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三年生編 第89話(6) [小説]

どうしようか迷ったけど、学校ではすでに結婚の事実を公開
してるんだし。

「あのー」

「うん?」

「中沢先生。結婚されました」

どすん!
神村さんの腰が砕けた。

「う、うそ……」

「一ヶ月ちょっと前に入籍されてます。今は、桧口さんに姓
が変わってます」

よろよろと立ち上がった神村さんが、探りを入れてくる。

「……お相手は、何してる人?」

「理容師さんです。すごく優しい人ですよ」

「ふうん。君のよく知ってる人?」

「しゃらのお父さんのお店で働いてますから。僕も髪を切っ
てもらってます」

「あら!」

しばらく黙って考え込んでいた神村さんは、ぽろりと疑問を
口に出した。

「ちゅんのことは吹っ切れたのかしら」

「吹っ切る以前で、ちゅんさんとは全然意思疎通が出来てな
かった気が……」

「そうね」

「今のご主人とは二年近くのお付き合い。相手とゆっくり交
流を重ねてゴールインて感じで、無理がないです」

「そっかあ」

神村さん、なんか悔しそう。

「結婚式は?」

「あげないそうです。中沢先生にもご主人にもご両親がいま
せんから」

それで。
中沢先生とかんちゃんの結婚に訳があることは分かったと思
う。

「なるほどね。でも、幸せそうなんでしょ?」

「間違いなくそうですね。周りじゅうにのろけまくってます
よ」

「ちっ!」

わははははっ!

前にボタニカルアートの展覧会で来た時には、神村さんの左
手の薬指に結婚指輪がはまっていた。
事故死した恋人とのつながりを、それで辛うじて引き止めて
るって感じがしたんだ。

でも。
指輪はもうはまっていなかった。

「あの、神村さん。指輪……」

「ああ、外したの」

「外せた……んですか?」

「掛け算の片一方にゼロを入れたら、他にどんな数字を入れ
ても答えがゼロになっちゃうでしょ?」

うわ、すげえ。

ふうっと大きな溜息をついた神村さんが、忌々しそうにぺっ
と言い捨てた。

「みずほのことを偉そうにああだこうだ言ってる時点で、わ
たしも終わってるってことね。情けない」

神村さんが、研究パネルを指差してすぱっと言い切る。

「タンポポは、こうなりたいと思って合いの子を作るわけ
じゃない。交雑して、その結果が親より強ければ生き残る。
それだけ」

「はい」

「そういうタフネスは、ちゃんともらわないとね」

ぐんと胸を張った神村さんが、にやっと笑った。




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三年生編 第89話(5) [小説]

「ええー? 県立大でバイオ? なんでまたそんなマイナー
な選択を?」

「いろいろ条件があるんですよ」

「条件、かあ」

「はい。まずうちの経済状態。国公立以外は無理」

「うん」

「田貫市から遠いところだと、しゃらのサポートが出来ない」

「病気?」

「しゃら本人じゃなくて、お母さんが……」

「うーん、そっかあ。今のお住まいからもっとも近い生物系
が県立大ってことね?」

「ですです。僕の実力から見ても、背伸びでも楽勝でもない。
負荷がちょうどいいし」

「合格したら自宅から通うの?」

「いえ、下宿します」

「……」

神村さんが、僕から一歩離れて僕をぐるっと見回した。

「しっかりしてるわねー」

「いっぱい悩みましたから」

「そうね。わたしもみずほもそうだった。みんな、一度は通
る道ね」

神村さんにそう言ってもらえて、ほっとした。

「あ、そういや」

前々から聞いてみたかったんだ。

「中沢先生は、なんで生物をやることにしたんですかね?」

「ああ、みずほのはちょっと変則ね」

「そうなんですか?」

「そう。あいつは物理や化学が大嫌いだったの」

どごー……ん。
なんだよう。それって僕と同じじゃん。

「それなら素直に文系行った方が……」

「無理よ。中身がぱりっぱりに乾いてたから。今はどうかし
らないけど」

「乾いてる……かあ」

「文学、経済、コミュニケーション系。どれ一つとっても、
人と社会を中心に据えた分野でしょ?」

「あ、そうかあ」

「みずほの人嫌いは筋金が入ってるからね」

「大学でもそうだったんですか?」

「そう。一見ウエルカムなんだけどね。あるラインから内側
には絶対に入れてくれない。そこに入れたのはちゅんだけか
な」

「なるー」

「でも、ちゅんはみずほ以上の人嫌いでしょ? みずほが努
力しても中に入りきれなかった。似た者同士じゃね」

「やっぱかあ」

「みずほはきっと晩婚ね。それも、あの病的な人嫌いを克服
出来ればの話。下手すりゃ、生涯シングルかもね」

む。
そうか。中沢先生は、結婚した事実を本当にわずかな人にし
か知らせてないんだろうな……。