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三年生編 第90話(5) [小説]

「うわ……」

一目見て、進くんのやんちゃぶりが分かる部屋になっていた。
おもちゃは散乱。壁にはあちこち傷と染みが。
進くんがいたずらしそうな緑ものは、室内から全部一掃されて
いた。

最初に会長の家のリビングを見た時には、ものすごーくおしゃ
れだなあと思ったんだけど。
今なら、仮住まいのしゃらんちと大差ない。

でも……僕はそれを見て、すっごい安心出来たんだ。
寂しさをグリーンで埋めていたみたいな空気が……もうどこか
らも感じられなかったから。

まだ父さんが転勤を繰り返していたころ。
僕と実生が一番安心出来たのは、狭くてごちゃごちゃしている
宿舎の部屋だった。
自分の家なんだから、自分と他人を区別しなくていいんだよっ
ていうごちゃまぜの空気は、狭い宿舎の中にしかなかったんだ。

まるで猫が何匹かだんごになって寝るみたいな、そういう感覚。
僕も実生もほっと出来たその空間が、会長の家のリビングにも
そのままある。

思わず笑顔になった。

「あははははー。やっぱ子供仕様になるんだよなー」

「はっはっはあ! そんなもんだよ」

津川さんが、顔をしわだらけにして笑った。

「あたしも、こういうのには一生縁がないと思ってたけどねえ。
人生、分からんもんだ」

え?

僕がぽけらったのが見えたんだろう。
進くんを抱いたまま、津川さんがぐるりとリビングを見回した。

「今回の聡ちゃんの出産を機に。あたしが同居することにした
んだよ」

「この先ずっと、ですか?」

「そう」

「わあお!」

「はっはっはあ! まあ、現実的な線だと思うよ」

現実的、かあ。

「栄ちゃんは、一年の半分もここにいない。亜希ちゃんも、来
年ここを出るだろ?」

「そっかあ。会長一人じゃ……」

「小さい子二人見んのは無理だよ。足がないんだしさ」

津川さんは、大きな溜息を一つ床にごろんと転がした。

「はあっ! それでも、あたしがもし店を続けられたんなら、
迷ったんだけどさ」

「何かあったんですか?」

「うちの隣で喫茶店やってた宮ちゃん、宮野さんが……去年
の暮れに突然亡くなったんだ」

う……。

「うちは、出す料理一切任せてたからね。宮ちゃんなしじゃ
あ、やってけない。そのあとずっとうちも閉めてたんだ」

「そうだったんですか……」

「これから人を入れてやるには、あたしがもうトシなんだよ。
聡ちゃんがいた頃とは違う。あたしに、そこまでの元気は残っ
てないの」

津川さんが、寂しそうに目をつぶった。

「そろそろ店ぇ完全に閉める頃合いなんだろなあと思ってたか
らね。その話を聡ちゃんにしたんさ。そしたら、一緒に住まな
いかって誘われて」

うん。会長らしいな。

「あたしにとっては、聡ちゃんも栄ちゃんも子供みたいなもん
だよ。聡ちゃんたちもそう思ってくれるなら、あたしはうれし
い」

津川さんが、進くんのほっぺにちゅっと唇を付けた。

「こうやって毎日孫を抱けるし。もう天国だあ! はあっはっ
はっはあ!」

相変わらず豪快なおばあちゃんだー。

そうだよね。
会長が本当に欲しかったのは……こういう母親だったんだろう
な。
でも、お母さんが悪かったわけじゃないし、今さら時間を巻き
戻すことも出来ない。

家族っていうパーツが、最初からあるわけじゃない。
集まったパーツが家族になる……そういう形もあるんだろう。
そして僕は、そのどっちが幸せなのか分からないなあと思う。

とろけそうな顔で進くんを抱いていた津川さんが、ぽろっと
こぼした。

「四十年以上続けてきた店ぇ閉めるのは、すごく寂しかった。
あすこは、あたしの家だったからね。店に来てくれるお客さん
があたしの家族だ」

「はい」

「でも、家族はうちにずっといてくれない。みんな、それぞれ
別に帰る家が……誰かが待っててくれる家があるんだよ」

「あ……」

「家がないってことを思い知らされて、残り人生くすませるの
はねえ」

「しんどいですね」

「だろ? だから、こうやって思い切れたんだ。あたしにも家
が……家族が欲しい。どうしても欲しい」

津川さんが、にっこり笑った。

「神様はちゃんと見ててくれたよ。本当にありがたいことだ」


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三年生編 第90話(4) [小説]

うちやしゃらの家だけでなく、会長の家もほとんど壊れていた。
そして、誰もがそれでいいとは思っていなかった。

ここにいてよかったと思える家にしたい。
だから、みんなちゃんと努力してるよね。
家っていうのが完成形っていうのを持たないはかない存在だっ
て分かってても、努力を欠かしてない。

壊れないと家の良さが分からないなんて、そんな悲しいことに
はなって欲しくない。
今、家の温かさや居心地の良さを満喫してる人には、それを
ずっと感じてて欲しい。

それでも。
運命は時に残酷なことをする。健ちゃんちのように。

「負けるな。がんばれ!」

僕は会長にではなく、健ちゃんたちにエールを送っていた。
父さんを呼びつけたってことは、健ちゃんたちの中だけでは収
まりがつかなくなりつつあるんだろう。

だけど。
たとえ親族でも、望んでいる家族の形はそれぞれ違う。
うちは……必ずしも参考にならないよ。

勘助おじさんが望んだ、家族の理想形。
そんなものはしょせん幻なんだって、健ちゃんたちにそう思っ
て欲しくない。口に出して欲しくない。

壊れそうなら修理すればいいじゃん。
みんな、そうしてきたんだ!

だから……どうしても自分たちの力で踏ん張って欲しいな。


           −=*=−


母さんはフルじゃなく、いつもより早めにパートを切り上げて
帰ってきた。やっぱり心配だったんだろうな。
実生に電話をかけて、会長の状況を何度も確かめてた。

こういう時には、僕らに出来ることをするしかない。
うちの分と、会長んちの分。
食事の支度と差し入れをバックアップするのは、僕にも出来る。
母さんとあっきーに電話を入れて、僕が食料の買い出しに出た。

会長の家の買い出し分を持って行ったら、げっそり顔のあっ
きーがよろっと出てきた。

「ううー。いっき、あんがと」

「どしたん?」

「そりゃあ決まってる。進くんが、超興奮モードに突入」

「ぐえー」

「ずっと泣かれるのも困るけどさー。おばあちゃんが来て一緒
に遊んでくれるのが嬉しいみたいで、もう爆裂なの」

「……ママがいないっていうのは?」

「あうとおぶがんちゅー」

どてっ!

「た、たふやなあ」

「まあね。会長いわく。あの性格は会長でもご主人でもなくて、
亡くなったお父さんそのものだって」

「ぐわあ」

「あはは! でも元気いっぱいの方がいいよ。相手すんのが大
変だけど」

「そうだよなあ。津川さんは大丈夫?」

「うれしそうだよー。なかなかこっち来れなかったから、遊び
たくても遊べなかったし」

「千葉からじゃ遠いもんね」

「うん」

「あれ、お隣さんかい?」

そう言って、進くんを抱っこした津川さんがひょいと顔を出し
た。

「上がっていったらいいのに」

「あはは。じゃあちょっとだけ。おじゃましまーす」

長居は出来ないけど、会長の家の雰囲気がどう変わったかだけ
は確かめたかった。



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