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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十五) [SS]


うんうんと頷いた店長が、わたしに聞き返した。

「じゃあ、さっきアヴェマリアを歌ったのは、誰かに届けよ
うと思ったってことかい?」

「そうです」

「ふうん。誰に? 今日のお客さんに?」

「あはは。あれはナベさんの勇み足ですよー。わたしは誰に
も聞かせるつもりはなかったんです」

「え? でも誰かに……って」

「わたしです。わたし自身に……ですよ」

「……」

「わたしね」

顔を上げて、店長やスタッフを見回す。

「歌を諦めて大学を中退した時。死ぬつもりだったんですよ」

がたっ!
いくつもの椅子が鳴って、スタッフが何人か真っ青な顔で立
ち上がった。

「わははっ! その時は、ですよ。わたしは今生きてますし、
もうそんなことは考えないと思います」

どすん。
おどかさないでよーって感じで、みんなが腰を下ろす。

「でも、その時は本当に空っぽだったんですよ。意地でも何
でも、わたしには歌しかなかった。その歌さえ取り上げられ
て、わたしは何のために生きてるか分からなくなったんです」

「……」

「昔から今までずーっと変わってないですね。どうしても白
黒勝ち負けにこだわる。全部ぶち込んで、壊れる寸前まで自
分を追い込んじゃう」

「それで結果が全敗なら、わたしどうしたらいいんだろう?
そう思っちゃうじゃないですか」

「はははははっ!」

からっと笑った店長が、手の甲で口のトマトソースを拭いな
がら……。

「なんだ、俺と同じかよー」

「さっきお話を伺って、似てるなあって」

「だな」

「でも、全部無くしたって言いながら、わたしはまあだ歌に
拘ってた。それが苦しくて苦しくて仕方なかったんです」

ふう……。

「やっと……やっとね」

「店長が、手首の故障でギターとの付き合いを原点に戻した
みたいに、わたしも勝ち負けとか意地とか人生の目標とか、
そんな重ったい荷物を全部降ろして、わたしの中の歌姫を自
由にしてあげようと。そう思えたんですよ」

「自分の中の歌姫……か」

「はい。わたし自身は歌姫なんかじゃないですよ。すぐ感情
がどかんと爆発する瞬間湯沸かし器で、上に超が付く負けず
嫌い」

「口は悪いわ、態度はでかいわ、すぐパンチが出るわ。こん
ながらの悪い歌姫がいたら、市中引き回しの上はりつけ獄門
でしょ」

ぎゃははははははっ!
みんなが腹を抱えて大笑いしていた中、店長だけはにこりと
もせずにわたしを見据えていた。

「いろんなことにすぐ振り回されちゃうわたしから離して、
わたしの中の純粋な歌心だけを解き放ちたい。ずっとそう思っ
てた」

「だからアヴェマリアを歌ったのは、わたしじゃないです。
わたしはただ聞いてただけ」

「ふうん……何か歌姫を引っ張り出すきっかけがあったのか
い?」

店長が不思議そうにわたしに聞いた。

「ありました。草笛、です」

「CP4の?」

「そう。あの『草笛』っていう歌が、歌姫を起こしたんです。
きっと……歌詞にシンクロしたんでしょうね。歌うのが嫌で
嫌でしょうがなかったのに、あの曲にだけはすんなり入り込
んじゃった」

「そうすか……」

じっとわたしの話を聞いていた大山さんが、はあっと溜息を
ついた。

「俺は」

「うん」

「今日、佐竹さんが歌ってくれた解釈の方が好きっすね」

「ほう。どうしてだい?」

店長が突っ込む。

「あの歌は……トシのみわへのラブレターっすよ」

ぱん!
思わず手を叩き合わせちゃった。

「やっぱりいっ!」

「分かりました?」

「うん! 草笛が人との接点なら、それを通して自分をさら
け出してしまえばいいじゃん。そういうことでしょ?」

大山さんと沢田さんが、揃って笑顔で頷いた。

「そうっす。ぱっと聞けば悲しい曲に思えるかもしれないけ
ど、実際はリバティソング。自由の歌だと、俺たちは思って
ます」

「すぐに自分の殻にこもろうとする浜草さんに、そのしょう
もない殻をぶっ壊せよってどやす歌……ね」

「はい」

だからかあ。わたしの中の歌姫が目覚めたのは。
でも、その曲が閉じこもっちゃった浜草さんを起こせなかっ
たのは……皮肉だよなあ……。

「なるほどね。田手くんもやるなあ」

店長もすごく納得したみたいだ。

「あのさあ、それじゃあ、なんでもっとストレートな歌にし
なかったの?」

串田さんがそう言って、わけわからんという顔をした。
そうだよね。でも……。

「串田さん。はっきりしたメッセージソングは、彼女のカラー
には合わない。うまく歌えないんですよ」

「うわ……そうかあ」

「だから、田手さんは歌詞をあいまいにして、歌い手の心境
に任せる部分を多くしたんじゃないかなあ。浜草さんの心に
少し余裕が出てきたら、きっと違う面が見えるんじゃないかっ
て期待して」

 



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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十四) [SS]


そうか……じゃあ、もしかして。
わたしは、最初からずっと抱えていた疑問を大山さんにぶつ
けてみた。

「あのー、大山さん」

「なんすか?」

「もし違ってたらごめんなさい。CP4の作詞や作曲は、浜
草さんじゃなく、本当は田手さんがやってたんじゃないです
か?」

黙り込んじゃった二人。
でも、諦めたように沢田さんがそれを認めた。

「みわは歌う以外何も出来ないっす。あいつはネットの歌い
手上がり。カバーオンリーでやってきて、アレンジをトシが
受け持ってた。そこからデュオから始まったんです」

「なんでそのままデュオで行かなかったん?」

「みわがネットから出たがらなかったからっす」

ぽん!
思わず手を打っちゃった。

「そっかあ! それで……かあ」

「あいつのルーズなのは、癖じゃないっす。人が……だめな
んすよ」

「コミュ障じゃない?」

「もろ、です」

「それなのに、なんでメジャーと契約?」

「トシが博打を打ったんです。やってみて、なんだこんなも
んかと思えれば次のステップに行けるって」

あーあ……。

くっそ腹立つ女だったけど、そういう背景があれば別だ。
浜草さんより、むしろキャパの小さい彼女を無理に大舞台に
引っ張り出しちゃった田手さんの罪の方が大きい。
でも、その田手さんだって自分の成功願望ゆえじゃないんだ
よね。

そんなところに引っ込んでないで、もっと明るいところでの
びのび歌おうよ。そういうポジティブな動機だ。

悲しいくらい、お互いの想いが噛み合ってない。

「はあ……そういうことだったのかあ」

今回浜草さんに目一杯振り回されて、強い恨みの感情を抱え
ちゃった串田さんまで、あーあっていう顔をしてる。

店長が皿からがばっとピザを取って、それを豪快に口の中に
放り込んだ。

「まあ、そんなことだろうと思ったよ。だから二重、三重に
保険を掛けたんだ」

「てか、店長。それ知ってて……」

「しゃあないさ」

わたしの抗議はあっさり却下された。

「ギャラを考えると、うちがプロモート出来るのは駆け出し
の人たちだけだよ。でも正式興行なら社名が出るから、俺ら
の勝手には出来ないんだ」

「社を介して誰か紹介してもらうしかないし、社の方から彼
らをお願いって推されたら俺は断れないよ」

そうかあ……店長の一存じゃなかったんだな。

「でも芸プロは、売る気のない人は紹介しない。CP4には
その価値があると見込んでるから俺らに推したんだ」

店長が、まだ足りないとばかりにピザを口に押し込んだ。

「佐竹さんにも言ったろ? 誰にでもチャンスはあるし、そ
のチャンスを活かせるかどうかは蓋を開けてみるまで分かん
ない。それだけさ」

チャンス……か。
それは、CP4にだけってことじゃないね。

本当は歌えるのに、歌えないって自分で自分を縛り付けてた
わたし。
店長は、その呪縛を解くチャンスをどこかで作ろうって考え
てくれてたんだろう。

いきなり代役を振ったんじゃない。店長が周到に準備してた
んだ。
スコアのコピー取ったことも、サンタ衣装も千賀さんのダン
スも、その準備のうちか……。

リハの段階から千賀さんとダブルにしたのも、きっとそうな
んだろうな。わたしの心理的負担を減らすだけじゃなくて、
経験の浅い千賀さんの負担も減らせるからね。

それだけじゃない。
読譜や曲解釈の重要性。ハモりやアドリブの入れ方。それを、
わたしと組ませることで若い千賀さんに教え込める。

店長ってば、本当に抜け目ない。したたかだわ。とほほ……。

口をもぐもぐさせながら、店長が話を続けた。

「もし田手さんたちがちゃんと本番に間に合っていれば、今
回のとは違うけどちゃんとコンサートが成立したんだ」

「浜草さん目当てのファンのキャンセルは出なかったから、
売り上げ的にはむしろそっちの方が上だったかもしれないし、
プロモーションとしても筋が通る」

「ただ、万一のリスクを避けないと俺らが巻き添え食っちゃ
うから、前もって手を打っといた。それだけさ。必ずこんな
風になるって予測してたわけじゃないよ」

店長が、微妙な表情だったCP4の二人に振った。

「結果的にバンドが割れちゃったけどさ。もし四人揃ったコ
ンサートが盛り上がってたら、大山さんと沢田さんはもうちょ
い様子を見ようかと思ったかもしれないでしょ?」

「確かに……そうっすね」

「ええ」

「いい悪いじゃなく、何かのきっかけでくっついたり、割れ
たり。それはバンドって形を模索する限り避けられない。そ
んなもんだよ」

さばっと言った店長が、口いっぱいに頬張っていたピザをご
くんと飲み込んでわたしの方を向いた。

「それにしても、さすが音大の声楽科に居ただけあるね。佐
竹さんのアヴェマリアには鳥肌が立ったよ」

あはは。
鳥肌返しされちゃったよ。

「そうですね。あれが……わたしの最初で最後の晴れ舞台で
すから」

「え? もう歌わんの?」

「オペラプリマとしては。あの一回でもういいです」

「ふうん」

「わたしも……浜草さんのことなんか言えませんよ」

「え? どういうこと?」

「わたしを捨てた親や恋人への意地。わたしが歌にしがみつ
いてきたのは、その意地だけです」

「……」

「だけど、意地だけじゃ歌を紡げません。人間不信がひどく
なって、歌を紡げる心がなくなった。だから、歌えなくなっ
ちゃったんです」

ふう。

「想いを込めた歌を誰かに届けたいっていう気持ちになれま
せんでした。歌で人を圧倒しようとして、逆にお客さんの視
線が全部敵意に感じるようになっちゃった」

「怖かったですよ。ほんとに……」




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(クロガネモチ)











Wintersong  by Sarah McLachlan

 

 


【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十三) [SS]


ゲストアーティストが突然出演出来なくなるっていうとんで
もない非常事態を乗り越え、マスダ楽器のクリコンは成功裏
に終わった。

CP4のCDも二百枚以上売れたらしい。
ただ……その割には大山さんと沢田さんの表情が冴えなかっ
たのが気になった。

ホールからの撤収の直後、店長が軽く反省会やろうよって、
わたしたちスタッフとCP4の二人を誘った。
エバホールのすぐ近くに店長お気に入りのピザ屋さんがあり、
クリコンの後はいつもそこで即席ご苦労さん会らしい。
店長が直接打ち上げを仕切るって、珍しいよね。

お店のお任せで焼きたてのピザを並べてもらい、店長がジュー
スのグラスを高く掲げた。

「みなさん! お疲れ様でした! 乾杯!」

ういーっす! かんぱーい!

ちんちんとグラスがぶつかる音が聞こえて、緊張が解れたみ
んなが焼きたてあつあつのピザに手を伸ばす。

「最初に、ちょい挨拶させてください。あ、食べてる人は、
そのまんまでいいよー」

店長らしい無礼講宣言が出て、さっと立った店長がわたした
ちに向かってひょいと頭を下げた。

「段取り悪くてごめんね。来年は、もうちょい詰めてからや
りましょう。特にピンチヒッターを頼んだ佐竹さん。いきな
りプレッシャーかけてすんません」

今更文句言っても始まらないし、わたしは苦笑するしかない。

「でも、店長」

「なに?」

「店長だけで、ソロコン出来るんじゃないですか? あの演
奏、鳥肌立ちましたー!」

そうだそうだっていう声がいくつも響いた。
大山さんも沢田さんも、驚いてる。

「いや、冗談抜きですげーと思いました。スコア見てすぐ弾
けるってだけじゃない。トシより腕ぇいいのに、上手に空気
作ってました。信じられなかったっす」

そう言った沢田さんが、じいっと店長を見つめている。

「ははは。俺もプロを目指してたからね。今の店で働き始め
るまでは、ギターのことしか考えたことなかったよ」

「どの分野ですか?」

大山さんが身を乗り出した。

「クラギ。セゴビアとか、そっち系さ」

「うわ……」

「でも、練習に熱ぅ上げすぎてね」

店長が幽霊みたいなポーズを取った。

「両手首を重度の腱鞘炎にしちゃったんだ。そりゃそうだよ
な。メシ食ってる時と寝てる間以外はずーっと弾いてたから
ね。やり過ぎ」

ぎょえええええっ!?

全員、のけぞった。
さ、さすが店長。はんぱねー。
わたしもボーカルレッスンにはがっつり突っ込んでたけど、
そんなのはまだまだ序の口って感じだなあ。

「あの……今は?」

聞いていいものかどうか分からなかったけど、あえて聞いて
みた。

「今日くらいの演奏時間なら保つかな。でも、準備してがっ
ちりやろうとしたら、どうしても病気が出るんだ」

「病気って、手首のですか?」

「違う。熱が入り過ぎちゃう。他のことが何も目に入らなく
なるんだよ」

「うわ!」

「今でもギターを弾くのは好きだし、余興でやるくらいなら
いいけど、プロにはなれないね。俺の性格だと、また体壊す
まで根詰めちゃうから。それじゃ音を楽しめない。音楽じゃ
なくなる」

あ……。

「自己満じゃだめなんだよ。聞いた人がいいと思ってくれな
きゃ、音楽なんかなんの意味もないんだから」

ぽんとテーブルをタップした店長が、CP4の二人をよいしょ
した。

「そういう意味じゃ、アクシデントに腐らないでステージを
きちんと盛り上げたお二人は、立派なプロです。これからも
がんばってくださいね」

大げさに照れる二人。
着席した店長と入れ替わりで立った大山さんが、お礼を言っ
た。

「ありがとうございます。俺も、今日のコンサートのことは
一生忘れないと思う。でも……」

隣にいた沢田さんと顔を見合わせて頷いた大山さんは、衝撃
的な言葉を吐き出した。

「俺とサワは、もうCP4を抜けます」

「やっぱりね」

店長があっさり頷いて、場がしんと静まった。

「なあ、大山さん。CP4は、田手さんのワンマンバンドな
んだろ?」

「そうっす。てか、うちはものすごく特殊なんです」

「どういうこと?」

「トシはみわが好きなんすよ」

「ほう」

「みわの声に惚れたっていうより、惚れたみわのいいところ
が声だった。それをなんとか生かしたい。それがCP4の原
点なんです」

「なるほどね。それで納得だ」

へ? 納得……って?

「店長、どういうことですか?」

「浜草さん。すっごく線が細いんだよ。ボーカルとしてとい
うより、人として、ね。繊細なのはいいけど、いろんな意味
で弱すぎるんだ」

そうか……。

「だから彼女をプロデュースしてる田手さんは、彼女より強
いものを周りに置けないの」

「バンドの構成もそうでしょ。メロディーラインが際立つ鍵
盤楽器や主張がはっきりしてる電子楽器を入れないで、彼女
の声以外は背景に下げやすい楽器構成にしてある。アコユニ
にしたのは、そういうことでしょ?」

沢田さんに目をやって、店長が確認する。

「あはは。そうです。トシはもっとがりがり弾けるやつです
よ。でも、それをぎりぎりまで抑えちゃってるんで」

「やっぱりなあ」

店長が、ふうっと溜息をついた。

「それじゃあ、バンマスの田手さんはともかく、サポの二人
は保たないさ。脱退はしょうがないよなあ……」

「俺たちに単独でやってけるくらいの腕があれば、アレなん
ですけど。パーカスや管はどこでやってもやっぱサポなんで
すよ。でもそのサポすらこそっとやれって言われるのは……」

「今日みたいなことがあるとしんどいよね」

「はい」

 



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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十二) [SS]


満足げに会場を出て行くお客さんを見送り、会場が無人になっ
たのを確かめてから、座席点検に回る。
忘れ物や落し物があれば、すぐに受付けに届けてアナウンス
しないとならない。

幸い帽子とか手袋止まりで、貴重品の落し物はなかった。
それを串田さんに報告して、さっとステージ裏に行く。

スタッフは機材搬出で出払ったみたいで、ステージ裏には誰
もいなかった。
わたしは、ステージの袖からさっきまで上がっていた舞台に
もう一度『戻った』。

今日のコンサート。
歌ったわたしは、浜草さんの代役だ。
浜草さんのイメージを壊さないように、控えめに控えめにと
しか歌えなかった。
だから、やっと出てきてくれた歌姫に何も歌ってもらえてな
いの。

ごめんね。
観客がわたし一人しかいなくて。
でも、あなたがこれから歌っていくなら、ここで自由になっ
てください。
本当の意味で、全ての束縛を解かれて自由になってください。

いつでも。どこでも。どんな時でも。
もうこれからわたしが耳を塞ぐことは、決してないから。

「グノー。アヴェマリア」

背筋をぴんと伸ばし、両手を天に差し上げて。
わたしは喉をいっぱいに開いた。


『Ave Maria, gratia plena

 Dominus tecum

 benedicta tu in mulieribus,

 et benedictus fructus ventris tui, Jesus.

 Sancta Maria,
Sancta Maria, Maria,

 ora pro nobis, peccatribus,

 nunc, et in hora mortis nostrae. Amen』


わたし一人しか聴衆のいない、でもわたしの生涯たった一度
の、プリマドンナとしてのステージ。

あれから長いこと歌ってなくて、歌うのに必要な筋肉がどこ
もかしこもぶったるんでる。
三分にも満たない曲なのに、息が切れちゃう。
それでも、わたしの全ての想いを乗せて。

……最後まで歌い切った。

不思議と。
涙は一滴も出なかった。
きっとさっきのコンサートの時、わたしを縛り付けていた鎖
を溶かすのに全部使い切っちゃったんだろう。

差し上げていた両手を下ろして、観客席に向かって深々とお
辞儀をする。

ありがとう。
わたしをもう一度歌わせてくれて。

本当に、ありがとう。

そういう想いを込めて。
わたしはじっと頭を下げ続けた。

突然、ホールの客席ドアが次々にばんばんと開いて、なだれ
込んできたお客さんが、わあっと歓声をあげながら拍手をし
始めた。

「ブラヴォー!」

「すごーい!」

「ぴーっ! ぴぴーっ!」

歓声と拍手と口笛で突如満たされた会場。
わたしはびっくりして、思わずおちゃらけてしまった。

「すんませーん。清らかなマリア様がすんごいがらっぱちに
なっちゃいましたー。はははー」

どわははははははっ!!
会場が爆笑の渦になった。

観客席に向かってもう一度深々とお辞儀をし、満場の拍手の
中をゆっくり袖に下がった。

うん。クリスマスなんだもん。
こんなご褒美があるのは本当に嬉しいよね。
きっと、わたしがステージに立ったのをナベさんが見てて、
音を拾ってホールに流してくれたんだろう。

リドルのマスター、リドルに来てくれてた大勢のお客さん。
タカやナベさん。
みんな、壊れる寸前だったわたしを心配して、これまでそっ
と支えてくれた。

わたしはまだそれに十分応えられないけど。
でも、こうやってお礼が言えるようになった。

助けてくれて、生かしてくれて、本当にありがとうって。

……心から。





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Ave Maria  by Renata Tebaldio





Ave Maria  by Antonella Ruggiero

 

 


【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十一) [SS]


『君が手にした 一片の草が
 世界を溶かす 笛になるんだ
 どこまでも響く 澄んだ音色が
 何もかもを 透明にしてゆく

 草は震える 君の吐息で
 草は震える 君の心と共に
 そして音になる 
 全てを溶かし去る 切ない音に

 草笛響く 世界を溶かす
 なのに君だけ 取り残されてゆく
 草笛響き 世界が消えて
 君はぽつりと 立ちすくんでいる


 君の望んだ 独りの世界で
 草笛持った 君が泣いてる
 君は世界の 全てになった
 だけど世界は 空っぽだった

 草は震える 君の涙で
 草は震える 君の嘆きと共に
 そして音になる
 君を溶かし去る 切ない音に

 草笛響く 君を溶かして
 君は世界と 混ざり合ってゆく
 草笛響き 君が消えたら
 澄んだ音色が 世界になった』


リハの時よりもゆったりと溜めて。
抑揚を抑え気味にし、声をわざと細くした。

千賀さんも、リハの時のようなエモたっぷりにはしないで、
どちらかと言えばささやくような歌い方に変えてきた。

うん。その方が彼女の声の透明感が生きるね。

一番、二番を交互に歌った後、間奏でインストが景色を作り、
その流れのまま最後の締め。
一、二番のリフレインのところを、少しずつ声量を上げてハ
モりながら歌い上げていく。

リハの時と同じで……やっぱり涙が出た。
でもそれは、わたしが曲の世界に引きずりこまれたからじゃ
ない。

わたしの中の小さな歌姫。
閉じ込められていた籠から解き放たれて。
でもまだ、本当に外に出てもいいんだろうかと周りをおずお
ず見回している。

ごめんね。
ちっぽけだったのはあなたじゃない。
歌を閉じ込めてしまったわたしの心なの。

ごめんね。
今度こそ、何にも縛られずに歌ってね。
自由に、楽しげに、果てしなく。

のびのびと。

だらだら涙を流しながら。
それでもわたしの喉は世界を描き続けた。

店長のギターが、かすかな和音を放って静まるまで。


           −=*=−


涙を吸い取ってくれない安物のサンタ服。
その袖で無理やり涙を拭いて。

わたしはゆっくりとお辞儀をした。

さざめくような拍手の音が、ホールをじわりと満たしていく。
ああ、まるで潮騒みたいだと。
そう思った。

椅子に戻ったわたしと入れ替わって、店長がステージ中央に
出てきた。

「次の曲が、このコンサートラストの曲になります。みなさ
ん誰もがご存知のクリスマスソング、聖しこの夜です。一緒
に歌いましょう。でも、その前に」

店長はわたしたちの方を振り返って、起立を求めた。

「クロスパッションフォーのメンバーを紹介します。フルー
ト、オーボエ、クラリネット、リコーダーを自由自在に吹き
こなす管楽器担当、沢田しげる!」

「カホン、ドラム、ジャンベ、コンガ……打楽器ってこんな
にいろんな音を奏でることが出来たんだって、そう思われま
せんでしたか? 打楽器担当、大山まさし!」

「そして、今日は事故のアクシデントがあってここに来れま
せんでしたが、ボーカル浜草みわ。……の代役、千賀千香、
佐竹美琴!」

「最後に私、ギター田手としゆきの代役、桑畑誠一でした」

ぺこり。

わあっ! ぱちぱちぱちぱちぱちっ!
ホールいっぱいに、歓声と拍手が響いた。

うん。
きっと、今日来てくれたお客さんには楽しんでもらえたよね?
それでいいや。

顔を上げた店長が会場をぐるっと見回した。

「本当は、クリスマスらしくキャンドルを灯して合唱したい
ところなんですが、ホール内は残念ながら火気厳禁なんです
よねー」

どっ!
わはははははっ!

「入場の時に、プログラムと一緒にサイリウムをお渡してあ
ります。真ん中をを折り曲げるときれいに光り始めるはずで
す。どうか、それをキャンドルに見立ててください」

立ち上がったお客さんが、あちこちでサイリウムを折る。
暗いホール内に、とりどりの蛍光色の光が輝き出す。
わたしたちも、サイリウムを両手に持ってスタンバイ。

一気に華やかになった客席を見回しながら、わたしたちはス
テージの一番前に横一列に並んで、店長のギターに合わせて
声を張り上げた。


「きよし この夜
 星は 光り
 救いの御子は み母の胸に
 眠りたもう ゆめやすく


 きよし この夜
 み告げ受けし
 羊飼いらは 御子のみ前に
 ぬかずきぬ かしこみて」






Silent Night  by The Real Group




かあん! からあん!
からん! からあん!

曲の最後に大山さんがハンドベルを鳴らして、クリスマスの
荘厳なムードを盛り上げた。

その音の余韻がまだ残っているうちに、店長がさっと手を差
し上げた。

「本日は、クロスパッションフォーのコンサートにお越しい
ただき、本当にありがとうございました。この後、受付けの
横でCDの即売を行います。いいなと思われたお客様は、こ
の機会にぜひお買い求めください」

「これにて、マスダ楽器主催のクリスマスコンサートを終了
いたします。長らくのご清聴、ご声援、本当にありがとうご
ざいました! どうぞお気を付けてお帰りください」

ぱちぱちぱちぱちぱちっ!

拍手といっぱい揺れるサイリウムの光。
華やかなムードをそのままに。

無事、コンサートが終了した。

はあ……なんとか終わったあ。よかったー……。

 



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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十) [SS]


そしていよいよ、CP4の曲だ。
このライブは、CP4のプロモーションを兼ねてる。
ボーカルのクソ女は気に食わないけど、他の三人にはそれぞ
れ夢があるだろう。
それを、わたしの一方的な感情でぶち壊すわけにはいかない。

今日来て下さったお客さんに、こんないいバンドがあるんだ
なあと思ってもらうことも、店長の言う『給料のうち』だ。

腹をくくろう。

全六曲。
アップテンポの『ルームメイト』、『ミルククラウン』は千
賀さんが、じっくり聞かせる『夜の散歩』、『プラネット』、
『泣き笑い』はわたしがメインを取る。
ハイライトの『草笛』はラストに、ダブルボーカルで。

ハモるのも聞かせどころにはなるけど、質感の違うボーカル
を聞き比べてもらうというのも、ボーカル科のある音楽教室
としてアピールしたい点なんだ。
そういうところも、店長は抜け目ない。

ボーカルがわたしだけじゃないという安心感。
そして、クリスマスコンサートなんだっていうリラックスし
た観客席のムード。
音楽教室の生徒さんはみんな顔見知りだから、わたしたちを
見る目が優しい。

その柔らかな視線にほぐされるようにして、長い間凝り固ま
り、縮こまっていたわたしの声は、少しずつ束縛を解かれて
伸びやかに出るようになっていった。

ごめんね。
何年も縛り付けてしまって。

わたしは、歌い方を忘れたんじゃない。
歌うことが苦痛だったんだ。

ずっと。
ずっとね。

何があったって、歌は歌よ。
それを口から出すことはいつでも出来るの。

でも、歌は勝手に形作られるわけじゃない。
歌を作るのは喉じゃなくて、心なんだもの。
その心をずっと失っていて、苦しかった。辛かった。

わたしは、まだその苦しさや辛さを乗り越えてない。
重い過去の鎖は手足だけじゃなくて、歌も縛り付けている。

でもね。
もういいかな。
自分を歌に押し込める生き方は……もういいかな。

わたしの横で、楽しそうに声を張り上げる千賀さんの姿が目
に入った。

そうね。

千賀さんは、これから自分の全てを歌うことに注ぎ込んでい
くんだろう。
若さゆえに荒削りなところをせっせと磨いて、歌うことで自
分を高めていく。

でも、わたしは千賀さんと逆。
自分の中にぱんぱんに詰め込んでいた、歌っていう呪縛を少
しずつ解いて行こう。
歌に背負わせるものをどんどん軽くして行こう。

そうしたら。
きっとわたしも軽くなれる。もっと自由になれる。

もっと……気持ち良く歌えるように……なるだろう。


           −=*=−


すごく心配していたステージフライトの症状は、とりあえず
出ないで済んで。
いよいよクライマックスの『草笛』だ。

MCをやろうとした店長を手をかざして制し、スタンドから
マイクを外して握った。

「みなさん、ここまで熱心に聞いてくださって、本当にあり
がとうございます」

ぺこり。

「クロスパッションフォーのオリジナル曲ラストは、『草笛』
です」

「この曲は、とても素晴らしい曲。本来なら、浜草さんの美
声を一番味わっていただける聞かせどころなんですが、本日
は残念ながら、代役のわたしたちがお届けしなければなりま
せん」

「でもこの曲は、いろんな解釈が出来る曲なんです」

「悲しい曲なのか、幻想的な曲なのか、救いのある曲なのか。
聞いた人の中で、いろいろな光景が描かれる曲」

「歌うわたしたちも、自分なりの光景を思い浮かべます」

「どうか、わたしたちの作った世界を、後で浜草さんの歌と
比べてみてください。そこにはそれぞれ違う光景が見えてく
るんじゃないかなあと」

「そう思っています」

すうっと大きく深呼吸して椅子から立ち、ステージの中央に
出た。

「わたしは……一度歌を捨てました。って言うか、歌えなく
なりました」

「喉を潰したとか、病気したとか、そういうことじゃありま
せん。心に傷が付いて、歌が……出て来なくなったんです」

「今日、こうやってマイクを持って歌えているのは、わたし
にとってはまるで奇跡みたいなことなんです」

し……ん。
会場が水を打ったように静まり返った。

「わたしが自分で閉じ込めてしまった小さな歌姫を。ご来場
のみなさんが呼び戻してくださいました。本当にありがとう
ございます。そして……」

「この機会を作ってくれたクロスパッションフォーのみなさ
んと店長、そしてスタッフのみんなに」

「心からありがとうの想いを込めて」

「草笛……」

沢田さんのフルートの美しい音色が、本当の草笛のように会
場を満たし始めた。
草原をそよがせる風のように、大山さんのブラシと店長のア
コギの爪弾きがさわさわと鳴る。

孤独の悲哀を織り込んで、泣きを際立たせる浜草さんの歌唱。
でも、わたしはそこに解放を盛り込もう。

『君』が草笛を通して解き放てたもの。
その中に……きっとわたしの歌も入っているんだろうと。

そんな風に。

……歌おう。




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(シェフレラ)









Love is Christmas  by Sara Bareilles

 

 


【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (九) [SS]


ここで、打ち合わせ通りわたしと千賀さんが一度袖に下がっ
た。

店長、何すんだろ?

スポットライトの真下にパイプ椅子を引いてきた店長が、マ
イクをセットしてギターを構えた。

「プログラムにはありませんが、ご来場のみなさまへのお詫
びの曲を最初にお届けして、それから本番ということにした
いと思います」

「曲は、シカゴの名曲、Hard To Say I'm Sorry。邦題は、
素直になれなくて。うーん。ロマンチックですねえ。でもね、
ほんとは違うんですよー」

「直訳すると『ごめんなさいって言えないの』。え? それ
じゃ全然お詫びになってない?」

「ごめんなさーい!」

わはははははっ!

会場の笑い声が消えないうちに、店長がギターを弾き始めた。








う、うわ……。

さっきのおちゃらけたMCはなんだったんだろうって思うく
らい。寒気がするほど凄い演奏だった。
たった一本のアコギから、これほどまでにカラフルな音が出
るなんて予想もしてなかった。

まるっきり……プロじゃんか。

店長が何か楽器を演奏してる姿を一回も見たことなかったん
だけど、こんな凄い人だったんだ……。

さっきまでざわついていた会場は、水を打ったように静まり
返った。

そうか。
これは、会場へのアピールだけじゃない。
わたしたちへのど突きだ。

代役だからって手ぇ抜いたら、絶対に許さないからな!
そういう覚悟を求める、本気(マジ)のど突き。

足が震えてくる。
わたしは……店長のど突きに応えられるだろうか?
最後まで歌い切れるだろうか?
そもそも、声が出るかどうかすら分からないのに。

でも、心がひどくざわついたままCP4の出番が来てしまっ
た。

ふう……やるっきゃないね。
万一の時には千賀さんがいるからなんて弱気じゃだめだ。
根性据えて、しっかり歌い切ろう。

拍手の中を登場した大山さんと沢田さんがポジションに着き、
店長もギターを構えて演奏の体勢に入る。

よしっ! 気合いだあっ!
のしのしとステージのど真ん中に出て、一礼する。

「代役ボーカルその一の佐竹です。店長にべらんめえって言
われてすっごい悔しいです」

「こーんなに色っぽいのにさー」

お尻をぷりっと動かす。

どっ! 会場が沸いた。
笑ったなあ? くそったれ。覚えてやがれっ!

ちょこちょこと歩み寄ってきた千賀さんが、ひょいとお辞儀
した。

「えー、カラオケの採点では一度も80点越したことない千
賀ですー」

どおっ!
こっちもバカ受け。

「いいじゃん。好きなように歌ってもー……って言うわけに
もいかないので、今日は精一杯がんばります! 応援よろし
くー」

ぱちぱちぱちぱちぱちっ!

どうなるんだろうとはらはらしながら見ていた沢田さんと大
山さんも、ちょっと安心したんだろう。
硬かった表情が緩んで、笑顔が出た。

わたしと千賀さんが椅子に座って、いよいよコンサートが始
まった。
腹をくくるしかない。

最初にクリスマスソングが二曲。
そのあとCP4のオリジナルが六曲。
締めにクリスマスソングの『聖しこの夜』だ。

まず、最初の二曲が歌い切れるか。
そこでふん詰まっちゃったら、わたしはリタイアするしかな
い。

店長のアコギが鳴り出した。
足が……震える。
あの喉が塞がるような、いやあな感覚がどおっと押し寄せて
くる。

え?

わたしの横に座っていた千賀さんがすうっと席を立って、ス
テージの真ん中でくるくるとポーズを取り始めた。
ダンス入り? そんなの聞いてないよう。

でも、千賀さんに気を取られている場合じゃない。
歌わなきゃ。

軽快なボサノバのリズム。
それに合わせて、口ずさむようにホワイトクリスマスを歌う。

うん。出る。声がちゃんと出る。
お客さんの意識が踊る千賀さんに向いてるから、わたしは視
線を気にし過ぎなくて済む。助かる。

ひょうきんなポーズで明るくステージを盛り上げた千賀さん
が椅子に戻って、今度はジングルベルの変奏曲。
ボーカルの難度はそれほどじゃないんだけど、リズムが変則
で、ギターの負担が大きい曲。

でも、店長は田手さん以上の腕前に物を言わせて、軽々と弾
きこなした。
ギターをタップする店長と大山さんのカホンとの掛け合いも
軽妙で、会場の人たちの体が揺れているのが分かる。

うーん、ほんとに乗せるのがうまいよなあ……。

 



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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (八) [SS]


一部、二部の入れ替えの時に、アナウンスを流した。

「第二部でコンサートを行う予定のクロスパッションフォー
ですが、メンバーのうち浜草さんと田手さんが、自動車事故
の影響により急遽出演出来なくなりました」

「お二人の代役を立てての演奏になります。浜草さんの歌を
楽しみに来られたみなさんには大変申し訳ありませんが、ど
うぞご了承ください」

「チケットのキャンセルと払い戻しは、事務局で受け付けて
おります」

雪崩を打ったようにキャンセルされると大赤字だったんだけ
ど、一部からの流れでチケットを買った人が多くて心配した
ほどのキャンセルは出なかった。
その分、お客さんがいっぱいいるからどうしても緊張しちゃ
う。

ばか!
あんたも、そういう世界を目指してたんでしょ?
今さら何ぶるってるのよ!

強気と弱気がぎしぎしとせめぎ合う。

短い入れ替え時間の合間に、わたしたちと進行の打ち合わせ
を済ませた店長が、控え室から走り出ていった。

「どこ行ったんだろ?」

「さあ?」

千賀さんと二人で首を傾げていたら、サンタ服を持った店長
が駆け戻ってきた。

「二人とも、すぐこれに着替えて。そのままじゃ、代役丸出
しだからね」

おっと! そう来たか。

「ステージに立つ以上、それは誰でも主役さ。君らにはちゃ
んとドレスアップしてもらう」

うーん。サンタ服がドレスかっていう疑問はあるけど、店の
制服よりはずっといいよね。

「よっしゃあ!」

「いっちょかましますかあ!」

「その意気、その意気」

ぐだぐだ考える間も無く、すぐに二部開始のアナウンスが流
れた。

「これより、クロスパッションフォーのコンサートを開始い
たします。入場のみなさんはご着席をお願いいたします。な
お、演奏中の写真、ビデオの撮影、飲食はご遠慮下さい。ま
た、携帯電話の電源はお切りください」

沢田さんと大山さんの楽器をセッティングしたスタッフが、
袖に引いた。
会場の明かりが落ちて、ステージの真ん中にスポットライト
がぽつんと落ちる。

そこに、わたしたちと同じようにサンタ服を着た店長が、ア
コギ片手にすたすた歩いていって、会場に向かって一礼した。

「本日は、お忙しい中を本コンサートにお越し下さり、まこ
とにありがとうございます」

ぺこり。

「第二部では、クロスパッションフォーというアコースティッ
クユニットの演奏をお聞きいただく予定だったのですが」

うーんと悩むポーズ。

「トナカイが飛ばし過ぎて事故っちゃってねー。ボーカルの
浜草さんとギターの田手さんは、現場検証の真っ最中です」

「サンタ困ったー」

わはははははっ!

会場は大笑い。コンサートが変則になっちゃった影響なんか、
これっぽっちも感じられない。
さすが店長だー。

「コンサートを楽しみに来られたみなさんのご期待を裏切ら
ないよう、見習いサンタが精一杯がんばりますので、本日は
最後までゆっくりと演奏を楽しんで行ってくださいね」

ぺこり。

「コンサートに先立ちまして、見習いサンタの紹介をいたし
ます。まずボーカルの浜草さんの代役は……」

わたしと千賀さんが呼ばれる。
二人して、小走りに店長の横に駆け寄った。

「小柄なメガネサンタが千賀千香さん。現役JKですよー。
浜草さんに負けず劣らずの美声の持ち主です」

「もう一人、うちのお店に来てくださってる方はよくご存知
だと思いますが、こっちのべらんめえサンタがスタッフの佐
竹美琴です」

どっ!
会場が沸いた。

ちょっと、てーんちょー! べらんめえってなによう! ぷ
んすか!

「以上、ダブルサンタで歌をお届けします」

「そして、ギターの田手さんの代役は、わたくし店長の桑畑
誠一が務めます。どうぞよろしくお願いいたします」

ぺこり。





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(ナンテン)











Santa Baby  by Megan Nicole

 

 


【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (七) [SS]


とかなんとか言ってるうちに、クリコンの本番になっちゃっ
た。

第一部は学芸会だから、演奏者とそれを見にくる家族やお友
だちがリラックスして楽しんでくれればいい。
MCを受け持ってるわたしも、出演者の生徒さんにいろんな
突っ込みが入れられて、すっごい楽しい。

会場は、クリスマスらしい明るく華やかなムードでいい感じ
に盛り上がっていた。
でも、その会場の雰囲気とは裏腹に、スタッフは全員顔が引
きつっていた。

真っ青になってる串田さんが、ステージ裏でひっきりなしに
携帯を確認している。

「まさか、本番まで開始五分前に来るってことじゃないでしょ
うねっ!」

そう。
来てないんだ。あのクソ女。
いや来てないのがクソ女だけならともかく、今度は田手さん
まで来てない。
連絡を取ろうにも、こっちから何度掛けても通じないらしい。

ど、どういうことよっ!

もうすぐ第一部が終了しちゃう。
その時には、第二部のアナウンスを流さなければならない。

スタッフがみんな慌てふためいてるのに、店長は全然動じて
ないし。
まったく、このおっさんの神経はどうなってんだあ?

「!!」

串田さんの携帯がぶるって、神業的スピードで串田さんがそ
れに出た。

「はい? 田手さんっ? え? 車で事故ったあっ!?」

げ。

引ったくるようにしてその携帯を奪い取った店長が、事故の
状況を確認する。

「うん。うん。身体(からだ)はなんともないのね。でも、
事故処理手続きの関係で浜草さんと田手さんは現場を離れら
れない、と。そういうわけね。状況は分かりました。事故処
理の方を優先してください」

ぴっ。

携帯を切っちゃった店長が、くるっとわたしの方を向いた。

「中止……ですか?」

「いや、それは出来ないよ。二部を楽しみにしてるお客さん
がいっぱい来てる。幸い、替えの聞かないパーカスと管じゃ
なくて、アコギとボーカルだ」

ざわあっ!

背筋に冷たいものが流れた。

「て、ててて、てんちょー。も、ももも、もしかしてえ」

「リハやってるだろ? 代役頼む」

「ぎょええええええええええええええええええええっ!?」

わたしがステージ裏で全力でぎょえった音は、客席まで響き
渡ったんじゃないかと思う。

「そ、そんなあ。無理ですよう」

「給料のうち」

ぐ……。
それを言われると辛い。

「前回手伝ってくれた千賀さんが、臨時スタッフでナベさん
の手伝いをしてる。彼女にも助っ人を頼む。リハと同じさ」

「そ、それにしたって。田手さんの代役が……」

「ああ、それは俺がやる」

「ええっ!? 店長があっ!?」

「それしかないだろ? 弾けるのは俺だけなんだから。まあ、
しょせんはクリコンさ。楽しく歌ってくれればいいよ。MC
は俺がやるから、佐竹さんは歌に専念して」

あっさり言い切った店長は、わたしの肩をぽんと叩いてステー
ジ裏から走り出て行った。
そして、すぐに千賀さんを伴って戻ってきた。

「残りの二人と打ち合わせ。来て」

「はい……」

三人で、ばたばたと控え室に走った。
突然大役を押し付けられたわたしも真っ青だったけど、看板
二枚が来れないことを知った大山さんと沢田さんの動揺は、
わたし以上に激しかった。

大山さんが、辛うじて声を絞り出す。

「中止に……しないんですか?」

「してもいいけど、それじゃあ君らは一生この業界アウトだ
よ? 興行潰しは、プロミュージシャンに取って最悪の大罪
なの。それでいい?」

店長は、あくまでもクール。
二人は、顔を見合わせてしばらく考え込んだ。

売り出し中に、契約を勝手に放棄してコンサートを御破算に
する。それは、業界からの永久追放に値する反則行為だ。

彼らがアマなら、そんなこともあるよねで済んだかもしれな
い。でも、仮にもプロならそうは行かないよ。
リハをきちんとこなし、当日も早くから会場入りしてスタッ
フと打ち合わせして、万難排してコンサートに臨むのがスジ
なんだ。それがどんなに小規模のものでもね。

そこを気分でキャンセルかまされた日には、プロモーターが
干上がってしまう。
バンドとしては、致命的な失態なの。

「車のハンドル握ってたのは浜草さん。田手さんはとばっち
り食ったんだろう。でもバンマスとして、彼女をきちんと制
御出来なかった責任は負わないとならない」

「……」

「君らは、ルールに則ってちゃんとこうやって本番に備えて
るのに、その無責任に巻き込まれて平気?」

「いや……それは勘弁、です」

「俺も」

「でしょ? とりあえず、このコンサートは私たちがサポに
入るので、なんとか成功させましょう。主役は君らじゃない。
演奏を楽しみに来てくれてるお客さんなの」

「そうですね」

「お金払って来てくれたお客さんに、なんだこんなクソ演奏
かよって思われたら、中止よりもっと悪いよ。曲がりなりに
もプロなら、その評価に甘んじちゃいけないと思う。そうじゃ
ない?」

「分かりました」

覚悟を決めたんだろう。大山さんが、ぱちんと指を鳴らした。
ぷうっと頬を膨らませた沢田さんも、帽子を深く被り直した。

「ベストを尽くします」

店長は、まだ引きつっていたわたしと千賀さんに向かって、
厳しい口調で指令を出した。

「佐竹さん、千賀さん。歌はね、聞かせるんじゃない。聞い
てもらうの。届けない歌は誰にも届かないよ。それ、よーく
考えてね」

「……」

「いい? これはピンチじゃない。チャンスなんだ。それを
活かしたいなら、ちゃんとお客さんを見ないとダメだよ。独
りよがりに歌うなら、これまでの浜草さんと何も変わらない
からね」

かっちーん!

頭に血が上った。
わたしに無理やり歌わせときながら、そういう注文を付ける
わけえ!?

でも、その怒りに任せて反論出来ないほど、店長の言うこと
はごもっとも。ケチの付けようがない正論だった。

わたしは、あのクソ女と同列に並べられるのだけは絶対に嫌
だ。絶対に! ぜ・っ・た・い・に・い・や・だっ!!!

上等じゃないの!
目にもの見せてくれるわ!

 



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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (六) [SS]


「ちーす」

結局、一時間半くらいのリハの最後の最後、残り五分のとこ
ろで、やっとこさラフな……ってかだらしない恰好の浜草さ
んが、のそっと顔を出した。
前回と同じってわけね。論外。

「あれえ?」

一瞬にして、場が険悪な雰囲気になる。

「もうリハ終わっちゃったのー?」

ぺろっとそう言い放つクソ女。
とっ捕まえてぼこ殴りしてやりたいところだけど、招待ゲス
トにそんなこと出来っこないってのが辛い。

冷ややかに浜草さんを見遣っていた店長は、ごちゃごちゃ言
わずに事実だけをぽんと放った。

「終わりました。もう帰っていただいて結構ですよ」

「ふうん。いいんだあ」

「時間がないので。本番はよろしくお願いしますね」

「……」

ないがしろにされて、面白くなかったんだろう。
くるっと踵を返した浜草さんは何も返事せず、不機嫌そうに
大スタを出て行った。

ばかったれっ! 面白くないのはこっちの方だっ!!
とっとと帰りやがれっ! 塩撒けっ! 塩っ!

おっととと……それはいいんだけどさ。
本当に、これで本番大丈夫なの? 店長?

わたしやスタッフのはらはらを物ともせずに、店長がのんび
りと閉会を宣言した。

「これでリハ終わりますー。みなさんお疲れ様でしたー。ナ
ベさん、童さん、本番もセッティングとミキサーお願いしま
すねー。田手さん、当日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

深々と頭を下げる三人のメンバー。
クソ女以外は、みんな常識的でいい人なんだけどなあ……。

わたしたちのリハのすぐ後に、他のバンドのスタジオ練習が
入ってた。
ごたごた揉めてる暇なんかこれっぽっちも無い。
スタッフ総出で大急ぎで機材を撤収して、スタジオを空ける。

りんちゃんと千賀さんは、この後もナベさんの手伝いをする
らしい。
二人がきびきび働く姿は、本当に気持ちいいよね。
あのぐったらぐったらしてるクソ女に、二人の姿勢を見せて
やりたいよ!

わたしがぶつくさ文句を言いながら、店の箱バンに機材を積
み込んでいたら、後ろから店長の声が聞こえた。

「ああ、佐竹さん」

「なんすかー?」

「今日はマイクのセッティングやサウンドバランスのチェッ
クだけで、構成や進行管理の話がほとんど出来なかったから、
MCがぶっつけ本番になっちゃう。そこんとこ、なんとかア
ドリブでこなしてくれる?」

あ、そうか。
当日は、わたしがMC係だった。

「なんとかしますー」

「ははは! 佐竹さんは根性据わってるからね。頼みます。
困った時は俺に振って。すぐサポするから」

「わ! それは心強いですー」

「俺がやってもいいんだけど、女性ボーカルのバンドだと、
MCも女性がやった方が雰囲気出るからね」

なるほど。
店長も、大雑把のように見えて、実はきちんと細部まで考え
ていろいろプランを立ててる。
そのしっかりした店長が、なんでこんながさがさなバンドを
引っ張ってきたのかがどうにもこうにも腑に落ちない。

確かに、ギャラがそんなに払えないってことなら大物は最初
から無理で、選択肢はアマに毛の生えたようなレベルになる
んだろうけどさ。
それにしたって、もっとマシな人たちがいっぱいいるでしょ
うに。

演奏レベルのうまいへた以前に、きちんと自分たちの音楽を
売り込もうっていう姿勢の人を呼んだ方がいいと思うんだけ
どなあ。

うーん……。

わたしが、腕組みしたまま何度も首を傾げているのを見て、
店長がさらっと言った。

「佐竹さん。チャンスってのはね、いろんな形があるの。そ
れが活かせるかどうかすら、チャンスの一つなんだよ」

「へ?」

「それは当日分かると思うよ。こっちは、そのチャンスを提
供するところまででおしまい。後は、彼ら自身がチャンスを
活かそうと努力するしかないんだ」

「それは分かるんですけど……」

「まあ、あんまり考え過ぎないで。なんとかなるから」

ううう。さばけてる店長はいいかもしれないけどさ。
サポートする方の身にもなってちょうだいよー。

串田さんじゃないけど、わたしも胃に穴が空きそうだわ。
とほほ……。





mk02.jpg

(カシワバアジサイ)








Bells Are Ringing  by Mary Chapin Carpenter