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【SS】 ラテアート (前川路乃、リドルのマスター) (一) [SS]


クリーミーに泡立てられたミルク。
その上で、黒いコーヒーが自在に世界を描く。

描かれた絵は人を騙すみたいに、にっこりと微笑む。
世界はちっとも苦くなんかない。
甘い、夢のような世界なんだよと。

嘘ばっか。
そんなの、カップに口を付けたらすぐに崩れて消える。

確かに夢じゃない。
ラテアートの絵は現実にそこにある。
でも、そこにあるのに儚い。
あっという間に……崩れて消える。

そして、口の中に残るのは苦い苦い後味だけだ。


           −=*=−


「うわあ! みっち、すごおい!」

「そう?」

「これだけでやってけるんじゃない?」

大学で仲の良かったかなこが、わたしのバイト先の喫茶店に
遊びに来てくれた。
卒業したあと一度も会ってなかったから、三年ぶり。

かなこには、学生だった時にもラテアートを見せてたけど、
その時はまだまだ下手っぴだったんだよね。
目をまん丸にしてラテアートを覗き込んでるかなこに向かっ
て、ぱたぱた手を振る。

「無理、無理。このくらいのラテアートなら、描ける人は山
のようにいるよ」

「へー、そうなんかー」

「それに」

わたしはカウンターの方を振り返る。

「マスターがこういうの嫌いなんだよね。だからここじゃやっ
たことないの」

「ええー? おしゃれなのにー」

「混じり気のないコーヒーそのものを、ちゃんと味わって欲
しいんだってさ」

「ふうん」

かなこが、わたしの肩越しにマスターの顔をちら見した。

「うるさ型?」

「そんなことないよ。優しい人。でも、こだわるところには
すごくこだわるの」

「なるほどねえ」


           −=*=−


わたしがラテアートを描くようになったきっかけは、ささい
なことだった。

学生時代バイトしていたこことは別の喫茶店で、そこのあら
さーのマスターに惚れ込んだ。
おしゃれですごく聡明。いつも笑顔で会話にウイットが利い
てて、一緒に居てとっても楽しかったんだ。
そのマスターに、ラテアートの描き方を習ったの。

でも、マスターが手ほどきしてくれたのはラテアートだけじゃ
なかった。
世間知らずのわたしは、マスターが見せる聡明さや快活さが
女の子を呼び込むための単なる小道具だっていうことに、全
然気付かなかったんだ。

マスターの舌先三寸の口説き文句にかあっとのぼせて、ずっ
と一緒に仕事しようと思い詰めて、勤め始めたばかりの会社
を辞め、バリスタ養成校に入り直した。
マスターにはもう奥さん子供がいたことなんか、これっぽっ
ちも知らないで。

ああ……。
それは騙したマスターよりも、あっさり騙されてしまったわ
たしが悪いんだろう。

マスターにとっては、わたしなんか大勢いるつまみ食い用の
若い子の一人に過ぎない。
一方的にのぼせ上がってたわたしが大バカだっただけ。

わたしとの付き合いが奥さんにばれたマスターは、わたしを
首にして追い払った。
わたしに残ったのは、すぐに消えちゃうラテアート。

そして……いつまでも口の中に残る苦い味だけだった。


           −=*=−


お友達が来てるなら、お客さんのピークは過ぎてるから落ち
着いてゆっくり話したらいいよ。
そういうマスターの勧めに甘えて、わたしはかなこの向かい
の席に腰を下ろした。
その途端にドアベルが派手に鳴って、ばたんと扉が開いた。

わたしと同じくらいの年かなあ。
いかにもエネルギッシュっていう感じの若い女の人が、息を
弾ませながら店にのしのしと入ってきた。

「うーす!」

「お! みこちん、お見限りぃ」

「わはは! ばたばた忙しくてさあ!」

「みたいだな。いいことじゃないか」

「まあね。あ、お勧めコーヒーと今日のケーキちょうだい」

「あいよ」

慌てて席を立って接客しようとしたら、お客さんが手を上げ
てわたしを止めた。

「ああ、いいって。今の時間はのんびりしてて。あたしもそ
うやってたから」

「あの……ここで働かれてたんですか?」

「そ。三年ちょっとね。マスター、あたしの後の人?」

「そう。みこちんみたいに、一人で何人前も出来る人はいな
いよ。今は三人シフトで回してるんだ。その一人。前川路乃
さん」

「シフトかあ。そうだよなあ」

頷いたお客さんは、わたしにぽんと話を振った。

「ここは働きやすいでしょ?」

「はい。そうですね」

「しっかり勉強してってちょうだい。あたしもたっぷり勉強
したからさ」

え? 勉強……って?

そのあとマスターと軽快に突っ込み合っていた女の人は、あっ
という間にケーキとコーヒーを平らげて、ごっそさんと慌た
だしく店を出て行った。

 

lt1.jpg
(コウヤクタケ、他)


 


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