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【SS】 制約 (上野千鶴、リドルのマスター) (二) [SS]


予想以上においしいココアにすっかり満足したわたしは、マ
スターにお礼を言った。

「ほんとにおいしいココアでしたー。久しぶりだなー」

「ご自宅では飲まれないんですか?」

「まだ子供が小さいので、ココア作ってる余裕がないんです」

「ははは。じゃあ、今日は息抜きですね」

「はい。お義母さんが、たまには気晴らししないと保たない
よって」

「そりゃそうだ」

家族以外の人とまともに会話したのって、いつ以来かな?

わたしは、おおらかなマスターの雰囲気に安心したんだろう。
まるで、感情をせき止めていたでっかいダムが決壊したみた
いに、愚痴をどおっと吐き出してしまった。

子供はかわいいけれど、自分の時間がまるっきりなくなって、
家に閉じ込められてるみたい。
心の余裕を失って、ストレスのはけ口をどこにも見つけられ
ない。

子供見ててあげるから週に半日くらいは気晴らししなさいっ
ていう義母の提案は嬉しかったけど、だからと言って遊ぶわ
けにはいかないし。
仕事したいけど、そんな週に半日だけのバイトなんかどこに
もない。

愚痴をこぼしているうちに、せっかく暖かいココアで解れた
心が、またささくれ立ってきた。

黙ってうんうんとわたしの愚痴を聞いていたマスターは、思
いがけないことを言い出した。

「うちには、去年まで佐竹さんていう看板娘がいたんだけど
ね。その娘(こ)はここを卒業してしまったんです」

「はい?」

マスターがわたしの話と関係ないことをいきなり言い出した
から、ぎょっとした。

「あ、あの?」

マスターが、店の一角を指差した。


 『女性アルバイト募集 勤務条件は応相談』


「……えと」

「佐竹さんの後で、誰かフルタイムで働ける人が欲しかった
んだけど、バイト代も安いし、無理は言えない。今は、前川
さんと曽田さんていう女性二人でローテしてます」

「でも、週一の半日だけじゃあ……」

「いや、その日を他のバイトさん二人の完全休養日に出来る
から。シフト回すのに、余裕を持てるんですよ」

「今は、その枠をどうされてるんですか?」

「この商店街の床屋の娘さん、高校生なんだけど、その子に
無理を言ってピンチヒッターを頼んでるんです。でも、受験
生だからね」

「あ、そうかあ……」

「半日でもすごく助かるんですよ」

確かに、わたしにとってこれ以上好条件のバイトなんか見つ
かりそうになかった。
わたしが気になったのは、なぜ常にアルバイトさんを入れて
るのか、だ。

店内の雰囲気を見ても、大勢のお客さんで溢れ返ってるって
感じじゃない。
マスター一人でも十分やっていけそうに見えるんだけどなあ。

そう、わたしはがっつり警戒したんだ。

「あの……」

「はい?」

「マスター一人じゃ切り盛り出来ないってこと……なんです
か?」

「そうなんだよね」

少し腰を曲げたマスターが、顔をしかめた。

「僕は前、少林寺をやってたの。そっちで師範の資格を取っ
て食ってくつもりだったんだけど、腰をやっちゃってね」

あっ!

「今は、日常生活には辛うじて支障がないってレベルなんで
す。でも、重いものを持ったり、中腰の姿勢を長時間続けた
りは出来ないんですよ」

「それで、ですか!」

「給仕(サーブ)があるから、僕一人だと半日が限界。どう
しても……ね」

そりゃあ……大変だあ。

「うちはコーヒー、紅茶だけじゃなくて料理も出してるから、
半日でも決して楽じゃありませんよ。それでもいいですか?」

「子供の抱っこして攻撃よりは楽ですよー」

「わははははっ!」

からっと笑ったマスターは、ぐるっと店内を見回しながら言っ
た。

「制約ってのは誰にでもありますよ。僕だって、まさかこん
な制約がかかるなんて思ってもみなかった」

「……」

「でも、それなら制約の中でどうやりくりするかを考えない
とね」

マスターが、空になったわたしのマグカップを指差した。

「うちのココアが他よりいい材料を使ってるってことはない
です。どこにでもある牛乳とココアパウダー、砂糖の組み合
わせ。店の経営コストを考えたら、それしか出来ないです」

「はい」

「それなら、丁寧に作る。心をこめる。僕にはそういう方法
しかないんですよ。自分の手と頭を使うのはタダですから」

「!!」

そっか!

「上野さんも、たった半日っていう制約を、制約のままにし
ないでくださいね」

マスターは目尻を下げて笑った。
でも、それは必ずしも好意の笑いではなかったと思う。

今日は黙って愚痴を聞いてやったけど、他のお客さんに向かっ
てそれを垂れ流したら承知しないぞ!
そういう……どやし、だ。

うん。
わたしは、家庭に入ってからぶったるんでいたんだろう。
主婦や母親としてするべきことは、絶対に手を抜いていない
と思う。
でも意識が甘ったるかったんだ。あの……ココアみたいに。

「がんばります! よろしくお願いします」

「こちらこそ。じゃあ、早速仕事の説明をします」

わたしがバイトを承けた途端に、マスターの口調ががらっと
変わった。

マスターにかかっているのと同じ制約。
わたしは、接客の技量でそれを乗り越えないとならない。

椅子から飛び降りて、カウンターの向こうに移動した途端に。
店内にいたお客さんの視線が、一斉にわたしに向けられた。

お客さんに笑顔で接すること。
わたしが店員をしていた時に、最初に叩き込まれたこと。
思い出そう。基本中の基本だ。

「上野です。よろしくお願いします!」

まだぎごちない笑顔だったけど、お客さんはみんな頷いてく
れた。

よーし! がんばるぞー!




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風来鶏

上野さん、オアシスを見つけたようですが、何時も"水がある"とは限りませんから、乾季への備えが必要ですね(^^;;
by 風来鶏 (2016-03-01 09:23) 

yakko

こんにちは。
取りあえず 良かったですね !
by yakko (2016-03-01 15:08) 

水円 岳

>風来鶏さん

コメントありがとうございます。(^^)

お子さんの成長に伴って、ライフスタイルが変わる
でしょうから、今はあくまでも緊急避難ですね。(^^;;



by 水円 岳 (2016-03-01 23:03) 

水円 岳

>yakkoさん

コメントありがとうございます。(^^)

マスターには、上野さん救済の意識はないんですよ。
接客がきちんとこなせて、てきぱき仕事出来る。
その適性を見抜いたからこその、スカウトなんです。(^m^)


by 水円 岳 (2016-03-01 23:06) 

mitu

ひな草ですね^^かわいいなぁ
by mitu (2016-03-02 00:11) 

水円 岳

>mituさん

コメントありがとうございます。(^^)

ヒナソウ。大好きなんです。(^^)
小さな花なんですけどね。

by 水円 岳 (2016-03-03 21:25) 

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