。

でえっかいボストンバッグには、勉強道具一式と洗面道具と
衣類。それ以外のものは一切入ってない。

「じゃあ……行ってくるわ」

「気をつけてね」

母さんが、珍しく突っ込まない。
今回のは学校行事や目的のある旅行じゃないから、母さんも
向こうの生活がどうなるか心配なんだろう。
二、三日じゃなくて二週間だしね。

僕も、正直不安がいっぱい。
なにせ、向こうじゃ自分のことは全部自分でしないとならな
い。勉強に集中する時間とそういう雑事をきちんと並行して
こなせるんだろうか?

やってみないと、何も分かんない。
開き直るしかないよね。

気分が盛り上がる要素なんかこれっぽっちもないけど、気合
いを入れていかないと現地まで辿り着けない。
僕は、あえておおげさに手を振って、勢いよく駆け出した。
きっと……バス停に着くまでの間に汗だくになっちゃうだろ
う。しょうがないね。

「あづー……」


           −=*=−


バスと電車の中は空調が効いてるから快適だったけど、外は
一歩歩くだけで汗が止まらなくなる猛暑。

勉強に集中できるかどうかは、精神的な問題より物理的に暑
さに耐えられるかどうかのような気がしてきた。
だってさ、おんぼろのお寺がエアコン完備なんてしてるわけ
ないじゃん。
すっかり快適環境に体が馴染んじゃった僕は、そこで苦労す
るかもしれないなあと。

うんざりする。

「ええと……」

二時間近くかかって、どうにかこうにかお寺の近くの駅に到
着した。

駅舎から出る前に、待合いのベンチで住所を確認する。
瞬ちゃんが地図書いてくれなかったんだよね。

駅降りて、改札出たら、前の道をまっすぐ、だ。五分もかか
んねえ。地図描くまでもねえよ。その辺りに他に寺はないか
らな。
……って瞬ちゃんが言ってたけど。

信じて行ってみるしかないか。

駅舎から見える景色を見回す。目に入るのは、四方八方普通
の住宅ばっかだ。家以外のものが何もない。
平屋のふるーい家の間に、それを壊して建て直しましたって
感じの新しい家がぱかぱか挟まってるって感じ。
そのうち、新旧の比率は逆転していくんだろうけど、今はま
だ古い家の方が多い印象だ。下町だからかなあ。

街並みの雰囲気は、どこかしゃらが住んでる坂口に似てる。
その似てるってことが……やるせなくなる。
だって、似ていてもそこにはしゃらがいないんだもん。

ちぇ。

家並みを見回している間、僕は嫌あな予感を覚えていた。
そう、ここらへんには店らしいものが何もないんだ。本当に
家ばっかで。

普通、駅の周りって、コンビニとかスーパーとか、そういう
のの一つや二つ、どっかにあるんじゃないの?
でも、きょろきょろ見回してみたけど、それらしいものは一
つもない。

つまり、だ。
これがないあれがないって、コンビニとかで買い物したくて
も、すぐには調達出来ないってこと。
予備校との行き来の間に、予備校に近いところで買い物を済
まさないとならないね。

「さて、と」

ええと。お寺の名前は、湧元(ゆうげん)寺。住職さんは重
光照昭さん、だったな。
もう一度メモ帳を見て確認して。

「どっせい!」

声を出して、立ち上がった。

僕が駅舎を出るのと入れ違いになるようにして、何人かのお
ばあさんたちが、暑そうに日傘を畳んで駅舎に入ってきた。

「はあ……こんなあっつい日に出歩くのはしんどいわ」

「そうだね。でも、買い物には行かんとさあ」

「須坂さんとこじゃ間に合わんのかい?」

「あすこは高いよ。たまにならいいけど、毎日じゃあゼニが
保たんわ」

「そうだよねえ」

ぴくっ! 今のを聞き逃すわけには行かない。

「あの……」

話し掛けてみた。

「はい?」

「このあたりに買い物出来るお店があるんですか?」

「ああ、あんた学生さんかい?」

「はい。明日から予備校の夏期講習受けるんで、その間湧元
寺っていうお寺に泊めてもらうことにしてるんですけど」





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