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一年生編 第2話(1) [小説]

3月31日(土曜日)

朝。
ベッドから飛び降りて、部屋のカーテンを引く。
今日もいい天気だ。

僕らは引っ越しが多かったから、荷物が少ない。
収納のスペースがいっぱいあるのに、そこにちょこっとしか
ものが入ってない。
だから、自分の部屋が妙に広く感じて落ち着かない。

新居に合わせて家具や電化製品も新しくなった。
がらっと感じが変わったけど、たぶんすぐに慣れるんだろう
なー。

午前中は部屋の整理を続けて、昼から挨拶回り。

お父さんとお母さんは、大きな紙袋に菓子折りをたくさん入
れて、僕らを呼んだ。

「樹生、実生、挨拶回りに出るぞー。支度しろよー」

引っ越しの挨拶もこれまで何度もしてたから、特にイヤって
こともない。
それにもう引っ越しはないから、これが最後だろうし。

お父さんは同じ並びの一列と、裏のお宅、それに道路を挟ん
で向かいの何軒かの家に、挨拶をすることにしたみたいだ。

うちの家の建ってるこの住宅地は、三年前に造成されたばか
りの新しいところ。住人も、昔っからって人はいない。
だから、すごく気が楽だって。お父さんもお母さんも言う。

森の台ニュータウン。
この住宅地は、ここにあった雑木林を伐り開いて造成された。
あの丘のてっぺんの木立ちは、その名残らしい。

ここを開発した会社は、なくなってしまった緑を少しでも取
り戻して欲しいって、庭を広く取って家を設計した。
ガーデニング好きの人が、思いきり楽しめるようにって。

それって、ちょっと人間の勝手すぎって気もするけど、僕ら
はそこに住んじゃってるから何も言えないよな。

うちの向かって左隣。
家は同じくらいの広さだけど、庭がむっちゃ広い。
それに、庭をとってもきれいにしてる。

いろいろなものが植わっていて、ちょっと変わってる。
あちこちに花が咲いてて、春を楽しんでるって感じ。

お父さんが呼び鈴を押したら、穏やかそうなおばさんが玄関
から出てきてゲートを開けた。
眼鏡をかけてて、細めで、上品な感じの人。

「はい?」

「こんにちは。昨日、隣に入居した工藤幹仁と申します。
ご挨拶に伺いました。これから何かとお世話になります。
どうか、よろしくお願いいたします」

お母さんが、引き継いで言う。

「妻の恵利花です。この辺りはよく知らないので、いろいろ
教えていただけると嬉しいです」

「息子の樹生と娘の実生です。今度高1と中2です。何かと
ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

僕と実生も、よろしくお願いいたしますと、ぺこりと頭を下
げる。

おばさんは、僕らを見てにこにこ笑いながら言った。

「波斗聡子(はと さとこ)です。主人は栄(さかえ)って
言うんだけど、外洋の輸送船の船員だからめったに帰ってこ
れないの。ほとんど一人暮らしみたいなもので、寂しいの。
だから、ぜひ皆さんで遊びにいらしてくださいね」

うわあ。船乗りさんの奥さんかあ。大変そう。
でも柔らかーい雰囲気の人で、お母さんがほっとしてる。

右隣。
こっちは、うちとほとんど同じ作りの家と庭。

庭の方はうちと同じで、ほとんど手が着いてない。
玄関先には、黄色いパンジーのちっちゃな鉢植えが置いて
あって、花がふるふる風に揺れてる。

お父さんが呼び鈴を押すと、子供の賑やかな声と、足音。
そしてドアが開いて、男の子を抱っこした若い女の人が、
ひょこっと顔を出した。

僕らの顔を見て、ゲートの方に歩いてくる。

「あの?」

「こんにちは。昨日、隣に入居した工藤と申します。ご挨拶
に伺いました。これから何かとお世話になります。どうか、
よろしくお願いいたします」

「あら、ご丁寧にありがとうございます。わたしも先月に入
居したばかりなんです。鈴木です。よろしくお願いしますね」

お父さんは、鈴木さんにお母さんと僕たちを紹介した。
鈴木さんも家族を紹介する。

「主人は隆(たかし)と言います。買い物で、ちょっと今出
かけてますけど。わたしは信香(のぶか)。息子は、広明
(ひろあき)。三歳です」

男の子が、ひろちゃんさんさいでーすと連呼してる。
鈴木さんは、明るいちゃきちゃきした感じの人。
お母さんよりずっと若いけど、お母さんとは合いそう。

うちの裏のお宅。

あちこちに盆栽が置いてあって、ちょっと家の感じとミス
マッチかな。

住んでるのは、河野(こうの)さんっていう年配のご夫婦。
ご主人はもう退職されてて、今はボランティアで時々出かけ
るくらいだって言ってた。

奥さんは、すっごくパワフルで明るい人。
肝っ玉母さんって感じ?

その後も、一通り挨拶に回ったけど、まだ入居してないとこ
ろや不在のところも結構あって、全部は挨拶できなかった。
こういうところは集合住宅と違って、面倒くさいなあ。

最後に、波斗さんに聞いた町内会長さんのところに行く。

会長さんって言っても、新しい町で誰も勝手がわからないか
ら、くじ引きで決まったみたい。
年寄りかと思ったら、元気そうなおじさんだった。

「町内会って言っても、まだあちこち穴開きだらけだから、
まあ、ぼつぼつやりましょう。ゴミ出しのルールや行事等に
ついては、冊子にまとめてあるので、それを読んでください」

お父さんは、会長さんの名前を聞き落としたようで、もう
一度確かめた。

「すみません、もう一度お名前を教えてくださいますか?」

「あ、ああ。高井(たかい)です。冊子の方に連絡先を書い
てあるので、何か分からないことがあったら気軽に問い合わ
せてください」

お父さんはお礼を言って、会長さんの家を後にした。

挨拶回りから戻って家でお昼を食べてたら、お母さんが僕に
言った。

「いっちゃん、実生を学校の下見に連れてってあげて。中学
はここからそんなに遠くないんだけど、歩くか、バスを使う
か、びみょーなとこなのよね」

「うん、分かった。ついでに、コンビニとか、他のお店とか
も偵察してくるかな。僕も高校に行く時のルートを確認した
いし」

「じゃ、頼むね。お願い」
 



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