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三年生編 第75話(3) [小説]

たった一週間くらいで、人間ががらっと変わるはずなんかな
い。確かにそうだと思う。
僕の迷いや立水の攻撃性は、弱点というよりも僕らの本性に
近いんだろう。

それを少しでもましにしようとするなら、矢野さんが言って
たみたいに、自力で対策を考えて自分を鍛えていくしかない
んだ。

合宿所に来たばかりの時の重光さんのどやしは、問題点を直
視してすぐに修正しろっていう具体的なものだった。
そこを半端にしたままだと、勉強に気合いが入らないぞって
いう直言。

立水はそれを真っ直ぐ受け止めて、すぐに動いた。
僕も立水ほどの馬力はないけど、迷いの次のステップを探し
てる。

家や学校。まだひ弱な僕らを囲い込んでくれる安全な牧場。
でも、条件付きでもそこから出れば、僕らは自分のぐらぐら
な足元を見るしかなくなる。

「合宿所に来たのは正解だったな」

駅を降りて予備校に向かう大勢の学生たち。
その中の一人として、僕は夏空を見上げながら歩道を歩く。

そうしたら。
ぽわっと柔らかそうなピンクの花がいっぱい咲いてる木が目
に入った。

ネムノキだ。

それは、ものすごくインパクトのある花じゃない。
でも、夏を控えめに彩って、その後結実していく。

夏期講習で僕らが身につけるものも、きっとそういうものな
んだろう。
まだ隙間だらけの頭の中に、少しずつ知識を詰め込んでいく。
その作業は、うんと地味だ。
でも、きちんと手と頭を動かした分しか後で実らない。

頭のどこかに入っていれば、それを探すことは出来る。
でも、入っていないものを引っ張り出すことは出来ない。
僕らは、魔法使いでも錬金術師でもないからね。

「ふう……」

でっかい綿雲を浮かべた青空。太陽は朝から元気いっぱい。
今日も暑くなりそうだ。

「夏休み……かあ」

予備校のエントランスで、僕はふと振り返ってもう一度夏空
を仰ぐ。

一年の夏休みは『器を満たす』。
二年の夏休みは『波乱と収束』。

じゃあ、今年の夏休みは?

『不在』かもね。

いるべき人がいない。
あるべきものがない。

それは一時的なもので、ある期間が過ぎれば取り戻せる。
でも不在の間に、僕らはその意味を考える。
考えざるを……得ない。

「しゃらは、どうしてるかなあ」


           −=*=−


「ぶふう!」

今日の講義は終わり。
進路相談に行かなきゃ。

テキストやノートをさっとバッグにしまって、小走りで教室
を出る。

相談室は混み合うからなあ。

「あちゃあ」

長蛇の列じゃないけど、相談室の前にはもう十人くらいの生
徒の列が出来ていた。
スーパーのレジじゃないから、そんなにさっさとは進まない。
しばらく待つしかないなあ。

廊下の壁によっかかり、バッグから今日の講義のノートを出
してざっと目を通す。

そうなんだよなあ。
一般コースでも、後半はどんどん講義の中身が濃くなってい
るのが分かる。
まだ授業で習っていない範囲もたっぷり盛り込まれていて、
そんなの知らないやってないじゃ、全然話にならない。

マカがやってたみたいに、授業の進行は無視して前倒しでど
んどんこなしてしまい、あとはがんがん応用を鍛えるってい
う風にしないと、レベルの高い大学を受験するには間に合わ
ないんだ。

きちんと年間カリキュラム通りに授業をこなしてるうちの高
校は、そもそも高レベルの大学進学者が最初からいないって
いう前提なんだろう。

沢渡校長や安楽校長がねじを巻いたって言っても、全体とし
ては大きく変わってない。
がりがりやりたい子は、最初から進学校に行ってくれ……と
いうこと。

僕も、危機意識を持ってて自力でこなせる子をどんどん伸ば
すより、なかなか足が進まない子にがんばれって背中押して
くれる環境の方がいいのかなあと思うけど、そうすると学校
としてのレベルがなかなか上がらない。

でも学生の実力って、どこで伸び出すか分からない。
学校の方で、僕らのやる気スイッチを押す機会をもっと増や
して欲しかったなーと思ったりする。

そこがなあ。

がんばれっていう後押しが強すぎると、僕らが余裕を失うこ
とになる。今でもほとんどただの看板と化している『自主独
立』の校是は、完全に意味を失うだろう。
だからって、これまで通りの放置とゆるゆるじゃ地盤沈下が
止まらない。

さじ加減が本当に難しいよな。
あっちもこっちも全部立てられるシステムっていうのは……
ないんだよね。

とか。
いろいろ考え込んでいる間に、順番が来た。

「次の生徒さん。どうぞー」

お、女の先生だ。

「よろしくお願いします」

「はい。どんな相談ですかー?」



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