SSブログ

三年生編 第76話(1) [小説]

8月8日(土曜日)

「二週間コースのみなさん、最後まで集中力を切らさず講習
を終えてくださったことに、講師一同お礼申し上げます」

講師陣を代表して、数学の小川先生が壇上で深々と頭を下げ
た。

「ですが、講習を受けて一安心ではありません。あなた方が
ここで学んだことをまだ熱いうちにもっと鍛え上げ、より高
いゴールに向けて結実させて行ってください」

「講習はあくまでもお手伝いに過ぎません。主人公は君たち
なんです。講習後に、ああ終わったと安心してたるんでしま
うと、効果は一瞬でゼロに戻ります。それを肝に銘じて、こ
れからがんがん追い込んでください」

「明日の模試を受けられる方は、得点よりも受講の効果が現
れたかどうかをきちんと検証してください。本番まで半年も
ありません。まだ半年ある、ではなく、もうそれしかないん
です。時間を無駄にせず、最後の最後まで諦めないで受験に
挑んでくださいね」

「健闘を祈ります!」

ううっす!

先生たちはしっかり発破をかけたけど、受講生の雰囲気はい
ろいろだった。

レベルが上がった実感がないのか、元気がない子。
親にいやいや押し込まれたのか、やれやれもういいやって顔
してる子。
まだ突っ込み足らないのか、指導室に行く準備をしてる子。

でも、みんなに共通していることが一つだけある。
講習が終わったことに、誰も満足していないんだ。

学校の定期試験や模試みたいに、済んだらそれでリセットさ
れるっていう開放感がない。
プレッシャーが一ミリも減らない。逆だ。もっと増えてる。

そういう重苦しさが、講堂にいる受講生全員にべったり張り
付いてるんだ。もちろん、僕にもね。

「ふう……」

いつもなら合宿所の暑い部屋に戻りたくなくて、日が落ちる
まで自習室で粘るんだけど。
今日は、すぐに帰ることにした。

合宿所に宿泊するのも、あとは今晩だけ。
とんでもなく長いように思えた二週間も、あっという間だっ
たんだ。
それは……家に帰れる安堵感よりも、時の流れの速さと無情
さをこれでもかと僕に焼き付ける。

僕は、その二週間を本当に有意義に使えただろうか?
今さら反省しても後悔しても、もう間に合わない。
でも。ほんの十分でいいから、今回の合宿所暮らしが僕に何
を刻み込んだのかを改めて確認したかったんだ。

もう二度と戻ってこない、高三の夏休みの一ページとして。


           −=*=−


「おう、終わったのか?」

予備校から戻ってきたら、重光さんが箒で庭を掃いていた。

「講義は全部終わりました。あとは、明日の模試だけです」

「そうか。きちんとこなせたか?」

「こなせました。それが身についたかどうかは、明日で分か
ります」

「そうだな」

掃き掃除の手を止めた重光さんは、竹箒をひょいと肩に担い
で背を向けた。

「講堂に来い。最初と最後に説法だ」

最初のは終わってるから、これが重光さんとの最後のやり取
りになるってことかな。

「立水はいいんですか?」

「あいつは月末までいる。その時に個別にやる」

ああ、そうだった。あいつは四週コースだったっけ。

「部屋にカバンを置いて、すぐ行きます」

「その前に」

ん?

すたすたと庭を横切った重光さんは、門の横でどっさりオレ
ンジ色の花を着けているノウゼンカズラの塊の前に行って、
そこで足を留めた。

「おまえは、これが何か知ってるか?」

「ノウゼンカズラですよね?」

「そうだ」

重光さんが、箒の柄で株元を指し示した。

「元気が良すぎてな。放っておくと、寺ごと飲み込まれちま
う」

「強剪定されてるんですか?」

「ぎりぎりまで切り詰める。それでも、ここまで茂っちまう
んだよ」

「へえー」

「のうぜんてぇのは、空を凌ぐっていう意味だそうだ」

竹箒を突き上げた重光さんが、夏空をぐるぐるとかき回した。

「たった一夏で、無からここまで立ち上がる。これでもかと
大口を開いて、己を叫ぶ」

ぐるっと首を回した重光さんは、全力で僕をどやした。

「こいつに負けんじゃねえぞっ!!」

「はいっ!」





共通テーマ:趣味・カルチャー