SSブログ

三年生編 第99話(10) [小説]

僕は意外だった。
レンさんの強い依存癖を一度徹底的に壊して、自我を作り
直させる。
藤崎先生はレンさんに、自分の生命をかけて厳しいリハビ
リを強いた。
そのあまりに強烈なリハビリプランの直撃で、レンさんが
心の中から藤崎先生を外せなくなっちゃったかなーと思っ
たんだ。

でも、レンさんのさっきの話しぶりは冷静だった。
藤崎先生の遺した処方箋は、確かに強力だと思う。
でも亡くなってしまった藤崎先生が、レンさんを直接指導
し続けることはできない。
リハビリプランはレンさん自身で作らないとならないし、
今その課題にちゃんと取り組んでいるように見える。

むしろ僕の方が、レンさんと藤崎先生をセットにして考え
すぎていたのかもしれない。

それなら、僕も発想を変えよう。

「ねえ、レンさん」

「はい?」

「レンさんの言ってる依存癖。それって、僕から見ると違
うように思えるんです」

「どういうことですか?」

「人が恋しい。誰かが側にいて欲しい。自分を理解して欲
しい。受け止めて欲しい。それって、依存じゃないです
よ。人間として当たり前の感情だと思うな」

「……」

レンさんが、じっと黙り込む。

「僕が最悪のイジメを受けてた中学の頃。周囲にいる人た
ちがみんな敵に見えました。でも。そんな強烈な人間不信
があっても、高校に入った途端にばたばたっと友達が出来
た」

「そうなんですか」

「ええ。自分でも不思議だったんですけどね。だけど、今
思えば」

「ええ」

「僕はものすごく寂しかったんですよ。壊れる寸前まで」

「分かります」

ふっと。レンさんの溜息が漏れる。

「そういう寂しさが外からちゃんと見えると、それが人と
の間に立ってる壁を低くするみたいです。だからレンさん
には今、仲のいい人たちがいっぱいいるはず」

「ええ、確かにそうですね。上司や同僚には、本当に恵ま
れています」

「患者さんにもモテてるでしょ」

「おじいちゃん、おばあちゃんばかりですけどね」

あははっ。

「そうなるのは、レンさんに依存癖があるからじゃないで
すよ。今のレンさんなら、人が集まるのは当たり前だと思
う。だって、自分を見て欲しかったら、わかって欲しかっ
たら、自分を噛み砕いてとっつきやすくするしかないもん」

「なるほどっ!」

「でも、穂積さんにはそうできないんですよ」

「どうしてですか?」

「僕の中学の時と同じ。周りにいるのが全員敵に見えるか
らです」

「……」

「伯母も今のカウンセラーさんも、ちゃんと穂積さんの面
倒を見てくれてる。これからは、ご両親がしっかりケアし
てくれるでしょう」

「ええ」

「でもね。穂積さんにとっては、それは彼らが背負いこん
だ厄介な『義務』。わたしはお荷物。本当はみんな、わた
しなんか要らないと思ってる……そういう発想からどうし
ても抜け出せない。誰もが自分に敵意を持ってると感じら
れてしまう」

「……厄介ですね」

「中学の時、まさにそうでした。ほぼ一年間、誰とも口を
利きませんでしたから」

「ご両親は?」

「触れませんよ。僕はそのまんまハリネズミ」

「うわ……」

「でも穂積さんには、僕みたいに針を立てるガッツがな
い。その分、自分を削ってしまうんです」

「あっ」

「だから病気になっちゃった。僕はそう思ってます」

「なるほどなあ」


nice!(61)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(9) [小説]

「レンさーん、ケアしてくれる人はプロ。お医者さんと同
じです。その人を信頼することは出来ても、友達にはなれ
ないんですよ」

「あ、そういうことかー」

「はい」

「うーん……」

さっきは僕がうなったけど、今度はレンさんがうなったき
り黙り込んじゃった。

ふっと短い吐息が聞こえて、それからレンさんがぼそぼそ
と話し出す。

「いや、お見舞いくらいで済むなら、会って話をするのは
全然構わないんですが、そのあと私に倒れ込まれるのは
ちょっと……」

うん。そうだよなあ。

「私がものすごくどっしりしっかりしているなら別ですけ
ど、相変わらず依存癖丸出しの寂しがり屋ですからねえ。
あれだけ弥生にどやされたのに、あんまり改善してなくて」

そうかなあ……。
僕は、一度携帯を下ろしてでっかい溜息をついた。

「ねえ、レンさん」

「はい?」

「亡くなった藤崎先生のことを、悪く言いたくないんです
けど」

「……」

「先生、厳しすぎるんです」

「やっぱり」

え? びっくりした。
今度は、レンさんが苦笑してるみたい。
かすかに吐息が漏れてきた。

「私も、あとで院長に聞かされたんですよ。弥生はリハビ
リ科の担当医から外される寸前だったみたいなんです」

「あ!」

「患者さんへの再起圧力が強すぎる。リハビリには硬軟両
方の推進力が要るんですけど、その柔らかい部分が全然足
りない」

「ううう、それって、伯母さんと同じじゃん」

「そうなんですよね。でも、ガン家系で自分も罹患歴のあ
る弥生は、いつも死の恐怖と戦ってた。自分のリハビリと
患者さんのリハビリを重ねたら、どうしても自他に厳しく
なっちゃうんです」

「でも、藤崎先生には親がいましたよね?」

「お父さんが。優しそうなお父さんでした。ずっと弥生の
ことを気にしていたんでしょう。でもね、家族がいても支
えにならないことがあるんです。どんなに家族が支えてく
れようとしても」

「え? どうしてですか?」

「支えられると、立とうとする気力がなくなるからです。
ご隠居のところにいた私と同じですよ」

「あ……」

「介助の手を拒めば、どうしても孤立する。寂しくなるん
です。私みたいに弱音を吐き出せなければ、自分を尖らせ
ないとやっていけません」

「それで、立てるリハビリプランがきつくなっちゃうって
ことかあ」

「はい。弥生の厳しいやり方は、ぐだぐだだった私が自立
するには必要でしたけど、みんなにそれが通用するわけで
はないので」

「そっかあ」


nice!(50)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(8) [小説]

「でも穂積さんにとっては、心底信頼出来る相手が行長さ
んしかなかった。その行長さんが糸井先生と結婚したこと
で、無条件に心を預けられる人が誰もいなくなったんです」

「うーん……そうかあ」

「僕やしゃらの場合、家族がずっと拠り所になってる。僕
らはその安心感があるから、それ以外の人との付き合いに
チャレンジ出来るんです」

「なるほど!」

「でも、今の穂積さんには防波堤がない。全く知らない人
ならまだしも、かつて自分の迫害者だった両親を受け入れ
る余裕はまだないですよ。絶対にない!」

「ええ。分かります。それでですね」

「はい」

「今、工藤さんが言われたのと全く同じ説明を、ご両親か
ら受けたんです」

「レンさんが、ですか?」

「はい」

どうにも理解できない。
だって、穂積さんとレンさんの間にはほとんど関係がない
んだもん。
一昨年と去年、クリスマスパーティーで会っただけじゃん。

一昨年は穂積さんがまだ行長さんとつるんでたし、去年は
穂積さんが伯母さんちで潰れてた。
二人がプライベートな付き合いをするどころか、電話なん
かで会話する機会すらなかったと思う。

ああ、そうか。だからレンさんがとまどってるんだ。
なんで、俺が? ……って。

「うーん」

「奇妙な話ですよね?」

「はい。なんでいきなりレンさんにぶっ飛んで行ったのか
が」

「そうなんですよ」

「……あ」

ぴんと来た。
ああ、そうか。分かった。そう言うことか。

「ねえ、レンさん」

「はい?」

「レンさんが、高瀬さんのお屋敷を出た直後に、うちに来
ましたよね?」

「あ、そうでしたね」

「穂積さん、それと同じ状況なんじゃないかなあ」

「ふむ……」

「穂積さんは、まだご両親を受け入れることはできない。
でも、他に頼れる人が誰もいない」

「うん」

「だから、自分を好意的に見てくれてる人を親しい順に並
べて、そこから立場的に頼れない人を外していったんじゃ
ないかと」

「うんうん」

「理解者のおじいさんはもう亡くなってるし、糸井先生と
結婚してる行長さんはアウト」

「確かに」

「伯母には突き放されちゃった」

「ええ」

「僕やしゃらは穂積さんより年下の未成年なので、僕らに
は倒れこみようがない」

「そうですね」

「それに、僕やしゃらは家族とうまく行ってるので、どう
してもひがみが出ると思います。あんた方はいいよねーっ
て」

「……」

「前の職場や学生時代の友達を頼れるようなら、こんな事
態にはなってないと思います」

「うん、そうだろなあ……。私もそうだから」

「ですよね? そうしたら、接点がごくわずかでも、フラ
ンクに話が出来そうなレンさんくらいしか頼れそうな人が
思いつかなかった。んで、レンさんのことを口走った」

「ああ、それをご両親が聞きつけたってことか……」

「そう思うんです」

「うーん」

「たぶん……ご両親も、まだ直接穂積さんには触れないん
じゃないかなあ」

「分かります。そこでちらっとでも昔の支配関係が顔を出
したら、全部ぱあってことですよね?」

「そうです。どうしても間にクッション役の人を一枚噛ま
したい。藁にもすがるような気持ちで、レンさんに打診し
てきたんじゃないかと」

「でも、今は施設でケアをしてくれる人が付いてるんです
よね? その人じゃダメなんですか?」

思わず苦笑いしちゃった。


nice!(67)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(7) [小説]

ぐわあっ!
どっごーん! ベッドから転がり落ちちゃった。

「いてて……うっそおおおっ!」

「本来娘の世話は、赤の他人のわたしではなく、親のあな
たたちがやるべきだって」

「いや、それは筋としては分かるけど、その両親が穂積さ
んの最大最強のストレッサーじゃないすか!」

「ですよねー」

いつものレンさんなら、必ず混ぜっ返しただろう。
でも、レンさんの口調には緩いトーンが一切混じっていな
かった。

「ううー、伯母さんもなあ……」

いや、伯母さんの考えてることは分かるよ。
穂積さんは、どこかで親との距離の調整に挑まないとなら
ない。
両親が揃ってケアに向き合う姿勢を見せてる今が、絶好の
チャンスだってことは分かる。

でも、それは穂積さんの状態が少しでも上がっていれば、
でしょ?
今までどん底低空飛行の穂積さんが、急に浮上するはずな
んかないよ。
だって、穂積さんは全部なくしちゃったんだもん。

行長さんも、仕事も、穏やかな生活も、友達も……。
ぜーんぶなくなっちゃった。
病気でなくたって、健康な人でも絶望的な状況なんだ。

唯一の命綱だった伯母さんの代わりに、これまで天敵だっ
た両親が押し付けられたんじゃ……もっとひどくなるじゃ
ん。

「ううー」

ああ、そうか。伯母さんは焦れたんだな。
どこかで穂積さんの状態に変化が見えたら、そこから一気
に反転攻勢をかけられる。
でも、穂積さんはずーっと潰れたままなんだろう。

もし弓削さんのことがなければ、伯母さんは穂積さんの回
復を辛抱強く待ったんだろうけど、変化は穂積さんより弓
削さんの方に早く来たと見た。

弓削さんを取り囲んでいるのは、妹尾さん、恩納先輩、り
ん、ばんこ……みんな優しくて明るいケアスタッフなん
だ。
迫害を受け続けてきた弓削さんにとって、今は天国みたい
な状況だと思う。
それでいい変化が起こらないわけはない。
間違いなく上げ潮が来てるんだろう。

この先、どうしてもケアスタッフが入れ替わってしまう。
そうなる前に、一歩でも半歩でも駒を進めておきたいって
ことなんだろなあ。

今まで弓削さんを家の中にずっと隠してきたのに、外に出
して慣らしを試したのは、弓削さんの変化がはっきりして
きたから。
伯母さんとしては、そのタイミングを絶対に逃したくない
んだろう。

当然、伯母さんの意識は、全く変化のない穂積さんから離
れてしまう。
もう成人しててオトナなんだし、ずっと潰れたままならケ
アの母体が誰になったって同じでしょ。
そんな風に、見切られてしまったんだ。

「はあっ……どう考えても、あのご両親じゃ無理ですよー」

「そう思われますか?」

「うん。いや、社長もお母さんも、ちゃんとケアの基本は
勉強したはずだし、これまでみたいにでかい態度を穂積さ
んにばんばんぶつけることはないと思うんですけど」

「そうですか?」

「ええ。二人とも、とても意志が強い方なので。でもね」

「はい」

「一度自分に向けられた敵意や圧力の意味を考え直すって、
すっごく難しいんです」

「どうしてですか?」

「相手がどんなに態度を変えても、その変化が信じられな
いからです」

「……ああ。そうなんですね」

「はい。レンさんの場合、高瀬さんも糸井先生もすごく誠
実な人たちで、レンさんの敵側に回ることは一度もなかっ
た。そこに絶対的な拠り所があった」

「間違いなくそうです」

レンさんがきっぱりと即答した。
その口調に、二人に対する揺るぎない信頼感がくっきり浮
き出る。


nice!(53)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(6) [小説]

目をつぶろうとしたら、ドアがノックされた。

「うい?」

「お兄ちゃん?」

ああ、実生か。

「どした?」

「だいじょうぶ?」

細くドアを開けた実生が、心配そうに首を突っ込んだ。

「少しましになった。このまま寝るわ。明日から連休だし」

「そだね。おやすみなさい」

「うーい。おやすみー」

ぱたん。

「ふう……」

ここに越してきてから微妙に僕との距離を確保してきた実
生が、今になってその空いてしまった距離を不安視してる。

人間て、ほんとにめんどくさいね。

◇ ◇ ◇

そのまま翌朝まで寝るつもりだったんだけど、枕元の携帯
が鳴って目が覚めた。

「お? 薬が効いたかな?」

横になる前よりはだいぶ楽になってる。

「しゃらかな?」

学校には行ったってだけで、結局早退しちゃったから、気
になったんだろう。

相手の番号を確かめないでそのまま電話に出た。

「ういー」

「工藤さんですか?」

男の人の声が聞こえてぎょっとする。だ、だれっ?

「あ、うー。そうですが……あ、レンさん?」

「すいません。寝てました?」

あっちゃあー。すっかり忘れてた。

「ごめんなさーい。僕からかけるって言ってたのに」

「いえ、頭痛は治まったかなーと」

「まだ、じわっと残ってるんですけど、薬は効きました」

「よかったです。じゃあ、今話しても大丈夫ですか?」

「おっけーです」

レンさんの口調が、ちょっといつもと違う。
明るくも暗くもなく。こう、なんつーか、迷ってるっぽい。
困ってる感じ。

「実はですね」

「はい」

「穂積さんのご両親が、私のところに見えまして」

「へっ?」

なんじゃとてーっ?

「な、なんでまた」

「穂積さん、入院されてたんですね」

そっか。
去年のクリスマスの後は、レンさんと穂積さんには接点が
ないもんな……。

「ちょっとね、どつぼっていうよりも病気で」

「うつ、なんですよね」

「はい。伯母が療養施設に移してケアしてたみたいなんで
すけど……。ずっと面会謝絶で」

「そう伺ってます」

「その施設を出たってことなんですか?」

「ええ。でも、まだ状態がよくないようで」

だろうな。はんぱなヘコみ方じゃなかったから。

「本来なら、まだ施設から出せる状況じゃないみたいなん
ですが」

「何か支障があったんですか?」

「土屋さんが、ケアの統括役から降りたんです」



nice!(63)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(5) [小説]

今日の発作はしつこいなー。
夕飯が済んでも、頭痛が治らない。

これまでと違って、イミグランがばちっと効いてくれない
のが辛い。
薬を飲まないよりはずっとましなんだけど、頭痛の脈動が
消えてくれない。
痛みの強さよりも脈動の気持ち悪さが気になって、いつま
でたってもすっきりしない。

ずぐん、ずぐん、ずぐん……。

「いっちゃん、まだしんどそうだね」

いつもなら容赦なくちゃかす母さんが、珍しく心配顔だ。

「うん。こんなのは初めてだなー。今までは、野口先生に
診てもらって薬飲んだらすぐよくなってたから」

「もう一回、救急で行ってみる?」

「いや、そこまでじゃないよ。痛みはずいぶんましになっ
てるの。でも、なんつーかこう、頭の中にでっかいポンプ
があって、それがぼっこんぼっこん騒音出してる感じで」

「うげえ……」

実生が、信じられないっていう顔をした。

「まあ、明日から休みだし。連休中は少しのんびりする
わ。これまで進路絡みでプレッシャーあったのも、影響し
てたかもしれないし」

「そうだよね。めりはりつけなきゃ」

「そうする」

「模試は?」

「連休中は入れてない。健ちゃんやひよりんの関係で行き
来があるかもしれないなーと思ったから」

母さんが呆れ顔で僕をつついた。

「あんたもまめねえ」

「いや、僕の方からはアクションを起こさないよ。あくま
でも、保険さ」

「そうね。最後は自分でこなさないとならないんだし」

「うん。さて、僕はまた横になるわ」

「無理しないんだよ」

「へえい」

真っ暗な部屋の中。ベッドの上に転がって、すぐに布団を
かぶる。

カラダは正直だ。
今まで、僕自身では大丈夫だと思っていたいろんなこと
が、そろそろ入れ物いっぱいになってたんだと思う。

さゆりんのことも、日和ちゃんのことも。
そして、まだ不安定さを引きずってるしゃらのことも。
さっき母さんが言ったみたいに、それは『僕』の問題じゃ
ないんだ。
最後は、みんなそれぞれでけりをつけなければならない。
分かってるよ。僕だってそうだったんだし。

でも、あとはよろしくって突き放すこともできず。
僕に任せろって抱え込むこともできず。
ものすごーく中途半端な位置にいろんなものが置かれてて、
僕自身が全然整理できなかったんだ。

そこから来るストレスが、そろそろ満杯になっていたんだ
ろう。

「受験がなければ……ね」

そう。
僕にとっての一番厄介ながらくたは、僕自身なんだ。
僕が抱え込んじゃってる難題を片付けないと、僕はどこに
も動けない。誰にも手を差し出せない。

今、頭痛が警告していることは、まさにそれなんだろう。
おまえが壊れたら、何の意味もないからなって。

「ふう……わかってるさ」

弓削さんのことだって、穂積さんのことだってそう。
僕にもう少し余裕があれば、僕なりに出来ることを探れる
と思う。
でも、今は自分自身のことで精一杯。ずっと側にいるしゃ
らのことですら、全然こなし切れてない。

あっちもこっちもはできない。
誰にでもいいかっこしーするわけにはいかない。
自分に何ができるかじゃなく、自分をどうしないといけな
いか……そう考えないと、関わった人にかえって迷惑をか
けちゃう。

「……」

それでも。
ここに越してきてから出会った人たちは、どんどんチャン
スをものにしてる。
ちゃんと自力でトライして、結果を出してる。
僕が最初から最後まで手伝ったなんてのは、一つもない。

五条さん、中沢先生、会長、宇戸野さん、あっきー、北尾
さん……そして、しゃらも必ずそうするだろう。

最後は自分。自分に返ってくるんだ。
僕に何ができたか。僕は何をしないとならないか。

「うん」

最後に自分で始末をすること。
みんながそうしてきたように、僕もそうしないとならない。
それなら自分で自分をきちんと動かせるように、しっかり
空きスペースを確保しておかないとね。

だから、今は眠ろう。
頭痛の警告が治るまで。



nice!(46)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(4) [小説]

「ううー」

やっぱり看護師さんの言ったのは正解だった。
最初ほどひどくないにせよ、頭痛が完全には治っていない。
支払い待ちの間に痛みが少しずつぶり返してきて、とても
授業なんか受けられるような状態ではなくなった。
素直に帰って、すぐ寝よう。

「今日は……効きが悪いってことかあ。とほほ」

「工藤さん?」

背後から声をかけられて、慌てて振り返る。

「あ、レンさん。お久しぶりですー」

「また頭痛ですか?」

「はい、久しぶりの大発作で。きっついっす」

「あらら……お大事にね」

挨拶だけですぐに行くのかなと思ったんだけど、レンさん
は何か言いたそうだった。

「何かあったんすか?」

「いや、大したことではないんですけど。工藤さんの体調
のいい時にまた」

大したことではない、か。
それでも、レンさんにはスルーできないことってことだな。
うーん、なんだろ?

「じゃあ、頭痛が落ち着いたら僕の方から電話します」

「助かります」

レンさんが、急がなくてもいいって言わなかったこと。
それなりに緊急度があるってことだろう。
でも、すっごい切羽詰まっていればもっと早くに僕に電話
が来たはず。レンさん自身のことじゃないのかな?

とかなんとかいろいろ考えてるうちに、支払いの順番が来
ちゃった。

「工藤さん、工藤樹生さん、3番窓口までお越しください」

おっと……。

◇ ◇ ◇

真昼間に制服でうろうろすることには、すっごい違和感が
あるんだけど、今日だけはしょうがないね。
もっとも顔をしかめて痛みをこらえてる僕が、これから遊
びに行くように見える人なんかいないと思う。

這うようにして家に帰り着いたけど、家には誰もいない。

「そっか。母さんもパートだな」

自分の家なのに、まるで泥棒として侵入するみたいな心持
ちで、びくびくしながら鍵を開け、家の中に滑り込む。
そんな僕を出迎えたのは、ただ静寂だけ。

いるべき人がいない。
人の気配や話し声がしない。

「ふう……」

それは、ずっと前からわかっていたこと。
来年僕がここから出れば、僕はいやでも静寂の中に身を置
かないとならない。
僕が欠ければ、この家もその事実を受け入れざるをえなく
なる。

実生が涙にしないと消化できない、どうしようもない喪失
感。それが……僕にもじわりとのしかかってくる。

「調子が悪いとろくなこと考えないね。さっさと寝よっと」

階段をわざと足音を立てて駆け上がり、ジャージに着替え
てベッドに転がった。

夕飯までには治ってくれるといいけどな。

「いててて……」



nice!(62)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(3) [小説]

バスでの移動の時も、揺れるたびにその振動が神経に触る
感じで、辛いのなんの。
病院に着くまでの時間が、とんでもなく長く感じられる。

「ううー、つ、着いたー……」

問診票書くのすら辛い。
それでも、待ち合いのベンチに座れたのはラッキーだった。
大発作の時は、立っているのが本当にしんどいから。

連休前の病院だからめちゃめちゃ待たされると思ったんだ
けど、頭痛外来はそれほどでもなくてほっとする。

「工藤さん、工藤樹生さん、中待ちにお入りください」

お? 順番が来そう。助かる……。
中に入って十分もしないうちに診察になった。
頭痛はピーク。吐きそう。

野口先生は、僕を一目見て顔をしかめた。

「うわあ、しんどそうだなあ」

「めがとん級ですー。ううー」

久しぶりの発作だということと、イミグランの点鼻薬を
どっかにしまいこんじゃって見つけられなかったとことを
伝えて、処置してもらった。

また点鼻なのかなあと思ったら、今度は注射。
それだけ、僕が本当に辛そうだったみたいだ。
吐き気止めの飲み薬も一緒に服用。

いっちゃん最初の大発作クラスだよ。とほほ……。

「工藤さんの場合、薬が効きだすのが早いから、痛みがま
しになるまで少し横になってたらいいよ」

野口先生にそう勧められて、素直に従うことにした。
正直、動くと吐きそうだったし。

氷のうを頭にあてて簡易ベッドでマグロってる間にも、他
の患者さんが次々にやってくる。
聞くつもりじゃないんだけど、やり取りが耳に入っちゃう
んだよね。

そして、頭痛を訴えてくる人の全部が全部、偏頭痛じゃな
いんだなってことが分かる。
場合によっては、おっかない病気の可能性もあるんだよな。

頭痛持ちになっちゃったっていうのはすっごい不幸に思え
たけど、まだ偏頭痛で済んでるって考えた方がいいのかも
しれない。

二十分くらい横になっている間に、これまでよりは少し時
間がかかったけど少しずつましになってきた。

「ふう……助かった。これなら午後の授業に出られるかも」

そう言いながら起き上がったら、ビニールカーテンを開け
た看護師さんに、すかさずダメ出しされた。

「工藤さん、ちゃんと安静にしとかないと、薬切れた途端
にまた痛くなるわよ。イミグランは服用間隔あけないとな
らないんだし」

ううう、その通りですね。
無理は禁物かあ。素直に帰宅します。くすん。

服装を直してベッドから降り、先生にお礼を言って診察室
を出た。

「ありがとうございました」

「お大事にね」



nice!(58)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(2) [小説]

「うーっす……」

甘くなかったか……。
バスに乗ってる間に、頭痛の脈動が大きくなってきて。
やっぱりロキソニンは効かなかった。

「おい、いっき。おまえ、めっちゃ顔色悪いぞ」

言われなくても分かってるわい。
ヤスが心配してくれるのは嬉しいんだけど、その声すらも
頭痛を増幅しちゃう。

「ううー、頭痛がはんぱね」

「帰った方がいいんちゃうか?」

「とりあえず、一時限だけは死ぬ気で受ける」

「まともに聞けないんちゃうの」

ごもっとも。

「いっきー、やっぱ無理しない方がいいよう」

しゃらも泣きそうな顔をしてる。
それだけ、誰から見ても僕の状況がよくないってことなん
だろう。

「まあね。えびちゃんのリーディング終わったら、保健室
経由で病院行くわ」

なんとかなるかと思ったけど……吐き気がしてきた。
ぐ……うう。これは……もうヤバいかも。

予鈴がなって、朝のホームルーム。
教室に入ってきたえびちゃんが、僕の顔を見るなり即座に
命令した。

「工藤くん」

「ふぁい」

「退場」

そうだよなあ……。やっぱり無理だったか。

「保健室経由で病院に行きます」

「どこ?」

「佐古丸総合病院です。頭痛外来があるので」

「分かった。すぐに行って」

あーあ、結局迷惑かけちゃったな……。
母さんが言ってたみたいに、素直に病休にしとけばよかっ
た。

先生に一礼し、しゃらにちょっとだけ手を振って。
教室を出た。

ずぐん、ずぐん、ずぐん……。

「いででででで」



nice!(56)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三年生編 第99話(1) [小説]

9月18日(金曜日)

朝。

僕は、ベッドの上で頭を抱えていた。
いろんなごたごたに収束する見通しが立って、嬉しい出来
事がいくつか続いて。
本当なら、気分すっきりやる気満々になるはずなのに。

「ううー」

そういう時に限って偏頭痛の発作。
しかも、今日のはごっつーでかそうだ。
どうしようもなく痛くて我慢出来ないってほどじゃないけ
ど、もうずきずきの脈動は始まってる。
これからどんどんひどくなっていく予感がする。でも……。

「休みたくないんだよなあ」

今日一日しのげば明日から休み。しかも連休だ。
その間は自分でペース調整出来るから、今日くらいはなん
とかこらえたい。

よたよたとベッドを下りて、鎮痛剤を探す。

「ううー」

ロキソニンはすぐに見つかったけど、発作が出ちゃったら
効かないのはもう実証済み。
そして、前に野口先生に処方してもらったイミグランの点
鼻薬が、どこを探しても出てこない。
頭痛がなければそのうち思い出すんだろうけど、今は無理。

「しゃあない。強行突破するかあ……」

顔をしかめながら制服に着替えてリビングに降りる。

「あれ? いっちゃん。調子悪そうね」

「ひさしぶりの偏頭痛発作」

「病院に行く?」

「そうなるかもしれない。保険証持ってくわ」

「って、病院じゃなくて、学校に行くの?」

「明日から連休だから、連絡事項とかいろいろありそうだ
し。しのげるなら今日一日なんとかしのぎたいんだ」

「まじめねえ。わたしならさっさと休んじゃうけどなー」

さすが、母さん。さもありなん。

「無理するんじゃないよ。周りに迷惑かけちゃうんだから」

とほほ。そっちですか。
でも、母さんの言うのはもっともなんだよな。

「実生は先に出たの?」

「水撒き当番だって言ってたよ」

「あ、そうか」

「ぐずぐずしてたら遅れるよ」

「うう、そっすね」

頭痛のせいで食欲がない。
でも、とりあえずテーブルの上の朝食を全部お腹の中に押
し込んで、ロキソニン飲んで家を出た。

「ちゃりで行かないの?」

「そうしたいけど、頭痛がひどくなった時にはちゃりこぐ
のがしんどいんだ」

「あ、そうなんだ」

「行ってきまーす」

「気をつけてね」

「うい」



nice!(53)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー