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三年生編 第89話(1) [小説]

8月29日(土曜日)

「やれやれ」

夏休み明けの一週間をなんとか乗り切って、体が少し学校通
いに慣れてきた。

遊び倒しても勉強三昧でも、やっぱり長い休みの間は学校に
通ってる時とはペースが違う。
朝早く起きなくても済むし、夜は遅くまで起きていられちゃ
う。
そういう不規則な時間の使い方をずるずる引きずると、学校
に通う時の生活リズムにすぐ戻らないんだ。

まじめに学校に通ってる僕らでもそうだから、ブランクが出
来ちゃったさゆりんは、どういうプランに乗るにしてもこれ
から生活リズムを作るのがしんどいと思う。

そうは言っても、今はそれどころじゃないだろうな。
この前僕が提示した選択肢のどれをとっても、楽ちんすー
すーってことは絶対にありえない。

自力で行動を起こすのはまだ無理にしても、誰かが作ってく
れたプログラムに乗るからイージーってこともないんだ。
どうしても精神的、肉体的な負荷がかかるから。

さゆりんにとっては、試練よだなあ……。

「ふわああっ」

でっかいあくびを噛み潰しながらリビングに降りたら、母さ
んがダイニングテーブルの上に何かを乗っけて、それを熱心
に調べてた。

「はよー、母さん。それなに?」

「分かんないから調べてんのよ」

「ふうん。もらったの?」

「いや、お隣の鈴木さんが、お子さんを連れてピクニックに
行った先に生えてたんだって。調べてくれないかって言われ
てさ」

「へえー。なんか柔らかそうな草だね」

「そう。最初はヘンルーダかなあと思ったんだけど、花が白
いのよね。ヘンルーダは黄色」

「匂いは?」

「同系統じゃないかなあ。ちょっと薬っぽい匂いがする」

くんくんくん。あ、確かに。

「園芸植物じゃなくて、野草なんじゃないの?」

「あ、その可能性もあるのか」

「僕の図鑑、持ってこようか?」

「助かる」

一度自分の部屋に戻って、ハンディ植物図鑑を取ってくる。

それをぱらぱらめくった。
ヘンルーダに姿形や匂いが似てるってことは、同じ科なん
じゃないかなあ。ええと、ヘンルーダはミカン科、と。

「あ、こいつちゃう?」

僕が指し示したページを見て、母さんがぽんと手を叩いた。

「そう! これだわ。マツカゼソウ、か」

「初めて見たなー」

「だよね」

名前が分かったところで、母さんの草への興味は薄れたみた
いだ。花は地味だし、ちぎった茎だけじゃ植えることも増や
すことも出来ないだろうし。
鈴木さんに名前の報告が出来れば、それで満足なんだろう。
でも母さんの鳥頭なら、すぐに名前を忘れちゃいそうだけ
ど。うけけ。

「ところで、いっちゃん。今日は御園さんと出かけないの?」

「しゃらは今日、友達とアガチス女子短大のオープンキャン
パスに行ってるんだよ」

「あ、そうかー」

「先週ひどく腹壊してずっとダウンしてたから、大丈夫か
なーと思ったんだけど、根性で治したらしい」

「あはは! さすがね」

「まあなー」

「いっちゃんは、一緒に行かないの?」

「あのさー、女子大に潜入すんのはいくらオープンキャンパ
スでも無理だって」

「女装すれば……」

「だあほっ!」

ったく。このハハは。



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三年生編 第88話(6) [小説]

「すげえ。恐ろしいくらいタフだ。さっすが、りん」

いや……違うな。
即座に思い直す。

りんも、基本は僕と同じなんだよね。
自分は大丈夫。こんなことくらいでへこたれないよ。
そういう平気さポーズを取る。

自分の両親の仲がぎしぎし軋んでいることは、もうずっと前
から分かってたんだろうな。

親父さんが暴君だったら、お母さんが親父さんを立てないと
バランスが取れない。
そういう偏った力関係のまま親がりんの進路を指図しようと
したら、りんの逃げ場はどこにもなくなる。
子供としては親に仲良くしてもらいたいけど、親を立てたら
代わりに自分が消えてしまうんだ。

親の夫婦仲を取るか、自分の進路を取るか。
りんにとっては辛い選択だっただろうな。

巴伯母さんが両親を木っ端微塵にした時にりんが泣いたの
は、親が失職したからじゃないな。
自分が間に入ることで辛うじて保たれてた夫婦のバランス
が、失職によって完全に崩れてしまうこと。
それが……最初から分かってたからだ。

「ふう……」

それでも。今のりんとあの時のりんは違う。

僕もしゃらもりんも、もう少しで親から離陸なんだ。
親のせいでこんなんなっちゃったって、そういう言い訳が出
来なくなってる。
そして、りんは死んでもそんな言い訳はしたくないだろう。

わたしにはわたしの夢があり、将来像がある。
そう宣言して早くから道を決め、わき目も振らずに爆進して
きたりん。
そこには、りんの本音じゃないものが混じっていたかもしれ
ない。

でも、どうせやるなら自分を残らず全部ぶち込んで、がっつ
り燃え尽きるまでやりたい。
それが、りんだ。

「う……ん」

昨日今日。
ずっと考え続けていたさゆりちゃんのことを、もう一度思い
返す。

中身が違うって言っても、うまく行かなかったという事実は
さゆりちゃんも実生も同じ。
じゃあ、実生とさゆりちゃんとでどこが違った?

僕は、運不運の差だけじゃないと思うんだ。

実生はいつでも自分のやりたいことを探す。
好奇心が強くて、新しいことにトライするのを躊躇しない。
こっちに来て、陸上やったのも、合気道習ったのもそう。
親や僕の勧めじゃなくて、全部自分で決めてる。

プロジェクトに参加したのも、僕がいたからじゃない。
プロジェクトのカラーが、他の部とまるっきり違ったから。
おもしろそうだと思ったからだ。
そこが……実生とさゆりちゃんとの一番大きな違いなんだよ
ね。

さゆりちゃんは健ちゃんのまねっこを続けて来て、もうま
ねっこ出来なくなるってことを甘く見てたんだろう。

おまえの人生なんだから、おまえが考えろ。
親や健ちゃんがまじめにどやしたのを、ずっと先のことだと
思ってたんだろうな。

信高おじちゃんと進路をめぐって激突したさゆりちゃん。
だから、さゆりちゃんだって何も考えてなかったわけじゃな
いと思う。
でも、家族にさゆりちゃんの真意が分からないまま、反発だ
けが爆発してスピンアウトしちゃった。

自力で、次の自分を作る。
健ちゃんは、どうせ俺のまねをするならそいつをコピってく
れよって言いたいだろう。

まあ……そこは少しずつやるしかないと思う。

北尾さんみたいに、チャンスを活かして同じ人とは思えない
くらいに自己改造に成功した人もいれば。
ずっと被り続けた猫が一体化しちゃって、とうとうそれに侵
食されちゃった穂積さんみたいな人もいる。

誰かが自分のことを一番底まで分かってくれる……そういう
幻想を持たないこと。
自分のことは自分にしか分からない。自分で改造しない限り
は腐るしかなくなる。そういう危機感を持つこと。

僕は心から祈る。
出来るだけ早く、さゆりちゃんがそれに気付いて欲しいなと。

親や健ちゃんの差し出した手を、安易に取ってしまう前に。




ekumea.jpg
今日の花:エクメア・ファスキアタAechmea fasciata




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三年生編 第88話(5) [小説]

しゃらんちに買い物した荷物を届けて、すぐ家に帰る。
まだじわっと頭痛が残ってたから、夕飯食べた後ですぐ休み
たかったんだけど、りんが後で電話するって言ったのが引っ
かかって結局勉強モードになっちゃった。

記述式の数学の問題を解いてるうちに、結構いい時間になっ
た。

「十時半、か。明日かけてくるのかな?」

それならもう寝ちゃおうかなーと、椅子から腰を浮かせたと
ころで携帯がぶるった。

「来たかー」

りんの番号。間違いない。

「うい、いっきっすー」

「電話で話すんのは久しぶりだねー」

「んだな。生活が完全に割れちゃったからなー」

「まあ、そんなもんしょ」

「どしたー?」

「ああ、事務報告だけ」

「事務報告?」

「そ。うちね、両親が離婚した」

ずっどおん!

「なにい!?」

「まあ、前からいろいろあったんだけどさ」

りんの口調はものすごく乾いていた。

「親父の方が、母さんよりずっと俗物で、えらそーなのよ」

「分かるー」

「でしょ? まあ、母さんからしてみたら、おまえは俺が偉
くしてやったなんていけしゃあしゃあというやつぁ論外で
しょ。家事なんかなーんもしないくせに、口だけは達者でさ
あ」

とげとげとげとげ。
りんの口撃は、容赦なかった。

「教授時代だって、アカハラの急先鋒。女子学生に手を出し
たっていう笑えない話も流れてた。巴さんが爆弾落とす前か
ら、もう充分ヤバかったんだよね」

「うっわあ」

「だから、親父の方は引き取り手がないんよ。母さんは、い
くつかの大学から引き合いがあったらしいんだけどさ」

「すげえ……」

「まあ、そんなこともあってね。自分の始末を自分で付けら
れないなら三行半叩きつけるぞって、母さんから親父に脅し
が入ってたの」

「普通逆じゃんか」

「わはは! わたしの母親だよー」

「らじゃ」

さもありなん。
クビになってすぐに、スーパーで焼き鳥焼けちゃう人だから
なあ。

「でも、改善の見込みなしってことで、母さんの方から離婚
調停の裁判起こして、正式決定になったの」

「そっか……」

「まあ、その結果は前からなんとなく見えてたから、特にど
うってことはないんだけどね。わたしも、もう独立間近だし
さ。特にコメントも感傷もないんだ」

「なるほどなー。さすが、りん。で、事務連ていうのは?」

「姓が変わるの」

あっ!

「そ、そっか。市東じゃなくなるんだ」

「そうっす。母さんの旧姓が村松だから、村松倫になんの」

「なじむまで、ちょっとかかりそうだな」

「まあね。でも、将来結婚したらまた姓が変わるんだろうし、
わたしゃ下の方でしか呼ばれないから、実害はないかなー」

「わははははっ!」

「つーことでよろしくー。あ、しゃらにもそう言っといて。
いちいちみんなに説明すんのがかったるくてさ」

「おけー。わあた」

「じゃねー」

ぷつ。




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三年生編 第88話(4) [小説]

週初に強烈な食あたりでぶっ倒れたしゃらは、火曜日休んだ
あとで一応回復したらしいけど、結局今週は本調子に戻らな
かった。
お母さんの看病や田中さんとの面会とかいろいろあったし、
疲れが溜まってたんだと思う。

昨日くらいから少し踏ん張りが効くようになったって言って
たけど、今度は僕が不調。
どうも、八月ラストは二人して冴えないよなあ。

放課後、スーパーに寄る。
ぶつくさ言いながら、しゃらに頼まれた買い物をかごに入れ
てレジの列に並んだら、レジ係がりんだった。

「いらっしゃいませーって、なんだいっきかー」

「なんだはねえだろ」

他のお客さんが後ろに控えてるから、余計なちゃちゃは入れ
られない。
突っ込みなしで会計を済ませて、さっさと離脱する。

「ああ、いっき。あとでちょっと電話するー」

「うい」

なんだろ?

買い物袋をぶら下げてスーパーを出ようとしたら、入り口近
くにある生花のコーナーに、けっこうごつい鉢植えがごんと
置かれているのが見えた。

「へえー……」

エクメア、か。
少し銀色っぽい葉が放射状にわさっと茂ってて、そこから花
茎がぽんと伸びてる。
でも……その花は何か塗料で色がつけてあって、どうも本物
の花の色じゃなさそう。

そっか。色が付けられてるのは苞だ。
きっと花自体は小さくて、そんなにきれいってわけでもない
んだろうな。

いくら派手でも、苞がタネを実らせることは出来ない。
タネを作るのは、どんなに地味でも花の仕事だ。
それは……僕らの内面と外面の違いみたいなものかもしれな
いね。

強がりのメッキが剥げて、未熟でひ弱な自分に呆然としてる
さゆりちゃん。
その姿は、かつての僕や実生の姿そのものだ。

僕らは他人に対してじゃなく、自分に対して虚勢を張るしか
なかったんだよね。
僕は、わたしは。まだ大丈夫だよってね。

虚勢を人に向けたのがさゆりちゃんだった。
僕らとさゆりちゃんの間には、それくらいの差しかない。

中身はまるっきり同じ。地味で、ひ弱で、誰にも見てもらえ
ない。でも、それが僕らなんだよ。
そして最後に残るタネは……僕らにしか見えないし、僕らに
しか意味がないんだ。

苞をむしられて、貧相な花だけになってしまった今。
ちっぽけな自分、無力な自分に強いショックを受ける気持ち
はよーく分かるよ。僕らもそうだったから。

でも、自分のタネは自分にしか扱えない。
作るのも、蒔くのもね。

誰かにぎんぎらぎんの蛍光色に塗られてしまった苞。
それがどんな色や形をしていても、花を咲かせられるか、タ
ネを実らせられるかには関係がない。

健ちゃんもおじさんおばさんも、苞がどうなってるかを見た
らダメ。苞をどうするか考えたらダメなんだよ。
そんなの、結局なんの意味もない。

まだひ弱だって言っても、さゆりちゃんにはさゆりちゃんの
価値観や考え方がある。それをどうタネまで持っていくか。
持っていけるか。
そういう風に考えないと、どんな復帰プランを練ってもきっ
と失敗する。

「ふう……」

でもね。
それを、僕らはああだこうだ言えないの。

同じ工藤姓でも、うちと健ちゃんとこでは家の雰囲気が全然
違うんだ。
健ちゃんとこに合うようにやり方を工夫してもらわないと、
どうにもならない。

僕は、それがうまく行くように祈るしかない。

「さて、さっさと届けてくるか」

後ろ髪を引かれる感じがあったけど。
僕はエクメアから視線を切って、スーパーを飛び出した。





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三年生編 第88話(3) [小説]

僕の激しい言い方に、父さんがすっごいシブい顔をした。

もちろん、さゆりちゃんに向かって直接こんなセリフを言え
るわけない。
僕は、これから信高おじちゃんとの接点が増える父さん相手
だから、あえてそんな過激な表現を使ったんだ。

僕らには、さゆりちゃんの将来方針を決める決定権はない。
てか、そんなもん持ってこられても困る。
僕は、父さんが向こうで何か安請け合いをしないように、あ
えて釘を刺したんだ。

だって、父さんが善意で示唆したことと僕や母さんの意向が
食い違っていたら、それに傷つくのは僕らじゃない。
さゆりちゃんなんだからさ。

さゆりちゃんのこれからの方向性が決まった後で、僕らなり
にサポしたり助言が出来たらいいよね。
最後は、僕が強引にそうまとめた。
だって、それしか落としどころがないと思うもん。

父さんはこれまでたくさんの善意に囲まれてきて、だから善
意のありがたさをよーく分かってる。
母さんの芯は、逆境は自力で跳ね返さないと他に何もあてに
出来ないっていう、強烈な自立心がベースになってる。

元々そのベクトルは正反対なんだ。

家族を守るっていうことではがっちり噛み合ってきた二つの
意思が、視線が外を向いた途端に食い違うようになる。
それが、長く一緒に暮らしてきた家族の間でも。

人間というのは……最後は結局個に戻るんだなあと。
しみじみ思い知らされた一夜になったんだ。

その言いようのない不安感や不満感が……今みたいな頭痛に
なってじわっと溢れたんだろなー。

「ふう……」

カバンの中に突っ込んであった鎮痛剤を出して、水なしで飲
み込んだ。

まあ……気休めだよね。
実際に頭が痛いっていうより、それは気持ちの問題なんだろ
うから。

僕の後ろでは、立水が僕と同じような仏頂面で大学総覧をめ
くりながらうなっていた。

「ううー」

あいつも、物理外すところまではすぱっと決断したけど、そ
の後具体的にどうするかがまだ未確定なんだろうな。

悩んでいても時間は過ぎるし、悩んでいても腹は減る。
ああ、めんどくさ。

「さて」

購買でパンを買って来ようと立ち上がったら、すかさず立水
のチェックが入った。

「お? 工藤。今日は弁当なしか?」

「昨日、長時間の家族会議があってな。お袋が朝起きられん
かったんだよ」

「へー」

「まあ、なるようにしかならん」

「だな」

妙に納得したような顔で、立水が分厚い総覧をぽいっとぶん
投げた。

「ったく。日本てえ国は、どうしてこんなに山のように大学
があんだよ。目まいがしそうだ」

ははは。
昔と違って、今の僕らはすごく恵まれているんだろう。
恵まれているってことが分からないくらいに。

それって……いいんだか悪いだかよく分からないね。

「はあ……いてて」




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三年生編 第88話(2) [小説]

健ちゃんにはストレートに言った。

「何がきっかけでどうなったにしても、周囲の人は事実しか
見ないよ。学校にいなかった昔のことより、学校にいる今の
方が長ければ、みんなはそれが当たり前だって考えるんだ。
だから僕は早くリスタートしたかったし、僕のおすすめは
そっち」

「ってことは、普通校に転校ってことだな」

「僕なら、ね。僕はさゆりんじゃないから、さゆりんがどの
くらい周囲の目を気にするのかは分からない。そこは、家族
で話し合ってもらわないと」

「うーん……」

健ちゃんの歯切れは悪かった。
つまり、最初に信高おじちゃんとさゆりんが大激突した時と
違って、今度は両方とも腰が引けちゃってるってことなんだ
ろう。
双方押し合いなら、まあまあ落ち着けって間に入れるけど、
両方で引いちゃってると……確かになあ。

それならまずどれかをやってみて、結果を見て軌道修正する
しかないでしょ。

順序としては、最初から引いちゃう形じゃなく、転校でのリ
セットを先に試した方がいいと思うよと。
健ちゃんにはそう伝えた。

理由はこの前言った通り。
最初に下がると、這い上がる気力を失うから。

下がるのはいつでも下がれる。
だから、最初は負荷をかけた方がいいと思う。
僕はそれしか言えない。

何度か電話でのやり取りがあって、健ちゃんたちが納得して
くれたのが昨日。
そして、その昨日の電話がはんぱなく長かったんだ。

健ちゃんたちは。
どうしても、大丈夫うまく行くよっていうお墨付きが欲し
かったんだろう。

でも僕はそれだけは言えない。絶対に言えない。
全ての責任は、最後は本人が負うしかないから。

昨日のやり取りで疲れたのは、健ちゃんと長話したからだけ
じゃない。
珍しく、僕ら家族の間でも意見が割れたからなんだ。

母さんは、徹底してそのまま復学を押した。
自分で選択したことの責任を負わないと、ひけ目を一生引き
ずることになるよって。

うん。母さんの言うのは正論だと思うよ。僕もその通りだと
思う。
どんな事情があったにせよ、家を飛び出した時点で親の庇護
を拒否したんだから、その後にあった全てのことは自己責任
さ。

でもね、母さん。さゆりちゃんは未成年なんだよ。
まだ親が、自己責任の一言でばっさり切り捨てることは出来
ないんだ。誰かがちゃんと後見しないと、法律上だめなの。

まるで罰を与えるみたいに、好奇の視線しか降ってこない高
校に戻すのは、さゆりちゃんにとって生き地獄だよ。
それはないなあと思う。

父さんと実生は、もっともマイルドな方法を主張した。
もう少し冷却期間を置いて、そのあと通信制かフリースクー
ルっていう線。

優しい父さん、年と立場がぴったり重なる実生は、さゆり
ちゃんを自分の過去に重ねたんだろうな。
まだ庇護が必要な時期なんだから、さゆりちゃんの心の傷に
もっと配慮すべきだろうっていう論理展開だった。

それも一理ある。
僕も、次善策としてはそこしかないかなと。
でも、最初に採るべきプランじゃないと思ったんだ。

さゆりちゃんには、親に反発するエネルギーはあったんだ。
最初からへたへただったわけじゃない。
自分の陣地から出た途端に大破したからって、今度は狭っ苦
しい柵の中だけで過ごそうってわけ?

親どころか、健ちゃんの枠からすら出られなくなったら、一
生自分を出せる場所がなくなるよ。
親兄弟以上の理解者なんか、どこにもいないんだからさ。
誰かの奴隷になってもいいんなら、上げ膳据え膳もいいかも
ね。




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三年生編 第88話(1) [小説]

8月28日(金曜日)

「うぐー」

頭の後ろがしびれる。

夏休み中の方がずっと時間密度が濃くて、びっしり何かして
たはずなのに。
普通に授業がある今の方が、時間の重量感がはんぱない。
どうして?

ああ、そうだよな。
使える時間が限られてるっていう、時限爆弾のタイマーが目
の前でかちかち鳴ってる感覚。
それがどんどんリアルになってきたからだ。

何かしてもしなくても時間は過ぎる。
半年、一年先のことだったら、まだまだ先じゃんて笑えるけ
どさ。もう残り四か月しかない。

高校最後の八月が絶命したら。僕らにはもう休みがない。
全てをぶん投げて、やれやれって息を抜けるまとまった休み
時間がもうないんだ。

それが……じわっと効いてくる。

教室で片肘ついて顔をしかめてたら、ヤスが寄ってきた。

「おーい、いっき。どした? 調子悪そうじゃん」

「ああ、頭痛がする」

「ほえ? 珍しいな」

「いや、そんなにしょっちゅうではないけど、偏頭痛持ちだ
からね」

「そらあ知らんかった。保健室行かんで大丈夫か?」

「そんなにひどいわけじゃないからね。それと、昨日ちょい
夜更かしし過ぎて、寝不足……」

ああふ。

「御園と長話?」

「いや、あいつもまだ腹をやられたダメージから回復しきれ
てないから、電話とかは短めに切り上げてる」

「ふうん。じゃあ、勉強の方か」

「まあ、そんなとこ」

実際はそうじゃない。
今週は、家に帰ってからが結構忙しかったんだ。
もちろん、その元ネタはさゆりちゃんのこと。

健ちゃんから何度も電話がかかってきて、その応対でだいぶ
時間を持って行かれた。

僕個人としては、関与できるのはこの前のところまで。
あとは健ちゃんたちが話し合って、家族の間でなんとかオト
して欲しい。
僕らを巻き込んだって、事態が複雑になるだけだよ。

僕はこれからラストスパートだ。
がっつり気合いを入れんとならん時に、結論の出ない微妙な
話を持ち込まれるのは本当にしんどい。

でも、同時に。
健ちゃんの焦りもよーく分かる。

いくら健ちゃんがマイペースのぼよよんと言ったって、本当
に僕が臨戦態勢に入ってしまったら一切触れなくなるってこ
とはよーく分かってる。
僕がまだそこまで切迫していない今しか、アクセス出来ない
んだよね。

僕の方から今後の方針をリードするのは無理。
僕には責任が取れないから。

あくまでもさゆりちゃんがどうしたいかがベースで、足りな
いところを家族でどう補佐するか決める。
それしかないと思うんだ。

さゆりちゃんが取りうる選択肢はそんなに多くない。
母さんが目一杯ぶちまかしたから、家に引きこもっていられ
る時間がもうないってことは分かってるはず。

そして、ほとんど登校してない高校に戻ることも出来ないだ
ろう。
私立の高校ならともかく、公立の高校で一人一人の生徒のプ
ライベートまで配慮してくれるとはとても思えないから。

ぽんいちだって、サポは最低限だよ。
加害者の元原であっても、被害者のゆいちゃんであってもそ
うだったからね。
学校で気にするのは、当事者よりも、それが他の生徒に波及
したり学校全体を動揺させることにならないかってことなん
だ。

健ちゃんにはそれを最初に伝えてある。
復学するにしても転校するにしても、学校のサポートはあま
り期待しない方がいいよって。

そしたら、さゆりちゃんは腰が引けるわなー。
通信制やフリースクールみたいに、周囲の子たちと距離を取
れる方が気楽なんじゃないかって感じるんだろう。

でも、精神的な負担がどのタイミングでかかるかの違いがあ
るだけさ。最初辛いのを我慢してすぐに慣らすか、後から
じっくり苦労するか。
どっちにしても、一度レールから外れちゃったことの弊害は
結局どっかで出るんだ。

僕の中学の時がそうだったからね。





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三年生編 第87話(7) [小説]

少しか回復したかなあ。
家に帰ってからメールや電話で確認してもよかったんだけど、
やっぱり顔を見て安心したい。
それに、サポが必要かどうかってのもあるし。

しゃらの仮住まいのアパートに寄って、呼び鈴を押した。

「おーい、大丈夫かあ?」

「いっきぃ?」

「うーす」

げっそり顔のしゃらが、ドアロックを外してよろよろと出て
来た。

「しんどーい」

「どしたん?」

「なんかあ、貝に当たったみたい」

「うわ……。じゃあ、一家全滅?」

「いや、お母さんは用心して食べなかったの」

「じゃあ、お父さんが」

「そう。わたしと同じでぴーぴー。今日は仕事休んでる」

「ぐええ、きつそう。買い物してこようか?」

「すっごい助かる!」

さっと引っ込んだしゃらが、かなり長いメモを持って戻って
きた。

「量あるけど、大丈夫?」

「こことスーパーの間なら距離ないからね。二回に分ける」

「ごめんね」

「いいって。それよか、早く体調戻さないと」

「うん……」

「横になってたらいいよ」

「そうするわ」

「じゃあ」

「お願いねー」

「うーす」

そっとドアを閉めて。
大きな溜息を連発する。

今はこうやって僕がサポート出来るけど。
僕が下宿してここを離れたら、こういうまめなサポートが不
可能になる。

きっとしゃらは、僕が離れることを前提にして家族で暮らし
ていく新たな方法を考えるだろう。
商店街の人たちとのつながりもあるし、そっちはあんま心配
してない。

でも僕がこれから家を出ようとするように、しゃらもいつか
は家を出て暮らす道を探るはずだ。
そして……僕にはその形がどうなるのかをまるっきり想像出
来ない。

そこが、ね。

「さて。買い物を済ませちゃおう」

商店街のアーケードを抜けたら。もう日がすっかり傾いてい
た。

昼の暑さはまだまだ残っているけど、確実に日が短くなって
きてるんだよな。
それは……同時に僕やしゃらの残り少ない高校生活を容赦無
く削り取っていく。

だけど、僕は後ろを振り返る暇がない。
まず、今を。昨日や明日のことよりもまず先に、今をしっか
り見つめないとならない。

顔を上げて薄闇の向こうを見透かす。
頼りない天幕の上に、今朝見たトケイソウのイメージがぼん
やりと浮かんだ。

トケイソウの別名はパッションフラワー。受難の花。
人々を救うために身代わりになったキリストの受難に見立て
られてる。

僕はキリストなんかじゃないから、人の代わりに受難するこ
となんかできないけどさ。
それでも、こっそり祈ってしまう。

「なあ、僕は今、これでいい。これ以上を望まない。だから
僕の代わりに、今助けが必要な人を助けてくれないか?」




tok.jpg
今日の花:トケイソウPassiflora caerulea


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三年生編 第87話(6) [小説]

「ねえ、北尾さん」

「はい」

「今回のことをネガに考えない方がいいよ。僕らにとって高
校はあくまでも入れ物。それも時限付きの。寝太郎がきちん
と収まる入れ物の方が、絶対にあいつにとってはいいと思う」

「はい」

「人にはそれぞれペースがあるからさ。寝太郎には寝太郎の
ペースがある。それを誰かが用意してくれるなら、そっちの
方が絶対に幸せになれる」

「そう……ですね」

「寝太郎のことはひとごとじゃないよ。僕らもこれから試さ
れる」

北尾さんが、小さく頷いた。

「全部自分でやるのも、全部誰かにしてもらうのも無理。僕
らはいつでも、自力と他力のバランスの上にある。でも」

「自分でこなせるところを出来るだけ多く……ですね」

「そうじゃないと、誰かに手を差し出せないよ。自分のこと
だけでいっぱいになっちゃう」

「あ!」

北尾さんが、ぽんと立ち上がった。

「去年。北尾さんがうちに転校してきたばかりの時だった
ら。寝太郎のことなんか考えられなかったでしょ?」

「……はい」

「それだけ、北尾さんに余裕が出来たんだよ。核になる自分
がしっかり作れたんだ」

「うん」

「でも、それって伸び縮みすんの。今の僕らには、自分以外
のものに手を出す余裕がない。受験が目の前にぶら下がって
るからね」

「そうですね」

はあ……。

「寝太郎のこと以外にも、気になってることがいっぱいある
んだ。でも、今はそれに気を回す余裕がないの。僕も、いっ
ぱいいっぱいなんだよね」

「御園さんの……ことですか?」

「それもある」

「他にも……」

思わず頭を抱え込んだ。

「ほんとにいっぱいあるんだよ。でも、今の自分に出来ると
ころにしか手を伸ばせない。それで、精一杯なんだ」

ふうっ。

「受験をパスして、新しい生活を軌道に乗せて。それで自分
に余裕が出来たら」

「うん」

「少しずつ、僕に出来ることはする。僕のやれる範囲でね」

「それしか……ないですよね」

「僕は、そう思う」

「はい」

「ねえ、北尾さん」

「はい?」

「それでもね、こうやって心配してくれる人がいるってこと
は……」

立ち上がって、思い切り伸びをした。
っふう!

「幸せだと思うよ。誰からも無視されるのが一番辛い」

「はい。そう思います」

「大丈夫、きっといい方向に行くよ」

「そうですよね!」

ぐるっと中庭を見回した北尾さんが、笑顔を取り戻した。

「沖田くんの分まで」

「うん」

「がんばることにします」

「いいんちゃう? あいつ、喜ぶと思うよ」

「はい! じゃあ、帰ります」

「またねー」

「はーい」


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三年生編 第87話(5) [小説]

「おー、いっき。呼び出しだったん?」

ヤスと差し向かいでお弁当を食べる。
午前中はなんとか堪えてたしゃらだけど、やっぱり体調不良
で早退した。これからは、体調の維持も大事な課題の一つだ
よなあ。

「進路のことでね。えびちゃんじゃなくて、瞬ちゃんの呼び
出しだったわ」

「おわ!」

「まあ、確定したから、それでいい」

「って、まだ決めてなかったんか」

「仮置きだったからね。夏休みの間に仮を取った」

「そっかあ」

「ヤスは?」

「だいぶ絞ったけどな。家から通えるとこにするか、上京す
るかで変わるからなあ」

「なるほどー」

「いっきはどうするん? 宅通?」

「家、出るよ。一人暮らししたい」

「……。親と何かあるとか?」

「いや、家から通うとダレそうでさ」

「ううー、しっかりしてんなあ」

「いやあ、まだ一人暮らししてる自分の姿が想像出来ないか
ら、なんとも」

「そっか……」

瞬ちゃんには言わなかったけど。
背伸びしないで済む大学にしたところで、結局いろんな制約
があるし、これまでとは違うプレッシャーがかかる。

生活スタイルはがらっと変わるし。
学費や生活費をどうするか。しゃらとの関係をどうするか。
実生との距離をどう調整するか。
そうなってみないと分かんないことが、山ほどあるからね。

それを、出来る限り自分だけの力で解決していきたいんだ。
親や先生、親族や友達。たくさんの人の力で支えられてた自
分のあり方を、一度原点に戻したい。

そうしないと、差し出されるものを受け取ることにためらい
がなくなっちゃう。ものすごーく鈍感になる。

しゃらとのことが、一番そのリスクが高いんだ。
隣にしゃらがいて、それが当たり前だった日常を一度強制的
にリセットしてやらないと。
僕は無意識のうちにしゃらにひどくよっかかったり、支配し
ようとするかもしれないから。


           −=*=−


放課後。
しゃらんちに寄って行くからすぐに帰るつもりだったんだけ
ど、教室の入り口で北尾さんにつかまった。

「お? 北尾さん。おひさ」

「おひさですー。あの……」

人のいないところで話をしたいっていう感じ。

「中庭行くか」

「そうですね」

閉鎖空間だと、変に勘ぐられるかもしれない。
中庭なら、同じ部員だし立ち話してても大丈夫だろう。

生徒玄関でさくっと靴を履き替え、中庭に直行。
さすがに、休み明けすぐには誰もいない。

ベンチに腰を下ろして、北尾さんが何か切り出すのを待っ
た。

「沖田くん」

「あっちゃあ……」

それで全部分かっちゃった。

「やっぱ、休学かあ」

「はい。斎藤先生から、今朝正式アナウンスが」

「ふう……」

思わず、朱の混じった太陽を見上げた。

「二年。なんとか堪えて来て、ここで戦線離脱はしんどいだ
ろうなあ」

「はい……」

「でも、ピンチをチャンスにするしかない。ここのペースが
合わないなら、自分を無理やりここに合わせるんじゃなく、
合うところを探す。そういうやり方が、現実的なのかもね」

北尾さんは、すんと俯いてしまった。
寝太郎とは逆のプロセスを踏んで見事に自分を立て直した北
尾さんにとっては、寝太郎の離脱はいたたまれないだろうな。



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