SSブログ

【SS】 ラテアート (前川路乃、リドルのマスター) (二) [SS]


「ははは。相変わらずハイテンポだよなあ」

「明るい方ですね」

「まあね。直情径行の姉御肌。怒らすと、すぐに拳が吹っ飛
んでくる」

マスターが肩をすくめた。
元気でいいなあ……。わたしは思わず愚痴った。

「ああいう方なら……すぐ気持ちを切り替えられるんでしょ
うね」

「いやあ」

それまでにこにこしていたマスターが、ふっと真顔になった。

「違うよ。あのタフなみこちんですら、三年かかったんだ」

「えっ!?」

「親に裏切られ、恋人に捨てられ、その心の傷が元で歌えな
くなった。子供の頃からの大事な夢。人生を懸けてた声楽を
諦めて、音大を中退したんだよ」

げ……。

「自分も含めて、信じられるもの、頼れるものが何もなくなっ
た。全てを失ったんだ」

「……」

「そのどん底から這い上がって、三年でここを卒業した。ほ
んとに大したもんだと思うよ」

「じゃあ、勉強っていうのは……」

「自分ばかり見てたって、答えなんか分かんないさ」

マスターが、わたしに向かってぴしりと言い据えた。

「ここに来るお客さんは、誰もが自分の人生を背負ってる。
それはきれいごとばかりじゃないよ。でっかい傷も、醜い感
情もあるんだ」

「でも、そのどろどろをしっかり見て、自分ならどうこなす
すかを考える。答えはそこから出てくるよ」

「まさに勉強さ。俺も毎日勉強してる」

「そうですか……」

マスターはそれ以上ごちゃごちゃ言わないで、カウンターの
後ろに戻ってコーヒー豆のローストを始めた。
そうか。焙煎香がきついから、お客さんが多い時には出来な
いもんなあ。

「ねえ、みっち」

じっとマスターを見ていたかなこが、短い溜息をついた。

「うん?」

「ああいう人にアドバイスをもらえるって、いいね」

うん。ここのマスターは、前のあの女たらしの男とは違う。
その口から綺麗事や甘い言葉が出てくることはない。
出てくるのは……どれもそのまま飲み込むには苦い言葉。
砂糖やミルクでぼやかさないコーヒーの苦さ。そのものだ。

「うん……そうね」

かなこは、この喫茶店はわたしにすごく合ってると言い残し
て、安心したように帰って行った。

わざわざわたしに会いに来てくれたかなこ。
でも、それはわたしを心配したからじゃないと思う。
きっとかなこには、わたしに何か相談したいことがあったん
だろう。

かなこがそれを切り出さなかったのは、わたしが甘ったれな
ままで全然変わってないのが分かっちゃったから。
共倒れしそうで、怖くて口に出せなかったんでしょ?
……情けない。後で電話しないとね……。

わたしは、空になった二客のコーヒーカップを見下ろした。

中身が飲み干されたコーヒーカップ。
そこにラテアートがあろうがなかろうが、中身は紛れもなく
コーヒーだ。
そしてかなこの心の中には、わたしの描いたラテアートより、
マスターの苦言の方がしっかりと印象付けられたんだろう。

わたしがそうであるように。

カップの縁をそっと指で弾いて、鳴らした。
ちん。

わたしは……ラテアートをしばらく封印しよう。

マスターが言うみたいに、混ぜ物なしでちゃんと自分ていう
コーヒーの味が分かるようにしないとだめだ。
苦さをいつまでもミルクと砂糖でごまかしていたら、また誰
かに騙されて食いものにされちゃうんだろう。

わたしは、同じ失敗を愚かしく繰り返したくない。

黒くて苦いコーヒーの液面に映る自分。
それを……きちんと見据えないとね。


           −=*=−


閉店直後。
わたしはカップをきれいに洗って、きゅっきゅっと拭き上げ、
カップボードに収める。

「……」

一つだけ手元に残したカップ。
それにスチーマーで泡立てたホットミルクを注いで、ココア
パウダーで文字を記した。

カップをカウンターに置き、床にモップを走らせていたマス
ターに声を掛けた。

「マスター、お先ですー」

「ああ、お疲れ様」

裏口から店を出たわたしは、正面に回り込んでこそっと店内
を覗いた。

わたしの残したラテアートに気付いたマスターが、苦笑と共
にホットミルクをごくりと飲み干した。

それを見届けたわたしは。
星の瞬き始めた淡い夜空を見上げて、小声で呟いてみる。

「ありがとう、くらいならいいよね」





lt2.jpg
(アラゲカワラタケ)

 

 


nice!(86)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 86

コメント 4

風来鶏

「ごめんなさい」と「ありがとう」は、中々言い出せない言葉ですよね(^^;;
by 風来鶏 (2016-02-23 16:42) 

JUNKO

キノコですか!たまげた!
by JUNKO (2016-02-23 20:26) 

水円 岳

>風来鶏さん

コメントありがとうございます。(^^)

タイミングが合えば容易なんですけどね。
それを外すと……しんどいです。(^^;;


by 水円 岳 (2016-02-24 00:12) 

水円 岳

>JUNKOさん

コメントありがとうございます。(^^)

ありふれたサルノコシカケの仲間なんですけどね。
こいつは、ちょっと変則的な生え方をしてます。(^^;;

by 水円 岳 (2016-02-24 00:13) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0