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【SS】 俺様 (曽田真弓、リドルのマスター) (一) [SS]


ぴぴっ! ぴぴっ! ぴぴっ!

これまでの習慣で、つい定時に鳴らしてしまう目覚まし。
それをぽんと叩いて止めて。

わたしは上半身を起こすと、大きな溜息を吐き出しながら両
手で顔を覆った。

「そっか……もう辞めちゃったんだよな」

せいせいしたって言えれば良かったんだけど、そんな心境に
はどうしてもなれなかった。

それがわたしの望んでいない職種、会社、環境であれば、わ
たしは喜んで言っただろう。
ああ、こんなクソなところ辞められて、ほんとにせいせいし
たって。

でも、その正反対。
どうしてもその業種に就きたくて猛勉強して資格を取って、
靴を何足も履き潰して会社回りして、入社出来た時にはこん
ないい会社なんか他にどこにもないって、本気でそう思って
たんだ。

それが……。
どこで歯車が狂っちゃったんだろう?

「……」

どんなに考えても、それがなぜかがよく分からない。
分かっているのは、わたしが社で完全に浮いてしまったとい
うこと。
その状態で仕事を続ける限り、わたしを中心に不協和音の波
紋が広がって全てが台無しになるっていう事実だけが、目前
に突き付けられていた。

わたしが、こうしてああしてって会社に指図することなんか
出来ない。
わたしが何をどう言ったところで、社がわたしへの見方を変
えることは決してないだろう。

そうしたら、わたしの出来ることは一つしかなかったんだ。
辞めるしか……なかったんだ。

「ふううううっ……」




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「おはようございます」

「おはよう。今日もよろしくな」

「はい!」

朝の開店準備。
マスターは、テーブルと椅子のセッティングを済ませてもう
一度店内をチェックすると、入り口ドアのタグを『営業中』
に切り替えに行った。

まだお客さんが誰もいない静かな店内。
でも開店を待っている常連さんが、もうこっちに向かって歩
いている頃だろう。

わたしも、テーブルの上のメニューや飾られている花や小物
類をもう一度チェックして、お客さんの入店を待つ。

静かだけど、賑やかになる予感を孕んでいる。
緊張と期待が交錯する、不思議な時間。
その短い間に、わたしはなぜ自分がここにいるのかを繰り返
し自問する。

ここは……わたしが居るべき場所じゃない。
イルベキ バショジャ ナイ。

じゃあ、わたしはどこに居るのが正しいの?
それが分からない。見つからない。もどかしい。

ちりん!

ドアベルが鳴って、いつも一番乗りの中田さんのおじいちゃ
んがゆっくりと入ってきた。

「いらっしゃいませー! お早うございます」

「ああ、まゆちゃんお早う。コーヒーとトーストを頼む」

「いつものですね?」

「そう」

「ありがとうございます。マスター、お勧めコーヒーとトー
ストです」

「おっけー」

マスターがサイフォンのサーバーに水を注ぎ、自分自身を確
認するようにして見回すと、おもむろにヒーターのスイッチ
を入れた。
今日の仕事はここから始まるんだぞって、自分に喝を入れる
みたいに。

お湯が湧いてくるまでの間に、電動ミルで豆を挽く。
今日のお勧めはホンジュラスだったかな。コーヒーのかぐわ
しい香りがかすかに漂ってくる。でも、それはまだ予感だ。

漏斗に挽いた粉を入れたマスターは、サイフォンの受けにそ
れをセットすると、オーブントースターのダイアルをぐりぐ
り回してから、角食を厚めに切った。

じじじじじ……。

庫内の温度が上がるまでの間に、コーヒーカップをカウンター
に出し、お湯を注いで温める。
流れるような、淀みない手付き。

サイフォンの水はすでに上のポットに上がって、ぽこぽこと
軽快な音楽を奏でている。
それに合わせて、豆を挽いていた時とは違う甘いまろやかな
コーヒーの匂いが店内を満たし始めた。

ぱちん。
サイフォンのスイッチを切ったマスターが、トースターの蓋
を開けてさっとパンを置いた。
それから、パンの色付きを慎重に見計らってジャストのタイ
ミングで取り出した。

浅めの狐色に焼き上がったトーストを皿の上にさっと据える
と、小さなバターポットを添えてわたしに差し出す。
わたしがトレイの上にそれを乗せたら、熱々のコーヒーがと
くとくとカップに注がれた。

ああ……おいしそう。

「お待たせいたしました。本日のお勧めコーヒーとトースト
になります」

「ああ、いい香りだ。これがないと一日が始まらん」

手にしていた新聞を手早く畳んだ中田のおじいちゃんは、嬉
しそうにコーヒーを口に含み、それからトーストにたっぷり
バターを塗って、がぶっと噛み付いた。

「嫁さんが、バターは体に悪いからって塗らせてくれんのだ。
ったく……」

あはは。
だからって、ここで塗ったらだめだよー。おじいちゃん。

でも。
そういう繰り言すら、おじいちゃんにとっては一日を始める
ための大事な儀式になっているんだろう。

 

 


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mitu

コーヒーとトースト、美味しそうです(^_^)

by mitu (2016-02-25 00:54) 

水円 岳

>mituさん

コメントありがとうございます。(^^)

淹れたてのコーヒーとトーストは、モーニングメニューの
定番ですね。(^^)
わたしも朝はトースト派なんですが、コーヒーは夜。(^^;;

by 水円 岳 (2016-02-25 22:16) 

風来鶏

バターが体に悪いんじゃなくて、塩分の摂り過ぎが身体に悪いんですよね(^^;;
by 風来鶏 (2016-02-26 18:06) 

水円 岳

>風来鶏さん

コメントありがとうございます。(^^)

まあ、塗ったくる量にもよると思いますけどね。(^m^)
子供の頃は、バターでしゃぶしゃぶにしたご飯を食べて
たのになあ……。

by 水円 岳 (2016-02-26 23:50) 

風来鶏

でも、美味しいものは"脂と糖"で出来ている(^^;;
by 風来鶏 (2016-03-01 07:55) 

水円 岳

>風来鶏さん

コメントありがとうございます。(^^)

ええ、そして味が濃いと来たもんだ。(^^;;

by 水円 岳 (2016-03-01 22:59) 

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