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三年生編 第109話(10) [小説]

ちょっと微妙な雰囲気になっていたところに、遅れてかん
ちゃんがやってきた。

「ごめん、瑞宝。遅くなった」

「いや、叔父さんも間に合わなかったからおあいこってこ
とで」

「わははっ!」

悪びれずにからっと笑った利英さんは、かんちゃんをぐるっ
と見回してぴゅっと口笛を吹いた。

「男前だなあ」

「おじさーん!」

「いいじゃないか。男親なら、娘のダンナの品定めは定番
だぞ?」

「ううう」

どう反応したものかと変顔していたかんちゃんが、すうっ
と利英さんに頭を下げた。

「桧口完と言います。どうぞよろしくお願いいたします」

「まあ、ざっくばらんにやりましょう。俺は堅苦しいのが
苦手なんで」

「はい」

気さくな人で、ほっとしたんだろう。
かんちゃんの顔に笑顔が戻った。

「ああ、かんちゃんにもお願いしとこう」

一転。いきなりさっきのえげつない話に戻す利英さん。

「瑞宝の親。出所したら、必ず騒動を起こすだろう。瑞宝
に直接関わらせないよう、最大限配慮してほしい」

「存じてます」

「俺も共同戦線を張る。二人だけで抱え込まないように
な。法廷闘争を含め、あらゆる準備をしておく。双方のじ
いさんばあさんにも宣告済みだ」

利英さんの忠告に、かんちゃんがぎっと歯を噛み鳴らした。

「はい!」

「本当なら、こんな身内の恥をさらすような話はしたくな
い。だが、俺らには守らなければならないものがある」

冷めてしまったコーヒーをかぽっとあおって、利英さんが
全員の顔を見回した。

「家族であり。恋人であり、配偶者であり。そして自分自
身も。理由なく他人に侵食されていいものなんか、一つも
ないっ!」

からっとした態度とは裏腹に、そこにはものすごく強い意
志と怨念がとぐろを巻いているように感じた。

「幸福ってのは無条件にあるもんじゃない。責任の上に乗っ
けられるものさ」

「責任……ですか?」

「そう」

先生をすっと指差した利英さんが微笑む。

「逃げ癖、依存癖のある瑞宝が結婚に踏み込んだんだ。当
然、責任を負う覚悟はあるんだろ」

「もちろん」

「なら、大丈夫だ。守られるだけでなく、必死に守れよ」

「うん」

神妙な顔で先生が頷く。

「俺は、自分自身の責任しか負えない。他の誰かの生き方
までは負えない。だから、死ぬまで独りで生きる。それも
また、一つの責任の取り方なんだ」

「……」

「だが、それは孤立して生きるということじゃないよ。自
分の責任を取れる範囲内で人と関わり続ける……そういう
ことさ。いざという時には、誰かの手を借りんとならんか
らな」

「そうか」

「まあ、一人なら一人の。二人なら二人の。大勢なら大勢
の生き方がある。それでいいだろ」

先生が、ふわっと笑った。

「あはは。叔父さん、変わんないね」

「まあな。ずっとこんな感じだよ。おっと、これから打ち
合わせなんだ。済まんな」

「ううん、今度食事に来て」

「そうだな。また連絡する」

僕ら全員の分の勘定にまだ余るくらいのお金を先生に押し
付けて。利英さんは風のように去った。



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三年生編 第109話(9) [小説]

利英さんは、ヒゲだらけの顔をぞりっと手でなぞった。

「俺みたいな連中が溜まってる、デザイナーズギルドって
とこがあってね。置屋みたいなもんだ。そこに来る注文
を、えいやっとさばくわけ」

「へえー」

「仕事は不定期で稼ぎが安定しないし、仕事時間なんてい
う概念はないし、しょっちゅう家を空けるし。瑞宝を後見
しろって言われた時にはどうしようと思ったけどね」

先生が苦笑い。
でも、そのあと真顔でフォローした。

「大野先生は、一番辛かった時にわたしを抱え込んでくれ
た。でも、その時に甘え癖がついちまったんだ。叔父さん
は、わたしの首についてたガイドロープを解いて放牧した
の。だから……立て直せたんだよね」

「そらそうさ。最後まで抱えていられるやつなんかいない
よ。どこにもね」

利英さんが、ふっと目を細める。

「自分の面倒くらい、自分で見ないとさ」

「うん」

先生が、神妙な顔で頷く。

「ただ」

利英さんが、顔をしかめた。

「だからって、なんでもかんでも一人で抱え込んで欲しく
ない。そこは誤解しないでほしい」

「わかってる」

頷いた先生を見て、利英さんが僕らを見回した。

「君らは、瑞宝の昔のことは知ってるんだろ?」

「知ってます」

「じゃあ、話が早い」

ぐんと体を起こした利英さんは、通る声で恐ろしいことを
口にした。

「実の娘の瑞宝に手をかけようとした鬼親は、あと数年で
シャバに出て来るんだ。一生刑務所の中にいて欲しいんだ
が、俺らが刑期を決めるわけじゃないからね」

あ……。

「その時、あいつらに俺らの生活をめちゃくちゃにされる
わけにはいかない。絶対にな!」

唇を噛み締めた先生が、大きくかぶりを振った。

「瑞宝と共同戦線を張る。一人でなんとかしようと思うな
よ。どういう手段を使っても、あいつらとは縁を切る」

直接被害を受けてる先生はともかく、利英さんの拒否反応
は強烈だった。昔なにかあったのかな。
僕の視線に気づいたんだろう。
利英さんが皮肉っぽい薄笑いを浮かべた。

「兄貴に殺されそうになったのは瑞宝だけじゃないのさ。
俺もなんだよ。ガキの頃から、兄貴に命に関わりかねない
攻撃をされ続けててね。唯一の天敵なんだ」

ぐええっ。え、えぐい。

「俺は人を好き嫌いで分けたかない。まあ、でこぼこあっ
ても人ってのは総じて好きなんだよ。でも、どうしても許
容できないやつはいるんだ」

先生がぐんと頷いた。

「それなら、大っ嫌いなやつに全ての恨み辛みを背負って
もらう。そいつからさえ遠ざかることができれば、あとは
屁でもない」

うわ、すごいなあ。

「そこは、俺と瑞宝とで利害が一致するんだ。必ず撃退し
ないとダメだ」

「うん」


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三年生編 第109話(8) [小説]

先生が、僕らの隣のボックスに入ったところで、またドア
ベルが鳴った。

「間に合わんかった。済まん済まん」

どたどたと慌ただしい足取りで入ってきたのは、おしゃれ
な着こなしのおじさんだった。

「いやあ、式って言っても挨拶だけ。短かったから」

「まあ、あとで写真を見せてもらうさ」

先生と親しげに話しているおじさんの顔が、どことなく先
生に似ている。もしかして……。

「あのー」

聞こうとしたら、先生から紹介があった。

「わたしが中高の時に世話になってた、叔父貴の利英さん。
わたしゃ、叔父さんには足を向けて寝られないよ」

「何言ってんだか。毎日俺に足を向けてぐーすかねくたれ
てたくせに」

「おじさーん、ばらさないでー」

全員、あっけ。

「うっわ。なんか、先生のクウキによく似てますね」

僕が突っ込んだら、先生がしらっとひっくり返した。

「逆。わたしが叔父さんに染まったの。叔父さん、本当に
自由人だから」

「わははっ!」

からっと笑う利英さん。
そっかあ。こう、なんつーか、細かいことどうでもいいみ
たいな、自由な雰囲気。
結婚式に出るって言う割には服はカジュアルだし、髪もヒ
ゲもぼさぼさだ。

コーヒーを注文した利英さんは、僕らをぐるっと見回した。

「瑞宝の生徒さんかい?」

「何人かはね。みんな、部活の子たち」

「ああ、顧問やってるんだっけ」

「そう」

「こいつが顧問だと大変だろ」

にやにやしながら利英さんが、先生を指差す。
先生が真っ赤になった。

「いい加減が服着て歩いてるみたいなやつだからなー」

「ばらさないでよう」

「てか、先生。最初はそういうキャラでしたよね」

「む……」

僕の含み笑いを見て、先生がぷっとむくれた。

「そうだけどさー。昔からずっとそうだと思われたくない
じゃん」

「まあな」

利英さんは、それ以上突っ込んでイジらない。
空気がいい意味で軽い。なるほどなあ……。

「あのー、利英さんはどんなお仕事されてるんですか?」

聞いてみる。

「俺かい? フリーのデザイナーだよ。フリーだから貧乏
でね」

「へえー!」

実生が興味津々で身を乗り出した。

「どんなものをデザインされてるんですかー?」

「いろいろだよ。パッケージ、ロゴ、フォント、フォー
ム……なんでもありだ」

「すごーい!」

「いや、すごかないよ。なんでもやらないと食ってけない
から」


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三年生編 第109話(7) [小説]


無事にお披露目が終わったということで、高校生メンバー
でリドルになだれ込んだ。

「それにしても。先生も相変わらずだよなあ」

僕がぶつくさぼやいたら、かっちんがすかさず突っ込んだ。

「いつも通りだろ。あんなもんだと思う」

「そう?」

「大上段にとか、かしこまってとかが苦手なんだよ。俺と
同じだ」

「それって、まるで僕は得意みたいな言い方じゃん」

「ちゃうの?」

なっつにも突っ込まれて、思わずうなる。

「ううー」

「きゃはははっ!」

しゃらと実生は揃って笑い転げてるし。

「お兄ちゃんてば、何気にじゃなくて思い切り偉そうなん
だもん」

「げー」

「でも、それはポーズなんだよね」

しゃらが、さらっと言った。

「先生がちゃらんぽらんを装うのと同じ。ポーズ」

しゃらは、僕だけでなくみんなを見回した。

「ここにいる全員、そうでしょ? わたしもだし」

「だな」

かっちんが、頭をばりばりかき回しながら認めた。

「そうやって自分を守ってるんだもん。しょうがないよ」

そう。
しょうがない。
しょうがないで済むこと、済まないことはあるけど。
でも、自分を壊してまで変えなきゃならないことは、そう
多くない。

かんちゃんの挨拶がそうだったよね。
もう削れないって。

弱いってことを武器にして欲しくはないと思う。
だって、その弱さを誰もが認めてくれるわけじゃないから。
でも、だからと言って自分を鉄筋コンクリートの建物に作
り直せっていうのは無茶な話だよね。

僕らが自己防衛のために使ってるポーズっていうのも、そ
ういうものなんだろう。
役に立つことも、害になることもある。
だから、効果を見極めながら自分で調整しなさい……それ
しかないんだろうな。

ポーズっていう言葉にトラップされて、みんな腕組みポー
ズをしてたところに、ドアベルの音が響いた。

ちりんちりん。

「ううー、肩凝ったー」

あ、中沢先生じゃん。

「あれ? かんちゃんと一緒でなくていいんですか?」

「林さんに捕まってる。わたしはちょい野暮用があって、
ここで待ち合わせ。ああ、さっきはありがとね」

「いえー、和服もすっごい似合ってましたよー」

しゃらがむふふ顔で先生を持ち上げる。

「あんなの、三十分が限界。式で和服着るやつの気がしれ
んわ」

どわはははっ! 大笑い。


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三年生編 第109話(6) [小説]

ぱちぱちぱちっ!
大きな拍手の音に、僕は溜息を紛れ込ませた。

先生を甘やかさなかった?
違うよ。僕は共倒れしたくなかったんだ。

僕は子供。先生は大人だ。
その大人が、大人のふりをして僕を抱きかかえ、抱えきれ
なくなって放り出したら。
その時に傷つくのは誰? 先生じゃない。僕なんだよ。
僕は、最初から今までずっとそれを警戒してただけ。

逃げるな!
それは本来、先生が僕らに言わなきゃならない言葉でしょ?
逆にしてどうすんのよ。

でも。そういう先生のダブルスタンダードに誰もが気づく
わけじゃない。
僕やしゃらは、ものすごく傷ついていたから見抜けたん
だ。
元西先輩みたいに、もともとガッツのある人は気付かな
かったと思う。

親に愛されたことのないかんちゃんは、人の奥底を僕ら以
上に鋭く見抜く。
先生の甘さや弱さはちゃんとわかってる。
先生が、かんちゃんの背負ってるものの少ししか肩代わり
できないってことはもう悟っているだろう。

いつも隣にいてくれるだけでいい。
それが……かんちゃんのずっと望んでいたこと。
だから、押し続けることも引き続けることもしないと思う。
それでいいんじゃないかな。

僕の苦笑をちらっと見た先生は、ばつが悪そうに視線をそ
らすと、もう一度略式の挨拶をした。

「本日は、ありがとうございました。これからも、どうぞ
よろしくお願いいたします」

ぺこり。

柔らかい拍手の音が響いて。
しゃらの一家の退場とともに、ギャラリーの輪が緩やかに
解けた。


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三年生編 第109話(5) [小説]

一度口を結んだかんちゃんが、ギャラリーをぐるっと見回
した。

「再出発にあたり、これまでお世話になった大勢のみなさ
んにどうしてもお礼を言いたい」

最初にかんちゃんが頭を下げた方向には、千広ちゃんを抱
いた五条さんと背広が似合わない年配のおじさんがいた。
確か、刑事さんだよな。
えーと……なんていう名前だっけ。

「五条さん、いや今は中塚さんですね。そして穴吹さん。
自暴自棄になっていた私を親身になってどやしてくださっ
たご恩は、一生忘れません」

「御園さんと中塚さんのご一家をはじめ、私をずっと激励
してくれた商店街のみなさんにも、心から感謝いたしま
す。そして」

かんちゃんが僕を見て、ふっと笑った。

「瑞宝との出会いを導いてくれた工藤さんには、重ね重ね
お礼申し上げます」

ううう。そっちかーい!
大勢のギャラリーが一斉にげらげら笑って、場が和んだ。

ふっと一回顔を伏せたかんちゃんが、ゆっくり顔を上げた。
今度は笑顔ではなかった。厳しい表情。

「まだ……後悔も懺悔もいっぱい抱えています。でも、そ
れに今を食われたら。私のあげられるものが何もなくなり
ます。精一杯手を動かし、いっぱい話をすることで、もう
少しましな私にしたい」

「これから、もっともっと精進いたします。どうぞ、よろ
しくお願いいたします!」

最後は、すぱっと芯の入った声だった。
僕らはそれに盛大な拍手で応えた。

かんちゃんは、隣にいた中沢先生の手を一度ぎゅっと握っ
た。
先生は、その手を握り返して。一歩前に出た。

「みなさん、ありがとうございます」

緊張しているのか、セリフが出てこない。

「ええと。なんだっけ」

どおっ! 大爆笑!

「あはは。まあ、そんなこんなで。洋装と和装で二回も結
婚式をしてもらえました。とても幸せです」

先生が、ゆっくりとギャラリーを見回す。

「わたしもかんちゃんも一番近しい人に裏切られ、ひどく
傷ついてきました。でも……」

「その欠けた部分を、もっと大きな、もっと豊かな、もっ
と暖かいもので埋められたことを。一生忘れたくありませ
ん」

先生が、きゅっとかんちゃんの腕を取った。
そしてさっきのかんちゃんと同じように、ギャラリーの中
から誰かを探し出そうとするアクションをした。

「一番わたしが辛かった時に、縁もゆかりもないわたしと
千咲に寄り添ってくれた大野先生。親代わりにわたしの面
倒を見てくれた叔父の利英さん。そして、わたしと同じよ
うに大きな傷を抱えながら、決してわたしを甘やかしてく
れなかった工藤くん」

先生がじっと僕の顔を見据える。

「ありがとう。心から感謝します」


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三年生編 第109話(4) [小説]

お父さんがにっこり笑った。

「いや、かんちゃんはまじめで働き者です。私の心配なん
か必要ないんですけどね」

くすくす笑い声が広がる。

「それでも、いろいろな意味で過去にけじめをつけて、こ
れからの人生を前向きに二人で乗り切っていってほしい。
それが……私からのささやかな激励です」

お父さんが、かんちゃんの背中をぽんと叩いた。

「頼むな」

かんちゃんは涙涙で、頷くことしかできなかった。
今度は椅子に座っていたお母さんが口を開いた。

「みなさん。瑞宝さんの衣装がなぜ白無垢じゃないのと思
われたんじゃないかと」

あ、そう言えば。色打掛だ。

「白無垢は、生家との別れ。色を捨て、婚家に染まる覚悟
を示すもの。でも、お二人ともすでに生家がありません」

し……ん。
場が水を打ったように静まる。

「これ以上色を失ったら、何も残らないんです」

お母さんが、二人に向かって微笑む。

「いついかなる時も、お二人揃って自分の色を失わないよ
う。いつまでも自分の色を手放さないよう。あえて色打掛
をご用意しました」

お母さんが、すっと頭を下げた。

「どうか、お二人で素敵な色を作り上げてくださいね」

親に捨てられたかんちゃんと、親から裏切られた中沢先生。
二人とも、喪失感ははんぱなかったと思う。
でも、そこが今白地だからこそ受け入れられる感動という
のもあるんだろう。
少なくとも……僕はそう信じたい。

かんちゃんも中沢先生も、揃って涙涙になってしまった。
少し苦笑したお父さんが、大きな声を張り上げた。

「ああ、めでたい席なのに、そんなに泣いちゃいけません。
さあ、みんな。美男美女と一緒に写真を撮りましょう。ちょ
いと先生の化粧直しに時間をください」

感極まったかんちゃんと中沢先生の気持ちが落ち着くのを
待ってお色直しが行われ、ぴかぴかの店の前に立つ新郎新
婦との写真撮影会になった。
二人きりでの前撮りっていうのもいいけど、こういう賑や
かな撮影会もいいよね。思い出になるし。

十五分くらいわいわい言いながら写真を撮って、そのあと
新郎新婦からそれぞれ挨拶してもらうことになった。

「じゃあ、まずかんちゃんから」

「はい」

緊張の面持ちで、一度咳払いをしたかんちゃんが深くお辞
儀をして前に一歩出た。

「本日は……当店の新装開店にお集まりいただき、まこと
にありがとうございます」

もう一度深々とお辞儀をしたかんちゃんは、顔を上げると
わずかに苦笑を浮かべた。

「本当は。御園さんに『私の店』と言えと言われていたん
ですが。どうも尻がむずむずするもので。済みません」

わははははっ!
一斉に笑い声が響いた。
その笑い声で緊張が少しほぐれたのか、かんちゃんの顔が
いつもの優しい顔になった。

「自分の取り分はちゃんと主張しろ。御園さんから、いつ
も言われてます。そうしないと、受け取れるものも誰かに
取られてしまうぞと」

ふっ。
小さな溜息の音が響いた。

「そうですね。私はもうこれ以上自分を削れません。私
は……本当はそんなに優しい人じゃない。そんなにいっぱ
い人にはあげられないんです」

「それに気づかせてくれた御園さんに。そして、私の過去
をご存知の上で髪を扱わせてくれたみなさんに。心からお
礼申し上げます」


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三年生編 第109話(3) [小説]

まじめなお父さんらしい、おちゃらけ一切なしの挨拶だっ
た。
ギャラリーから一斉に拍手が沸き起こった。

「さて!」

もう一度、お父さんが声を張り上げた。

「本来ならこれで挨拶おしまいなんですが、今日は、こっ
からの方が大事なんです」

なっつが、お母さんにそっと椅子を勧めた。
応じたお母さんが、ほっとしたように腰を下ろす。

「御園理髪店は私がゼロから作り上げてきましたが、則弘
も沙良もここを継ぐことはありません。私もそれは望みま
せん。床屋っていうのは職人商売です。志のないやつが、
床屋をやっちゃいけないんです」

一度口を閉ざしたお父さんが、ぐるりとギャラリーを見回
す。

「でもね。私はついてました。私の代で終わりになるはず
のこの店に、後継者ができたからです」

お父さんが看板を指差した。

「私は腕が落ちたと自覚するまでは、店に立つつもりです。
でもね、先々看板はかんちゃんに譲ります」

おおおっ!
驚きの声が上がった。

「かんちゃんがうちの店に来たばかりの頃、かんちゃんは
うちの店の従業員でした。でも、今は違う。今回の新装
オープンにあたって、かんちゃんは共同経営者になってい
ます。店の上がりだけじゃなく、借金も仲良く半分こなん
ですよ」

「人に使われるんじゃなく、オーナーとしてプライドを
持って店をやろう。そういう覚悟を……二人で確かめまし
た」

「でね。先々私が引退するまでの間に、一緒にやりたいと
いう仲間を探してくれ。かんちゃんには、そう言ってあり
ます」

ぱちぱちぱち!
いつの間にか拍手が起こり、それがみんなに広がった。

「どうか。私らにくださったご厚情を、かんちゃんにも注
いでやってください。よろしくお願いいたします」

ひときわ大きな拍手が響く中、突然かっちんのお父さんが
ダミ声を張り上げ始めた。

「高砂や この浦船に帆を上げて
月もろ共に出汐の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖こえて
はや住の江につきにけり
はや住の江につきにけり」

低い地響きのような声は、何人かのおじさんたちの合唱に
なって、あたりを埋め尽くした。

その歌声をかき分けるようにして、和装のかんちゃんと色
打掛を着た中沢先生が緊張の面持ちで歩いて来た。
僕とかっちん、なっつと実生が、それぞれ緋毛氈の布を敷
いて二人を店の前に導く。

うわあ……中庭で即席結婚式をやった時の洋装もきれい
だったけど、和装だと美男美女の取り合わせはひときわ目
立つ。すげえ……。

しゃらのご両親の間に立った二人を、お父さんが改めて紹
介する。

「みなさん。もうご存知だとは思いますが、かんちゃんと
瑞宝さんは、もう籍を入れて一緒に暮らしています。でも
ね、結婚式はしていないし、その余裕もない」

「今は、地味婚どころか式をしないカップルも増えている
そうですから、まあそれでもいいのかとは思いますが……」

「式ってのはけじめです。共に歩くことを簡単に投げ出さ
ない。そういう覚悟をみんなに示す場です。私はそう思っ
ています」

「男女同権と言いますが、私はやっぱり男の甲斐性という
ものを主張したい。責任を持ってきちんと働き、女房子供
を食わせる。その覚悟を示すのが式の一つの役割だと思う
んです」


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三年生編 第109話(2) [小説]

「いっき、おせーぞ!」

息急ききって店の前に駆け込むなり、かっちんにどやされ
た。

店の前は黒山の人だかり。そりゃそうだよね。
商店街だと、開く店より閉まる店の方が多いんだ。
こんな風に大々的にオープンをアピールすることが少なく
なって、全体としては寂れていってる。
だから、みんなわくわくしてるんだろう。

「わりぃわりぃ。母さんに捕まっちゃってさ」

「いいけどよ」

「みんな揃ったの?」

「揃ってるよ。いっき待ちだったんだ」

ううう。
済まんこってす。

しゃらのお父さんが僕を見て、小さく頷いた。
すぐに始めるってことなんだろう。

「みなさん!」

礼服をぴしっと着こなしたしゃらのご両親と、リックさん
の結婚式の時のスーツを着たしゃらが、店の前で横一列に
並んで小さくお辞儀をした。

「本日は御園理髪店リニューアルオープンにあたり、たく
さんのお祝いと激励の言葉を頂戴いたしました。あつくお
礼申し上げます」

お父さんが、ぴかぴかの店舗を振り返ってぐるりと見まわ
した。

「私がこの商店街でお世話になって二十年あまり。その間
に、いろいろなことがありました」

お父さんの表情は柔和だけれど、いろいろの中身が半端じゃ
ないことはみんな知ってる。
集まった人たちはみんな小さく頷いた。

「最初は、女房子供を食わせることで精一杯でした。きっ
と、愛想のないあんちゃんだと呆れられていたと思いま
す。私はまじめに仕事に励んできましたが、店を保たせて
くれたのは私の腕じゃなく、家内です」

お母さんが、少し照れたように笑った。

「そのまま静かに時が流れてくれれば。どんなにか、そう
願っていたことか。でも神様仏様ってのは、時として無慈
悲な運命を押し付けます」

笑顔を消したお父さんが、ゆっくりギャラリーを見回した。

「則弘がトラブルに巻き込まれて失踪。沙良がひどいいじ
めにあい、女房は身体を壊し、私は店を潰した。失意の最
中に私たちを支えてくれていた義母が病死しました」

「なんで。なんで私らだけがこんな目に。そう思わなかっ
たと言ったら嘘になります」

ふっと漏らした息の音が、はっきり聞こえる。

「でもね、そんな私らがこうやって店を再興できたのは、
不幸以上に幸運があったからです。林さんに店を貸しても
らい、かんちゃんが来てくれて、商店街のみんなや沙良の
友達が私らを助けてくれた。私らは……恵まれています」

お父さんの顔に笑顔が戻る。

「床屋ってのは客商売です。髪を切るだけじゃなく、そこ
でいいものをやり取りしないと意味がない。私がへたばっ
ていた時に林さんにどやされたことを、もう二度と忘れる
ことなく。これから来店してくださる方には、髪が目減り
した分、明るい気持ちをお土産を持って行ってくれればな
と。そういう心がけで精進してまいります」

親子三人が、揃って深々と頭を下げた。

「どうか、倍旧のご愛顧をよろしくお願いいたします」


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三年生編 第109話(1) [小説]

10月3日(土曜日)

「うん。いい天気になってよかった」

リビングの窓から、きれいに晴れ渡った秋空を見上げる。
しゃらのお父さんの理髪店が、いよいよ今日から再出発になる。
スタートの日がすかっ晴れだと、幸先いいもんな。

「いよいよオープンなのね」

朝食を運んできた母さんの声が背中にぽんと当たった。
振り返って答える。

「そう。今日はお披露目だけで営業はしないみたいだけど
ね」

「ふうん。明日から? 日曜なのに?」

「しゃらんちは水曜定休なんだ」

「これまでも?」

「ずっと前は知らないけど、林さんとこ借りてやってる時
はそうだったよ」

「日曜にはしないのね」

「お客さんの層を広げたいみたい。年配の人ならいつが休
みでも関係ないけど、勤めてる人は日曜に店やらないと来
てくれないからね」

「そっかー」

「かんちゃんも、前に働いてたところが水曜定休だったか
ら違和感ないって言ってたし」

「奥様と休みを合わせるのが大変そうね」

「はははっ!」

思わず笑っちゃった。

「あの二人なら、何曜日が定休でも関係ないよ。熱々で毎
日が日曜だもん。それに」

「うん」

「先生は基本怠け者のインドア派だから、二人でどっか行
くっていっても、この辺りの散歩で済んじゃうし」

「ばばくさー」

お母さま。うちの親父もそうだってばさ。

「いいじゃん。それぞれのスタイルってのがあるんだから
さ」

「まあね。そういや、実生はまだ寝てるの?」

ああ、そうか。
母さんには、今日の詳細を知らせてなかったな。

「開店早々に営業しないのは、ちゃんと訳があるんだ」

「へ?」

「開店に合わせて、店で先生とかんちゃんの結婚式をやる
んだよ。実生はしゃらと一緒に先生の補助に行ってる」

「ちょっとっ! そういう話はもっと早く言ってよっ!」

ぶわっと母さんが沸騰する。
まあ、式を大々的にやるなら手伝い頼むけどさ。

「結婚式って言っても、どっかの式場でお客さん呼んでや
るって感じじゃないんだ」

「え?」

「そりゃそうでしょ。かんちゃんも先生も、身内が誰もい
ないんだもん」

「あ……そうか。そうだったね」

母さんの怒りの火は、さっと鎮火した。

「じゃあ、挨拶だけって感じ?」

「それに近いと思う。ただ、その挨拶がすごく大事なん
だって聞いてる」

「どして?」

「しゃらんちの理髪店は、先々かんちゃんが跡継ぎになる
からさ」

「ああっ! そうかあ!」

「でしょ? お父さんは、しゃらに継がせる気はないの。
御園理髪店という名前も、かんちゃんの代からは桧口理髪
店になるんだ。今のうちから、そういうのをアナウンスし
ておこうっていうわけ」

「すごいなあ。歌舞伎の襲名披露みたいだ」

「わははっ!」

うん。なんか、そんな感じ。
暖簾分けもいいけど、こういう形で店をつないでいくって
いうのもいいなあって思っちゃう。

寿庵とかも、そうなるんだろうなあ。
中村さんから長岡さんへ。
でも中村さんが言っていたように、継ぐのは店そのもの
じゃなくて、精神なんだろう。
いくらもうけたか……じゃなくて、どれくらい自分の理想
に近づけたか。いい菓子が作れたか。

青臭いって言われるかもしれないけど、心を受け継ぐ生き
方にはすごく憧れるし、自分もそういうのを目指したいな
と思うんだ。

「いっちゃん、ぼーっとしてたら遅れるよ? さっさと朝
ご飯食べて!」

「おおっと! まずいまずい!」


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