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【SS】 歌姫 (佐竹美琴) (十八) [SS]


クリコンの余韻が静かに消えて。
今日は、年内最後の営業日だ。

音楽教室のスケジュールが組まれてない分、お客さんの出入
りは少なめで、わたしたちはいつもよりちょっとだけのんび
りムード。

店長は、在庫処分で空いたエレピのスペースにパイプ椅子を
置いて、展示してあったクラギの弦を張り替えてる。
お客さんがいなければ、そのまま演奏を始めちゃいそうなノ
リだ。でも自重して、鼻歌で済ませてる。

「ふんふんふん、ふふーん、ふふん、ふふふん……」

頭の中で演奏してるのは、バッハのパルティータかな。





Bach Partita No. 1 BWV 825




そうなんだよねー。

店長は、プロギタリストとしての道を諦めてからもギターを
捨ててない。
今でもそこそこ弾けるってことは、忘れない程度には練習し
てるんだろう。
でも、もうちょい突っ込むのか、もっと引くのか。
そこをあえて決めてないんだ。

音楽への向き合い方に余裕と自由度を持たせることで、人に
もそうしたらって勧めることが出来る。
わたしが店長を見てていいなあと思うのは、お勧めを自ら実
践してるとこなんだよね。

隠れた凄腕を自慢するでもなく、挫折の黒歴史を苦く吐き出
すでもなく、今の自分が関われる範囲の音世界をとても大事
にしてる。

店長を見てて、わたしもそういう生き方がいいなーと思うよ
うになった。

だから、わたしはもう歌わない。
声楽家としては、ね。

好きな歌を、好きな時に、好きなリズムと調で、好きなよう
に歌おう。
そうしたら、べらんめえなわたしでもいつかは新しい歌姫に
なれる時が来るんじゃないかなあ。

「佐竹さーん! お客さんが試奏用のサックス吹き比べたいっ
て言ってるから、試奏室開けたげてー」

レジの後ろでほけてたわたしは、串田さんの声で我に返った。
お、いかんいかん。仕事、仕事!

「はあい!」

くすくすくすっ。

「へ?」

がばっと立ち上がったわたしの耳元で小さな笑い声が聞こえ
て、慌てて周囲を見回した。
でも、誰もいない。

うん。
笑ったのはきっと、羽が生えて飛んで行ったわたしの歌姫な
んだろう。

ちぇ! ちょっかい出しに来やがったかあ。
歌うのは、笑い出したくなるくらい楽しいよーって言いに来
たんでしょ?

わたしは、手にした鍵束をウインドチャイムみたいにちゃり
ちゃりっと鳴らしながら、レジカウンターから出た。

それから。
虚空に指を突きつけて、文句をぶちかます。

「こら。笑うんじゃないの! 笑いたいのはわたしの方なん
だからさ。うふふふふっ!」




mk08.jpg
(ネメシア)









Always A Saint  by Sara Hickman









(補足)
佐竹美琴は、いっきやしゃらがよくお茶しに行く喫茶店リド
ルのウエイトレスさんでした。歳は中沢先生のちょっと下く
らい、二十代半ばのからっとした明るいおねいさんです。
人にちょっかいを出したり、イジったりするのが大好きで、
いっきやしゃらはよく餌食になってましたね。(^m^)

一方で、超が付く負けず嫌いで気が短くて手が早い。怒らせ
ると、すぐにトレイやげんこが降ってきます。
そういうがらっぱちなところとは裏腹に、人の心の影や弱み
をよーく見抜き、それに同調しないで徹底的にどやします。
良くも悪くも裏表のない、直球一本やりの力技タイプです。

子供の頃は、中塚家の次男坊元広(もっくん)と同じ少林寺
拳法の教室に通っていたやんちゃ娘の美琴さんですが、目指
していたのは声楽家。
でも親と恋人の裏切りで深く傷付いた美琴さんは、そのショッ
クで人前で歌おうとすると声が出なくなる一種の失声症に陥
り、声楽を諦めて音大を中退してしまいました。

その後、少林寺の師範代だったリドルのマスターに誘われて、
ウエイトレスをやってたんですね。

いっきがリドルに頻繁に行くようになってから、いっきやしゃ
らだけでなく、中沢先生、かんちゃん、もっくん、長岡さん、
ばんこと、それぞれに傷や問題を抱えた人々が再起や自立を
模索し続ける姿を間近に見続けてきた美琴さん。

自分もそろそろ傷を癒す時期は終わったと再出発を決意して、
リドルのウエイトレスをやめます。

このお話は、その美琴さんが就職した楽器店でのハプニング
を軸に、過去の描写を極力排して、『今』を重ねる形で書い
たものです。

実にイジり甲斐のあるキャラなので、出来れば恋バナに持っ
て行きたかったところなんですが、本話ではあえてその要素
を外しました。
美琴さんが音楽に向き合う姿勢のひたむきさ、真剣さ。
それを……どうしてもピュアに書き切りたかったからです。

これから美琴さんがどのように音楽と付き合って行くにして
も、彼女はきっとその過程を楽しんでくれるんじゃないかな
あと。
そういう祈りを込めて、本SSを締めくくりたいと思います。



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コメント 4

南穂

読了しました(*^-^*)

歌も 歌える 楽器店店員・・で いいかと^^
近くに 生き方の見本があるのは いいですね
ひょうひょうとした 店長 いいキャラしています

素敵なクリスマスストーリー
ありがとうです(*^-^*)

by 南穂 (2015-12-27 19:01) 

水円 岳

>南穂さん

コメントありがとうございます。(^^)

まあ、傷のない人なんか誰もいないわけで。
せめて傷と歌を分離できればいいんですが、それすら
難しい。
じゃあ、分離しなくても出来る形を探すしかないよ
ね……ってところです。(^^)

店長のキャラ。自分で造形しといてなんですが、大
好きです。(^m^)
妻子がいる設定なので、下世話な世界には突っ込ま
へんし。ある意味、コアが子供なオトナかもしれま
せん。
# いい意味でね。(^^)

by 水円 岳 (2015-12-27 22:59) 

風来鶏

シカゴの「素直になれなくて(Hard to say I'm sorry)」の歌詞にも、"お互いに距離を置く事が必要だ"ってありますよね(^^;;
ZARDも、CDリリースがメインの活動でしたから、"配信のみ"の音楽活動もありだと思いますが、やはりライブの魅力には勝てませんね(^_^)v
by 風来鶏 (2016-01-09 10:30) 

水円 岳

>風来鶏さん

コメントありがとうございます。(^^)

ポピュラー音楽の発達とともに、音楽の意味がメッセー
ジから自己表現に変わってきているように思います。
それなら、わざわざライブにこだわらないのも一つの
あり方なんでしょう。
# わたしはライブ大好きですが。(^^)

フィッシュ(Phish)やグレートフル・デッドのように、
スタジオ盤ではちっとも魅力が分からないバンドが
ある反面、XTCのようにライブアクトを拒絶してしまっ
たバンドもありますね。(^^;;


by 水円 岳 (2016-01-09 17:24) 

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