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三年生編 第96話(8) [小説]

「はああ……自分から助けてくれって手を差し出してくれ
る人には、なんとかなるよって励ませるですけどね。これ
まで僕はずっとそうしてたんで」

「うん」

「でも、助けてくれって言わない人……いや、それどころ
じゃなく、自分の境遇を考えない人ってのは初めてです」

「……」

「見ての通りで、彼女は間違いなく美少女です。それも同
年代の男の子にもてそうなアイドル系。あの容姿で中身が
ロボットなら、悲劇しか待ってない。そこがね」

「うーん」

「もっと厄介なことがもう一つあるんですよ」

「もっと厄介?」

「そうです。これまでいろいろあっても、今弓削さんは伯
母に後見してもらえてる。ケアを受けられてる。これまで
以上に状況が悪化することはないんです」

「……そうね」

「でも、同じくらい壊れてて、これまで以上に状況が悪化
しそうな人がいるんですよ」

「弓削さんでなく?」

「はい」

「どなた?」

「しゃらの兄貴。弓削さんを、しゃらんちに連れ帰ってし
まった人」

「帰って……きたの?」

「はい。最悪の形で」

「……」

「お兄さんがしでかした行為は、外から見たら悪魔の所業。
でもね、しゃらのお兄さんにも自我がない。自我が徹底的
に壊れてる。弓削さんとの違いはなにか」

「うん」

「成人してる男。そこだけなんですよ」

「……」

「僕は……弓削さんよりしゃらが心配なんですよ。最悪の
状況だったしゃらを、僕や友達、会長、みんなで寄ってた
かって持ち上げた。しゃらはすっごい元気になったから、
みんなはもう大丈夫だって見ちゃう」

「違うの?」

「あいつは今むちゃくちゃしんどいです。実家が賭けに出
た。借金して、新しい店を出すことにしたんです。そのタ
イミングで、お母さんが難病で倒れた」

「う……そ」

会長の顔から血の気が引いた。
会長は、しゃらのお母さんの病気のことは知らなかったん
だろう。
しゃらも、事情をほんの一部の人にしか漏らしてない
から。

「お母さんが具合悪い時には、しゃらが家事をこなさない
とならない。受験勉強して、家事をこなして、バイトし
て……。あいつは、今いっぱいいっぱいなんです。そこに
お兄さんが弓削さん連れて転がり込んできた」

「それは……うーん」

会長は、伯母さんとは違う。
自分もしんどい状況を経験してるから、しゃらの危機的状
況をしっかり認識してくれたと思う。



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三年生編 第96話(7) [小説]

「ふうっ……」

「とてもそんな風に見えないけど」

会長が、弓削さんの表情を見ながら何度も首を傾げた。

「そうなんすよ。弓削さんに会った人は、みんなそういう
印象を持つんです」

「いつきくんも?」

「僕もしゃらもです。実生と同い年なのに礼儀正しいし、
言葉遣いとか姿勢とか、崩れたところが全くないんで」

「ふうん」

「でも、感情が見えないんですよ」

「……」

「僕やしゃらだけじゃない。りんだってばんこだって、な
んらか事情を抱えてます。いや、それはみぃんなそうなん
じゃないかと。もちろん、伯母や会長も含めて」

「ええ、そうね」

「そういうところから出てくる感情。全部は見えなくても、
どっかで漏れますよ。ポーカーフェイスって言われた僕だっ
て、最初から会長に分かるくらいには漏れてます」

「あはは。そうね」

「でも、弓削さんからは一切。そう、誰にも一切それが見
えないんですよ。あの五条さんでさえ、ぶりっ子だとみな
してましたから」

「うわ……」

「見えないんじゃなくて、見せてない。隠してる。そう見
られちゃうんです」

「……。ねえ、いつきくんは、どうしてぶりっ子じゃないっ
てことを見抜いたの?」

「会話が成立しないんですよ。相手の誘導に全部イエスで
答えちゃう」

「ええっ!?」

会長が絶句。

「ああ、これはぶりっ子じゃない。言っちゃ悪いけど意思
のない白痴だ。それが僕の出した結論です」

「それで伯母さまが?」

「はい。伯母は乾いているように見えますけど、ものすご
く情の濃い人です。そうじゃなきゃ、何の関係もないりん
やばんこのサポなんか進んでしませんよ」

「うん」

「ただ、伯母がどんなに弓削さんのことを案じても、壊さ
れ方が半端じゃない弓削さんのケアはお金や力だけじゃ解
決しない。大変……です」

「なるほど」

「弓削さんだけならなんとかなるんでしょうけど、赤ちゃ
んが絡んでしまいますから」

「手放すつもりは?」

「全くないみたいです。弓削さんの拠り所はそこしかあり
ませんから」

「そ、そういう理由……かあ」

「ええ」

「うわ……」

大抵のことはクールに冷静に考える会長が、絶句したまま
動かなくなった。
まあ、ここで何かすぐにああしろこうしろって話じゃない。
会長が弓削さんのことを頭のどこかに置いといてくれれば、
それでいいよね。


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三年生編 第96話(6) [小説]

「そっかあ。少しは改善傾向にあるってことなのかな」

「いやあ」

りんが、顔をしかめた。

「全然だよー。本当ならまだまだ外には出したくないっ
て、伯母さんも妹尾さんもそう言ってる。わたしもそう思
うよー。でも、早めに慣らしを入れてかないと、先々総崩
れになりかねないからさー」

「どゆこと?」

「いくつかあってね」

りんが、心配そうに弓削さんを見遣った。

「まず、来年わたしと妹尾さんが離脱する。わたしは東京
で下宿。妹尾さんは本社復帰」

「うん」

「それまでの間に、最初のメンバー以外のケアスタッフに
慣らさないとさ」

「あ、そっか。それなら、ケアの場所が伯母さんの家だけ
じゃなくなるかもってことか」

「うん。もう一つは、みわちゃんさ」

「だろうな」

「さほちんはみわちゃんにものすごく強い執着がある。そ
の距離を強制的に離しておかないと、さほちんが身動き出
来ないんだよ」

「そうか。将来の仕事とか」

「いや、それ以前に」

りんが、ぎゅっと唇を噛んだ。

「さほちんが母親にされたことを、今度は自分がみわちゃ
んにすることになるの。偏った愛情による強烈な束縛。奴
隷化」

ぐ……わ。
僕が絶句していた間に、りんが忌々しげに首をぶんぶん
振った。

「甘くないわ。これからが正念場だー」

「うーん」

「とゆことで」

「バイト?」

「そ。今日はレジじゃなくて、商品庫の方でプライスタグ
付けるの。仕事は単純作業だし、あたしとばんこも一緒に
やるから、仕事っていうより遊びの延長」

「そっか。それなら、弓削さんでもこなせるってことか」

「まあね。そっちはどうでもいいんだ。それより……」

「うん」

「これまで巴さんの家の中だけにいて、外との繋がりが
ぷっつり切れてたでしょ? 外出た時に、どういうフラッ
シュバックがあるか分かんない。はあ」

「伯母さんは?」

「ついてこないよ。妹尾さんが、陰でサポートしてくれる
ことになってんの」

「三人態勢か」

「そ。まあ、やってみて、だね。リアクションが悪かった
ら、慣らしは延期」

「うまく行くといいけどなあ」

「期待はしてない。焦ってこれまでの苦労を全部ぶっ飛ば
しちゃったら、しゃれにならんもん」

「だよな」

「そゆことで。行ってくらあ」

「おきばりやす」

「何県人じゃ。ぼけえ」

にいっと笑ったりんは、伯母さんちに駆け戻った。
ばんこと一緒に、弓削さんの両脇を固めるようにして待機
してる。
きっと、伯母さんが車を出してくれるんだろう。


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三年生編 第96話(5) [小説]

会長が、伯母さんちの玄関先できょろきょろ辺りを見回し
てる弓削さんをじーっと凝視してる。それから……。

「ねえ、いつきくん。あの子は?」

「……」

どうしたものか。
僕やしゃらと同じで、もし会長が弓削さんの事情を聞いた
ところで、何も出来ないと思う。
それじゃ……興味本位になっちゃうんだよね。

でも、会長もいろいろ事情を抱えてる。
無傷の人ではないんだ。それなら、弓削さん本人に対して
ではなく、伯母さんに対して何か知恵を授けてくれるかも
しれない。

会長は厳しい。
でも、その厳しさは伯母さんの厳しさとは違う。

伯母さんの厳しさは、王様としての厳しさ。
でも、会長の厳しさは谷底から這い上がったものの厳しさ。
性質も使われ方も異質なんだ。

抱きかかえる役は恩納先輩がやってる。ナース役は他にも
見つかるだろう。でも、弓削さんと同じ立場で『ガイド』
できる人がいない。
弓削さんが、ガイド役を王様の位置に置いちゃうから。

伯母さんとは違った視点で、そこに知恵を出してくれる人
がもう一人くらいいてもいいかもしれない。そうしたら、
伯母さんの心理的負担を軽く出来る。

問題は、伯母さんと会長との相性だ。
こればかりは……ね。

徹底してとぼけることは出来るけど、りんがまるっきり弓
削さんを隠すアクションをしてないのは、先々どこかでご
近所デビューさせるってことなんだろう。

まあ……そこは後で伯母さんに確かめよう。
ここでは問題をオープンにするしかない。

「彼女は、弓削佐保さんていう女の子で」

「うん」

「孤児で、もう子持ちなんです」

「!!」

会長が絶句する。

「ちょっと込み入った事情があって、伯母が後見してるん
ですよ」

「そんな崩れた子には……見えないけど」

「いい子ですよ。外見は」

「中身は違うの?」

「中身が……白紙なんです」

「はあ!?」

会長には想像が付かないんだろう。目を見開き、口をぱ
かっと開けたまま、じっと弓削さんを見てる。

「人格を……壊されてるんですよ。死んだ母親と、その後
のろくでなしの男たちに」

「……もしかして」

「弓削さんは、自我がほとんどすり減ってなくなってま
す。命令されないと動かない」

「育児も?」

「そうっすー」

会長にぽんと歩み寄ったりんが、全力で苦笑いした。

「いやあ、最初はすごかったっすよー。人間型ロボットっ
てのは、こういうもんなのかーと思ったもん」

「あの伯母さんが、とことん手こずってたもんなあ」

「んだ。でも、いっきが魔法のコトバを教えたんでしょ?」

「わははっ! まあそれほどのこっちゃないと思うんだけ
ど」

「いや、巴さんも、その絶大な効果に、わあお状態」

「まあねー。だって伯母さんて、何気に態度でかいんだも
ん」

「思い切り態度のでかいいっきにゃ言われたない」

ぎゃははははっ!


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三年生編 第96話(4) [小説]

久しぶりに会長と突っ込んだ話をして。
会長の言葉にどこかほっとしている僕がいた。

どういう生き方を選ぶか。
僕だけでなく、僕の周りの人たちはみんな自分なりに考え
てスタンスを決めてる。それにいいも悪いもないんだ。

外野がいろいろ口を挟むと思うけど、自分でこなして自分
で決めなさい。
会長が言いたいのは、きっとそれだけだと思う。

そして僕にだけでなくて、しゃらにもあっきーにも同じこ
とを言うよね。
会長のアドバイスには、大きなぶれがないんだ。

僕は……それにものすごくほっとする。
さて、そろそろ引き上げよう。

そう思って会長の家の庭から目を離したら、伯母さんの家
のドアがこそっと開いた。

「お? りんとばんこがこれからバイトに出るのかな?」

「伯母さまのところも、みなさんしっかりしてらっしゃる
わねえ」

「伯母は、そういうタイプの子が大好物なので」

「あはははっ!」

会長は、町内会の付き合いがあるから伯母や同居人のこと
はよく知ってる。
直接話してるかどうかは分かんないけどね。
会長も大学生活をバイトしながら切り抜けてるから、伯母
さんとこの下宿生を見る目が優しいんだろう。

とか、のほーんと玄関口を見ていて。
ぎょっとした。

「えーっ?」

思わず大声を出しちゃったよ。
それから……絶句。

「う……そ」

ちょっとちょっとちょっとちょっと!
弓削さんじゃん! もう外に出していいのかあ?
びっくり通り越して、青くなってもた。

会長の庭先で僕が固まっているのが目に入ったんだろう。
りんがスキップしながら走り寄ってきた。

「うーす、いっきぃ。どしたー? そんな景気悪い顔し
てー」

「生まれつきじゃ、ぼけぇ! ってか……大丈夫なんか?」

「だいじょぶも、しょうじょぶも、じょびじょばもないわ。
まあ、いろいろとわけありまくりでさ」

「おう」

「ちと、慣らしを先倒ししよって話になったわけ」

「あの……状態で?」

「もちろん、いきなしどっかで働くなんてのは無理だよー。
あくまでもシミュレーション」

ほっ。

「そゆことか」



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三年生編 第96話(3) [小説]

会長は、視線を僕に戻して柔らかく微笑んだ。

「いつきくんも、御園さんも、亜希ちゃんも。したくない
経験をしてる分、慎重なの。慎重なのと腰が引けてること
とは違う」

「……」

「したくない経験で損なわれたもの。例えば、亜希ちゃん
が失った肉親は二度と取り戻せない。その欠損を甘く見
ちゃだめなの。欠けてるなりにこなせる。そこまで自分の
ポジションを下げないと保たないこともある」

「分かります」

「いつきくんや御園さんは、過去に受けたいじめの反動で、
どこかに強い人間不信感を抱えてる。違う?」

頷かざるをえない。

「自分がされたことを人にはしたくない。だから、二人と
もとても他人に対して優しい。でも、それはあくまでも心
のバランスを取るための錘(おもり)」

相変わらず、会長の洞察は恐ろしいほど鋭い。

「いつきくんや御園さんの優しさの底にあるものを甘く見
て、その気遣いを無造作に扱うと、いきなり強烈なしっぺ
返しが来る。年初の校長先生とのやり取りがそうだったと
思う」

「そうかも」

「でしょ? 辞められた校長先生は、生徒の心を深堀りす
る手間を惜しんだ。そこが甘かったのよ。だから、絶対に
触っちゃいけないいつきくんの逆鱗に触れちゃった。妖怪
の安楽先生とはそこが違うわね」

「あはは……」

「でもね、一般社会だと、安楽先生が特殊。前の校長先生
のタイプの方がずっと多い。だって、自分のことだけで精
一杯な人が多いんだもの」

「ううー、げっそり」

「じゃあ、どうすればいい?」

「あ、そういうことかあ」

「でしょ? 自分のポジションを下げておくのが、一番確
実な対処法なの。いいも悪いもないわ」

うーん、すごいなあ。

「一度レベルを上げてしまうと、トラブルやアクシデント
でそのレベルが下がっちゃった時に現実を受け入れるのが
しんどくなる。でも、逆ならこなせるでしょ?」

「深いです……」

「あはは。まあ、いろんな考え方、選択肢があるってこと
ね」

「会長は、その正反対だったんじゃないですか?」

僕のツッコミに、会長が思い切り苦笑いした。

「あたた。その通り。私は、逆らうことで荒波を乗り切る
生き方を選んだから」

逆らうこと……か。

「それは窮屈だけど、誰のせいにも出来ないの。だから覚
悟もやる気も出る。ただ……」

会長が、庭の一角……小さな十字架を凝視した。

「想定以上の試練が襲いかかってきた時に。どうしようも
なくなる」

「……」

「絶対にこれなら大丈夫っていう生き方なんか、どこにも
ないわ。ない以上、いろいろ安全弁を考えておかないと。
試練で潰されたらそれで終わりよ」

「会長の安全弁はなんだったんですか?」

会長が、嬉しそうに頬を染めて答えた。

「主人よ」

うぷ。ごちそうさまです。
おっと、言い忘れるところだった。

「すっかりお祝いが遅れてすみません。息子さんのお誕生
おめでとうございます!」

「ほほほ。こんなおばちゃんになってから、二人の子持ち
になるとは思わなかったわ」

「ご主人が喜んだんじゃないですか?」

「張り切ってるわー。私は今からげんなりだけど」

会長が、やれやれって顔をした。
男の子二人だもんなあ。あっきーだって、これから家を離
れるんだし。

まあ、会長は挑む人だ。
経験がないってことをネガに考えないんだろう。

「落ち着いたら、赤ちゃんのお顔を見せてくださいー」

「あら。これから見る?」

僕は、慌てて胸の前で腕を交差させてばってんを作った。

「僕だけ抜け駆けしたら、しゃらに殺されます」

「あらあ。今から尻に敷かれてんのねえ」

わはははははっ!



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三年生編 第96話(2) [小説]

「いつきくん?」

蛇腹ゲートのところでちゃりから降りた途端、会長から声
をかけられて、はっと我に返った。

「何かあったの?」

すごく心配そうな顔をしてる。あはは。

「いや、模試の手応えが今いちだったので、ちょっと……」

「あ、そっちかあ」

「はい。もうひたひたと本番が近くなってきたので。聞い
てはいたけど、プレッシャーがはんぱないす」

「そうよねえ……」

「会長の時はどうだったんですか?」

「私? そうねえ」

ぐいっと腕を組んだ会長が、少しずつ高くなってきた空を
見上げる。

「一般入試で行ったから、他の受験生と全く同じだったと
思う。予備校通い、模試、進路相談、受験勉強……フル
コースね」

「そっかあ」

「女子校だったけど、高大一貫じゃないから受験生はみん
な必死よ。今も昔も同じじゃないかな」

「なるほど。田貫市だと聖メリアがそうかあ」

「そうね。若槻さんにもお話を伺ったけど、いくら進学
校って言っても、やっぱり三年生だけは別世界になると言
われてたわ」

そのままじっと空を見上げていた会長が、ぽつりと呟いた。

「受験の形が様変わりしてるみたいだけど、人生の早い段
階で大きな試練を経験するっていうのは、とても大事なこ
とだと思う」

「そうなんですか?」

「そう。今までの親がかりの生き方から、自分で考えて組
み立てた生き方に大きく舵を切る。それが受験の意味じゃ
ないかなあと。私はそう思ってる」

ふうん。

「あっきーはどうなんですか?」

「成績がいいし、本人に上昇志向や成功志向があるなら、
尻を叩くわ。でも」

「はい」

「亜希ちゃんには、未だに心の基盤がない」

「……」

「その状態で、自他を高次で比べる人たちの中に入ると、
間違いなく潰れる」

ぞっ……とした。

「あまり難しいことを考えない人たちの中に紛れ込んで、
べたなやり取りの中で自分の居場所を作る。それを無理な
く出来るところの方が、亜希ちゃんに向いてると思うの。
今のぽんいちが、まさにその環境なのよ」

「そっか。それで武道系のところが志望先なんですね」

「そう。学力的には楽勝よ。でもうちを出て下宿するな
ら、そのこと自体が大きなプレッシャーになる。どこかで
ストレスレベルを下げてバランスを取らないと」

「うん」

「御園さんもそうでしょ?」

ああ。確かにそうだ。

「同じですね。しゃらなら追い込めばもっと高レベルのと
ころを狙えると思うけど、今の家の状態じゃがんばればが
んばるだけストレスになっちゃう」

「ね? そういうこと」



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三年生編 第96話(1) [小説]

9月12日(土曜日)

「行ってきもあーす」

「おきばりやす!」

「へいへい」

いきなり関西弁に凝りだした母さんが、妙ちくりんな激励
を口にした。
思い切り突っ込み入れたいところだけど、残念ながら時間
がない。

「今日は、どっち?」

「記述式の方。しんどい」

「しっかりやんなさいな」

「うす」

天気は上々。湿度が下がって、からっとした晴天だ。
外で体を動かしたい時に模試ってのは、なんか残念な気が
するけどしゃあないね。

蛇腹ゲートを出る時に、視界の端にちらっと会長の姿が入っ
た。

「少し落ち着いたのかな? おっと、急がなきゃ」


 ◇ ◇ ◇


「ぎ……ぎづい」

午後三時過ぎに模試の会場を出た僕は、完全によれよれ。

本番が近付くにしたがって、どんどんハードルが高くなっ
ていく。はんぱねー。
こりゃあ、センター試験の持ち点配分高いとこじゃないと
絶対に無理だわ。

追い込めばレベルの高いところも狙えるかもっていう欲
を、今のうちに完全に消しておこう。
それは安全策でも守りでもない。僕が手に入れたい未来を
確実に取りに行く作戦。
だって、うちの家計じゃ逆立ちしても浪人は無理だから。

いや、お金のことだけじゃない。
予備校通うにしても宅浪にしても、僕の性格だとすぐに考
え過ぎて行き詰るだろう。
医大受験に失敗して引きこもっちゃった長岡さんのお兄さ
んのことなんか、何も笑えなくなると思う。

そういや、あのへたれたお兄さんもどうなったんだか……。

「ふう」

受験ていう大きなハードルが目の前にどででんとあると。
人のことをえらっそうに言ってた自分がいかにクソ生意気
だったか、よーく分かる。

きれいごとじゃないね。
突きつけられたゲンジツは、好き嫌いや善悪には一切関係
ないんだ。
それをこなせたかこなせなかったかっていう事実だけが冷
酷に残る。

こなせないならあきらめなさい。
そういう『結果』が出るだけなんだ。
論評するってこと自体がナンセンス。

長岡さんのお兄さん、しゃらのお兄さん、元原……。
なんだかなあと思ってしまうよわよわな人たちがいて、そ
れを冷ややかに見てる僕がいて。
でも、それって僕が、あいつらよりはマシだよなっていう
安心材料にしてただけなんだ。
そっち側をいくら見ても、僕にはなんのメリットもない。

受験ていうごまかしようがないでかい試練に向き合うと、
意識を研ぐっていうことの難しさを強く感じる。

挑んで力を注いだことに、見合った結果を出す。
僕はそれにきちんと集中しないとならないし、誰かと比べ
て安心してるようじゃ、まだまだ……。

そんなことをもんもんと考えながらちゃりをこいでた僕
は、ものすごく不機嫌そうに見えたのかもしれない。



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三年生編 第95話(6) [小説]

「ただいまー」

「おかえり、いっちゃん。遅かったね」

「英語の勉強法を先生に相談してたから」

「ああ、そうだったんだ」

「実生は?」

「部屋で勉強してるよ」

「お、珍しい」

「一学期の数学で赤出しちゃったから、しゃれにならな
いってさ」

「そうなんだよなあ……まあ、来年はコース編成が変わる
から少し楽になると思うけどね」

「そう?」

「文系でしょ。理系科目はうんと少なくなるよ」

「そっかー。そういうところは、これまでより楽なのか」

「いや、これまでも二年の時の教科選択でかなり調整して
たけどね。それが最初からコースで固まる感じ」

「実生はほっとするでしょ」

「そう思う」

「ああ、そうだ。いっちゃん」

「なに?」

「週末に、滝乃ちゃんが日和ちゃん連れて遊びに来るって」

「……」

「いや?」

「まさか。お盆の時に話がもう出てたから」

「……何かあったの?」

「そう。さゆりちゃんの家出の話がもっと深刻だったか
ら、その時はさらっとスルーだったんだけどさ」

「……どっち?」

「ひよりんの方」

「どっち系?」

「菊花ちゃんロスでどつぼ」

僕も母さんも、同時に溜息をついた。はああ……。

「まあ、うちだっていろいろあったからね。偉そうなこと
は何も言えないよ」

「そうよね……」

工藤の方も斉藤の方も、みんなすごくタフな人ばかりだと
思ってた。
でも実際は、みんなタフな部分しか表に出してなかったん
だよな。僕は、わたしは、大丈夫だよって。

心を寄せ合える優しさ。それが多ければ多いほど、一方で
は困難を自力で乗り切るタフさが減っていっちゃうのかも
しれない。
さゆりんのへたれも、結局そこが原因だったし。

「まあ、あんま難しい話はしないで、愚痴聞くさ。そこか
らでしょ」

「あはは! そうね」

「あ、そうだ。母さん」

「なに?」

「玄関横のクレオメ。植えたの?」

「まーさーかー。前にプランターで仕立てたやつの種がこ
ぼれたみたいで、勝手に生えてきたの」

「へー」

「最初はクレピスかなんかなーと思ってたら、どんどんで
かくなってさー」

「わははははっ!」

「でも、横に広がるわけでもないし、咲き姿はかわいいか
ら、そのまま置いとく」

「うん。いいんちゃう? 涼しげだし」

リビングの窓から漏れる部屋の明かりを受けて、ふわっと
した花弁が闇の中に見え隠れしている。

威圧感のない、柔らかな印象の花冠。
それだけ見れば、クレオメがすごくタフな草だってことは
分からない。

それと同じで。
僕らも何から何までタフにする必要はないし、そうするこ
とも出来ない。
だけど、穏やかさや優しさ、緩さだけでは解決しないこと
が、誰にでもあるんだろう。

こぼれ種で増え、トゲで身を守っているクレオメのよう
に、逆境を跳ね返すタフさを備える必要があるんだろう。

「さて。晩ご飯食べたら部屋にこもるから」

「おっけー。夜食は?」

「いらない。食べたら眠くなるんだ」

「眠くならないメニューにするから大丈夫だよ」

「へ? そんなんあるの?」

「激辛」

ひりひりひり。そんなタフさは要らん!




cleom.jpg
今日の花:クレオメCleome hassleriana


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三年生編 第95話(5) [小説]

えびちゃんと結構話し込んじゃった。

職員室を出て教室に戻ったら、もう明かりが消されてて、
中はしんと静まり返っていた。

ぱち。
教室の明かりをつけ、自分の席の椅子を引いて座る。
それから机に肘をついて、真っ暗になった教室の外に目を
やる。

「学園祭……かあ」

お祭りは、めんどくさいことを何もかも忘れて全力で楽し
みたい。
僕だけじゃなくて、多くの生徒はそう考えてるはずだ。

例えばさ。
学園祭の翌日に期末試験があったら、誰も学園祭なんかま
じめにやらないよ。それどころじゃないと思っちゃう。
しんどいことを乗り越えたあとに、そのうさを全部晴らせ
る楽しいことが待ってる……イベントの良さって結局そこ
だと思うんだよね。

で、三年生だけはどうしてもその順番を逆に出来ないんだ。

受験、進路、そして……卒業。

冷徹でしんどいハードルが目の前にどどんと立ってて、そ
れを飛び越えなさいって否応なしに尻を叩かれる。
イベントすらもハードルの一つになっちゃう……そういう
感覚。

三年前半を消化して、強く思ったことがある。

僕だけでなく、ぽんいちの生徒に共通してある雰囲気。
ゆるいだけじゃない。僕らには徹底的にタフさが足りない
んだ。

学校や先生の圧力に、噛み付き、吠えること。
それはタフさなんかじゃない。単なる条件反射だ。
外から加えられる圧力を受け入れ、消化した上で、それ以
上の果実を得ようとするのがタフだってことなんだ。

学園祭だってそうさ。
学校が用意してくれるのは、粗末な入れ物だけ。
おまえらには、これくらいでいいだろうって。

それに対して冗談じゃないって噛み付く暇があったら、僕
らならこうするんだっていう、もっとでかくてぎらぎらす
る企画を立てないとなんない。

そうするには、タフさが要る。

高校ってところは、勉強も大事だけど、本当はそのタフさ
を鍛える道場だったんじゃないかなって。
……思ったりする。

「お? 工藤。まだ残ってたんか」

「ああ、立水か。えびちゃんに進路指導で相談してた」

「お、そうか」

「立水は、まだ部活やってたん?」

胴着のままのしのしと教室に入ってきた立水が、汗臭さを
振りまきながら俺の真向かいにどすんと座った。

「十月の秋季大会前に引退さ。練習もそろそろ最後だ」

「ああ、そうかー」

「おまえんとこは?」

「三年の義務は一学期で全解除。あとは出来る範囲で協
力。まあ人数が人数だからね」

「すげえな。五十人越したんだろ?」

「ああ。七十人以上。ただ、三年の割合が結構多い。二年
が少ないから、ちょいバランスがな」

「贅沢だ」

「ははは!」

「ああ、そうだ。ロングホームルーム。助かった。ありが
とよ」

「ただこなすだけもつまらんと思ってさ」

「そうなんだよ。俺がぶち上げたんじゃ、余計盛り下がる」

分かってんじゃん。まあ……立水だからな。

「枠はどうすんの?」

「アタマを取りに行く。途中でやったんじゃ目立てん」

「そらそうだ。最後なんだし、派手にぶちかまそうぜ!」

にいっと笑った立水が席を立つなり、俺の背中を目一杯ど
やした。

ばしいっ!

いてて……。

「俺はぐだぐだやんのはごめんだ! 最後までばり全力で
行くぜ!」

「おうよ!」

「じゃな」

「ばい。また明日な」

「うす」

ご機嫌な立水が、のしのしと教室を出て行った。

「あいつも引退かあ……」

何にでも全力の単純熱血バカ。
あいつをそう見るやつは多いだろう。
でも、あいつはタフだ。不器用だけど、ものっそタフだ。
虚勢を張るんじゃなく、持っているエネルギーを容赦なく
ぶちまけて、しゃにむに外圧を押し返せる。

あいつの姿勢が極端に見えてしまうこと。
それ自体が……ぽんいちの抱えている深刻な病巣なんだろ
うなと。

僕は、そう思う。


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